twitterで気づいたこと

新しいメディアが登場するたびに、僕たちが使っている言葉は変化していく。その変化はゆっくりとなされるので、なかなかそれに気づきにくい。

たとえばラジオが登場したとき、フランスの哲学者ピカールは、かつて言葉が発せられれば誰かが聞こうとしたものだが、ラジオが言葉を垂れ流すようになって、必ずしも聞こうとはしなくなったというようなことを本に書いている。

同様にtwitterも、それを使うことに慣れることで、言葉に変化が現れている気がする。

僕がはじめて雑誌に原稿を書いたとき、とても不安だった。誰が読んでいるのかわからなかったから。それまで僕が書く文章は、必ず誰が読むかがわかっていた。ところが、雑誌に書くようになってから、まったく誰が読むのかわからなくなった。ネットに書くとなおさらだ。メディアは人の機能の拡張だ。僕が書いたことがたくさんの人に届くことがメディアにとっての善とされるが、伝えた言葉が返ってくることこそが大切なことだと考えると、一方的に伝える言葉はとても空しく感じてくる。twitterでフォローしてくれる人を増やそうとするとき、伝えた言葉が返ってくる感覚が鈍磨する気がする。僕の声が届く範囲はそれほど広くない。だけど、メディアを使うことでその感覚が麻痺させられる。フォローする人を増やそうとしている人は、増えたフォローしてくれている人の声を聞こうとしているのだろうか? もし拡声器を使って、多くの人に一方的に伝えることだけを考えている人がいたら、それはとても醜悪に感じる。twitterでフォローしている人を増やすことだけを考えるというのは、それに似ている気がする。

そんなことに気づく僕が、そのような欲望を持ったことに他ならないのだが。。。

“twitterで気づいたこと” への2件の返信

  1. 納得です!!

    「伝えた言葉が返ってくることこそが大切なことだと考えると、一方的に伝える言葉はとても空しく感じてくる」


    私もブログは長く~8年くらい?続けていますが・・・最近、特に強く感じていることです。
    ブログは公開日記ですから、書いて読み手のアクションがまったくないと・・・・さみしいです。
    勝手に好きで自己満足で書いているって言われたら仕方ないですが。
    ブログも最近は沈静化した感じがします。

    ツイッター~勝手にフォローさせて頂いています($・・)/~~~

    フォローされたらリフォローしてフォロー数も増えました。
    確かに・・・増やす目的の人も多くいてフォローして頂いたので自分もフォローしますと・・・既に相手は削除している???って感じが何回かありました。
    スグに応じないと・・・削除してしまうみたいです。明らかに増やすだけの目的なんだと思い、これまた虚しい思いでした。
    ブログのリンクと違い軽い気持ちでフォロー出来るのは良いと感じることもありますが・・・・ネット社会、これからどうなって行くのでしょう?

    ツイッターはまだ上手く活用出来てません(・。・;

  2. ちょここさん、ようこそ。
    twitterでのフォローありがとうございます。
    ネット社会の行く末はいろんなことがあるんでしょうね。
    楽しいこともあり、悲しいこともあり。
    僕たちはのんびりと楽しいことをしていきましょう。

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