The Coveの自主上映会 2/11代々木にて

ドキュメンタリー映画「The Cove」のDVDが手に入ったので、友人知人10名ほどで一緒に見ました。

見終わったあとでそれぞれの感想や意見を交換し合ったのですが、それがとても楽しかった。いろんな思いが噴出します。ある人は「動物を人間が簡単に殺してしまうことが問題だ」といい、ある人は「ここで言われている水銀とは、どんな水銀かはっきりしないのでもっと詳しく説明しなければ駄目だ」といい、ある人は「意見が偏りすぎている」といい、そしてある人は「殺されたイルカが最後に尻尾を振っているのが痛ましかった」と言いました。そして、全員一致したのは「もっとたくさんの日本人がこの映画を見て、その上で言いたいことをいい、変えるべきところを変えればいい」ということでした。

この映画を見れば、主人公であるリチャード・オバリーがどんな悲しみを抱えているのかがよくわかります。彼に共感する人はきっとイルカ殺しをやめようと声を上げ始めるでしょう。それが怖くて漁業関係者はこの映画を日本で上映させたくないのかもしれません。

仕立てはイルカ殺しをやめさせようとする映画ですが、深いところに横たわる問題はコミュニケーションの断絶です。

太地町の漁民たちは明らかに被害者です。一方で加害者でもある。リチャード・オバリーやこの映画の制作者も被害者であり、加害者です。互いに被害者であることばかりを訴えても話は先に進みません。同様に日本人も被害者であり、加害者です。この問題を無視し続ける限りそれは変わりません。この映画は日本以外ではかなりの注目を浴びています。それがなぜなのか、いまの日本人には理解できません。なにしろその作品すら見られないのですから。2010年1月30日現在で44もの映画賞を受賞しています。そして、オスカーの候補作としても残っています。

The Cove公式ページ

この映画が日本で見られないのは、他の国とのコミュニケーションの断絶を深くするだけです。見たあとで他の国の人たちといろんなことを言い合えば良いのです。それができないことが大きな問題です。この映画は見た人がみんな何か言いたくなるような面白さがあります。つまらないから上映されないのではないでしょう。

イルカ保護の団体がこの映画の無料自主上映会をします。その際にパネルディスカッションがあり、パネラーとして呼んでもらいました。僕は必ずしもイルカ保護を訴える者ではないので、どんな話になるか楽しみです。

イルカから地球環境を考える「海・イルカ・人」Vol.3
2010年度 アカデミー賞 長編ドキュメンタリー部門 ノミネート作品
「THE COVE」(ザ・コーヴ )上映 & トークセッション
         
日 時: 2010年2月11日 (木・祝日)
時 間: 14:30〜21:30(4部構成)
    * 部分参加可。詳細は下記をご参照ください。
参加費:無 料(但し事前予約が必要です)
会 場: 国立オリンピック記念青少年総合センター「センター棟 101号室」
    〒151-0052 東京都渋谷区代々木神園町3-1
アクセス:小田急線 参宮橋下車 徒歩7分、
(駅にアクセス案内有り)/ 地下鉄千代田線 代々木公園駅(C02)下車、
(代々木公園方面4番出口)徒歩約10分 / 京王バス 新宿駅西口(16番)、
渋谷駅西口(14番)より代々木5丁目下車 すぐ。地下駐車場有ります。
詳細サイト⇒ http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
会場内での食事は禁止です(飲み物OK)/
2階にカフェ、近隣の棟にレストラン、売店が有ります
主 催: エルザ自然保護の会
    〒305-8691 茨城県つくば市筑波学園郵便局私書箱2号
     http://www.elsaenc.net/index.htm
協 力: オフィスタラーク、DRUMAGIK、パンゲアシード、サークリット
ご予約方法: 「サークリット」まで、メール、お電話、FAXでご予約下さい。
E-mail circlet@gem.hi-ho.ne.jp
TEL 0422-22-0311 FAX 0422-22-0312
※ なるべくメールでお願いします。
ご予約の際は、1.お名前、 2.Eメールアドレス、3.お電話番号、4.4部のうちの
どの部に参加ご希望かをお知らせ下さい。
ご希望の部を自由に 組み合わせて、あるいは、一部のみのご参加も大歓迎です。
E-mailでご予約の際は、件名を「2月11日イベント参加希望」とご記入下さい。

