ピラミッド社会から球体社会へ

ネットができて、互いに共感し合えるコミュニティがたくさんできた。そういうコミュニティはたいていピラミッド構造にはなっていない。互いの距離がほぼ一致した球体社会と呼んでいいものだと思う。それはまたの名を共感社会とも言えるだろう。

一番わかりやすい球体社会は、最近の家族だ。最近のいい家族はあまりピラミッドのようにはなっていない。かつては父権制とかいって、父親が頂点のヒエラルキーを作っていた。でもそんなのは日本人にはしっくりこなかった。いまの自民党はそれに戻そうとしているようだが、きっと失敗するだろう。現代は球体社会に向かっている。共感社会に向かっている。だから、父親は妻や息子や娘の言うことをなるべく聞くように頑張ってしまう。権力があるのは金を握っている父親だろうが、最近は母親も共働きで金を握っている。頂点がひとつのヒエラルキーにはもうなれない。ヒエラルキーを作ろうとする家族は崩壊しやすい。崩壊とは、簡単に言えば離婚のことだ。だから、円満な家族はあまりヒエラルキーを目指さない。自然と球体社会を目指す。みんなの意見を聞くようになる。

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紅龍さんの大愛瞑想

伊勢神宮の月次祭にはじめて参列したのは、2008年6月だった。そのときの様子はこちらに書いた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p36/
神嘗祭にも行った。そのときの様子はこちら。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p2982/#more-631
どちらのお祭りも紅龍さんにお導きいただき参列した。
紅龍さんは当時開運カウンセラーとして働いていた。
『開運ハッピーステップ』という本を出版なさっている。
10年ほど前、主婦の友社から出ていた『全開運!しあわせ』という雑誌に連載させてもらったことがあるが、紅龍さんから編集長をご紹介いただき、連載することになった。そのときのpdfがこちらにある。
http://www.healingwriting.com/pdf/iyashinojikan.pdf

紅龍さんは2012年頃から國學院大學に入学され、神道の研究を本格的に始めた。首席で卒業して神職にもなった。ところが、次に何をしようかと考えていたとき、大愛が降りてきた。大愛とは、ある心の状態。そのことについていろんな人にお話ししていくうちに、大愛瞑想という形にして、瞑想ワークショップをするようになった。それは瞬く間に広がり、全国で開催され、紅龍さんは大忙しになっていった。

2018年からレゾナンスCafeで一緒に初詣に行くことにしていた。2019年の初詣も、紅龍さんと一緒に行くはずだったが、体調が悪いということで、欠席なさった。
「なんのことはない、大丈夫」とのことだったが、それから数ヶ月、大愛瞑想はおこなわれていなかったし、連絡も取りにくいので、ある日会いに行った。とても具合が悪そうだった。

それからまた一月後くらいに会いに行った。とてもやせていて、歩くのも大変のようだった。それから何度かお見舞いに行ったが、なかなか良くはならなかった。

すっかりやせて、彼女も死を覚悟した頃、「大愛瞑想を本にして」と頼まれた。

紅龍さんは2019年9月27日、永眠なさった。

約束の本はできたが、出版社が決まらなかった。亡くなって一年がたっても決まらない。あまり先延ばしにするのはよくないなと判断して、できた本をepubにして、大愛瞑想に参加していた人たちを中心に配布することにした。

紅龍さんがこの世に遺していったプレゼントです。ぜひお読み下さい。
https://www.tsunabuchi.com/epub/biglovemeditation.epub

これを読むためにはepub用のリーダーアプリケーションを入手してください。

pdfで読みたい方はこちらです。
https://www.tsunabuchi.com/pdf/biglovemeditation.pdf

AI時代の教育について

これから先、AIが人間の文化に大きな影響を与えるでしょう。そのときに考えておくべきことをふたつ挙げておきます。

1.AIがすべての人類の生存をサポートするように作る。
現在のAIはまだ未熟ですから、これからどんどんとその出資者のために作られて行くでしょう。
つまり製作したり、そのためにお金を払ったひとの有利になるように作られて行く。
これは資本主義では当たり前のことです。
つまり、資本主義の根幹を変えないかぎり、AIは他の存在を脅かす存在にならざるを得ません。
こう書くと、資本家たちは「SFの読みすぎ」とか、「くだらない考え」とかいうでしょうけど、シンプルに考えれば、そうなることは明白です。
僕たちは「資本主義」の次の社会を考えなければならないのです。

2.「資本主義」の次は、互いに尊重し合う文化が生まれるような「モノの考え方」「感じ方」が可能になるようなものにする。
科学と同じく心理学や哲学が重要な学問になるでしょう。最近はとても哲学が軽視されているように感じます。「哲学」は実際の生活に何の影響も与えないというひとがいます。しかし、「そのように教え込まれているから」なのではないでしょうか? AIが本当にモノを考えるようになったとき、人間はその思考の筋に沿って生きるほかありません。いまのように国家競争、企業間競争、個人間競争の世界観のまま、AIが物事を考えて行ったらどうなることでしょう。そのようになる以前に、僕たち自身が他の存在とともに生かし合う文化とはどのようなものかを考えだし、その線にそってAIが育つように基礎を作らないかぎり、人間の多くはひどい目にあうのではないかと推測します。

1.2.のどちらにしてもとても大きな問題です。
Googleの創業者は当初「邪悪になるな(Don’t be evil)」というスローガンを持っていましたけど、それはついに破られたようです。
資本主義社会では「邪悪なものが勝つ」というのが、隠された金言なのでしょう。
それをどのように克服して行くかを考える哲学や、影響されてしまう人間についての心理学がきちんと発達しないかぎり、AIに人間は滅ぼされると考えます。
なぜなら、それはAIのせいではなく、AIの初期設定をする人間の考えを拡張するからです。
僕たちがまじめに取組まなければならないのは、この「互いに尊重し合う社会とは何か」を、現状よりさらに高めることなのです。そのための教育が必要であり、そのための哲学が必要であり、人間が育つときどのようなステップが必要なのかを明らかにして行くことなのです。

他の存在を攻撃しない

資本主義が崩れて、次の何かの主義が来るとき、おそらく「革命」とか言って、いままでの文化や存在を破壊し始めるひとが出てくるかもしれません。それは徹底的に否定しなければなりません。

僕たちがいまあるのは、過去の積み重ねによる影響を受けています。原始的な生命が生まれてそれが進化し、動物になり、人間が生まれたという過去がなければ、私たちは存在すらしませんでした。考えや主義も同じで、資本主義がなければいまのような豊かな社会が生まれなかったのは明白です。いってみれば、資本主義が次の社会のインキュベーションになっているのです。そのインキュベーションは、子供の教育にも必要となるものでしょう。だから、過去の価値観や考え方も、その時代にとっては必要なものであったことを認め、次のステップを進む僕たちの糧としなければならないのです。破壊してはもともこもありません。

いまの僕たちの価値観から考えても、とても醜猥なモノの考え方や、それに則ったひとがいるかもしれません。そのような場合、きちんとそのことについて考え、なぜそのような考えや文化が生まれてしまったのか、研究するべきです。たとえばオウム真理教の一団は、拙速に死刑にするのではなく、きちんと調べて、社会の何が彼らを生み出したのかを知るべきでした。

AIはすべてデータに基づいて判断して行きますが、偏ったデータ入力をすると、適切な判断ができません。いまの社会は適切な判断をするためのデータ入力をするのではなく、操作する人たちが有利になるためのデータ入力をしているようにしか思えません。そのような悪習をどのように改めるのか、どのように理想的なAI運用をするのか、考えないかぎり、僕たちの未来はないでしょう。