前世について書いてみる

前世というものがあるのかないのか、僕にはよくわからない。あるといえばあるし、ないといえばない。どのような立場から考えるかによってあったりなかったりする。
あるという立場からしばらく書いてみたいと思う。

僕のまわりの人には何度も話したが、僕はこんなことを思っている。

母が死んだ2004年、1月に母が亡くなり、3月にバリ島に行った。そこではじめてンガベンを見た。バリのお葬式である。壮麗な儀式だった。帰ってきてその年の旅を文章にまとめようと思い、さて何を書こうかと考えた。当時氷川台駅のそばにモスバーガーがあった。夕方、そのテラスに座り、モスバーガーにかぶりつきながら目の前の中古車屋さんと民家の隙間にある小さな空から夕焼けを眺めていた。すると、僕の内面で何かがスルスルとつながっていった。一度に全部がつながり、「わかった」と思った。このときの体験は不思議なもので、わかった瞬間に何がわかったのかはよくわからなかった。ところがわかったことだけわかったのだ。

何がわかったのか。
前世というものが、どういうものかの一面がわかった。

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オウム真理教の信者と一緒

311以前に、いま現実に起きていることをSFとして読まされたら、そんなこと起きるわけないだろうと作者に突っ返しただろうな。

だって、原発事故を起こして、周辺住民は継続的に放射性物質を浴びているのに、それでも原発を継続発展させようとして、海外に輸出までしようとして、そのようなことをしている政権を日本人は支持しているんだよ。

新しい常識はまったく理解不能だ。

経済三団体は被曝してもその症状が出るのは数%だから問題にせず原発を作り続けようと言っているようなものだし、政府はこんな状況でも景気が良くなるためには「放射性物質の多少の摂取はかえってからだにいいんじゃないの」と言いたいがごとくの行動をしている。

311以前にSFで読まされていたら、そんなこと起こるわけがないときっと誰もが思っただろう。ところが、実際にはそんな状況を受け入れている。

核廃棄物が増え続けても景気のためなら我慢するし、将来的に核爆弾を作る必要性が生まれるから原発を廃止しようとはしないし、食べ物に多少の放射性物質が入っていても、気にしなければ平気と多くの人が思っている。

これ以上の洗脳状態があるだろうか? オウム真理教の信者たちを馬鹿にできなくなってきた。

「仕方ないからがまんしている」というのはすでに洗脳されているのと同じだよ。

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言葉の中毒

人間はまるで言葉の中毒です。認識したことは必ずといっていいほど言葉にします。認識したことで言葉にしないものはほとんどありません。この癖があるために文明が発達したとも言えるでしょう。では、なぜ人間はそれほどまでに言葉に執着するのでしょう?

すべての生命が種を保存するために子供を作ります。しかし、ほとんどの子供は自然の中で淘汰されてしまいます。その淘汰に負けないように親は次々と子供を作ります。それはどこか切ないほどの営為です。人間が言葉を発するのはそれに似ているのではないかと思うのです。生命は子供を作り続ける理由など知りません。とにかくそれをせざるを得ないのです。

なぜそのようなことを思うのかというと、言葉が複製子だからです。遺伝子も複製子です。遺伝子は複製することで生き残ります。もし複製しなければ、その存在は永続しなかったでしょう。つまり複製し続けることは、なぜ?という疑問がでる前に、そうしなかったなら存在できなかったからなのです。たまたま複製できるようになったので存在し続けられているのです。だから、生命になぜ子供を作るのか?と聞くのはナンセンスなのです。子供を作る能力が生まれたから生命として存在し続けているのですから。

いっぽうで言葉ですが、人間になぜ言葉をしゃべるのかと聞くことは、生命になぜ子供を作るのか?と聞くのと同じようにナンセンスなのではないでしょうか? つまり、言葉という複製子を次々と生み出し続けることができるから人間になれたのです。

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