ぐるり。

尾山直子さんの「ぐるり。」を、世田谷ものづくり学校に見に行った。

尾山さんは訪問看護師をしている。
そのかたわら、京都造形芸術大学美術科を卒業し、写真制作もしている。

訪問看護で同僚が担当した「えいすけさん」とその家族の写真を撮影していた。それを「ぐるり。」で披露している。

「ぐるり。」は去年の12月、世田谷美術館分館の清川泰次記念ギャラリーで展示されていた。そこに見に行きたかったのだが、体調を崩して入院し、見に行けなかった。
世田谷ものづくり学校での展示は、二度目の展示となる。2022年2月27日から3月6日まで開催されていた。
「ぐるり。」のホームページには数点の写真作品が掲載されているが、それを見ただけで僕は心を掴まれた。
https://gururi-2021.studio.site

ひとつ思い出した風景がある。僕が小学生の頃、近所の友達の家が農家で、大きな畑と庭を持っていた。よくそこで遊ばせてもらった。夏にはアリジゴクがアリを捕らえるのを見るのが好きだった。その庭を見渡す縁側の奥に大きな部屋があった。そこにある日から、おばあちゃんが寝るようになった。友達からは「もうすぐ死ぬのだ」と聞いた。以来、静かにしなければと、その庭では遊ばなくなった。友達を呼びに行くのもひっそりと静かに呼ぶようになった。一年くらいしておばあちゃんは亡くなった。もうその庭では、以前のようには遊ばなくなった。

「ぐるり。」は写真展で、写真の展示だけだと思っていたが、モデルとなった「えいすけさん」の言葉が、会場のまんなかに置かれていた。いまはもういない「えいすけさん」の言葉をひとつひとつ読んでいくと、いないはずの「えいすけさん」が、心の中に灯る。そのかすかな灯りが、僕の人生を彩ってくれたいろんな人たちと反射し合う。

「えいすけさん」の合掌が沁みた。

「えいすけさんとその家族」と、作家である尾山直子さんとの関係が、作品から匂い立つ。

映画「MINAMATA」ってどう?

週刊金曜日の2021年9月17日号に「映画『MINAMATA』から消された人物が語るユージン・スミス」という記事を書きました。7ページの扱いです。

それを書くために映画『MINAMATA』の試写会に行き、ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を見て、インタビューした石川武志さんの作品集も見ました。すると、いろいろと映画『MINAMATA』の問題点がわかってきました。それぞれの写真集に添付されていた年表を丁寧に見ていくとそれがわかります。

これ以降はネタバレがありますので、嫌な方は読まないでください。

映画としてはよくできていると思います。ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を読み込んで映画を見ると、とても引き込まれます。写真集の作品が動画になっていたりします。この部分は写真集を前もって見ていない人にはわからないでしょう。ユージンの『MINAMATA』以外の写真集からも引用されているので、ユージンの写真をよく見てから映画を見ると、感動の度合いが違うと思います。

制作チームが訴えたいポイントもはっきり表現されていて、それはフィクションを見るという点では、いいことだと思います。しかし、この映画はノンフィクション的に作られていますので、映画で見せられたことがすべて事実かというと、かなり違う点があるので要注意です。

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ピラミッド社会から球体社会へ

ネットができて、互いに共感し合えるコミュニティがたくさんできた。そういうコミュニティはたいていピラミッド構造にはなっていない。互いの距離がほぼ一致した球体社会と呼んでいいものだと思う。それはまたの名を共感社会とも言えるだろう。

一番わかりやすい球体社会は、最近の家族だ。最近のいい家族はあまりピラミッドのようにはなっていない。かつては父権制とかいって、父親が頂点のヒエラルキーを作っていた。でもそんなのは日本人にはしっくりこなかった。いまの自民党はそれに戻そうとしているようだが、きっと失敗するだろう。現代は球体社会に向かっている。共感社会に向かっている。だから、父親は妻や息子や娘の言うことをなるべく聞くように頑張ってしまう。権力があるのは金を握っている父親だろうが、最近は母親も共働きで金を握っている。頂点がひとつのヒエラルキーにはもうなれない。ヒエラルキーを作ろうとする家族は崩壊しやすい。崩壊とは、簡単に言えば離婚のことだ。だから、円満な家族はあまりヒエラルキーを目指さない。自然と球体社会を目指す。みんなの意見を聞くようになる。

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