門松の話 その2

前に門松の話を書いてからもう五年にもなる。早いものだ。門松に関して知ることで、いろんなことについて考えが深まった。

まずは柳田國男の説を読んでみよう。

門松は年神様の依代と言われるが、そもそも年神様がどのような神様かを柳田國男は『新たなる太陽』で説いている。その本で年神様の正体がいったい何であるか、いくつか説を提出しているのでそれを簡単に書いてみる。

1.田の神と同じものである。
2.年の初めに祭る神である。
3.2.が発展して歳徳(としとく)という神様になった。これはおそらく先祖霊であろう。

なぜ田の神と年神様が同じものなのか? そうだと言われればそうかもしれないが、現代の人間にはピンと来ない。昔はどこでも田んぼがあり、田の神もいてそれと混同されたのだろうと勝手に推測はできるが、果たしてそれが正しいかどうかの確証はない。柳田國男は「正月の行事の中には、稲作田植に伴なう信仰に拠らないと、説明しがたいものが幾つかある」という。そして、それが田の神と年神様との混同を招いたかのように書いてある。ただし明言はしていない。こんな表現になっていて、はっきり書いてよという気持ちになる。

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初詣は鉄道省が作った?

今朝、たまたまSYNODOSを覗いたら、以下の記事が目に止まった。
初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事 平山昇 / 歴史学

上の記事の概要は、「初詣は鉄道の発達とともに生まれた比較的新しい参詣」であるとのこと。

これで思い出したのが、父の書斎から持ってきた古本に『神まうで』という古本があったこと。奥付を見ると印刷が昭和四年十二月二十日、発行が昭和五年一月一日となっている。発行したのは鉄道省。この本には全国の大きな神社が紹介されている。初詣が鉄道の発達とともに生まれたというよりは、鉄道の利用者が増えるようにと神社参拝自体が工夫されていたことがわかる。つまり明治となり国家神道が生まれ、廃仏毀釈がおこなわれ、鉄道省は神社参拝を推し進める。

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門松の話

正月にここに何かを書こうと思い、さてなにを書こうかと考え、門松について書いてみようと思い立った。門松とはいったい何か? どこかであれは歳神様の依り代だと聞いた。もしそれが本当であるなら、バリ島のペンジョールに似ているなと思い、いつかきちんと調べようと思っていた。ペンジョールとはバリ島でお祭りの際に、神様が降りてくる目印として立てる高い竹竿のことを言う。竿はまっすぐ立て、先をしのらせ、その先に鳥や燈籠の作り物を吊るす。祭の日にはペンジョールが並び、とても壮観な状態になる。

ウィキペティアを見ると、門松はやはり年神を家に迎え入れる依り代と書かれている。根拠は何だろうと思い、そこに書かれていた引用文献を見ると、三冊は比較的新しい本だったが、一冊だけ『守貞謾稿』が上げられていた。これだなと思い、さっそく調べた。