4月

29

泳ぐイメージ

このところ運動不足なので泳ぎたい。
「泳ぎたいよー」と言ったら、相方が「ここで泳げば?」といい、畳の上を指さす。
「畳の上でこうやって泳ぐのかい?」といって、畳にうつぶせて泳ぐ真似をした。
そんなことしねーよ。

4月

29

ブックカバーチャレンジ

FBでブックカバーチャレンジというのが回ってきた。
一日一冊、いい本を紹介しろという。
いい本はたくさんあるので迷う。
迷うのが楽しい。

4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

4月

27

ミニドーナッツ

コンビニでミニドーナッツを買った。
このところ運動してない。
一日椅子に座りっ放し。
血糖値の高い僕が口にするものではない。
でも、ぱくり。
毒ほどうまいものはない。

4月

25

オフライン

たまにはオフラインにする。
デジタル機器を一切持たず、のんびりする。
写真も撮らない、通信もしない、知らない言葉がでてきても検索しない。
AIに追いつくなんてあきらめましょう。

4月

24

チャット

facebookのメッセージでよくチャットする。
何人か同時にチャットしたりして、いくつか重なると笑える状況が生まれることがある。
あっちで話していることとこっちで話していることが矛盾したりして、その中心にいる「自分はいったい何者?」という状態になったりする。
一度にいくつもの話に対処しているときふと「聖徳太子になる訓練」と思う。
これからの人類はAIの処理速度に追いつかなればならない。w

4月

23

近所のレストランからお持ち帰り

近所に馴染みのレストランが何軒かある。
そういうところがこのところのコロナウィルス騒ぎで、営業中止、またはお持ち帰り専門になっている。
普段だったらお持ち帰りはしないけど、お店がなくなったら困るので買いに行く。
お店ごとの工夫があって面白い。

4月

22

陰謀論

大学生の頃、フリーメイソンの本を読んでいたら「それは架空の話で陰謀論だ」と言われた。
ヨーロッパにはかつてあったかもしれないが、日本には関係ないと。
しかし、実際にはきちんとあったことが後年わかる。
いまではあっただけではなく、かなりの数の人がそこに属していることも知られるようになった。
なぜかつてはあれほど隠されて、ないことにされていたのか?
そしてなぜ近年それが明かされるようになったのか?
他にも通貨発行権の話だとか、911の原因についてなど、陰謀論と言われるけど、いわれればいわれるほど、ひょっとしてそこに真実があるのでは?と思わされる。
人間社会にはどこまでいっても秘密の部分が生まれてしまうだろうから、それは仕方ないとして、明かされるべきことはどんどん明らかになっていってほしい。
きっと陰謀論という言葉が必要なくなったとき、世界のパラダイムが変わるんだろう。

4月

22

イージー・リスニング・オーケストラ

僕の子供の頃にはイージー・リスニング・オーケストラが流行っていた。
オーケストラもたくさんあって、
パーシー・フェイス
フランク・プゥルセル
ポール・モーリア
レイモン・ルフェーブル
カラベリ
なんかがいつものようにラジオから流れていた。
楽団ごとに違う同じ曲の別アレンジが楽しめた。
いまでも同じ曲のいろんなアレンジを聞きたいと思うのだけど、かつてのようには楽しめない時代になってしまった。
一度景気がどん底まで落ち込んで、はい上がって来るときに復活するのかな。

4月

22

一緒に料理をする

相方と一緒に料理をすると、かならず言い合いになる。
「その野菜、切ったから焼いて」とか言われる。
僕、「何を作るの?」。
「とにかく焼けばいいの」
「何作るのかわからなければ火加減とか、油は何を引くのかとか、途中で調味料入れるのかとか、わからないだろう」
「面倒なこと言わなくていいの」
「じゃあ網で焼いてもいいの?」
「焼きたかったらどうぞ」
でもこれは、僕を美化して相方をおとしめているかもしれない。
相方の視点で書くとこんな感じかも。
「その野菜、切ったから焼いて」
「何を作るの?」
「(さっき野菜炒め作るって言ったでしょう)とにかく焼けばいいの」
「何作るのかわからなければ火加減とか、油は何を引くのかとか、途中で調味料入れるのかとか、わからないだろう」
[(あなたにまかせられるのは野菜炒めだけだから)面倒なこと言わなくていいの」
「じゃあ網で焼いてもいいの?」
「焼きたかったらどうぞ」
僕が子供の頃に見ていたトムとジェリーが懐かしい。

