青山繁晴氏の告発

長らく体調を崩していたが、そろそろ復帰しないとこのまま引退なんてことになりかねないのでリハビリを始めた。

そのために複眼ニュースというサイトを作った。「はじめに」というページにこう書いた。

はじめまして。複眼ニュースにようこそ。

ネットサーフィンをしていくと、マスメディアとは違う意見に遭遇したり、そもそも事実認識が違っていたりすることが多くなってきました。多くの場合、マスメディアの報道が「事実」で、ネット上の書き込みは「事実ではない」と言われることが多いのですが、果たしてそれは本当でしょうか?

立場が違うと見えてくることも違います。例えば、戦争中に戦いあっている二国で流れているニュースを見ることができたら、どうなると思いますか? もちろん、それぞれが自国にとって都合のいいニュースを流しているでしょうね。それら二つのうち事実はどちらでしょうか? どちらも事実であり、あるできごとの切り取り方が違ったり、立場によって見え方が違う情報になっているでしょう。

インターネットの発達によって国を超えた情報のやり取りが可能になり、また、思想や哲学の異なる意見も聞けるようになりました。そのような社会の中で、「事実を知る」とはどういうことなのでしょう?

私たちはいろんな立場から事実を論じることができるようになりました。その価値を発見するべき時が来たようです。どちらが正しいかで戦いあうのではなく、視点が違うと別の見方ができることを受け入れて、様々な視点、意見、報道を多角的に吟味するべき時代になったはずです。そして、そこにこそ真実がある。

ところがなかなかそうは思えない自分がいたりします。

それはなぜかと疑問を持ちながら、いろんな視点、意見、考え方を受け入れ、多角的な考察ができる存在になっていきたいものです。それを目指すための複眼ニュースでありたいと思います。

複眼ニュース はじめに

最近のマスメディアは伝えることが狭くなってきているように思う。例えば、ロシアのウクライナ侵攻にしても、以前からロシアはウクライナがNATOの基地を作るようなことがあったらそれを阻止します、というようなことを表明していたにもかかわらず、ウクライナはそれをしようとした。その結果の攻撃。ところがその経緯はほとんど触れられない。

似たことが今度は自民党内で起きた。以前から参議院議員の青山繁晴氏は、自民党にとって痛いことを言ってきた。二ヶ月前にもこんなことを言っていた。

だからかどうか、真実は闇の中だが、総裁選に立候補すると言っているのに、マスメディアには出してもらえなかった。陰湿ないじめに近い。ついに青山さんは記者会見を開いた。そのことについて新聞は触れたが、話した内容の肝心なところには触れなかったり、内容を軽くしていた。

青山氏は別の総裁選候補とは違う別の選択肢を提示したいと言って、二点を挙げた。

1.私が日本国の宰相になれば、まず最初に消費減税をおこなう。財務省は当然反対すると思うが、真正面から対峙して実現していく。これまでに報道されている11人の中で、 財務省と対峙して減税を行うと表明されてる方はいない。 増税や社会保険料の引き上げが政策に含まれていた岸田政権と違って、減税に転じるという選択肢を与える。

2.私は国会議員となって8年だが、 どなたからの支援もいただいていない。これからもいただくことはない。そもそも派閥グループに一切属していない。支援団体は全部お断りだ。つまり、業界団体であろうが宗教団体であろうが、 一切お断りしている。こういう候補者は、今の11人の方の中にいない。これが2つ目の選択肢であり、全ての議員にそうしろとは言わないが、モデルケースの一つにはなるだろう。

さらになぜ自民党総裁戦に出るのかというと、自民党の体質を変えるという。

自民党での党員集めは三年連続で一位だった。
派閥も超えて、利害関係も超えて、応援してくれる議員がこう言っていたという。
「党員集めが三年連続で一位だった議員が総裁選に出られないとなると、自由民主党の国民政党としての、質が問われることになる」

