アイ・ウェイウェイは謝らない

映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』を見て来た。

アイ・ウェイウェイは中国人にもかかわらず、中国を相手にアートを通して社会批判を続けているアーティスト。その様をノンフィクションのカメラが追っていく。

一匹の天才ネコの話で始まる。その比喩が素敵だった。そのあとに彼の話が続くのだが、中国との戦いはとても不利。個人vs国で勝てるわけがない。しかし、彼なりの工夫とユーモアでいろんなハードルを越えていく。その様が微笑ましかったり、もどかしかったり。

アイ・ウェイウェイは自分では作品を作らない。すべてコンセプトやデザインを決めるだけで、あとは職人が作品を作る。職人の言葉が印象的だった。

『僕たちは殺し屋さ。ウェイウェイがやれということをやる。理由なんて知らなくていい』

映画の後半、政府からの許可をもらって作ったアトリエを、完成してすぐに壊せと、許可したはずの政府から指示される。まるで囚人に砂山を移動しろと指示したあとで、その砂山も元に戻せという苦役のような指示が来る。それをアイ・ウェイウェイは利用する。そのことをツイッターでつぶやき、そこをパーティー会場として楽しんでしまう。集まった人びとはなくなることがわかっているアトリエで思い思いに楽しんでいく。集まった人たちの思い出が国によって破壊されていく。そのこと自体がアートと抗議になってしまう。

日本も特定秘密保護法が通り、アイ・ウェイウェイのようなアーティストが必要になるかもしれない。ぬるま湯に浸っているうちに日本人は自由も感覚も剥奪されて、ただ生きている家畜のような存在になってしまうのか。

ここから先はラストシーンについて。これから映画を見る人は見ないほうがいいかも。

映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』ホームページ

以下の映像はそのエピソードが映画にも登場する『ラオマァティホア』

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SAVING 10,000 自殺者1万人を救う戦い

web上に公開されている52分のドキュメンタリー映画を見た。『SAVING 10,000 〜 Winning a war on suicide in Japan』監督のレネ・ダイグナンはアイルランド人。なぜこのようなドキュメンタリーを撮影したのか、その動機についても映画のなかで語られる。

日本の自殺率の高さをいろんな観点からインタビューして探っていく。自殺なんて自分とは関係ないと考え、どうやったら楽しく生きていけるかを考えているような人は特に見たいとは思わない映画かもしれない。とても暗い内容なので見ていると鬱々としてくる。

日本人はあまり暗いことを語りたがらないので、このような内容についてあまり話し合う場がない。職場では話す時間がないだろうし、帰りがけに飲む場所でこんな話をしたら嫌われそうだ。だから、無関心を決め込む。それが実は問題なのかもしれない。本当に困ったとき、相談すべき相手がいない。

日本は本当のことが言えない状況にどんどん追い込まれつつある。

「左翼のクソども」とtwitterに書いたという理由で水野靖久参事官が処分されるようだが、そう言いたくなる気もわからないではない。「復興のために頑張っている」というのは、立場によってすることが全く違うからだ。そのことの概要はここに書いた。水野参事官の書いていることを読むと、言えることと言えないことのギリギリのところを書いているように僕には思える。政府はなんとしても日本全体を守りたい。一方で、左翼と呼ばれた人たちは、恐らく個人を守ることを必死に訴えていたのではないかと思う。そうだとすれば、左翼と呼ばれた人たちの言いたいこともわかる気がする。本当は両者のあいだで丁寧な会話が必要なのだろうが、そんな時間はないことにされる。すでに福島の対応は遅いと言われて大変なのだ。その板挟みに遭ってしまう官僚達は仕方なく言葉が荒れてしまうのだろう。

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