風の馬

チベットのお祭りはとてもカラフルだ。その理由の一つは『ルンタ』があること。実物は一昨年のチベットスピリチュアルフェスティバルで見た。実際にチベットには行ったことがないが、きっと遠くから見たらきれいだろう。

この書き込みのタイトルである『風の馬』は『ルンタ』のことを意味している。今度四月から『風の馬』という映画が上映されるのだ。

この映画がとても楽しみなのはその撮影方法にある。この映画はチベット解放を訴える映画でありながら、チベットとネパールで撮影された。もし中国政府やネパール政府に見つかったら、撮影中止を余儀なくされたであろう映画なのだそうだ。

北京オリンピックの時にYou Tubeでチベットから脱出しようとする人たちを銃殺していた映像が流されたが、そこに寄せられていたコメントは僕の気持ちになじまないものだった。確かにあの映像が本物なら非難されるべきだが、だからと言って中国の人すべてが悪いわけではない。あのようなシステムになっているシステムが問題なのである。中国国内の人もそのシステムに苦しめられているかもしれない。ところがそれを「中国はダメだ」とばっさりと切り、「あのような国とは戦うしかない」という短絡的な答えを導いてしまってはならないと思う。

『風の馬』が楽しみなのは、チベットの人たちがどんなことに苦しんでいるのか、それを一部かもしれないが伝えてくれる試みだからだ。

中国には中国の悩みがあり、チベットにはチベットの悩みがある。それがわかっているからダライラマはあえて戦おうとはしないのだと思う。煽動するのは簡単だ。歴史はそれを何度も繰り返してきた。それ以外の方法でなんとかしていくためには何が必要なのか。それを話し合うことが大切だろう。そして、それは簡単なことではないだろう。『風の馬』はささやかかもしれないが、煽動ではない方法での解決へと導く可能性の一つかもしれないと僕は思う。

中国の人たちがこの映画を観たらどう感じるのだろう?

中国の人たちを責めるのではなく、この事実にどう対面するのか、その気持ちを聞いてみたい。その上で、何かの対話が生まれたら、素敵なことだと思う。そして、もしも可能であれば、なぜ中国はあのような体勢をとり続けなければならないのか聞いてみたい。

映画『風の馬』

同時上映の「雪の下の炎」のサイトはこちらです。これも見てみたいですね。

 映画『雪ノ下の炎』

ところで、ダライ・ラマ日本代表部代表だったチョペ・ペルジョル・チェリン氏の自伝「万物の本質」には、チベットの一般の人たちにとって中国の侵攻がどのようにおこなわれ、どのように見えたかが詳しく書かれています。

ガムランの音階

前の書き込みをしていて、以前にガムランの音階について聞いたことを思い出しました。ここに書いておきます。聞いたのはアナック・アグン・グデ・ラーマ・ダレムさんからです。プリカレラン家の王様です。祖父のマンダラさんはティルタ・サリやグヌン・サリのリーダーでした。

バリ島は地方によって意味体系が違うようなので、これがバリ島全体の音階の意味と同じかどうかは確かめていません。

ガムランは五音階です。ドレミのようなものは

NAng,NIng,NUng,NEng,NOng

というのだそうです。面白いのは日本の「な行」と同じだと言うことです。さらに、音階にはそれぞれ独特の意味があるそうです。

NAng はじまりの音。リラックスを呼び起こす。

NIng お清めの音。もっときれいにする。

NUng イメージをもたらす音。何かを思い起こさせる。

NEng 何もしない音。(人界の最後の音)

NOng 絶対的な無。(人智の及ばない世界のこと)

だから、ガムランの曲はどの音で始まるかを聞けば、その曲の大雑把な意味がわかるそうです。

ラーマさんのお父様のお葬式でガンバンというガムラン演奏を聞いたのですが、それはNOngの音から始まっていたのだそうです。

FNSチャリティ・ライブ09 谷村新司&押尾コータロー

フジテレビの方にチケットを譲っていただいたので「FNSチャリティライブ09 ココロの学校」に行ってきました。谷村新司さんととゲストの押尾コータローさんのお話しと歌を楽しみました。

いろんな話をうかがったのですが、そのなかで「ドレミファソラシド」の意味について谷村さんがお話なさっていました。

「ソはもともとイタリア語のsol、つまり太陽から来ています。ソの上ラは太陽の上ですから宇宙という意味です」

なんか神秘主義的な解釈だなぁと思いました。solはそのままですが、ラが宇宙というのはエジプト神話の太陽神のことを言っているのかなと思いました。

「ドは土、レは火、ミは水、ファは風」

これは五行説のようですね。

「シは死です。そして死のあとにドとなって土に帰る」

谷村さん独特の解釈なのでしょうか。僕自身は楽しく聞きました。なーるほどと。

しかし、そのあとでそれら音階が体の部分に対応すると聞き、ああと思いました。

「ドは股の付け根、レは丹田、ミは子宮、ファはみぞおち、ソは心臓、ラは声の出るところ、シは松果体、そして最後のドは頭から上に13cmほどの天使の輪」

チャクラに対応させているようですね。

しかし、これは本当に一般的な話として通じるものなのだろうかとネット上を調べてみました。するとドレミの意味はこうだと見つけました。

 

ドレミ~と歌うのは正式には階名唱法(ソルミゼイション=solmization=「ソやミにすること」が原義) というのだそうですが,これを作り出したのは西暦100年ごろのイタリアのベネディクト教会に活躍していたベネディクト教団の僧侶のグイド・アレティヌス(別名グイド・ダレッツォ=アレッツォ出身のグイド)。グイドはラテン語の聖ヨハネ賛歌からドレミという言葉を作り出しました。

Ut queant laxis resonare fibris  しもべ達が声帯ものびやかに

mira gestorum famuli tuorum,  汝の奇蹟の数々を歌えるように

solve polluti labii reatum,  けがれたる唇の罪を免じたまえ

Sancte Iohannes.  聖者ヨハネよ この賛美歌の以下の部分がそれです。

ut ~するために → のちに歌いづらいので do に変える。

resonare 響かせる → レ

mira すばらしい (mirus) → ミ

famuli しもべ達 (famulus) → ファ

solve  免ずる → ソル

labii  唇 → ラ

si 聖ヨハネのイニシャル → グイド・ダレッツォは「ラ」までの音階しか作らなかったので後世付け足された。

上のラテン語を見るとドとシ以外が現代の英語の単語の中に形を変えて見られることがわかります。

resound 「反響する」 ← resonare

admire 「賞賛する」 ← mira

family 「家族」 ← famulus

solve 「解決する」 ← solve

lip 「唇」 ← labii

       http://www.eigo21.com/etc/kimagure/039.htm  より引用。

 

「 正しいこと」としてはこちらの解釈を取るべきなのでしょうけど、谷村さんの解釈も素敵だなと思います。人はそれぞれの物語の中で生きるものですから。音大の試験に谷村さんの答えを書いてはいけないけれど、誰かとお酒を飲んだときに仲良くなった人だけにこっそりと教える解釈として、こんなドレミの解釈をしたら粋ですよね。

トークライブではアンコールで押尾さんとのデュオで「チャンピオン」をやっていました。中学生の頃から憧れだったという谷村さんとの競演に押尾さんはかなり喜び、緊張していました。

ところで、以前この記事を書いたので、よくこのサイトに来る方が「マカリイ」に登場する「ヨーソロー」の意味を知りたいと問い合わせるので、以下に書いておきます。

ようそろ 宜候または良候
舟人のかけ声。操船の際、舵を切る必要がなく、そのまま進めという意味。