巨人との出会い

「いったいこれはなんだっ?」て思いませんか?

これはベルリンの壁崩壊20周年記念でおこなわれた祭典の模様なんです。横浜のあたりの方にはもう有名なのかもしれませんが、横浜開国博ででっかい蜘蛛が登場しましたよね。あの仕組みを作った人たちがこのでっかい操り人形も作ったのです。いろいろと調べていったら、もとはル・アーブルというフランスの街で始まったイベントなんですね。横浜開国博では「ラ・マシン」と紹介されていましたが、このイベント全体の演出は「ロワイヤル ド リュクス」というパフォーマンス集団がやっていました。そこで彼らがル・アーブルでどんなことをしたのか知りたくてDVDを入手しました。

観てとても感動しました。大きな操り人形たちは簡単な動作しかしないのですが、そこで見物しているたくさんの人たちが物語を作っていくのです。しかも、ロワイヤル ド リュクスの人たちは、そこをよく心得ていて、物語が生まれていくような準備をたくさんしていたのです。

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砂丘に立つ子供

父(綱淵謙錠)の書簡が新潟市會津八一記念館に展示されているというお知らせと一緒に、その展覧会についてのパンフレットをいただいた。パラパラとそのパンフレットを見ていくと、懐かしい絵が目についた。

「砂丘に立つ子供」と題されたその絵は、僕が幼い頃、ずっとその複製画が玄関に飾られていた。いったいどんないわれのある絵なのか、当時はまったく知らなかった。この絵で幼子をおぶっている女性は母親だと思っていた。荒涼とした土地に立っているその女性と、背中の子供の目の表情がとても印象的だ。

この絵にはたくさんの思い出が染みついている。その思い出がプログラムを開いて目にした途端、ポロポロとこぼれてきた。

父は過去の話をほとんどしなかった。父の過去について知っていることのほとんどはエッセイから知った。父は聞けば答えてくれるが、聞かない限りは黙っている人だった。生きている間にもっといろいろと聞けばよかったなと、今さらながらに思う。

僕がライターとしてはじめてまかされた仕事は「セブンシーズ」という雑誌に父との対談を一年ほど連載させてもらったものだ。その企画をもらったとき正直言ってちょっと嫌だったのだが、あのときに父と一年間対談させてもらって、いまでは本当に良かったと思っている。編集長だった髙野育郎さんには恩を感じている。あのときあの企画をもらわなかったら、父のことを本当に何にも知らなかっただろう。

僕にとってあの絵が、どんな意味を持っているのかはすぐにわかる。しかし、父にとってあの絵が、どんな意味を持っていたのか、それはもうわからない。旧制新潟高校に通っていたとき、父はあの絵を見上げて何かを思っていたのだろうか。

新潟市會津八一記念館

同じ日に、もうひとつの知らせが届いた。父の短編小説が「龍馬と志士たち」という文庫に掲載された。池波正太郎など、十人の作家が書いた坂本龍馬についての短編を集めたものだ。

幕末というと、以前はとっても昔のことのように感じていたが、自分が生きてきた年月のほんの四倍ほど昔のことと思える歳になってきた。

アイ・ウェイウェイ展最終日 いたたまれない展示物のいたたまれない事情

このエントリーに存在する写真についてのCCは、エントリー最後をご覧下さい。

昨日、アイ・ウェイウェイ展の最終日なので行ってきた。行きたいと思いつつなかなか時間が取れずに行ってなかった。アイ・ウェイウェイの反骨精神に触れてみたかったのだ。

しかし、最終日にもかかわらず会場にはあまり多くの人がいなかった。作品の写真撮影がクリエイティブコモンズの条件下で許されていたのだが、人がいないので楽に作品の撮影ができた。

作品はどれも「いまいち」という感じを受けた。会場に入り人がいないのを見、そして作品を見つつ歩いていくごとに「いまいち」が膨らんでいく。この「いまいち感」の膨張はいったいなにに由来しているのか、会場にいたときにははっきりとは見えなかった。この文章を書くために、昨日の感覚を反芻して、ここに再現し、なぜ僕のなかで「いまいち」が育っていったのか、それを探ってみたい。これを探ることで、ついに僕はなるほどという点に行き着いた。それは僕にとって、または中国と日本の関係にとって、大切なことだと思う。

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