ザ・ムーン 〜 記憶に照らされた心の震え

「ザ・ムーン(原題 IN THE SHADOW OF THE MOON)」を観た。アポロ計画の宇宙飛行士のインタビューとNASAの映像で構成されたドキュメンタリーだ。とてもいい作品だった。この作品を見て、僕が特に感動したことは二点ある。

アポロ8号は当初地球を周回する予定だった。しかし、ソ連が新型のロケットを開発していることをCIAが察知し、急遽月周回へと予定が変更される。これによってアポロ8号がはじめて月の裏側や、月の地平線から登る地球の写真などを撮影した。アポロ8号が月の周回中にクリスマスになり、世界に向けて中継された映像に、宇宙飛行士が聖書の創世記を読む。このときの音声を聞いて鳥肌が立った。その音声は僕が好きで何度も聞いていた音楽にサンプリングされて使われていたのだ。使われていたのはマイク・オールドフィールドの「The Songs of Distant Earth」。

アーサー・C・クラークの「遙かなる地球の歌」にインスパイアされて作られたこの曲は、出だしの部分で音楽にかぶせて無線で伝えられた「創世記」が聞こえてくる。この部分がとても好きで、かつて友達とCOSMOS+というパーティーをしたときにはテーマ曲にしていた。それがアポロ8号から世界中に流れたものだとは知らなかった。遠距離を飛んだ電波のノイズと、あまりいいスピーカーを通したのではないようなシャリシャリした音質で、すぐに「The Songs of Distant Earth」と同じものだとわかった。もちろん読む間合いも、声も同じ。マイク・オールドフィールドはその曲の出だしにふさわしいと考え、そこにサンプリングしたのだろう。10年ほど前のその曲の思い出と、遙か昔、僕がまだ七歳の頃の出来事がつながり、あの無線の声が僕の人生に共鳴し心が震えた。

もうひとつ感動したのは本編には出て来ないDVDの特典映像だ。

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日本文化の源流

縄文の思考photo
縄文の思考photo

昨日、アカデミーヒルズで、國學院大學名誉教授小林達雄先生の講演を聞いた。タイトルは「縄文の思考〜日本文化の源流を探る」。

一番のポイントと感じたのは、縄文時代に日本人が農耕を始めなかったことでどんな影響が生まれたか。

火を使って土器を作ったのは縄文人が他の地域より早いのに、農耕はしなかった。他の地域では土器が生まれるのは遅かったのに、農耕を早く始めた。この違いについて小林先生はこんなことをおっしゃっていた。

ヨーロッパや西アジアでは農耕が始まった。それは村から人が出て行き、村のまわりを「のら」とした。一度「のら」が生まれると食料の安定供給のため作物の種類を限り、同じものばかりを優先して育て、どんどん農耕地を増やすことで所有を中心とした文化の発端を作った。

一方縄文は村のまわりを「はら」とした。そこでは農耕をせずに、すでにあるものとの調和を考えた。だから外部の自然との関係を文化の中に形作っていくことになる。それが日本独特の共生の思想になっていく。あまり採りすぎると「はら」が荒れてしまうので採りすぎることはしない。同じものばかり食べるわけにはいかないのでたくさんの食べ物についての知識を蓄積していく。その結果、かなり高度な言語体系を持っていたことが推測される。

縄文土器も突起物や縄で編み込まれたデザインなど、繊細な言語能力がなければ作りようがないので、そこからも言語体系の高度さが推測される。

さらに縄文時代で面白いのは栃木県小山市の寺野東遺跡や秋田県の大湯環状列石などに残される、生活の役には立たないのではないかと思えるようなもの、それはつまり土偶や土でできた鏃(やじり)、などを残していることだという。小林先生は、これを第二の道具と呼んでいた。

第一の道具は食器や農耕具など、栄養を得るために必要な道具。第二の道具は心の働きと結びつく道具だとおっしゃった。

人は何かを目標として努力していくと、必ず壁にぶつかる。人間はその壁を乗り越えるために理屈をこねたり、科学を生み出したりしたが、そのような理屈もうまくいかないとき、どこの地域の人たちも祈ったという。祈ることで何かの壁を越えようとした。縄文人も同じことをしたのだろう。だから、何百年もの間、たくさんの人たちが、今の僕たちから見て理解できないような遺跡や環状列石を作ったのだろうという。

現在僕は「日本/権力構造の謎」という本を読んでいるのだが、そこで紹介されている日本人独特の心性と、小林先生がおっしゃっていた日本人の考え方の基礎となったであろうものとが似ていて興味深かった。縄文人の村の中心には広場があったという。その中心のなさと、政治での責任者不在で事をおこなっていくその在り方とが、どこかでつながっているのではないだろうか?と感じた。

