1月

31

こっそり覗く

とある雑誌にインタビュー記事を掲載した。
インタビューをした方がその記事を喜んでくださってFBに書き込んでいる。
こっそり覗いて僕も喜ぶ。
インタビューをした方を喜ばせるために書いた訳ではないけど、喜んでもらえるとやはりうれしい。

1月

28

武甲庵

秩父市役所の裏手に「武甲庵」というカフェギャラリーがオープンした。
一階がカフェ、二階がギャラリーである。
ここに3月17日まで清水武甲という写真家の作品が展示されている。
武甲庵の「武甲」は清水武甲の「武甲」なのだ。
秩父の写真を撮り続け1995年に亡くなる。
まだ雄大な武甲山や戦争中の秩父の様子も見られる。

1月

26

インターネットが使えない

一昨日「インターネットが使える」と書いたが、いまだに回線が不安定でときどき落ちる。
落ちたときにメールを送ろうとしていると頭に血が昇る。
「このやろう」という怒りとともにやり場のない鼻息が書斎にあふれる。
大坂なおみのように後ろを向いて深呼吸。
スーハー。

1月

24

インターネットが使える

このところインターネット回線が不安定で思うように使えなかった。
いまもまだ完全に復旧したという訳ではなく、たまたま使えるときにメールを流すという感じ。
ケーブルテレビの回線を利用してインターネットを使っているので、昨日はテレビもつながったり切れたりしていた。
不自由な思いをしてはじめて思い出す、普段のありがたさ。

1月

21

ゴディバ パールミント

ゴディバのパールズ、ダークチョコ・ウィズ・ミントをもらった。
小さな缶に真珠くらいの大きさのチョコレートが入っている。
口にいれるとミントの香り。
ダークチョコというけどしっかり甘い。
コリッと噛めばミントの香りが口に溢れる。

1月

20

よりよき世界へ

ジャコモ・コルネオの『よりよき世界へ』を読み出した。
父親と娘の対話でどんな経済システムが理想かを考えていく。
現在の資本主義に不満を持つ娘。
浪費がおこなわれ、不公正であり、疎外が生まれる資本主義に愛想をつかしている娘に、経済システムについて詳しい父親が、経済学の歴史から代替システムのモデルまで語っていく。
親娘両者が満足のいく答えは見つかるのか?

1月

20

アイ・ウェイウェイ

両親が詩人で、文化大革命のときに一家で新疆ウイグル自治区の労働改造所、つまり強制収容所に送られてしまう。
その後、北京電影学院で前衛芸術を始めるが、そこでも中国の圧力を受ける。
以来、中国に批判的な作品を多数生み出す。
2009年、森美術館での展覧会はイマイチな感じがした。
それが何故かをここに書いた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p1395/
国から弾圧されても屈しない頑固な魂。
映画「アイ・ウェイウェイは謝らない」には感動した。
アイ・ウェイウェイが監督している「ヒューマン・フロー」という映画が上映されている。
まだ見てないが、感動するに違いない。
現在はドイツに住んでいるらしい。

1月

18

平成31年1月18日東京の朝日

突き刺すような朝日が昇ってきた。
ビルの谷間から。
濃紺の空を明るい青に染めながら。

1月

17

誰が世界を支配しているのか?

一年ほど前に出たノーム・チョムスキーの日本語訳書を読んだ。
日本で流れているニュースでは知りようのないことがたくさん載っている。
きっとそういうことなのではないかということを、チョムスキーが実証付きで説明していく。
そんな文書があることを、アメリカではきちんと追っていけるんだ。
いいなあ。

1月

16

ある愛の詩

ひさしぶりに「ある愛の詩」のテーマ曲を聞いた。
とても懐かしい。
上映は僕が小学生のころだ。
兄がレコードを買ってきたので聴いた。
そののちいろんな人がカバーした。
僕もピアノで弾いたな。

1月

15

笹久保伸さんのギター

笹久保伸さんはギタリスト。
南米でギターを学び帰国する。
南米でどんなにギターがうまくなっても、何かが違うと感じていた。
その何かとは「出自」。
帰国して「秩父前衛派」を立ち上げる。
笹久保さんの出身は秩父だ。
秩父とは何かをアートに昇華していく。
笹久保さんの演奏しているギターをはじめて聞いてすぐに秩父を連想する人は少ないだろう。
しかし、いくつもの作品を聞いていくうちに秩父と笹久保さんのギターの音につながりが生まれてくる。

1月

15

海鳴りの島から

「海鳴りの島から」というBlogをときどき見る。
芥川賞作家目取真俊のBlogだ。
だけど、そこには小説作品の話はほとんど出てこない。
何が書かれているのかというと、辺野古の基地建設反対運動についての日誌が書かれている。
ほぼ毎日、辺野古でどれだけ理不尽なことがなされているかを書き続けている。
読んでいると切なくなる。
なぜ沖縄だけに基地が集中するのか。
なぜ沖縄の人たちが嫌だと訴えても聞き入れてもらえないのか。
「海鳴りの島から」は沖縄のアイデンティティーが見えてくる。
特に、沖縄以外が沖縄に押し付けているアイデンティティーが。
では、東京のアイデンティティーとは何なんだろう?

