11月

30

柿の季節

柿の季節になると相方が
柿の皮をむいて出してくれる。
そのときに毎年同じ話をする。
それは、父が柔らかい柿が好きで
母は固い柿が好きだったこと。
母が固い柿の皮をむいて出すと
父が「僕は柔らかい柿が好きだから
固いうちに皮むかないでよ」という。
すると母が
「この前柔らかくなるまで
 待ったんだから
 今度は固くてもいいでしょう」
と反論する。
その二人のやりとりを僕は隣で
毎回見ていた。
母は母で母だったし、
父は父で父だった。
柿の季節になるとする話。

11月

29

新しいアイデア

ときどき、ふと新しいアイデアが生まれる。
東京ワークショップも
未来市場創造会も
ふとしたきっかけだった。
また新しいふとしたきっかけがやってきた。
実現するための準備を始める。

11月

28

ビン入りノンホモジナイズ牛乳

ときどき牛乳が飲みたくなるとスーパーに行き、
ビン入りノンホモジナイズ牛乳を買う。
65℃30分殺菌だそうだ。
とても美味しいので
あっという間に飲んでしまう。
ときどきクリームの固まりが出てきたり、
味が変わったりするが、
それが自然というものなのだろう。

11月

27

映画『ボヘミアン・ラプソディー』

中学二年の時、僕はQueenのライブに行った。
場所は日本武道館。
1976年、二度目の来日ライブ。
「預言者の唄」が特に印象に残った。
間奏のコーラスと最後のギターソロにしびれた。
中二と言えばいろんなことが強烈な思い出として残っていて、
普段はすっかり忘れているようなことが
ときどき何かの拍子に飛び出してくる。
Queenの音楽はそのような思い出を
フラッシュバックさせる強烈なスイッチだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見て、
たくさんのスイッチを一度に押された。
ストーリー自体も面白いものだが、
その感動とともにいろんなスイッチが押される。
僕はすっかり泣かされた。
ほかにも僕にはビートルズとかカーペンターズとか
スイッチが隠されている音楽がある。
それらの映画ができたら、
そしてそれの質が良かったら、
絶対またボロ泣きするんだろうなと思う。
この映画の成功で、
しばらくかつてヒットした音楽にまつわる映画が
作られるようになるのだろうと思う。

11月

26

価値か無駄か

3700号以上この「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
その価値は何かと考えた時、まったくの無駄だったとも言える。
大きな価値があったとも言える。
どちらが正しいか?
どちらかだけが正しいというなら、あの有名な質問をしよう。
パンと手を叩く。
鳴ったのは右手か左手か?

11月

21

非二元

二十年以上前、ケン・ウィルバーの
『意識のスペクトル』を読んで以来、
非二元という言葉の意味が
いまひとつ理解できないでいた。
わかったような、わからないような
ムニュムニュ状態。
それがふとつながった。
仏典の多くも、
一部のスピリチュアリストも、
一部の哲学者も
このムニュムニュを説明したくて
がんばっていたのだ。
言葉自体が非二元的ではないので
文字にすると
ムニュムニュしてしまうのは
仕方ないのだ。
いまはどんな非二元に関する質問にも
答えられるような気がするが、
実際には
ムニュムニュしてみないと
わからない。

11月

20

神殿

宇宙に満ちる神殿。
原子という名の神々が
寄り集まって神殿を作る。
神殿は踊りを踊って解体し、
別の存在に変わっていく。
常にいつも変化していく神殿。
僕たちはそれを無常だと感じる。

11月

19

宣言

うじうじ言って、
クダまいて、
「もっと酒を持って来い」と
怒鳴りはしないが、
黙ってそんな気分に浸っていると
嫌な感じがしてくるが、
そういう僕だと宣言すると
案外清々する。
うじうじした感情はあっち行け。

11月

14

太る

四日市に行った時、
おいしそうなものは何でも食べてしまえと
欲望に従っていろんなものを食べた。
翌日体重を計ると三キロ太っていた。
たまには太るのもいいよと思う。

11月

13

なが餅

四日市に行ってきたので
なが餅を買った。
ペロンと細長い餅に
餡子が包まれている。
柔らかい餅の感触がうれしい。
賞味期限内に食べるのが
もちろんいいが、
過ぎてしまうと少しずつ固くなる。
一日二日過ぎたなが餅は
少し固くて
それはそれなりに美味しい。
甘過ぎないのもいい。

11月

7

仏典を読みなおす

かつて仏典には理解不能な文章が
たくさんあった。
書いてあることは判読できるが
それから生まれる実感が伴わない。
ふん、とか、うーむとか思っていた。
しばらくして書かれていることは
たいてい理解できるようになった。
最近では読み始めると没入する。
若い頃、
本を再読することはなかった。
いまは読みなおすことが愛おしい。

11月

6

時間のかかること

手間ひまかけてできたものには
何かいいようのない威厳が生まれる。
アートの鑑賞の半分は
それを感じているような気がする。
あとの半分はいろいろ。

11月

2

ブサキ寺院での礼拝

バリ島のブサキ寺院は
いくつかのお寺が
集まってできている。
その中心にあるのが
プナタラ・アグン・ブサキ寺院。
ここに三大神である
ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァを
祀っている場所があり、
そこで礼拝する。
この三神をまとめて
トゥリ・ムルティと呼ぶが、
その三神のための椅子が
その礼拝所には用意されている。
礼拝所に座り、
アグン山の方向に目をやると
高い場所に
その三つの聖なる椅子が目に入る。
神様は目に見えるものではない。
その見えない神を
そこに降ろすことをイメージした。
そしてその場所と
自分の祖先や親族と
大宇宙に感謝することを促される。
すると、その三つが、実はすべて
つながっているものであることが
イメージでき、そのことに震えた。

11月

1

鉛筆と同じ長さのシャープペン

新品の鉛筆と同じ長さのシャープペンを愛用している。
中学か高校の頃から使っている。
書いている感触が新品の鉛筆そのもの。
長い鉛筆で字を書くと
鉛筆が指で振られるその感触に
わずかな遠心力によるもたつきが生まれる。
その感覚がいい。
新品の鉛筆を使ったときの
ほのかな喜びが再現される。
その名はOHTO PENCIL。