アカデミーヒルズがまとめた小林達雄先生の講演内容はこちら。

あまり多くの人に読んでもらいたくない話

M社がアフラトキシンという物質が混ざっている事故米を、食べてはならないことを隠して転売してしまった。いわゆる事故米不正転売事件だ。この問題に関して、いろいろと考えていくと、どうしても「まぁ、そういうこともあるだろうな」という感覚にとらわれてしまう。そこが僕の弱いところだ。広告業界にいたとき、M社の事件を思い起こさせるようなことが何回かあったからだ。

たとえば、ひとつの例。

もう20年も前のことだが、広告会社に入って僕の最初の仕事は、テレビ局と合同でやるゴルフコンペの賭け金を集めることだった。A4の封筒の表紙にコンペに参加する人たちが競馬新聞の表のように紹介されている。

1枠 ・・ダイオー ◎ 前回のコンペでは最終ホールでつまずいた。しかし、実力はなかなか。

2枠 ハワウマ・・ ○ 前回おしくも二位。今回は優勝を狙う。

3枠 テケテケ・・ × 女性同伴でないとホールを回れないという弱点あり。

などなど

それをもって社内でそのテレビ局に世話になっている人たちのところに行って賭け金をもらってくるのだ。営業担当などはたいてい世話になっているテレビ局員に1,000円程度賭ける。なかには10,000円くらい賭ける人もいた。そうやって新入社員は社内を回ることで、何十人かの社員とテレビ局員との関係を覚えていくのだ。

もちろんはじめて回るときには自己紹介から始まる。

「はじめまして、新入社員のつなぶちと申します。今度××テレビとゴルフコンペをやるので、一口でも乗っていただきたいのですが・・・」

「ほう、新入社員か。部署は? 俺は○○社担当の△△だ。○○社は××テレビで何やってるか知ってるか? 提供番組が答えられたら一口乗ってやろう・・・」

「えーっと、確か土曜に○○○という番組があったように・・・」

「おーっ、じゃ一口は乗ってやろう。もうひとつあるんだが、それは?」

「えっ、、、、平日の昼の帯で○○○は違いましたっけ?」

「あれは他社扱いだ。減点だな」

「えっ、そんな」

「冗談だ。いいよ、ひとつ当てたから、乗ってやる。そのかわり○○社関係の面白い情報があったら必ず持ってくるんだぞ。それで貸しを帳消しにしてやる」

「はっ?」

「××テレビの□□部長には■■■という番組の時にかなり世話になっているんだ。だから□□部長に三口。そのかわり負けたらお前に貸しだからな」

「そ、そんな、、」

こんな調子だ。こうやって社内に顔見知りができて情報が回るようになっていく。「貸し」とか「借り」は半ばジョークだが、そのジョークを切っ掛けにして会話が回っていく。後日、この先輩から電話がかかってきて、「借りを返せ」という口実で仕事をもらう。たいていそれは無理難題だ。その無理難題をクリアすると「なんだ、お前もやるとできるじゃないか」とか言われる。

さて話しを本題に戻そう。当時だって、賭けゴルフが合法であったわけではない。しかし、なんとなく「それくらいはいいだろう」という雰囲気があった。しかも、賭けゴルフの集金のおかげで、社内に顔見知りがたくさんできた。みんながそのことを認めていたのである。もちろん、テレビ局も。ところが何年か前に森元首相が賭けゴルフをしたとテレビで猛烈に批判されたことがある。きっとこれでテレビ局内での賭けゴルフは御法度になったんだろうなと思った。(実際にはもっと前に御法度になっていたかもしれないけど)

話しのポイントは、20年ほど前、僕はもちろん賭けゴルフはいけないことだと知っていた。しかし、回りがみんなでそれをすることを楽しんでいる。新入社員はそれについて「違法だ」とか「やめましょう」だとか言えなかった。雰囲気に流されたのだ。ある地方とか、会社とか、あるレベルで閉じた社会にはそのような“雰囲気”というものが生まれることを会社に勤めたことで知った。

そこでM社。もちろん、M社のやったことはとんでもないことだ。だから内部告発があった。しかし、誰も正面切って「それはいけない」とは言えなかった。誰も会社からクビになどされたくないからだ。

「M社はいけないことをした」と批判するのは簡単だ。しかし、政府筋から大量の事故米の処理を頼まれ、名目を「糊」にしたが、実際には糊にはできず、M社はどうすればよかったのだろう? 事故米を買っただけでは赤字になる。

M社の肩を持つつもりはないが、よく考えていくと心が疼く。

「M社がいけない!」、以上終わり!!

としてはいけないような気がする。

政府筋の責任追及はもちろんだが、自分のなかにある「組織に流される性質」について、よく考えなければならない。