1月

14

ピタゴラスの数秘術

数秘術というものを以前から噂では聞いていた。
調べるとそれはピタゴラスが発祥らしい。
しかも、その真髄をプラトンが『国家』に書いているという。
調べると面白かった。
http://bit.ly/2tRjLSM

1月

12

武甲山かつての山容

秩父に通うようになった。
はじめて行ったとき、武甲山を見ても何とも思わなかった。
だけど、1970年頃から急激に形を変えたと聞いてなるほどと思う。
かつての山容はもこもこもっこりとして、頼もしい山だった。
現在は山のてっぺんがピラミッドのようになっている。
かつての武甲山の写真を見ると、今の武甲山が痛々しい。
日本三大曳山祭のひとつである秩父夜祭では、いまでも武甲山に向かって祈りを捧げる。
神の住む山が削り取られ続けている。
もこもこもっこりの山の写真を見て慰める。

1月

11

サーキットを走る

かつてサーキットを走ったことがある。
いつもは速度制限があり、安全運転をするのが当然とされているが、いざどれだけ速く走ってもいいとなると、速度の上限は恐怖心との戦いになる。
速度を超過するとカーブが曲がれない。
タイヤをキュルキュルと軋ませながら、タイヤのこげる匂いを嗅ぎながら走る。

1月

10

布団

布団でグースカ眠る。
これに勝るものなし。

1月

9

給湯器

朝、ご飯を炊くのに冷水でお米を研ぐ。
冷たくて手がしびれる。
あまりにも冷たくなったらお湯を出して温める。
お湯がすぐに出るってありがたい。

1月

8

犬のうんちを踏む

小学生のとき、ガキ大将とよく遊んだ。
そのガキ大将はときどき理不尽なことを言うので鬱陶しかったが、喧嘩するのも厄介なので、いい距離で付き合っていた。
あるとき何人かで帰る道すがら、ふざけあっていてつい犬のうんちを踏んでしまった。
ここぞとばかりガキ大将が「エンガチョ」と大声を出して逃げていったのでみんなもそれに従った。
このまま引き下がれば「エンガチョ野郎」に落ち着いてしまう。
ここは攻めるしかないと思い、ガキ大将を追いかけた。
「こっち来るな」といいながら逃げていくガキ大将。
袋小路に追いつめた。
「近寄ったら殴るぞ」というので、「わかった」と言った瞬間、僕は足を蹴り上げた。
靴に付いていたうんちがガキ大将の服や顔に飛んだ。
「お前何やってんだ」といいながらガキ大将は泣き出した。w
いい思い出だ。

1月

7

チュルチュルを思い出す

ふとしたときにチュルチュルを思い出した。
チュルチュルとは、麺類を総称した幼児語で、母がよく幼い僕に「チュルチュル食べましょうね」というふうに使っていた。
先日そばを食べていてそのことを思い出す。
そのときに一緒に思い出したのは、うまく言葉にできない感情だ。
それはずっとチュルチュルだと思っていた幼い僕が、チュルチュルに区別があることを知り、「このチュルチュルはおそば、このチュルチュルはうどん、このチュルチュルはラーメン、このチュルチュルはそうめん」と区別したときのなんとも言えない感情。
このチュルチュルはおそばであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはうどんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはラーメンであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはそうめんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
でも、僕と母さんのあいだにはチュルチュルに関してのたくさんの思い出がある。
しかも、当時の僕はこれほどはっきりした区別が持てず、何だかよくわからないけど何かに引っかかっている感情を感じ、どうしようもないのでどうにもできなかった。
この当時の僕にとっては複雑な思い。
そんな感情を大人になって味わいなおす。
言語化して区別できると「なんだかなぁ」という感情が生まれるが、きっと幼い頃の感情とは少し違うものなのだろう。

1月

6

2019年1月6日の部分日蝕

今日、部分日蝕をひさしぶりに見た。
バリ島で見た2016年3月9日からほぼ3年がたった。
その前が2012年5月20日の金環食。
こんなに短い間に三回も日食が見られるなんて、生まれてはじめてだ。
太陽と月、そして地球の大きさとその距離を考えると、奇跡のような巡り合わせ。
よくこれで重なるなと思う。
宇宙空間で天体たちはどれほど正確に巡っているのかがわかる。

今日撮影した部分日蝕

1月

4

あけましておめでとうございます

新年を言祝ぐ言葉。
言祝ぐは寿ぐであり、事祝ぐことでもある。
日本には祝う言葉があふれていた。
祝うは「いわ・う」であるため神社には大きな岩があることがある。
「細石も巌となりて」と君が代にあるが、実際に成長しつつあった細石が秩父今宮神社に奉納されている。
巌となりつつある細石が現実にあるとはつい数年前まで知りませんでした。
疑う方はご自分の目で確かめてみてください。
見ればなるほどと思うでしょう。