3月

31

ジーマ・ブルー

ネットフリックスで製作されたデヴィッド・フィンチャーとティム・ミラーによるアンソロジー「ラブ、デス&ロボット」というシリーズがある。
一話が10分程度で気軽に見られるが、どの話もなかなか面白かった。
特に僕が響いたのは「ジーマ・ブルー」という話。
ジーマというアーティストが次第に巨大な作品を作っていく。
そのときに必ず使用するのが「ジーマ・ブルー」と呼ばれる、空にも海にも存在する青い色。
物語の最後で、なぜその色が使われるのかが明かされる。
「小鳥の歌」という霊的な物語を集めた短編集に出てくる塩の人形を思い出した。

3月

31

15円の切符

西武池袋線桜台駅が幼い頃の最寄りの駅だった。
そこから電車に乗ってよく池袋に行った。
小学生になってはじめて切符を買ってもらった。
桜台駅から池袋まで、大人が30円、子供が15円。
15円の切符を握りしめ、池袋に行くのがうれしかった。

3月

31

和菓子

僕が幼い頃、桜台駅前に和菓子店があった。
そこでは毎日職人さんが和菓子を作っていた。
お茶を点てる母に連れられてよく行った。
その頃の和菓子屋さんはどこもお店の工房で作っていたように思う。
上生菓子はひとつひとつ丁寧に形を作る。
あんな繊細な作り物をしていくのは大変だろうと思っていたが、最近はあまり見かけなくなった。
もちろんデパートなんかに行けばあるだろうけど、昔はどこの駅にも一軒や二軒の上生菓子を出す和菓子屋さんがあったように思う。
最近はたいていは店舗だけで、どこかで作って持ってくる。
上生菓子があるお店は珍しくて、お饅頭とかせんべいとか、機械でも作れるようなお菓子が優勢になった。
売り子の背後にある窓から、職人の和菓子を作る姿をひさしぶりに見たい。

3月

31

クロール・平泳ぎ・背泳ぎ

週に何度か泳ぐのに、以前はずっとクロールで泳いでいたが、最近はクロール・平泳ぎ・背泳ぎを100mずつ泳ぐことを繰り返して2000mにする。
背泳ぎはずっと下手糞で、はじめのうちは25m泳ぐとゼイゼイいっていた。
最近は遅いけどスムーズに泳げて疲れはしない程度になってきた。
この三種類の泳ぎ方で泳いでいると、全部息継ぎのタイミングが違うせいか、泳ぐときの感覚が違う。
クロールは楽に泳げるようになったので、多少呼吸が辛くてもなんともない。
背泳ぎは上を向いて泳ぐので、ある程度息継ぎに自由がある。
しかし、そうは言っても、タイミングの悪いときに呼吸すると水を飲んでしまうが、クロールや平泳ぎほどには息をするタイミングが決まってはいない。
平泳ぎはいまのように毎回息継ぎをする競泳の泳ぎ方はしない。
昔、競泳でも息継ぎの回数は決められていなかった。その頃の泳ぎ方だ。
二度に一度は呼吸をするために、上下の動きを加えるが、呼吸しないときはまっすぐ進むようにからだを水面と水平にして掻く。
この三種類で泳いでいると、それぞれの泳ぎ方で気分が違う。
クロールのときは水を感じながら泳ぐ。
からだのまわりに流れる水の圧力を感じながら、楽に泳げるように、水の密度の高いとこを掻くようにしている。それが一番自然にできる。わざわざそのことについて考えない。
背泳ぎのときは、進行方向が見えないので、天井を見ながらどこを泳いでいるのかを確かめる。
水の流れも感じようとするが、まだ有効な掻き方がわかっていないのでからだ全体でそれを探っている。
平泳ぎはわずかな力の入れ加減でバランスが崩れる。
水の抵抗を受けないようにしながら、水の密度の高いところを掻くのはできるのだが、わずかな力の入れようでそれは崩れてしまう。
クロールと背泳ぎは時間がたつにつれて効率よく掻けるようになっていくけど、平泳ぎは時間がたつに連れてバランスを崩しやすくなる。
こういうことを感じながら泳いでいると、三種類の泳ぎ方でそれぞれ違う心持ちが生まれてくる。
どういう心持ちかを表現する言葉は見当たらない。

3月

27

世界政府

コロナウィルス禍によってきっと何かすごいことが起きるのではないかと思っていたが、イギリスの元首相ゴードン・ブラウンが「世界政府を作ろう」と言い出した。
まだ小さな話でしかないが、これがどう広がるのか。
世界政府の中身が問題だけど、話としては面白い。

3月

27

楽しいことを考える

このコロナウィルスの騒動が一件落着し、世の中も平和になったら、きっとどこの誰とでも共通の話題ができる。
「コロナウィルス禍のときどうして過ごしたか」
911のときのように泣き笑いの話になる。