◆映画とイベントの内容◆
<第1部・第4部>海外各国で大きな話題となっている
日本のイルカ猟を題材にしたドキュメンタリー映画「THE COVE」を
上映します。
今回、この映画の監督であり、OPS代表のルイ・サフォイアス氏と、
映画の中心人物であると同時に、イルカの保護・救済活動を世界的に続けている
SJD代表のリチャード・オバリー氏の希望によって、
この映画が資料映像として上映されることになりました。
イルカが好きな人、環境汚染や食の安全について考えている人はもちろんのこと、
あらゆる世代の人々に観ていただきたい作品です。
<第2部>重金属問題のスペシャリストで
財団法人政治経済研究所環境問題研究室主任研究員の小野塚春吉先生の講演と
質疑応答。演題は「高次捕食性海生生物における環境汚染物質の
濃度レベル—健康影響の視点からの考察」
<第3部>小野塚春吉先生、ライターとして活躍されている
オフィスタラーク主宰のつなぶちようじ氏、
及び作家でエルザ自然保護の会事務局の辺見 栄が加わり、
水銀問題をはじめ、イルカ猟から水族館の話題まで、
多岐にわたってお話します。
司会進行はイルカの取材を長年続けている映像作家の坂野正人が担当します。
どなたでも気楽にご参加頂き、みなさんの意見交換の場になれば…と思います。
まず、真実を知ることからはじめてみませんか?

◆プログラム◆ *時間は多少遅れる場合がございます。ご了承ください。
14:10〜 受付開始 *受付でお名前をご確認してからお入りください。
自由席となっております。
第1部 14:30〜16:00  「 THE COVE 」 1回目上映
第2部 16:20〜17:10  小野塚春吉先生のお話とQ&A
    テーマ「水銀汚染と健康への影響およびその対策」   
第3部 17:30〜19:30  パネルディスカッション
    メインテーマ「イルカから地球環境を考えよう」
第4部 20:00〜21:30 「 THE COVE 」2回目上映
     *お話の会に参加できない方のご参加も大歓迎です。

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The Coveがオスカーの前哨戦で勝つ

こちらで何度か取り上げてきた「The Cove」ですが、オスカーの前哨戦と言われている「ブロードキャスト映画批評家協会賞」のドキュメンタリー部門でベストドキュメンタリーに選ばれました。

この作品に対するアメリカと日本の温度差がよくわかります。日本が舞台なのだし、見てみたいと思いませんか?

この映画の概要はリチャード・オバリーというイルカ解放運動家が太地町でおこなわれているというイルカ漁を、このドキュメンタリー映画の監督と共同して映像に捉えるまでの物語です。イルカを殺すシーンは、確かに海が真っ赤となり残酷ですが、それはたいした問題ではないと思いました。牛でも豚でも屠殺のシーンは残酷なものでしょう。それより問題は、獲ったイルカをどのように処理しているかがわからないという点です。この映画によればイルカの肉は「クジラ肉」と表記されて売られているとのこと。つまり、私たちはクジラの肉だと思って食べている肉のいくらかが、実はイルカの肉であることをDNA検査で突き止めたというのです。

そのイルカの肉は明らかに水銀濃度が基準値を上回っていることが知られています。水銀を大量に摂取すれば水俣病となります。そのようなことをこの映画では伝えているのですが、この問題は日本国内の問題です。それをどうして日本では上映しないのでしょう?

地方のイルカ食の文化を守るのは賛成ですが、もし本当に水銀濃度が高いのであれば、そのことを多くの人に知らせるべきではないでしょうか? もしそのことが嘘であるなら、そのことを証明するべきではないでしょうか?

