6月

25

三つの夢

2023年6月19日の朝、三つの夢を見て目が覚めた。
正確には、目が覚めたとき、三つの不思議な物語が頭の中にあった。
三つともありありと思い出せる。
でも、夢を見た感覚はなかった。
起きて三つの夢を書き留めようとした。
そうして書いたのが、No.05004の「かき氷」とNo.05005の「ゴムのオブジェ」だ。
三つ目の夢はそのときすぐには書き留められなかった。
だけど、あまりにも三つの物語としてうまくまとまっていたから、「すぐに書き留めなくても平気だろう」と後回しにした。
しばらくして書き留めようとしたが、まったく思い出せない。
三つの物語はどれも「喪失」がテーマだ。
そして最後の物語のタイトルは「その女」。
しかし、どうしても内容が思い出せない。
夢というやつは、どうして思い出せなくなるのだろう?

6月

23

ゴムのオブジェ

ガラス・ミュージアムに行った。
ガラスを素材とした美術・工芸作品が集められている。
作品を見てまわると、一点だけとても気になる作品があった。
タイトルは「ゴムのオブジェ」。
じっと見ると素材はゴムのようだ。
でも、ここはガラスのミュージアム。
なぜゴムの作品があるのか?
ゴムのように見えるが、実はガラス製なのだろうか?
形も不思議だ。
女の裸体のようにも見えるし、宇宙船のようにも見えるし、細胞分裂のようにも見える。
係員のような男が来たので訊ねた。
「これはガラス製ですか?」
「すみません。僕はバイトであまり詳しくありません。学芸員はいま外出中で二時間ほどで戻ると思います。
二時間は待てないのでその日は帰った。
一週間ほどのちに再訪した。
「ゴムのオブジェ」があった場所に行くと、そこには立派なガラス細工が飾ってあった。
「水盤」と書かれている。
学芸員を呼んで質問した。
「ここにあったゴムのオブジェはどこに行きましたか?」
「ゴムのオブジェ?」
彼はしばらく考えてからこう答えた。
「ここはガラス・ミュージアムです。ゴム製の作品は置いてないですよ」
「一週間ほど前ここにあったんですけど」
「いや、ないと思いますよ。確かに一週間ほど前にはこの水盤は修繕に出していましたけど、ゴムのオブジェなんて置いてないです」
「いや、あの、ここに女性の裸体のような、宇宙船のような、細胞分裂のような形のゴムのオブジェがあったんです」
「それはどんな形ですか? 想像できませんね」
「いや、だから、」
「とにかくゴムのオブジェは置いていません。何かの勘違いではないですか?」
僕の心の中にあるゴムのオブジェ、これはいったい?

6月

19

かき氷

ある時、ある場所にアンティークな雰囲気の喫茶店があった。
その店に入り、ブレンドコーヒーを頼んだ。
若い女の店員がコーヒーと一緒に小さなかき氷を持ってきた。
「これは?」
「サービスです」
女はカウンターの中に戻って行った。
そのかき氷は、氷がフワフワで、食べたことのない味がした。
カウンターの向こうにいる店員に聞いた。
「これは何のシロップですか?」
「お客様はこの店ははじめてですよね」
「はい」
「次にいらしたときにお教えします」
ちょっとムッとした。
なぜいま教えてくれないんだ。
きっとこれはお店のプロモーションの手法なのだろう。
その手に乗るか。
二度と来ないと心に決めた。

あれから三年が過ぎた。
いまだにあの店の雰囲気とかき氷の味が忘れられない。
再びアンティークな雰囲気の喫茶店に来た。
前と同じ席が空いていたのでそこに座った。
若い男の店員がやってきた。
ブレンドコーヒーを頼んだ。
しばらくしてコーヒーだけがやってきた。
店員に質問した。
「あの、かき氷は?」
男は「かき氷?」と復唱し、「うちには置いていませんよ」という。
「三年ほど前にここでコーヒーを頼んだら、サービスですとかき氷が出てきたんですけど」
「うちではないでしょう。この店を僕は五年ほど経営していますが、カキ氷なんて出したことがありませんよ」
言葉を失った。
男は「ごゆっくり」と言って
カウンターの奥に消えた。

