8月

13

横須賀美術館

建物自体が作品のような美術館がいくつもあるが、横須賀美術館もいい。
展示作品は土地にゆかりの作者のものを中心に集めているので、この美術館独特の雰囲気がある。
撮影した写真を編集してスライドショーにしました。

8月

12

チーズの酒粕漬け

銀座三越で「チーズの酒粕漬け」を見つけた。
カリッと焼いたパンの上に載せて食べる。
飲みすぎてはいけないと思っているビールが止まらなくなる。

8月

12

暗渠の上を散歩

近所にある暗渠上の緑道を散歩した。
区域によってデザインが違って面白い。
かつてそこにあった川の存在がほのかに感じられる。
https://www.tsunabuchi.com/hikawadai/200810-01/

8月

12

銀座三越のライオン像

用があって銀座に行った。
三越前を通ると、ライオン像がマスクをしていた。
ユーモアがあっていい。

8月

9

冷やご飯

「冷や飯を食う」というのはあまりいいことではないとされている。
だけど最近、冷や飯を食う機会がない。
電子ジャーのおかげだ。
いつも熱々のご飯が食べられる。
一方で、ないものねだりの僕は、ときどき冷やご飯を思い出す。
幼い頃、電子ジャーがうちにはなく、炊飯器でご飯を炊くと、翌日には冷やご飯になった。
母に「冷やご飯は嫌だな」というと「我慢しなさい」と言われるときもあったが、チャーハンやお茶漬けにしてもらうこともあった。
手間をかけてもらうのが嬉しかった。

8月

8

Magic Mouse 2

Appleの新しいマウスは充電式だが、充電してするときがちょっとおかしい。
マウスの下面に充電用のコネクタがあり、そこにUSBを差して充電するが、そのときマウスが仰向きになる。
普段マウスをそんな状態に置かないので、その様に何かおかしみを感じる。
亀やカブトムシが仰向けになって起きようとしているような感じに見える。

8月

7

新月瞑想会

新月の日に瞑想会をしていたことがある。
環境の良い部屋を借りて、そこで瞑想会をした。
いろんな人が来てくれたが、しばらくして嫌になってやめた。
「なぜ新月に瞑想するのですか?」と聞く人が現れた。
バリ島のニュピがほぼ新月の日だったというのが僕のなかでの理由だが、質問する人はその効用を聞きたがる。
「そんなもの知らん」と答えるのもどうかなと思っていたので、色々と言葉を濁したが、それが嫌だった。
今にして思えば「そんなものは知らん」と答えればよかったと思っている。
「僕がそうしたいから」でもよかった。
でも面白いもので、今ではネット上で「新月 瞑想」と検索すると、いろんな理由を読むことができる。
僕はそれらを「本当か?」と思っている。
新月に瞑想するのは、僕がなんとなく良いと思うから、それだけだ。
自分一人だと新月の日に瞑想をするというのはなかなか難しい。
なおざりになってしまったりする。
そこで、ここで宣言をして新月瞑想を再開することにした。
そもそも『日刊 気持ちいいもの』も、自分一人でこっそりやっていたら長続きはしないなと思って始めたこと。
それと同じだ。
天文学的に最も新月である時間というものがある。
それを調べてその時間に瞑想する。
昼間だったり、深夜だったりすることもあるが、都合が悪くてできない時にはそれを伝えます。
もし一緒にやりたい人はやってみてください。
次の新月は8月19日(水) 11:42 です。
「一人でやるのはなぁ」とか「やり方がわからない」という方には、ネット上でZOOMを利用して誘導瞑想をいたします。
こちらからお申し込みください。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/contact/
題名に「8月19日の新月瞑想に参加希望」と書いてください。
返信いたします。
そこにZOOMのURLや、参加のための手引きなどを書いて送ります。
参加費は無料です。
どんな宗教とも関係ありません。
8月19日(水) 11:42 に瞑想状態でいられるように、11:32から誘導を始めます。
11:30にはご入室ください。
11:30を過ぎるとご入室いただけなくなります。
瞑想は11:50頃には終了し、少しだけ皆さんの感想などを聞き、12:10には閉会します。
「なぜ新月に瞑想するのですか?」という質問はしないでください。w

8月

7

奇跡的なことを信じてみる

奇跡的な話というものを信じないように教え込まれている気がする。
「そうそう都合のいいことは起きない」と思い込まされている。
その思いがあるおかげで詐欺には引っかからない。
一方で、本当の奇跡に接したとき、そのことを素直に喜べなくなる。
よく話を聞いた上で、実際に体験することで、奇跡というものを信じると、何かとてもさっぱりとする。
例えば、清田益章さんに目の前でスプーンの柄を曲げて、ついにはポッキリと折ってもらったことがある。
疑いの目が見ているとモヤモヤするが「そういうものだ」と信じるとすっきりする。
自分の身の回りで起きることも同じ。
「そんなの信じられないよ」と思っている間はモヤモヤするが「そういうものか」と信じるとさっぱりとする。

