不思議なオジイさん その2

7月18日、目覚めの頃に夢を見た。
「知りようのないことの証拠をいくつか集めろ」と言われる。
誰に言われたのかよくわからない。
「そんなの無理」と思うのだが、しばらくしてひとつめの謎の証拠がひゅうっとやってくる。
ひえーっと思って目を覚ました。
「知りようのないことの証拠を集めるなんてそんな簡単なわけないじゃん」と思っている自分が「おかしいのかも」と思い、何か長い間謎だったことが簡単に謎でなくなったりしないかなぁと思う。
このところあちこちで「ホツマツタエ」に出会うので、『言霊 ほつま』という本をひさしぶりに開いてみた。
つらつらと読んでいくと、天道宮という神社がかつてあり、現在は消失してわからなくなっているという記述があった。なぜか知らないけど、これが怪しいなと思い、ネットで検索。
天道宮は再建されていた。
http://everkyoto.web.fc2.com/report1178.html
天道宮の何に僕はひっかかったんだろうと調べて行くと、その神社内に明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御胞衣埋納所の碑があることを知る。
びっくり!
毎年バリ島に行っているが、そこの風習の一つに、赤ちゃんが生まれたとき、その後産、つまり胎盤を家の隅に埋めるというのがあるのだ。同じような風習が日本にもあったんですね。
あともうひとつ気になったのは、この神社に市杵島姫命が祀られていること。江島神社の祭神がここにも出てきた。
で、これが知りようのないことの証拠の一つだとしたら、あとは何を見つけていくんだろう?

 

この日の昼過ぎ、約束通りオジイさんに会った。
資料として『言霊 ホツマ』鳥居礼著を持っていった。それを見るとオジイさんは、「そこには○○○○のペンネームで僕のことが載っているはず」というので、まずは「はじめに」の部分を見ると、その終わりに、確かに○○○○という名が記されていた。
これですか?と名前を指さすと、「そう、それそれ」と言って嬉しそうにした。

 

なぜホツマツタエに出会ったのかを聞いた。
権田直助の和法の本『神遺方』に「ま、ほ、つ」という言葉が基本であるというふうに書かれていていたそうだ。そのときにはその意味がわからなかったが、どこかの古本屋さんに、松本善之助先生の「ホツマ入門」という本を見つけ、これだと思い読む。後日、松本先生を訪ねる。いまのような次第でホツマツタヱに出会ったと伝えたら、先生が「私も若い頃、権田直助先生の神遺方に出会ったことがある。よく来られた」と言われたそうだ。
それ以来、松本先生が和光市でおこなっていたホツマツタヱの研究会に通うようになる。ここに小笠原長清さんと鳥居礼さんが参加していた。この勉強会で富士山本宮浅間大社でおこなわれた言霊の祭典のことを知り参加する。そこで吾郷清彦先生に出会い、『春日言霊学』という著書をいただいた。そして須田麻紗子先生を紹介してもらう。須田麻紗子先生は『完訳 超古代史 秀真伝』という本を出版している。

不思議なオジイさん その1

7月9日、夕刊フジのインタビューを受けることになり、近所の喫茶店で待ち合わせた。

約束の時間の10分ほど前に行き、喫茶店の中に入ると、こちらをじっと見つめている年配の方がいた。誰かを待って何かを期待している人は目の輝きが違う。その人は、あたかも誰かを待っているかのように、何かを期待している目をしていた。そこで「○○さんですか?」と、インタビューをしてくれる人の名前を告げてみた。すると「いえ、違います」という。しかも、「ごめんなさいねぇ、僕じゃなくて」と屈託なく言う。「あ、それは失礼しました」と謝ると、「いえいえ、僕は話しかけられて嬉しいですから」。

とても怪しい。

話しかけられると不快感をあらわにする人が多い。ところがこの人は、完全に開ききっている。僕という他人にウェルカムな状態なのだ。

喫茶店は少し混んでいて、その人の隣にしかあいたテーブルがなかったので、そこに座る。するとそのオジイさんは話しかけてきた。

「江島神社の祭神はたぎりひめ、いちきしまひめ、たぎつひめなんですよね」

僕は固まってしまった。なんて返事すべきか困る。一呼吸置いてこう答えた。

「宗像三女神なんですね」

こう答えたのには訳がある。この喫茶店に来る前に、ネットで江島神社について調べていたのだ。知り合いのスピリチュアルマスターが江島神社に行って、龍神を活性化してきたという話を聞いたので、江島神社について調べていた。そこの龍宮例祭は僕の誕生日だったので、その日には行ってみようかなと思っていた。それで江島神社の祭神もたまたま覚えていたのだ。

しかし、いきなりこんな話をするのはなぜかと聞いたら、「僕は杉山真伝流という鍼灸をするんだよ」という。こう聞いてもつながりがわからないからもっと話を聞いてみた。

杉山真伝流の開祖、杉山和一(1610年〜1694年)は江島神社にゆかりのひとなのだそうだ。

帰ってから杉山和一をネットで調べてみた。和一は幼い頃に流行病で失明していたので、17,18の頃に鍼師の山瀬琢一に弟子入りするも、物覚えが悪いと破門される。その後、江ノ島に籠もり、21日間の断食をして鍼の技術向上を祈願したそうだ。満願の日の帰り道、和一は石に躓き倒れ、気を失ってしまう。そのとき夢に弁財天が現れ、手を合わせて拝もうとしたところ、チクチクと身体を刺された感じがした。目を覚ますと手に取っていたのは松葉の入った竹の筒。(資料によっては松葉が枯葉にくるまっていたというものもある) これをヒントに現在の鍼灸技法の基本である管鍼術(くだはりじゅつ)を考案したという。このとき躓いた石は福石と呼ばれ、江ノ島にいまもある。

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