3月

25

美しさの奥行き

昨日の記事に「美しさの奥行き」と書いた。
それがいったい何か。
『ヒーリング・ライティング』に書いたように、区別はつければつけるほど新しい区別が生まれる。
美しさも同じ。
ある美しさを見つけたら、その美しさを認識することではじめて見える別の美しさがある。
言葉はそのような区別を見つけて定着させるための素晴らしい道具。

3月

25

桜が咲く

また今年も桜が咲き出した。
そうするとカメラを持ち出しパシャパシャ撮り始める。
もう飽きるほどに撮ったのに、それでもまだ撮る。
撮れば撮るほど、美しさの奥行きが広がる。

3月

23

大規模な妄想

911は米国の政府と軍が先導した陰謀によるものだという説があるが、もし今回のコロナウィルスが陰謀だとしたら、どうしたらそれが可能かを考える。
考えることがたくさんあって、暇つぶしにはいい。

3月

23

おせっかいなおばあさん

相方と散歩がてらランチを食べに出かけた。
何年も前に相方がカナダに旅行したとき、お土産でフリースのベストをくれた。
ひさしぶりにそれをお揃いで着て出かけた。
裏道をふらふらとのんびり歩いていると、マスクをしたおばあさんが向こう側から歩いてきて、すれ違い様に「仲良しね、一緒の服着て」と言って歩き去っていった。
思わず笑ってしまった。
「昔はああいうおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいたね」
相方も「そうそう」という。
「私が膝上くらいのミニをはいていたら、『寒くないの』ってよくいわれた」
昔はそういう老人が多かった。
僕も冬に半ズボンをはいていると「元気でいいね」と何度か言われた。
いまはそういう人にはほとんど会わない。
僕が大人になったから話しかけにくくなったというのもあるだろう。
でも、年配の人が見知らぬ子供に話かけるというのは、以前より減ったのではないだろうか。
おせっかいなおばあさんに話しかけられ、ちょっとうれしかった。

3月

23

英国の対処

17日にジョンソン英国首相が感染封じ込めをあきらめて、集団免疫効果を目指すと発表した。
病気のピークを長期にわたって引き伸ばし、社会が対処できるようにするという。
結局これは、ほぼ結果的に日本がしていることと同じだ。
日本はそうなってしまった。
英国は意図的にそれを目指した。
しかし、そののちの経緯を見て、ジョンソン首相はあちこちを封鎖し始めている。
様子をきちんと見て、対処法を変えているようだ。
日本はいったいどうなのかな?

3月

23

怒りの声

藤井聡京都大学大学院教授は311後に「日本強靭化計画」というのを発表した。
僕はその話をたまたま参加した衆議院議員第一議員会館での勉強会で聞いた。
それが実際に内閣に取り上げられ「国土強靭化基本計画」という名前となった。
その藤井教授が、いまの政治家に対して「なんのために政治家を志したんですか」と憤っている。
こちらの映像で。
https://youtu.be/q3KcdJhBMb8
それを聞いて気持ちが落ち着いた。

3月

23

こういう国

まずは宣言することにした。
こんな状況で気持ちいいものなんか思いつかないよ。
コロナウィルスが蔓延し、各国が閉鎖され、消費前増税で景気が悪かったのに、そこにさらにコロナウィルスの影響で不景気になる。
朝日新聞の記者、青木美希さんが記者を辞めさせられた。
かつてNHKの記者だったがさらにスクープを出しそうなために閑職に回されそうになった相澤冬樹記者がNHKを辞めて大阪日日新聞の記者になり、森友学園の事件の関連で自殺してしまった近畿財務局の赤木俊夫さんの手記(遺言)を発表したにもかかわらず、麻生財務大臣も安倍首相も調査はしないという。
日本はこういう国だったのか。
書いて清々した。

3月

18

気持ちいいを引き寄せる

ひさしぶりにこの『日刊 気持ちいいもの』を再開した日、東日本大震災が起きました。
朝に創刊号を発信し、昼過ぎに大地震が起きたのです。
それから数ヶ月は苦痛や困難を感じながら「気持ちいいもの」を発信しました。
とてもいい修行でした。
いまもまた似た状態になってきました。
何か大きな発見があるのかも。

3月

17

気持ちいいものを言語化する

花を見てきれいだなと思う。
よくあることだ。
だけど、悲しみに沈み込んでいては、花の美しさは見えてこない。
あまりにも浮かれていても、きっとその美しさは訴えてこない。
花を見てきれいだと思える状態に自分がなっていないと、花の美しさはわからない。
同じように、この世界にあるありとあらゆるものの気持ちよさは、自分がそれを受け取れる状態にないと受け取れない。
4084回も気持ちいいものを書いてきて、それがどういうことなのかを少しずつ理解してきた。
ときどき気持ちいいものが書けないことがある。
そのときに一番深く学んでいる。
気持ちいいものが感じられないとき、不快かというとそうでもない。
何かショックなことがあると書けないことがある。
しかし、ショックもなく、不快でもなく、それでも書けないときがある。
書けるときは、心のどこかに「書ける」というビジョンがある。
ビジョンというか、思い込みというか、信念というか、そういうものだ。
それは心に火がついた状態ともいえるし、ワクワク感ともいえるけど、ときによって少しずつ違い、とても落ち着いた気分でも書けることがあるし、不快という気持ちを抱えて書くときもある。
それがいったいどういう状態なのか、そのときどきで味わいながら書いている。
いろんな気持ちのよさがあるのと同様、いろんな状態がある。