4月

22

人生も楽しむためにある

「人生は競争だ」と教え込まれてきたように思う。
いい成績を取り、いい学校に行く。
運動会では勝たなくてはならない。
ゲームは勝たなければ意味がない。
勝つためには努力を惜しまない。
それらすべてを楽しみであると捉えられる人はそれでいい。
負けてばかりの人は人生を楽しめないと思い込まされる。
だけど、そうでもない。
些細なことに楽しみを見つければよい。
新型コロナのおかげで、静かに考える時間が多くなった。
些細な楽しみもしみじみ湧いてくる。

4月

22

音楽は楽しむためにある

高校では吹奏楽部にいた。
吹奏楽団の指揮者は楽団の中から学生同士で選んだ。
顧問の先生は音大で指揮を教えていた。
先生が指揮をすると何も言わずとも楽団が見事にまとまった。
その先生に年に一度、夏の合宿のときだけ指揮を教えてもらえた。
歴代の指揮者が自分の指揮と先生の指揮の違いを見せつけられ、何が違うかを学ぶ機会をもらえた。
その先生にこんな質問をしたことがある。
「先生が指揮してコンクール出たら優勝できるんじゃないですか?」
先生は答えた。
「そんなことしたいの? どうしてもというならやってもいいけど、音楽を楽しんだ方がいいんじゃない? みんながそういうなら考えるよ」
僕たちは楽しむことを選んだ。

4月

22

チャンスは来るときに来る

いろんな人がアフター・コロナに備えろという。
でも、具体的にどのように備えれば良いのかはわからない。
トイレット・ペーパーを備蓄する?
違うでしょう。
食べ物の備蓄?
でも、流通が滞らなければ無駄足だよ。
かえって備蓄が理由で市場では不足するかもしれない。
新しい仕事を作る?
どんな?
そうやって焦りや不安に苛まれていく。
もし困ったことが起きたら、それに対処するための仕事を作れば良い。
何が困ったことになるのかわからないうちは、今できることをすること、楽しむこと。
もしきっとこれに困るなと思ったら、その準備をすればいい。
それは、サーフィンで波を待つことに似ているかもしれない。
どんなに騒いでも、どんなに懇願しても、どんなに夢に見ても、波が来るときは来るし、来ないときは来ない。
波が来るというのは、観察していればわかる。
観察を怠らず、波が来たら乗る。
それまでは、いまを楽しみましょう。

4月

22

テレビを消して

本を読む。
コーヒーを淹れて飲む。
お茶を点てる。
誰かと一緒に料理する。
静かに語る。
窓の外を見る。
青空を見上げる。
音楽を聴く。
見たい映画を選んで見る。
ゆったりと呼吸する。

4月

22

日常

乗りたいときに電車に乗り、行きたいときに行きたい場所へ行く。
会いたいときに会いたい人に会い、食べたいときに食べたいものを食べる。
したいときにはくしゃみをし、したいときにはいくらでも咳き込む。
マスクなんか気にせず、友達の正面に座っていつまでもしゃべる。
泳ぎたいときに泳いで、走りたいときに走る。
そういう生活の素晴らしさをしみじみと味わう。

4月

14

新型コロナウィルスにより得られた気づき

人間は地球の環境を搾取してきた。
どんな注意も警句も聞き入れられなかった。
どれほど環境をけがしても、地球は自浄するものとたかをくくっていた。
そのバランスの悪化が新型コロナウィルスを生み出した。
謙虚にことに当る必要がある。
自民党の幹部が「これで持たない企業は潰すから」と発言したことを自民党安藤裕議員が明かした。
安倍首相は昨日の自民党の役員会で「休業に対して補償を行っている国は世界に例がなく、わが国の支援は世界で最も手厚い」と強調したとNHKが報じたが、明らかなウソだ。
ドイツにもイギリスにも休業補償がある。
そんなこと言ってると地球に浄化されるよ。

4月

14

街に行きたい

このところ、新宿も渋谷も池袋も、人出が多くて辟易していた。
それが、新型コロナウィルスのおかげで、街に人がいなくなったという。
人のいない街に出てみたい。
人ごみで先が見えなかった街の、見渡せる心地よさを体験したい。
コロナウィルス感染の危険を冒しても、行くか?
行かない。w
行くならカメラを持っていこう。

4月

14

山椒の葉

うちのベランダで相方が山椒を育てている。
今年も葉が出てきた。
それを拝借して新タケノコを使って木の芽和え。
うますぎて涙出る。

4月

14

イチゴ

スーパーにイチゴが並んでいたので買った。
ケーキに入っているのはときどき食べるが、イチゴを単独で食べるのは今年初だ。
噛むとタネがプツプツとするあの食感がいい。
イチゴの香りと甘酸っぱい味。
うれしい。