さらに青山氏はこうも言った。
「党員数の中身を知っていてほしい。党員なのに自身が党員であることを知らない方がいる。なぜなら、団体や企業を通して集められたから。これが自民党の腐った根幹を作っている部分であるから、議員になった時から、そのようなことは一切しないで、主権者の自立した意思のみにお願いして、利益には一切つながらないが、政権与党としての自民党を作り変えるために、ご自分の意思で考えてください、決めてくださいとお願いしました。それを私の動画を通して呼びかけただけです」

これで三年間党員を集め続けられたということは、自民党が真の国民政党に脱皮できるきっかけになりうると思うという。

このような考えをきちんと示す人を総裁候補として無視するのは、きっと膿となっている人なんだろうなと思わざるを得ない。

これからの総裁選の行方が楽しみだ。

以下は総裁選出馬の記者会見。

9月15日加筆

告示日に推薦人が15名しか集められなかったために、青山氏は総裁選に立候補できませんでした。立候補して他の候補者と論争できれば良かったのですが。

宮田選手は五輪に出場すべきか?

体操女子・パリ五輪代表の宮田笙子選手(19)が「喫煙と飲酒行為が発覚した」ため代表を辞退したという報道に、あまり興味は持てなかった。僕は宮田さんをまったく知らないし、体操に格別の思い入れもなかったから。

でも、このデイリー新潮の記事を読んで、違うなと思った。何が「違うな」と思ったかを書く。

そうそうたる有名人が「宮田笙子は五輪に出場すべき」とXに投稿してもネット世論は完全無視 謎を解くカギはビートきよしの投稿にあった

この記事の最後に、結論のようにこのように書かれている。

ネット世論は『政治家のほうが悪いから微罪の宮田選手を許そう』ではなく、『政治や飲酒運転など、馴れ合いだらけで全てをうやむやにする日本社会で、宮田選手の件だけは正義が実現した』と歓迎しているのです。ルールを破った人が正しく裁かれたと感じ、憂さを晴らしている状態だと言えるかもしれません」

デイリー新潮

確かにネット民の中にはうさを晴らすために「宮田選手の件だけは正義が実現した」と思う人もいたかもしれないけど、多くは違うのではないかと思う。

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映画「福田村事件」

映画「福田村事件」が予想外のロングランになり公開劇場数を伸ばしている。この映画の何が面白いのか。きっとそれは誰に聞いてもうまく答えられないのではないか、と思う。なぜなら、森達也という監督が、「うまく答えられないこと」を撮ろうとしているから。言葉というレッテルでは表現しきれないこと。それを撮ろうとしているから。

そもそも森達也監督は監督デビューが「A」という映画だった。オウム真理教がテロを起こし、日本中が大騒ぎになっているその最中、オウム真理教の内側に入り、その日常を撮っていった。その映像に多くの人が驚いた。そして言葉を失った。

「あの凶悪集団が、、、」

「、、、」ではいろんなことが言えるかもしれないが、映画を見るとあの時代の雰囲気ではいいにくいことが見えてきた。そして、それに気づいた人は一人取り残される。

「言いたいが、言ったらどうなるのだろう?」

言い出すことに勇気が必要な何か。日本を覆い尽くしている言語化できない雰囲気に気づかされてしまう。そしてそれに気づくと誰にでも気軽には言えないので一人取り残される。よほど仲が良い、何を言っても許し合える人たちとしか言い合えない「あれ」。

映画「福田村事件」では、関東大震災当時言えなかったであろうことを令和の今、感じさせてもらう。なぜそれが言えなかったのか? 令和の今なら当たり前に言えるようになってきた。でも、と思考が止まる。

令和の今、言えないことがある。

それは注射のことであったり、安倍元首相の暗殺の真相であったり、ウクライナとロシアの背景であったり、海洋放出のことであったり、色々だ。でも、それらは言おうと思えば言える。書ける。恐怖心さえ乗り越えられれば。

「A」でも、「Fake」でも、「i-新聞記者ドキュメント-」でも、森監督は現在に生きている人には見えない、言えない、書けない何かを表現してきた。

映画「福田村事件」の舞台となった当時、そこに生きていた人たちはきっと気づいていなかったであろうセリフが出てくる。もし、映画「福田村事件」をこれから見ようとしている人は、ここから先は読まないほうがいい。そのセリフが出てきた時、僕は泣いてしまった。

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