6月

9

十年後から見る

十年後から現代を見たらどんなふうに見えるのだろう?
ケネディ大統領の暗殺のようにうやむやなままか。
すべてが明らかになっていい世界になっているか。
もちろん後者のようであって欲しい。

1月

5

夢を見る

夜寝て見る夢は不思議。
あらゆることが繋がっている。

10月

23

正直化が進むと

現在不透明な問題は明確になる。
だけどその前に大きな混乱が来る。
切り抜けられると信じて行動しましょう。

10月

15

オメガポイント

人類が理想的に発展したとするとどうなるのか、夢想する。

8月

4

夢の少女たち

夢の中で、見知らぬ少女たちとサイクリングした。
途中で雨が降ってきた。
その夢の普通ではない点は、少女たちの顔を目覚めても憶えていたこと。
会ったこともない、見たこともない顔だった。
これから実際に会うのだろうかと期待したが、三日ほどで忘れた。

4月

22

うつらうつら

暖かくなってきたせいか、昼間でも眠くなる。
うつらうつら。
さっき読んだ本の内容が夢になって出てきた。

1月

6

バス旅行の夢

このところ夢の中でバス旅行をしている。
連続ドラマのようでいて、必ずしも物語が続いているわけではない。
にもかかわらず、バス旅行であることは揺るがない。
行った先で山に登り、見たことのない建物に入り、会ったことのない人たちに出会う。
バスに乗ると、以前お話しした人といつかの話しの続きをする。
だけど、それが誰なのか、よくわかってない。
不思議なバスの旅。

9月

18

打ち上げの本当の意味とは

夢を見た。
何度か見た夢の続きのようだ。
でも実際にその夢を何度か見たのかどうかはわからない。
そういう感じがするだけなのかもしれない。
その夢の中で、「打ち上げの本当の意味」を探すことになる。
何かに一区切り付いて、打ち上げをするのだが、きちんと打ち上げようということになり、いったい何をすればいいのか悩むことになる。
その悩みの最中に知り合いが建物を建てたという。
建物の大きな壁面に何かを描きたいのだが、知らない人が勝手にいろんなことを描いていく。
「いったい私は何を描けばいいのか?」と質問される。
緑のような青のような深い色をしたその壁面はタイルで覆われていたので、黒いペンキで描いてもあまり目立たない。
何が描かれているのか知るために目を凝らす。
そのときに「打ち上げの本当の意味」を知る。
エリアーデによれば、祭は始原の時に戻ること。
神様がかつておこなった行為を繰り返すことが本義だという。
そのおかげで円環の時を人々は生きることになる。
それが「進化する歴史的な時」に変更されたのはキリストのおかげだという。
僕たちは進化する時の中で生きている。
僕たちにとっての「打ち上げ」とは何か?
打ち上げ花火は地上という二次元から、高さを得て三次元になる。
きっとその視点は神のものだったのだろう。
それを繰り返すのは円環の時を過ごす人々がすればいい。
「進化する時」を過ごす僕たちは、新次元を得るのが「打ち上げ」。
そう閃いて目が覚めた。

8月

26

夜の虹

ハワイ・モロカイ島在住のアーティスト山崎美弥子さんは2020年1月1日から三日間、毎晩夜の虹を見たそうだ。
夜の虹は月の光でできる白い虹。
ハワイでは夜の虹は先祖からのメッセージだと考えられ、それを見ると夢が叶うそうだ。
滅多に見られないその虹を、三日連続で見てしまった山崎さんは、「Night Rainbow」という個展を開く。
9月6日まで青山スパイラルでおこなわれている。
山崎さんはここ十数年、千年後の世界を描き続けてきた。
それはモロカイ島の朝焼けや夕焼けの風景にしか表面上は見えないのだが、そこには千年後に世界中の子供たちが幸せに暮らしているビジョンが込められている。
三晩にわたる夜の虹は、その願いが叶うものとして現れたという。

