twitterで気づいたこと

新しいメディアが登場するたびに、僕たちが使っている言葉は変化していく。その変化はゆっくりとなされるので、なかなかそれに気づきにくい。

たとえばラジオが登場したとき、フランスの哲学者ピカールは、かつて言葉が発せられれば誰かが聞こうとしたものだが、ラジオが言葉を垂れ流すようになって、必ずしも聞こうとはしなくなったというようなことを本に書いている。

同様にtwitterも、それを使うことに慣れることで、言葉に変化が現れている気がする。

僕がはじめて雑誌に原稿を書いたとき、とても不安だった。誰が読んでいるのかわからなかったから。それまで僕が書く文章は、必ず誰が読むかがわかっていた。ところが、雑誌に書くようになってから、まったく誰が読むのかわからなくなった。ネットに書くとなおさらだ。メディアは人の機能の拡張だ。僕が書いたことがたくさんの人に届くことがメディアにとっての善とされるが、伝えた言葉が返ってくることこそが大切なことだと考えると、一方的に伝える言葉はとても空しく感じてくる。twitterでフォローしてくれる人を増やそうとするとき、伝えた言葉が返ってくる感覚が鈍磨する気がする。僕の声が届く範囲はそれほど広くない。だけど、メディアを使うことでその感覚が麻痺させられる。フォローする人を増やそうとしている人は、増えたフォローしてくれている人の声を聞こうとしているのだろうか? もし拡声器を使って、多くの人に一方的に伝えることだけを考えている人がいたら、それはとても醜悪に感じる。twitterでフォローしている人を増やすことだけを考えるというのは、それに似ている気がする。

そんなことに気づく僕が、そのような欲望を持ったことに他ならないのだが。。。

Blogは誰が読むのか

Blogは誰でも読めるように書きますから、なるべく多くの人に読んでもらいたいですよね。そのためにせっせとリンクを張ったり、読んでもらうための工夫を重ねるものですが、誰にも読んでもらわなくても結構と開き直るのもひとつの手です。

こうやってせっせと書いているBlogのデータは将来どうなるかを考えたことがありますか?

きっと100年以上経つとこれらのデータは歴史の検証に使われるようになるでしょう。

たとえば、江戸時代の庶民がどんなことを考えていたのか、それを知りたいと思っても、書物になっていないことについてはほとんど知りようがありません。ところが、これから200年後の人類は、200年前の庶民が何を考えていたかを知りたいと感じたら、ネット上に残されたBlogなどの記事を収集すればいいのです。

でも、200年前のデータがネット上に残っているとは考えにくいですよね。ところが、それらを蓄積している人たちがいるのです。かつてはここでやっていました。http://www.archive.org/web/web.php

しかし、最近ではデータがあまりにも大きくなって追いついてないようです。

いまではアーカイブをGoogleがやっているのだかとか。実際に僕はどのようにそれがおこなわれているのか知らないのですが、どなたか御存知でしたら教えてください。

さて、ネット上にすべてのアーカイブができているとして、僕たちがこうしてせっせとBlogに文章を書いていくと、未来の誰かがきっと読むのです。本というものは紙が劣化してなくなるともう読めませんが、ネット上に書いた文字は、どこかのコンピューターのなかで生き続けるのでしょう。僕たちの感覚から言えば、紙の文字の方がしっかりと存在しているように感じますが、実際にはBlogに書かれた文章は、果てしない数のコンピューターに分散され、どこかに残されるのです。

これからますますPCの数が増え、使用用途が増え、メモリーが増え、記憶媒体が増え続けることで、紙でするより確実に保存されていくでしょう。

ずっと昔の人たちは石に刻んだ文字を一番権威があると考えていました。現代でそのように考える人はほとんどいません。同じように、紙に書いた方が保存できるものと思っていたものが、いつの間にかネット上に置いた文字の方がよっぽど確実に残されるようになるでしょう。

きっとBlogは僕たちが想像している以外の読者に、将来的には読まれていくのでしょう。もしそうだとすると、いまの僕たちには当たり前すぎてわざわざ書かないようなことを丁寧に書いておくと、未来の読者は喜んでくれるかもしれません。

縦書きブログについての簡単な考察

ブログは現在すべて横書きですが、縦書きのブログがあったらそれをぜひ使いたいと思っています。そこで、もし縦書きのブログがあったら、それがメディアとして何を伝えるのか考えてみました。マクルーハンが「メディアはメッセージである」と書いてますが、縦書きブログがどんな「隠されたメッセージ」を発することになるのかについての、とても短い考察です。

縦書きブログについて考える前に、横書きのブログがどんな隠されたメッセージを発しているかについて考えましょう。

まず横書きのブログはその多くが最新の書き込みを一番上に置き、古いものほど下に行き、さらに古いものはトップページからは消されて、何かの方法で探さないと読めなくなっています。ブログによってそのアクセス方法はいろいろとありますが、一般的なブログは時系列で追えるようにセットされています。そして、古い記事ほどアクセスが難しくなっています。多くの場合、トップページの下に「前のページへ」というリンクがあり、それをクリックしていくことで次第に古い記事にたどり着けるようになっています。だから古い記事ほど何回もクリックをしなければなりません。そのことはつまり古いものの価値が、新しい内容の価値よりないことをそれとなく伝えているのです。最新の記事がもっとも価値があり、過去の記事ほど読みにくいのですから。しかも、古い記事が下に流れていくことで、あたかも地面に埋もれていくような感覚を、静かに読者へ伝えているのです。もし机の上で横書きのブログを読んでいたとしたら、過去の記事はすべて机の下に流れていき、それはやがて土の中に入り、土と一緒に腐敗して、いつしか大地の養分となるようなイメージです。

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