9月

30

孤独のグルメ

ケーブルテレビで流れている『孤独のグルメ』。
テレビ東京で放映されたものの
再放送をまとめて流している。
一本見るとつい次々と見てしまう。
中毒性のある番組だ。
原作者の久住昌之さんが
美味しそうに食べる
エンディングもいい。
久住さんの演奏するゆるい音楽が
よく似合っている。

9月

28

命の活性化

怖くて近づけないところに
あえていくのは何故か?
という質問に
「命が活性化するからじゃない?」
と答えられた。
「それいいな」と思う。

9月

25

ホモ・デウス

ユヴァル・ノア・ハラリの
『ホモ・デウス』を読んだ。
面白かった。
ただし、未来がかなり悲観的。
そこに書かれていたようなことを
20年以上考え続けてきた。
その内容の一部がここに。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=594
かなりはしょってあるので
理解しにくいかもしれませんけど、
いつかもっと丁寧に書きます。
で、この続きを10月10日に話します。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=672
『ホモ・デウス』で
疑問に残されたことに対して
僕なりの解答を出します。
ただ心配なのは、
説明する時間が足りるのかってこと。

9月

23

卒塔婆小町

Prayers studioのドラマトライアル
「卒塔婆小町」を見た。
主演の小池恵理子の演技が見事で
驚いた。
芝居の中で小池は老婆になったり
鹿鳴館の舞踏会での
噂の美女になったりするのだが、
薄暗い舞台の上で一瞬にして
老婆から美女へ、美女から老婆へと
変化する。
その変化は
衣装や照明で変わるのではなく、
小池の発する声と姿勢で
変化させるのだ。
見事だった。
ここにもう少し詳しく書いた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/180923-01/

9月

22

海におしっこ

広告会社に勤務していたとき、久米島へポスターの撮影に行った。
美人でキュートなキャンペーン・ガールがモデル。
スポンサーとカメラマンとその助手と衣装担当とヘアメークとコーディネーターと一緒に久米島から三十分ほど船で行った小さな島で撮影した。
海は驚くほど透明で、走るボートから10mほど下の岩がそのまま見れる。
ほかの船が通りかかると、海の底と船が一緒に見えて、まるで空中に浮いているかのようだ。
着いた島は木が一本も生えてなく、細長い楕円形。
真ん中が少し高くなっていて、そこに立つと島がすべて見渡せた。
周囲を歩くと数分で元の場所に戻れるような小さな島。
島の真ん中にビーチパラソルを立て、モデルさんの衣装やメークを整えた。
その島で撮影すべき衣装が何着かあった。
それらがすべて終わる前に曇ってしまった。
太陽が出てくるのを待つことになった。
スポンサーと僕は海に入った。
その島に行くのにみんな水着で行くことになっていた。
こんなことなら水中マスクも持ってくればよかった。
海に入ってもマスクがないので魚は見にくい。
すぐに飽きて海から出た。
島の真ん中でしばらく待ったがなかなか太陽が出てこない。
用を足したくなりコーディネーターにどうすればいいか聞いた。
「海でするしかないですね」
仕方ないので海辺に降りた。
島の真ん中の小高いところからキャンペーン・ガールがなんとはなしにこちらを見ている。
立ちションすると丸見えだ。
仕方ないので海に入っておしっこする。
しかし、普段と環境が違うせいかなかなか出てこない。
やっとなんとか出して、知らん顔で小高いところに戻った。
そこからおしっこしたところを見ると心臓が縮み上がった。
きらきらと輝いている海の表面が、おしっこしたところから沖へと向かって乱れた帯のようにゆらゆらと、わずかに輝きを変えている。
おしっこしたのがバレバレだ。
でも、注意して見なければただの海の表面にしか見えない。
あんなに遠くまで帯が届くとは思わなかった。
気づいたかなと思ってドキドキしていると、キャンペーン・ガールがすっと立ち「私も」と言い残して浜に降りていった。
しばらくして、乱れた帯の二本目が、沖に向かって流れて行った。

9月

21

ガラス球の夢

とあることがあり、寝ながら「どうして人は他人の幸せを妬むんだろう」というようなことを考えていた。
するといつの間にか眠ってしまい、面白い夢を見た。

化学の試験を受けていた。
問題は透明なガラス球の表面に書かれていて、それが地球儀のようにくるくる回せる枠に固定されている。
直径が1m弱の大きなものだった。
それが二人一組に渡される。
僕と組んだのは女の子だった。
表面に書かれた問題文を読んでいく。
僕がある面の文章を読んでいるとき、女の子はその裏側の文章を読んでいた。
問題の文章はとても長くて、何が質問なのかなかなかわからなかった。
これが質問かと思うような文章にやっとたどり着いたとき、女の子が問題の書かれたガラスの球をくるりと回した。
「まだ問題読んでんだから回さないでよ」と言ったが、返事がない。
仕方ないのでさっきとは別の面の問題を読み出す。
その問題も長い。
やっと質問を理解しかけたとき、女の子が球をくるりと回す。
「勝手に回すな」と言ったが無視される。
また別の面を読む。
同じことが起きる。
「いい加減にしろよ、解けたのかよ!」というと、「解ける訳ないでしょ」という。
「だったらなんで回すんだ」
「あんたが問題解きそうだからよ」
「お前が解けない、俺が解けないでどうするんだよ」
「私が解けないんだからあんたも解けないようにしてやるんだよ」
「解いたら教えてやるよ」
「教えられたらカンニングでしょう?」
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
そこで目が覚めた。
他人を妬む気持ちが夢に出てきた。
なんかすっきりした。