5月

28

三枚の紙

今朝の夢にも「三」が登場した。
三枚の紙にある有名なデザイナーがデザインを施す。
そのデザイナーはこんなことを話す。
「この三枚の紙には微妙な違いがあります。
 そこでこの一枚だけはこの色を使わなければならないと思いました。
 あとの二枚はその一枚が決まったことで、それぞれの色を採用することを決めました」
その話を聞いて僕はこう思う。
「確かに最初の一枚をその色にするのは正解だし当然だろう。
 しかし、あとの二枚についてはほかの可能性がたくさんある。
 なぜそのことについてあのデザイナーは考えないのだろう?」
ここから多次元リフレーミングの話に発展する。
多次元リフレーミングは抽象的な話なので、どう説明するかが問題なのだが、いい例が夢に出てきてくれた。

5月

27

三つの選択肢

夢の中で三つの選択肢を与えられた。

選択肢1
生まれたときまで戻って人生をすべてやり直す。

選択肢2
このまま人生を続ける。

選択肢3
死んで別の人生を生きる。

なぜこのような夢を見たのか理解するため、そして、それぞれの選択をするために、大量なビジョンが降りてきた。
困ったなと思うと同時に笑った。

5月

16

パイプラインの夢

飛行機から海に飛び降り、浜辺でパイプラインに巻き込まれる夢を見た。
美しい景色が見られた。
海底に何があるのかは見えなかった。

4月

13

一炊の夢

中学二年の時、国語担当の榊原先生が、担当した生徒全員と交換日記を始めた。
ひとクラスだいたい40名。
担当していたクラスは多分4クラスはあっただろう。
すると毎週160名と交換日記をしていたことになる。
凄く大変だっただろう。
その第一回の課題が「日記に名前を付けて、その理由を書け」というものだった。
僕は確かことわざ辞典のようなものを引いて、「一炊の夢」という言葉を見つけ、日記の名前を「一炊の夢記」とした。
そんなことはすっかり忘れ40年ほど経ってしまったが、ユングが解説を書いた「黄金の華の秘密」を読んでいたら、その本の訳者(湯浅泰雄)が書いた解説に「一炊の夢」を見つけた。
「黄金の華の秘密」の各章が「呂祖師曰く」で始まるのだが、「一炊の夢」はその「呂祖師」が邯鄲(かんたん)の村で盧生という青年に教えた話なんだそうだ。
だから別名「邯鄲の夢」ともいう。
さらにへぇと思ったのは、呂祖師のことを道教史上に残したのは全真教という教団なんだそうだが、そこの開祖は王重陽というひとだそうだ。
重陽の節句に生まれて「陽二」と名付けられた僕は「一炊の夢」から目覚めてしまいそうだ。

3月

30

人生の選択を誤る

昨日 本を読んでいて「人生の選択を誤る」という言葉が気になった。
夜に夢を見た。
内容はよく覚えてないのだが、夢の途中で上着を脱いだ。
しばらくして目が覚めると、パジャマの上着を脱いでいて寒かった。
あわてて着たが、そのときもどんな夢を見たのか覚えていなかった。
だけど、何か夢の感触のようなものがあった。
朝起きて、夢の感触をたどると、ジープに取り付けた銃の台座と、荒くれ男たちを思い出す。
そして、人生の選択を誤るという言葉。
それで思い出した。
荒くれ男たちとジープに乗って銃をぶっ放しながらニューヨークかどこか、アメリカの都会を駆け巡っていた。
「人生の選択を誤る」ってこういうことだろと、夢が教えてくれたようだ。

