鶴の舞@氷川台

練馬区氷川台の氷川神社では、三年に一回、鶴の舞が奉納される。春のお祭りなので、もうひと月がたってしまったが、書いておきます。

氷川台の理髪店「男爵」に通い始めたのは、僕が高校一年の時でした。なので、もう30年も通い続けています。そこのご主人が氷川神社「鶴の舞」の踊り手でした。何度か見に行こうとしたのですが、なかなか時間が合わずに見られませんでした。今回、最後の舞となると聞き、予定をキャンセルして見に行きました。

氷川台駅から高稲荷公園方面に歩いていくと、途中に「おはま井戸」という石碑があります。以前にはそのそばに実際に井戸があったそうですが、いまは広場と石碑が残されています。氷川神社からその「おはま井戸」の広場まで御神輿を担ぎ、大行列で向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真の真ん中で高い帽子のようなものを被っている子が、鶴の頭を運んでいきます。雄と雌の鶴の頭があるのですが、雄は男の子が、雌は女の子がかぶって運んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

おはま井戸に着くと、まず祝詞が奏上され、獅子舞が舞われます。

 

 

 

 

 

 

獅子頭。

 

 

 

 

 

 

鶴の舞は雌雄の鶴の求愛の踊りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

互いにつかず離れず踊り合い、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に愛を成就させて終わります。

 

 

 

ほのぼのとしたいい祭です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男爵」のご主人が書いたBlogはこちらに。

2012年の鶴の舞の様子はこちら。

ガムランの音階

前の書き込みをしていて、以前にガムランの音階について聞いたことを思い出しました。ここに書いておきます。聞いたのはアナック・アグン・グデ・ラーマ・ダレムさんからです。プリカレラン家の王様です。祖父のマンダラさんはティルタ・サリやグヌン・サリのリーダーでした。

バリ島は地方によって意味体系が違うようなので、これがバリ島全体の音階の意味と同じかどうかは確かめていません。

ガムランは五音階です。ドレミのようなものは

NAng,NIng,NUng,NEng,NOng

というのだそうです。面白いのは日本の「な行」と同じだと言うことです。さらに、音階にはそれぞれ独特の意味があるそうです。

NAng はじまりの音。リラックスを呼び起こす。

NIng お清めの音。もっときれいにする。

NUng イメージをもたらす音。何かを思い起こさせる。

NEng 何もしない音。(人界の最後の音)

NOng 絶対的な無。(人智の及ばない世界のこと)

だから、ガムランの曲はどの音で始まるかを聞けば、その曲の大雑把な意味がわかるそうです。

ラーマさんのお父様のお葬式でガンバンというガムラン演奏を聞いたのですが、それはNOngの音から始まっていたのだそうです。

魂の教育

飛谷ユミ子先生に誘われて「胎内記憶」の共著者である七田眞先生のドキュメンタリー映画『魂の教育』を見てきた。

七田先生のことを話すとき、時々疑似科学ではないかと言われる。疑似科学自体どのようなものであるか意見が分かれるところだが、確かに七田先生の話には科学的ではない部分がある。それは再現性のないことであったり、科学的な証明ができないことであったり、いろいろである。それを知った上でも七田先生には聞くべき話しがたくさんある。そのひとつは「信じることとはどのようなことか」についてだと僕は考えている。あることを信じることで生まれる心持ちがある。それが人を動かすことがある。それは科学的でなくてもいいような気が僕にはするのだ。

この映画の中で七田先生がかつて大病をしたという下りがある。肺炎だったのだが、医者にあと数ヶ月の命だろうと両親に伝えられる。それを若い七田先生が聞いてしまうのだ。そこで彼は死んでなるものかと起きあがり、無理をして運動する。そのうちに気力で治してしまったという。科学的に考えればあり得ない話しだが、現実としてはあり得るだろう。僕の父も黄疸になり、手術しないと間違いなく死ぬと言われたが、あくまでも手術は拒否して薬と食生活だけで治してしまった。

この映画で七田先生は若い頃に三つの危機が訪れるのではないかと漠然と思っていたことが語られる。ひとつは「死ぬほどの大病をする」。二つめは「貧乏をする」。そして「人に裏切られる」。その通りになることが再現ドラマで伝えられるが、どの体験を通しても七田先生はそれをポジティブに受け止める。

この映画を観たあとでたまたま「チベット密教 心の修行」という本を読んだ。以前チベット僧であるバリー博士の講演会に参加したのだが、そこで話題になっていた「ロジョン(心の訓練)」を和訳したものだ。そのなかに心の修行は五つの力によっておこなえと言う部分がある。

1.決意の力 修行するという決意を固めることのよって得られる。

2.慣れる力 修行を習慣にすることで得られる。

3.善根の力 修行は他人を思いやることによってできることを知ることで得られる。

4.対治の力 自己愛着をなくすことで得られる。

5.回向の力 修行によって得られる功徳をすべての人のために捧げるように祈ることで得られる。

この五つの力を七田先生は三つの危機を体験することで得ていったのだなと思った。まずは三つの危機が訪れてもひるまない自分になると決意する。賃金をきちんと払ってくれない会社に勤めていても、約束通りに働いたという話しが映画で紹介されるが、その体験が慣れる力と善根の力を生み出した。三つの危機を体験する覚悟をすることで自己愛着を手放し、対治の力を得た。そして、それらの体験を通して得られた気づきを幼児教育に生かすことで生きていこうと決めたことで回向の力を得たのである。

七田先生と同じような体験をしても、同じようにすべての人が考えるわけではないだろう。つまり、「大病をし」「貧乏し」「人に裏切られ」ても、必ずしもすべての人が幼児教育を始めるわけではない。人の人生に再現性はないのだ。つまり、人生を科学的に考えても意味がない。一回しかない人生であり、私にしか許されてない人生であり、私にしか与えられていない環境だから尊いのである。それが事実かどうかは科学では証明されない。そうであると信じる者にだけ、それが見える。