この映画は日本に対する反捕鯨運動と思われています。しかし、オバリーの活動は日本だけに限ったことではなく、アメリカでも展開しています。だからオバリーは別に「日本のイルカだけ」を保護したいわけではありません。アメリカでも囚われたイルカを解放していますし、イルカを兵器として飼い慣らそうとした海軍を相手に裁判を起こし勝訴しています。そういう男のドキュメンタリーなのです。

ところがなぜかメディアでは「日本の捕鯨を批判している映画」という風に見せています。

こちらでも書いたように日本人は捕鯨に関して大きな誤解をさせられているように感じます。何が問題なのか正しく把握しない限り、この問題の解決は見えてこないでしょう。

アメリカの人たちが何を思っているのか知らずに、国内だけで「アメリカ人は捕鯨の価値を知らない」といくら言っても何も変わりません。アメリカの主張を知った上で、反論すべきところは反論しましょう。それができないのなら日本人は、井の中の蛙です。

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一神教と多神教

この書き込みは以下の三つのエントリーの続きです。内容について詳細に知りたい場合は、これら三つのエントリーを読んだ上でこのエントリーを読んでください。

「柳田國男全集13」

「変性意識と祭」

「ニュピの変性意識」

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テレビ放送が始まり、世の中は大きく変わった。そこに映し出される映像は、それを見る人間に大きな影響を与えたからだ。かつて地球の裏側は話で聞くしかない、文字で読むしかない、写真で見るしかない世界だった。それが、音と動画で感じられるようになる。カラー放送が始まるといよいよ映像による模擬体験と実体験の差が小さくなる。

世界中の映像を、それぞれの国の主張にしたがって輸入する国は、他の国の人たちと心の連携を作っていく。一方で、他国の主張には耳を傾けず、自国の主張のみを国内で放送する国は、他国との関係が作れなくなり、戦争を起こしやすくなる。テレビ放送はうまく使えば、他国との国民感情の溝を埋めるのに素晴らしいメディアだ。アメリカは日本の敗戦後、積極的にアメリカのテレビドラマを日本で流したという。そうすることで日本人はアメリカ人に対する、それまで培ってきた偏見を手放すようになった。幸せそうに暮らしている他国の人たちのイメージを持てば、日本人はその幸せをあえて壊そうとはしない。だから日本ではこの時代にどこかに行って戦争を仕掛けようと考える人はほとんどいない。様々な国の人たちの生活を見る機会を持ち、その人たちに共感する映像に触れるからだ。同様に他国の人たちも、その映像が正しい主義主張の元で流されれば、やはり戦争を仕掛けようとはしなくなるだろう。しかし、「こんな幸せな人たちが私たちの幸せを踏みにじっている」とか、「こんな幸せそうな人たちが実は戦争をけしかけている」とか、意図的に煽動する情報を加えられると、同じ映像が戦争への起爆剤になる。つまり、私たちは自分たちの意図を拡張する方法を手にしたのだ。「みんなで楽しく暮らしていこう」という意図を持って映像を作るか、「自国の人間だけ幸せになればいい」という意図の元で映像を作るか。この違いがとても大きな違いを生み出してしまう。

自分だけとか、自分の属しているグループだけが幸せになればいいという思いはかつて当たり前にあった。それが端的に表れていたのが帝国主義だ。列強と呼ばれた国々は自国の利益を拡大するために、他国を収奪していく。いま考えれば飛んでもない考え方だったが、かつて帝国主義の時代は、大きな国はみんなそのように考えていたので、そこで生き残るためには同じように帝国主義の国となり、戦わない限り国土や人民を奪われることになった。しかし、その時代の最後に核兵器が使われ、列強の国々は互いに戦わずに牽制し合う冷戦時代となる。このときにテレビが登場したことが私たちの歴史にとってとても良かったことだと思う。

映画は同じように音と映像を伝えるが、その映像は編集の関与する部分が多い。しかも、テレビよりはタイムラグが生まれる。テレビはもちろん編集することもできるが、ほぼ同時に世界中に配信できるようになっていったので、編集者の意図よりも、その即時性が大切にされるようになった。その結果、テレビで流される内容は次第に編集者の意図によるものから少しずつ、事実に近い内容を伝える媒体として変化していく。そんなテレビを媒介にして何が起こったのかというと、国を越えたたくさんの視点があることに多くの人が気づき始めたのだ。その気づきはほとんど言葉にはなされなかったかもしれないが、無意識のうちに、雰囲気として、人々はそのことを受け入れていった。

