門松の話 その2

前に門松の話を書いてからもう五年にもなる。早いものだ。門松に関して知ることで、いろんなことについて考えが深まった。

まずは柳田國男の説を読んでみよう。

門松は年神様の依代と言われるが、そもそも年神様がどのような神様かを柳田國男は『新たなる太陽』で説いている。その本で年神様の正体がいったい何であるか、いくつか説を提出しているのでそれを簡単に書いてみる。

1.田の神と同じものである。
2.年の初めに祭る神である。
3.2.が発展して歳徳(としとく)という神様になった。これはおそらく先祖霊であろう。

なぜ田の神と年神様が同じものなのか? そうだと言われればそうかもしれないが、現代の人間にはピンと来ない。昔はどこでも田んぼがあり、田の神もいてそれと混同されたのだろうと勝手に推測はできるが、果たしてそれが正しいかどうかの確証はない。柳田國男は「正月の行事の中には、稲作田植に伴なう信仰に拠らないと、説明しがたいものが幾つかある」という。そして、それが田の神と年神様との混同を招いたかのように書いてある。ただし明言はしていない。こんな表現になっていて、はっきり書いてよという気持ちになる。

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