8月

7

仮説を立てる

言葉が存在するおかげで、仮説を立てることができるようになりました。
もし言葉がないと、仮説は立てられません。
「本当か?」と思う方は、言葉なしで仮説を立ててみてください。
言葉がないと「仮説」という概念すら持ち得ません。
言葉と共に生きることができてよかったと思う。

8月

4

一澤だより

「一澤だより」が届いた。
一澤信三郎帆布のDMだ。
ここのカバンが大好きで、No.03664にその話を書いた。
そのカバン屋さんから創立115年を記念して「一澤だより」というDMが届いた。
「いいごえん(創立115年)」ということで、はじめて作るDMだそうだ。
手作り感満載の12ページ。
信三郎さんはどの写真も登場するのは後ろ姿だけ。
余程照れ臭いのだろうか。
届けてもらって嬉しいDMというのは珍しい。

8月

3

矛盾を受け入れる

毎日のように気持ちいいものを書いていると、自分の中で矛盾していることに気がつく。
そういうとき、かつては外界との関係を考えて正しいと思われるほうを選んでいた。
あるときから矛盾をしばらくそのままにするようにした。
すると居心地が悪かった。
今もときどき居心地が悪いことがある。
でも、それをそのままにしておく。
すると、個性化の扉が見えてきた。
その先はなんだろう?

8月

2

いま僕たちがしていること

いま僕たちは何をしているのだろう?
ただ漫然と生きているわけではない。
自分の視点からだけで見ると、生きていくのに必死なだけだ。
だけど、人類という視点からみると何が見えるのか。
人類はいろんなことをしているから、ひとことなんかでは括れない。
でもあえてざっくりと括ってみる。
人類は心地よい状態を探し求めているのだと思う。
これは個人が「心地よい状態を探し求めている」というのもある。
そして、地域や国も全体としてそれをしているだろう。
結果として人類全体も「心地よい状態を探し求めている」と言ってもいいのではないか。
人によっては「心地よい状態を探し求める」ために他人を踏みつけてもいいと考えている人もいるかもしれない。
でも、その人も「心地よい状態」を得るために「他人を踏みつけなくてもいい」となったら、踏みつけないだろう。
人類は全体として「心地よい状態」を作り上げるためにいろんなことをしている。
ある人は農作物を作り、ある人は魚を捕まえ、ある人はゴミを処理し、ある人は調理をし、ある人はものを考え、ある人は商売をし、ある人は発明をし、ある人は金融に携わり、ある人は国防に関わり、ある人は政治をし、ある人は・・・と、数えきれないような仕事をすることを通して、まずは自分を心地よくし、それを通して人類全体が心地よい状態に向かうように頑張っていると、僕は思う。
人によっては「絶対にそんなことしていない」という人もいるだろう。
それはそれでいい。
ざっくりと括ったのだから。
そして「そうでなければならない」というつもりはない。
「そうなんだろうな」と僕が思っていること。

8月

2

暗黙知の言語化

なんとなくわかってはいるけど、うまく言葉にできないことがある。
例えば、「家」という概念がなかった頃の人間がここにいたとしよう。
現在の家ほど立派なものではないが、動物の「巣」とは何かが違う場所に住んでいる。
「巣」にはたいてい屋根がない。
「屋根を付けた巣」だと表現してみる。
しかし、それもしっくりこない。
「巣」とは何が違うのか考えてみる。
そうだ、「巣」では何世代も同じところに住まないが、僕たちの住む場所は何世代も受け継ぐものだ。
だから「世代を超えた巣」とか言ってみる。
御先祖様がそこにいたし、きっと今もいるかもしれない。
そういう守るべき場所だ。
「屋根を付けた世代を超えた巣」という言葉は不便だ。
「寿限無寿限無」の落語のようになってしまう。
そこでは一緒に住んでいるものみんなが安寧に暮らせるように祈っている。
白川静先生の説によれば、その祈りのために犠牲を捧げ、それを表現したものが「家」という文字になった。
こんなふうにして、自然界に存在しなかった「家」という概念が生まれてきた。
似たようなことを人間は連綿と続け、いろんな概念と言葉を生み出してきた。
みんながなんとなくわかっていることをこうして言語化してきた。
これからも新しい言葉が生まれ続ける。