アイ・ウェイウェイ展最終日 いたたまれない展示物のいたたまれない事情

このエントリーに存在する写真についてのCCは、エントリー最後をご覧下さい。

昨日、アイ・ウェイウェイ展の最終日なので行ってきた。行きたいと思いつつなかなか時間が取れずに行ってなかった。アイ・ウェイウェイの反骨精神に触れてみたかったのだ。

しかし、最終日にもかかわらず会場にはあまり多くの人がいなかった。作品の写真撮影がクリエイティブコモンズの条件下で許されていたのだが、人がいないので楽に作品の撮影ができた。

作品はどれも「いまいち」という感じを受けた。会場に入り人がいないのを見、そして作品を見つつ歩いていくごとに「いまいち」が膨らんでいく。この「いまいち感」の膨張はいったいなにに由来しているのか、会場にいたときにははっきりとは見えなかった。この文章を書くために、昨日の感覚を反芻して、ここに再現し、なぜ僕のなかで「いまいち」が育っていったのか、それを探ってみたい。これを探ることで、ついに僕はなるほどという点に行き着いた。それは僕にとって、または中国と日本の関係にとって、大切なことだと思う。

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地球の未来への対話〜仏教と科学の共鳴

2009年11月1日(日)午後1時から『地球の未来への対話』を聞きに行った。以下に対話の内容を記す。ただし、会場には録音機材などを持ち込むことはできないとのことだったので、すべてメモ書きしたものをここに書き直す。そのためにかなり内容が抜けているし、メモが不完全な箇所はあとで補ったので、多少の間違いがあるかもしれない。ご容赦願いたい。

司会:尾中謙文:

日本の人たちは豊かさを指針に働いてきた。しかし、それが窮まり自殺者が年間3万人となり、無気力や貧困が蔓延している。コンピューターがたくさんの情報を与えてくれるようになったが、忙しすぎて心が不安定な人が増えたように感じる。そろそろ心の内と外の両方を考えるべき時代に差しかかっていると思う。そしてそれは私たちが失った大切な物事を思い出し、気づくべき機会でもある。ぜひこれからおこなわれる対話を契機として、幸せをつかむチャンスとして欲しいと思います。

今日は四つのテーマについて考えていきます。それぞれのテーマをパネリストひとりずつに受け持ってもらいます。四つのテーマは「地球」「環境」「生命」「心」です。

では、まずは「地球」のテーマで竹村真一さんからお話しを始めて下さい。

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すごい。「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」

「THIS IS IT」を観てきた。すごいの一言です。詳しくは以下に書きますが、何も知らずに観たい人は読まない方が良いでしょう。観るかどうか迷っている人は読んでみてください。

この映画の冒頭、映画の観客を何で映画に引き込むのか興味があった。普通なら今回のコンサートの練習で一番いいテイクを流すところだろう。ところがこの映画は静かに始まる。コンサート・ツアーに選ばれたダンサーたちのインタビユーから始まるのだ。「なんてたいくつなところから」と思いかけたが、そこでもう映画に引き込まれる。ダンサーたちはMJと同じ舞台に立てることの喜びで、表面上は普通に受け答えしているのだが、その声はかすかにうわずり、心の奥に隠した気持ちが抑えきれずにあふれてきているのがよくわかる。

リハーサルの場面になればもうMJワールド全開だ。前半はこれがリハーサルかと思う緊張度で押しまくる。確かにヴォーカルを抜いたり、力を抜いた場面もあるのだが、それでも緊張感は変わらない。MJのダンスは本当に最高だと思う。なぜあのカリスマ感、どんなダンサーをも寄せ付けないあの雰囲気を生み出しているのかつぶさに観察した。じっと観ていると、ダンサーたちは音楽に合わせているのではなく、MJにダンスを合わせているように見えてくる。なぜそのように見えるのか、さらにじっと観てみた。速いリズムの中でMJはほんの0.00..秒踊りが速いように感じる。まるで魚の群れが、一匹の方向転換で一度に方向転換していく、そんな感じを受けた。彼らは音楽を聴いて踊っているのではなく、MJの存在を感じて踊っている、そんな感じだ。MJはそれを意識しているかどうかもう聞きようがないが、きっと本能がそうさせているのだろう。そのたった0.00..秒の違いが、他のどんなダンサーとも違うMJのカリスマ感を生み出していた。これが最後のヨーロッパツアーだと聞いたとき、それはきっとあのすごい踊りを維持できなくなってやめるのだろうと勝手に推測していたが、そうではなかった。あの踊りは以前にもまして輝いていた。

ところどころでMJがスタッフに注文するシーンがあるのだが、そのときもMJはスタッフへの心配りを欠かさない。そこにいるすべての人が力づけられるよう、言葉に気を配る。コーチングをしている人はMJの言葉の使い方にいろんなことを学ぶだろう。

ニュースに配信されたリハーサルシーンはThey don’t care about usとHIStoryのメドレーだったが、あのシーンも映画に登場するが、背景に使われる予定だった映像をかぶせてあるので、ニュース映像とはまた違う印象を与えられた。

すべてがリハーサルの映像なので、中にはこうなる予定だったとミニチュアと、使用される映像と、リハーサルの様子をかぶせて見せられるのだが、それでもやはり完全な映像ではない。実際のコンサートを観たら、きっとすごかったろうなと思わせられる。

この映画のハイライトのひとつは「Smooth Criminal」だろう。往年の某有名俳優がMJと競演する。その見事さに思わず笑ってしまった。

一番印象に残ったのは、スリラーの背景に流れる予定だった映像の、ほんの二秒ほどの映像だ。スリラーが軽快に歌われ、その途中でプツッと音楽が消える。思いもよらない唐突なブレークだ。そのときに映像では静寂の中、漆黒の夜空からたくさんのゴーストたちが十字架を背負ったポーズで降りてくる。この瞬間、あれほど醜かったゴーストたちが聖なる存在かのように見えてくるのに感動した。

後半は残念ながら少々間延びした感じを受けた。前半の緊張がやっと後半で解けたとも言える。

この映画を観て、MJがこれを最後にすると言った理由は声にあるなと思った。スリラーのころの異常なハイトーンボイスがあまり使われなくなっていた。高い声が音程としては出ていたが、以前ほどの力強さがなかった。倍音をたくさん含んだ高い声がMJの特徴だったが、その音程をほとんど使わないし、使っても倍音が失われ、マイルドな声になってしまっていた。若い頃のエネルギーいっぱいのMJにもちろん惹かれるが、年を取って枯れていき、どのように力を抜くかが課題となったMJも観てみたかった。

これで彼は本当に伝説の人となってしまった。これからは彼に強く影響を受けたNe-Yoのような人たちが、MJの作風をどのように発展させていくかを楽しみにするしかない。