ウブドでAKOちゃん

ニュピの前日、ウブドの交差点でブタカラのお祭りがおこなわれていた。一時間近く炎天下に立っていたので、木陰に入って休んでいたら、隣に怪しげな風貌の男が立っていた。リュックに「脱原発」と書かれていたので話しかけてみた。

「話しかけてもいいですか?」

「あ、ありがとうございます」

「原発の反対運動をしているのですか?」

「はい、さっきもそこで立っていたら警官がやってきて追い払われました」

「立っているだけで追い払われるの?」

「インドネシアでは脱原発を公で訴えると法律違反なんだそうです」

「なんで?」

「日本がインドネシアに原発を輸出しようとしていて、それに反対することを禁じているんです」

「そうなんだ。それでバリ島に来たの?」

「世界中旅してます」

「脱原発を訴えて?」

「はい、そうです」

「ホームページとかはあるの?」

「友達や仲間が作ってくれています」

「あなたのしていることをどうやって調べたらいいの?」

「ありがとうございます」

そういって一枚の紙切れを手渡された。

“ウブドでAKOちゃん” の続きを読む

クリオロ種のカカオ

中南米原産の野菜がたくさんあることはご存じだと思うけど、それが世界で流通している野菜の60%に達すると聞いて、僕は驚いた。だとしたら、アメリカ大陸が発見される以前、ヨーロッパや日本では何が食べられていたんだろう?

今回メキシコに行って、へえっと思うことがたくさんあった。その1つが中南米原産のカカオについて。カカオはもともとマヤの人たちがチョコレートドリンクにして飲んでいたそうだ。ホテルでチョコレートドリンクをよく見かけた。それは日本のココアより少し塩が多く、シナモンの香りが効いていた。

チチェン・イツァーで面白いショップを見つけた。マヤランドホテルアンドリゾートの一角にあった「Choco-Story Chichen」というお店。Chocolate museum shopと書かれていたが、なかにはチョコレートと、カカオを使った化粧品が売られていた。チョコの石鹸を買い、チョコレートを買おうかどうか迷った。何しろ外は暑い。普通にチョコを持ちだしたら溶けるに決まっている。ウームと悩んでいると店員がカカオ豆を持ってきて食べろという。チョコレート色したカカオ豆。カカオ豆を食べるのははじめてだった。恐る恐る食べると「苦い」。しかもちょっと酸っぱい。それでいてチョコの香りが一杯。この豆を砕くのにこれを使うと、前の写真にあるwhiskを見せてくれた。

チョコとカカオ豆を買うかどうか迷ったが、やめておいた。チョコは溶けるだろうし、カカオ豆はこの味ではお土産にしても喜ばれないだろうと思ったのだ。なにしろ「苦くて酸っぱい」。ところがそこを離れてカンクン行きのバスに乗ると、無性にあのカカオ豆をもう一度食べたいと思ってしまった。「苦くて酸っぱいから喜ばれないだろう」と思ったのに。

“クリオロ種のカカオ” の続きを読む

なぜモレスキンを使い始めたのか?

3つ前に書いた記事、『モレスキンのような手帳を使い続けること』がモレスキンのファンサイト、モレスキナリーに掲載されました。こちらです。とてもうれしかったので思わず『日刊 気持ちいいもの』にも書いてしまいました。

そもそもなんでモレスキンを使い始めたのかを思い出すと、大学生の頃がきっかけでした。もう30年ほど前になりますが、中国旅行に行きました。友達と四人で行ったのですが、そのときにずっと毎日の記録をとり続けていたのです。どこのレストランに入ったとか、どこでどんな事件が起きたとか。あとで読み返すととても面白かったのです。それをたまたま友達の知り合いが見て、その人が発行しているミニコミに原稿を書いてくれと頼まれたんですね。それが僕のライターデビューでした。大学三年の頃です。それ以来、旅に出るたびに記録を残し続けました。その頃はハンディなノートで、モレスキンというものは知らなかったのですが、旅に出ると書き物をする癖がつきました。

就職するとシステム手帳を使っていました。スケジュールのページ以外にも横罫のページを仕込み、そこに時々メモを書いてました。それがのちのち企画に役立ったりするのです。驚いたのは、先輩に頼まれてレコード会社のオーディションのようなものを聞きに行きました。先輩は別件の仕事があって行けなかったので、そこに書いたメモを元に報告書を作ったら、それがレコード会社に手渡されて、「一番素敵」と書いた人がデビューすることになったりもしました。

“なぜモレスキンを使い始めたのか?” の続きを読む