9月

20

スニーカーを洗う

黒い油が付いて汚れてしまった
白いスニーカーを洗った。
靴用の洗剤に漬け込む。
漂白剤が効いて白くなった。
何度か水ですすいで乾かしている。
履くのが楽しみ。
幼い頃、母が運動靴を
洗ってくれたことを思い出す。

9月

19

涼しい風

秋になると吹いてくる涼しい風。
僕は何度体験したのだろう?
数えきれないほど
涼しい風を体験したはずだけど、
どれひとつとして
はっきりとは覚えていない。
あのとき確か涼しかったくらいに
ぼんやりと覚えている。
とても暑いとか、死ぬほど寒いとか、
そういうつらい思い出は
はっきりとあるのに、
幸せな感覚はぼんやりとしている。
生きているって
そういうことなのかな?
それとも僕がそうなだけなのかな?

9月

17

四角いあんぱん

ひさしぶりに鎌倉に行った。
駅前に鳩サブレーで有名な
豊島屋がある。
いつものように
鳩サブレーを買おうと
お店に入ると
一角になぜか
パン屋さんができていた。
覗くと四角いパンがいくつかある。
気になったので買ってみた。
四角いあんぱん三種類と
四角い焼きそばパン。
うちに帰って食べる。
おいしいというよりは
楽しかった。
四角いから少し食べにくい。
口の開け方も
どこを食べるかによって変わる。
「ンガー」とか「アー」とかいう
雰囲気で四角いパンを食べる。
そういう自分がおかしかった。
お上品にちぎって食べるのが
正解かな。

9月

15

わらびもち

わらびもちをいただいた。
きな粉をまぶしたものと
抹茶ときな粉をまぶしたものの
二種類が、箱の中に収まっていた。
そこに黒蜜をかけて食べる。
歯ごたえグニュー、もぐもぐ。
きな粉にむせ返りそうになる。
口のまわりにきな粉と抹茶が
いっぱいついた。
おいしかった。

9月

14

縄文人の衣服

縄文展を見て以来、
あれらのデザインが気になる。
ネットで「縄文人の衣服」と
検索すると、
いろいろな服が見られるが、
あの火焔型土器や
様々な土偶を見ると
現代にはない奇抜な服を
着ていたように思う。
特に祭祀のときに着ていた服は
どんなものだったのか見てみたい。
知りようがないけど、
土偶から想像すると面白い。

9月

11

地下鉄のエアコン

911から17年。
ニューヨークでは何かあったかな
と調べると、
破壊された地下鉄の
コートラント駅が
再開されたとあった。
なんで17年も使われなかったのか。
しかも驚いたのは
ニューヨーク市地下鉄は
どこの駅にもエアコンがなく、
再開されたコートラント駅が
はじめてのエアコン導入駅
となったとか。
東京の地下鉄には
どこもエアコンが入っていて
良かったと思う。

9月

6

ロバート・ワイズ

1951年に制作された映画
「地球の静止する日」を調べていて
その監督ロバート・ワイズが
「ウエストサイド物語」
「サウンド・オブ・ミュージック」
「アンドロメダ…」
「スタートレック」の
監督もしていたのに驚いた。
みんなそれぞれに作風が違うように感じる。

9月

5

コーヒーモヒート

日差しが強く暑い日に
外を歩いた。
自動販売機で水を買おうとするが、
どこの自販機も売り切れ。
ヘトヘトになって歩いていると
上島珈琲店を見つける。
アイスコーヒーを飲もうかと思うが、
メニューに
コーヒーモヒートを見つける。
ノンアルコールだというので
大きなサイズを頼む。
ゴクゴク飲んでのどの渇きを癒す。

9月

4

縄文の女神

東京国立博物館の特別展
「縄文〜1万年の美の鼓動」に
出品された縄文の女神。
70年代ファションの
パンタロンのようなズボンをはき、
お尻がぐっと突き出ている。
一目見て山本寛斎が
デヴィッド・ボウイのために
デザインした衣装を思い出した。

9月

4

顔面付壺型土器

東京国立博物館の特別展
「縄文〜1万年の美の鼓動」に
顔や、マンガのような人のからだが
付けられた土器があった。
一番驚いたのは土器全体が
からだを現わしていて、
土器の縁に顔があり、
土器の中程に出産で出て来る
赤ちゃんの顔があるというもの。
土器と人体が一体化している。
AIが発達して、
IOTが当たり前になった時、
これらの縄文土器はきっと
しゃべる器として
復活するのではないかと
妄想を抱く。

9月

1

火焔型土器

東京国立博物館の特別展
「縄文〜1万年の美の鼓動」を
見てきた。
一番印象に残ったのは
何点もの火焔型土器である。
あれはいったい何だろう?
ふと思い出したのは
白川静が唱えていた
口(さい)という文字。
正しくは「白川静 サイ」で
検索すると、その形が示される。
祝詞を収める箱のことを言う。
最初は神に伝えたい言葉を書いて、
あそこに入れて
燃やしたのではないかと思った。
でも、縄文時代には
文字は存在しないはず。
そこで、何か呪物を入れて
燃やしたのかなとも思う。
神に捧げる祈りや願いが
あの形に結実したのではないかと。
学者に言わせればこんな空想は
笑い事だろうが、
空想は空想として楽しみたい。