4月

10

ZOOM

ZOOMを使って10名ほどでおしゃべりした。
これ楽しいね。
コロナのおかげで直接会えないので、いまの状況にはとっても便利。

4月

9

無意識の働きに気づく

無意識は普段気づくことができない。
「あ、これ無意識だ」と思ったら、それはもう無意識ではない。
だから無意識の議論は難しいし、自分自身の無意識に気づくことも難しい。
だけど、毎日気持ちいいものを書いていると、あとから無意識の働きに気づくことがある。
それは、偶然かもしれないし、シンクロニシティかもしれないが、無意識の働きだと考えることもできる。
たとえば、この「日刊 気持ちいいもの」を再開した日に311が起きた。
偶然ともいえるし、シンクロニシティともいえるし、無意識の働きだともいえる。
同じように、今年に入って、なぜか朝日を浴び続けていた。
天気が良くて朝日がきれいな日に、ベランダに出て、上半身は作務衣一枚で朝日を浴びていた。
なんでそんなことしているのかよくわからなかったが、なんとなく気持ちいいのでしていた。
そしたら、二月後半からコロナ騒ぎだ。
日を浴びるとビタミンDが生成されて、感染症予防に効くらしい。
偶然かもしれないし、シンクロニシティかもしれないし、無意識の働きかもしれないが、僕は無意識の働きだと思い、そういう気づきを与えてくれているサムシンググレートに感謝する。

4月

8

崖っぷちを歩く

生命はいつも崖っぷちを歩く。
安定していたいなら固形物になれば良い。
細胞の膜はぷよぷよで、悪いものがあればすぐに影響されてしまう。
そういう生命だから固形物にはできないことができる。
崖っぷちを歩きたくないなら簡単だ。
死んで固形物になれば良い。

4月

7

寛容であることを学ぶ

これから新型コロナウィルスの検査数を上げていくと、感染者数が増えていくでしょう。
そのとき、感染者を批難するのは間違っています。

慶応大学病院で研修医が集団感染したというニュースがありました。
それに関して批難の言葉が寄せられているようです。
慶応大学が謝罪の言葉を発表するのは当然のことと思いますが、それを他人が批難するのは疑問に思います。

医療従事者はみな、感染の可能性を知りながら、困難に立ち向かっています。

ダイヤモンド・プリンセスから乗客を降ろした時点で、日本国内には新型コロナウィルスが蔓延し始めています。
積極的に検査しなかったため、どこの誰が感染し、どこにウィルスが付着しているのか、正確には知りようがありません。
だから、日本人は誰でも感染の可能性があるのです。
交通機関を使っただけでも感染の可能性があるのですから。
それを知った上で、感染者を批難するのはやめましょう。
感染者はいわば被害者です。
さらにいえば、感染者は抗体を作る可能性を持った人です。
抗体をたくさんの人が持つことができれば、そのとき集団免疫が生まれます。
つまり、感染した人こそが、この状態に対する救世主になりうるのです。
ただし、感染して免疫を得る前は、ウィルスを拡散してしまうので、そのあいだは自宅で静かにしてもらうことが大切です。
感染者に対して寛容でいましょう。
大切なのは、ウィルスをまき散らさないこと。
医療従事者は難しい立場に立たされています。
批難ではなく、応援を。
感染した人には一時も早い回復を祈りましょう。

4月

6

緊急事態宣言

何事もものは考えようです。
「緊急事態宣言のせいで○○できない」と考えるといろいろと辛いでしょうけど、「緊急事態宣言のおかげで○○できる」と言い換えると、案外楽しいかもしれません。
「緊急事態宣言のおかげで自宅勤務できる」とか「急事態宣言のおかげで家でのんびりできる」とか「緊急事態宣言のおかげで自分の生活について振り返ることができる」とか。
なるものは仕方ありません。
気持ちよく過ごせるように工夫しましょう。

4月

6

facebook

このところのコロナ騒ぎで、いろんな情報がfacebook経由で入ってくる。
友人たちがためになるだろうと考えたたり思ったりした情報を流してくれる。
とてもありがたい。
コロナウィルスへの僕たちの対処は、スペイン風邪のときとほとんど変わらないらしい。
黙って静かにして通り過ぎるのを待つしかない。
スペイン風邪が通り過ぎるのに二年かかったそうだ。
一度はやり、落ち着いたかと思ったら二度目の流行があり、二年過ぎてやっと落ち着いたそうだ。
いろんな説はあるけど、結局二年ほど待って、集団免疫を得られれば、それで終わるのだろう。
人工ウィルスで免疫は獲得できないなんて情報もあるけど、それをいくら心配しても免疫は得られないから、心配するだけムダだと思って、手洗い、うがい、人ごみには出かけないなどを徹底させるしかない。
いろんな情報を回してくれるみなさん、どうもありがとう。
僕もいい情報があったら回します。