3月

5

お湯待ち

朝起きてトイレに行く。
見た夢を反芻する。
モデルの女の子が和服を着て立っていた。
なんの夢だろう?
頭を掻きながらトイレから出て、コーヒーを淹れることにする。
コーヒードリップケトルに水を入れ、コンロにかける。
カップにドリッパーをセットして、紙フィルターを載せる。
コーヒー豆を電動ミルで砕く。
フィルターに砕いたコーヒー豆を入れてお湯待ち。
カップ二杯程度の水はすぐに湧くので、立ったまま待つ。
水がふつふつしてくるのと一緒に、見た夢もふつふつしてくる。
夢の中でモデルの女の子が何を考えているか感じていた。
男が近づくとモデルは倒れかかった。
そのときの感覚。
男はモデルにつかまれて立たせる。
「平気ですか?」
「はい」と言ったときの感情の動き。
「服が乱れてしまったので、直してもらえますか?」
「いいよ。両手を横に伸ばして」
女は両手を横に伸ばして男の目を覗き込む。
男は女の帯を解いて着物を直し、また帯を結ぶ。
「これでいいかい」
「お食事に連れて行ってもらえませんか?」
「いま?」
「はい」
「あいにくいま持ち合わせがない」
「じゃあ今度」
ふと、ふたりの感情が両方とも、手に取るようにわかったことに気づく。
言葉の間にある一瞬の感情。
どちらの感情もここにあることが不思議なことだと、湧きつつあるお湯を眺めながら知る。
「不自然な夢だ」
きっと僕が非二元なんてことを考えているから、夢がそれに合わせてくれたのだろう。
夢はそのくらい自由なものだと教えられた気がする。
しゃらくさい夢だ。

3月

4

夢見と何度も書くこと

夢について何度か書いた。
それでわかったのは、夢は一面的ではないことだ。
ある場面を見たとする。
それが僕にとってどんな意味なのか、どんな感情をともなうのか、どんな表現が適切なのか、それを感じていくと、いくつもの意味や感情や表現があらわれてくる。
それは現実の景色でも多少あって、結局、僕の感じる夢や景色は多面的であることがわかってくる。
一度それを受け入れてしまうと、不安定な意味や感情の羅列が吹き出してくる。
いや、ちょっと違う。
羅列ではないのだ、不安定な意味や感情が同時に生起し、それを表現するのに羅列するしかなくなるのだ。
言葉を使うことにあまりにも慣れてしまっていて、羅列されることが当たり前で、そのように感じていると思い込んでいるのだ。
同時に生起した意味や感情は、表現しにくいためにすぐには言葉にならない。
この沈黙が大切なのだ。

2月

5

2021年2月5日の夢

どこかの町を相方と歩いていると、道の真ん中で知らないおじさんがいろんなものを売っていた。
見たことのないような彫刻や、何に使うのかわからないような道具を、針金で作ったようなちゃちな棚に載せて売っていた。
「これはなんだ?」と覗いていると、相方が「ねぇねぇ」と呼ぶ。
「なーに?」と言って呼ぶ方に行くと、一人の元気な少女が何かしゃべっている。
「どうしたの?」と相方に聞くと、「この娘面白い」というので話を聞こうとすると、その少女と目が合った。
「パーティーしよう」
その娘の声にドキッとして目が覚めた。

1月

25

夢の見方

少し前に、夢の見方を体得した。
夢は勝手に見てしまう。
なぜそんな夢を見るのかわからないことが多い。
夢を見たら非二元的にとらえる。
すると夢の意味が浮上する。
いくつもの意味が絡まっていることが多い。
丁寧に分解したり、一体のまま解釈したり、あれこれすると、思わぬ意味が浮かび上がる。

12月

3

2020年12月3日の夢

今朝の夢は、白紙のマンガ原稿が届いたことだった。
同時に、その前後関係がなぜか理解できている。
こんな夢だった。
事実とは違う部分があるが、夢だから仕方ない。

僕はたぶん手塚治虫のアシスタントだ。
なぜそう思うのかというと、普段は「先生」と呼ぶのだが、石ノ森章太郎に対しては「手塚が・・・」と言うからだ。
最初は編集者かなと思ったが、その様子でアシスタントだと気づく。
一度に夢を理解したので、前後関係がよくわからなかったりする。
夢の中ではアシスタントという立場だったので、その立場で文章を書いてみる。