様々な国が流しているニュースをそのまま見ることで、自国の視点との違いを多くの人が理解するようになった。さらに、様々な人の視点で流されるドキュメンタリーを見ることで、よりたくさんの視点があることを感じるようになった。視点がたくさんあることは昔の人も理解はしていただろう。しかし、それは言葉や理屈で理解することが先で、共感したり、同情したり、感覚的に受け入れられる人は少なかったと考えられる。テレビは多くの視聴者を共感に導く。即時性、映像、その場の音が、視聴者を大きな仲間に育てていくのだ。だから善意の解釈に支えられたテレビ番組に登場する人々に、視聴者は共感し、ドキュメンタリーの取材先が他国であれば、その他国の人たちに興味を持ち、共感していく。それが戦争を私たちから遠ざける装置の一つになっている。

かつて、テレビがなかった時代に、現代のテレビのように人と人を結びつける装置のひとつは神話や伝説、またはそれらを含む宗教だった。

伝播する宗教が一神教の場合、そこに生まれる関係は主従関係だ。伝播していく宗教を先に信じていた国の人たちが、あとから信じる人たちを従えていく。それはたったひとつの教えを知っている人から知らない人への布教という形でなされていく。「真実はひとつ」という教えが、教えの流れの方向を決め、関係性もその流れと同じものにしてしまう。だから、一神教はある国が他国を文化的に征服するためにいい道具なのだ。すべては教える者と教えられる者に還元されていく。この仕組みをカトリックは利用した。もちろん、素晴らしい世界を作るために。

一方で、多神教の場合、文化的征服をする道具にはなりにくい。他の神様でもOKなのだから、もともとその土地にいた神様の教えでもいいものは受け入れてしまう。一方的な知識の流れにはなりにくい。仏教がインドから中国に渡っても、チベットに渡っても、日本に渡っても、それが理由で征服したりされたりの関係にならなかったのは、仏教が多神教的であることがその理由だと思う。

多神教的な教えが、征服の道具とならなかったさらにもうひとつの理由は、多神教的な教えが他人への共感の能力を高めるためだと考えられる。

一神教の場合、信徒はたったひとつの教えにいかにして近づくかが課題となる。善悪の判断はある基準に従うことへと還元されていく。一方で多神教は、ただひとつの正しい教えがあるかどうかは曖昧になる。ある神から見れば正しいことが、別の神からすれば正しくないことになる。だから、そこで生まれる真実は互いの関係次第、または互いの立場次第で異なることを知らされていく。善悪の基準も明確ではなく、よりその場にふさわしい考え方は何かを追求することになる。絶対的な善が存在するわけではない。ある立場から見れば明らかに悪い神も、別の立場から見るととても愛らしい神様に思えたりする。その多面的現実を学ぶことになる。

多面的現実を知った人は、目の前にいる人をたったひとつの解釈や考え方で判断することを手放すようになる。他人を深く理解するためにはこのことが大切だ。しかし、一方でそのことは明確な判断や、スピーディーな物事の処理を阻むことになる。このエントリーに先だって書いたエントリー「ニュピの変性意識」の最後に、日本が多神教的文化から離れる必要があったと書いたが、それはこのことに関係している。

日本が帝国主義に走るとき、多神教的ではうまく行かなかったのだ。天皇という唯一神を担ぎ出すことによって、一般の人たちからは明確な判断やスピーディーな判断がなされているように思わせる必要があり、また、日本人自体もその効率を身につけなければ、あの帝国主義の時代を乗り越えられなかった。なにしろゆっくりしていては他国に侵略されてしまうからだ。だから、必ずしも一神教的な文化が悪いとは思わない。状況によって一神教的文化がフィットすることもあれば、多神教的文化がフィットすることもあるだろう。つまり多神教的多面性と、一神教的一面性を同時に持ち合わせる文化が求められるべき文化だと考えられる。

多面性と一面性を同時に持つとはどんなことなのか、またいつか続きを書きたい。理論的には矛盾するこの考え方が、変性意識とセットになったとき、うまく働き出す。あたかもテレビで音と映像を見ることで影響されているように。