石ノ森章太郎先生の体調が悪く、なぜか最後の作品を手塚先生と共同で描くことになる。
その経緯はよくわからない。
手塚先生がある程度まで描き、原稿を石ノ森先生に送る。
しばらくすると石ノ森先生から続きが描かれて戻ってくる。
それを何回か繰り返し、ラストのシーン。
手塚先生は788コマ目を1ページに大きく書いて石ノ森先生に送った。
数日後、続きが帰ってきた。
(僕が夢ではっきりと見たのはこの部分だ。)
そこには真っ白な789コマ目があった。

そこで目が覚めたのだが、目をつむったまま、夢の続きを空想する。
なぜ789コマ目が真っ白だったのか、思い浮かぶ。
実際には視点があちこちに飛ぶのだが、それを書いていると文章としては意味がよくわからないものになるので、ここでは石ノ森章太郎からの手紙だと固定して表現する。

(手塚)先生、788コマ目をお送りいただき、ありがとうございます。
いまは自分で原稿も、手紙も書くことはできず、アシスタントに指示して書かせています。
この企画では、「最後のバトル」とか言われて競い合っていることになっていますが、788コマ目を見て、戦っているのではなく、調和を作っているのだなと思いました。
表面上は売り上げがどうとか、どちらがたくさんの読者を得たかとか、人気度はどちらが高いかなどと張り合っているように見えるようですが、実際には違いますよね。
先生が789コマ目を僕に託してくれたというのがその証拠です。
788コマ目を見て、トキワ荘の頃を思い出しました。
あの頃はみんなが同じ方向を向いていた。
万博のテーマ、「人類の進歩と調和」を誰でもが素直に信じることができました。
先生が僕の789コマ目を見てみたいと思ってくれたのと同様に、僕も先生の789コマ目を見てみたいのです。
なので、僕の789コマ目は送らないでおきます。
僕の絵で影響を受ける先生だとは思いませんが、先に見てもらってしまっては、絶対それよりいいものにするための工夫を加えるでしょう。
互いに同じ条件で描き合ってみませんか。

なぜこんな夢を見たのかは謎だ。

9月

16

相方の夢

朝起きると、相方がプリプリと機嫌が悪い。
どうしたのか聞くと、僕と夢の中で喧嘩したのだと言う。
どんな夢を見たのか聞いた。
一緒に街を歩いていたら、僕の知り合いだというアジア系の男がやってきて、何語か判らない言葉で話しかけられた。
「何を言っているの?」と僕に聞くが「判らない」と答えたそうだ。
その男はすれ違いざまに相方のお尻を蹴っていったという。
夢は続く。
街を歩いているともう一度その男に出会った。
相方は怒って話しかけると、その男はバク転をしながら階段を降りていったという。
「なぜ僕と喧嘩したの?」と聞くと、「その男と知り合いだったのがいけない」という。
「それで起きたら怒っているの」と言ったら「そう」。
二人で笑った。

9月

13

川の夢

石神井川沿いに散歩したせいか、川の夢を見た。
都会にあるような護岸工事された川ではなく、岩や小石がゴツゴツとある自然の川沿い。
そこを歩いていると水鳥が集まってくる。
なぜかドローンが飛んできた。
ドローンが空中に止まっていると、それを見上げる水鳥たち。
そのあとで、木の手漕ぎボートにワニを乗せて河口まで降りて行った。
海に出るとボートに穴が開き沈没。
泳いで岸に立った。
どういう意味のある夢だったんだろう?

5月

19

鳩と飛ぶ空

鳩の背中に乗って、クレヨンで描かれた港を飛んだ。
白い灯台、遠い雲、きらきら光る海面、不思議な感触。
クレヨンで描かれたアニメのように、動かない壁も、眼下の道も、ゆらゆら揺れる。
クレヨンで描かれた世界で感じる重力は、不思議。