1.気持ちよい体験を思い出すことによって書く。
2.気になった感覚を気持ちよいという側面から書く。
3.気持ちいい感覚がここにありそうだと当たりを付けて、それを気持ちいいものとして書く。
4.それが気持ちいいかどうかまったく疑問ではあるが、表現することによって気持ちよさが表れてくる感触があるので書いてみる。

こうして僕は「気持ちいいもの」に対しての目の開き方を学んでいる。

3月

16

意味のプリズム

あらゆる意味を僕たちは手にしている。
そのこと自体を思い出せばいいだけ。
今日、このとき、今の自分の立場によって呼び出される、いま見ている景色、解釈、意味。
それはまるでプリズムを通した光のように、自動的にもたらされる意味の無限色。
いまここで感じることは「今これしかない」と教え込まれてきた僕たちには、無限色のうちのひとつしか見ることができない。
時空を超えて光を見るためには、ちょっと工夫があればいい。
それを得た人は執着を手放し、別の世界に旅立つ。
いままでと同じに生きたい人は、そうすればいい。
別の未知に往きたい人はそうすればいいし、また別の道に逝きたい人はそうすればいい。
この宇宙での正しさは、音楽のように意味が曖昧。
それぞれの正しさがあっていい。
それは「正さ」というより「美しさ」と言った方がいいのかもしれない。
魅せられた人には絶対的な美しさになり、波長の合わない人にはまったく理解できない。

3月

16

新しい幻想を作る

幻想を手放そうと考えると、別の幻想が現れるだけ。
西遊記の孫悟空が、お釈迦様の手のひらから逃げられないのと同じ。
エリアーデの『世界宗教史』を何度か通読した。
そこで伝えられる大切なことのひとつ。
まったく新しい教えというものはほとんど流布しない。
必ずその時代に通底する教えがある上に、少しだけ新しい部分がある教えがあるとき爆発的に流布する。
きっと僕たちが手にする新しい幻想も、すでにある教えに似ているもの。
そして、どこかわずかにこの時代にフィットする新しい部分がある。

3月

16

幻想を手放す

幻想を手放すことにした。
そのためには、まず幻想とは何かを知らなければならない。
そう考えると、言葉で考えること自体が幻想であることに気づく。
言葉はそう簡単には手放せない。
どうする?
なんか笑える。

3月

13

コーヒーを淹れる

生まれてこの方、何回コーヒーを淹れたんだろう?
何百回ではきかない。
きっと何千回のオーダー。
毎日淹れたとして30年続けていたらと考えると、そろそろ一万回に近づいているかも。
大学生くらいまではインスタントコーヒーだったけど、就職してからはほぼ豆から淹れている。
そう考えると一万回になったかもな。
サイフォンはいちいち洗うのが面倒なので、ほぼいつもドリップで楽しむ。
最後にサイフォンで淹れたのはいつだろう?
10年くらい前かな。
こう書くと、ひさしぶりにサイフォンで淹れてみたくなる。
あのポコポコという音がいいよね。
サイフォンで淹れたのは数十回程度かな。
それ以外、ほぼいつもドリップ。
かつて実家には挽いた豆をセットすれば自動でコーヒーを淹れる簡単なマシンがあった。
懐かしいな。
今は手で淹れる。
挽き立ての豆にお湯を落とすと、フワッと豆が盛り上がるのがいい。
香りもたつ。
かつて母さんは僕がコーヒーを淹れると喜んでくれた。
だけど基本的にはコーヒーを好まなかった。
飲むときは胃にやさしいと言って牛乳を入れた。
僕も何杯も飲む時はその教えを守っている。
いまは相方に淹れている。
相方も喜んでくれるが、牛乳を好まないので僕のように何杯もは飲まない。

3月

12

山椒の葉っぱ

外は次第に温かくなり、桜は咲き、ベランダの山椒の木に小さな葉っぱが出てきた。
春だよ。
そろそろ自分の頭からあの言葉をはずしてもいいコロナ。
おお、はずれない。笑

3月

11

慈雨のように

草原のきれいなリゾートで、友人たちと一緒に遊んだ。
ちょうどいま、『デカメロン』を読んでいることが影響しているかもしれない。
互いに自分の人生がどうなっていくのか、想像して語るという遊びをしている。
自分の寿命を想定して、それプラス20〜30%先の話まで作る。
たとえば、自分の寿命が100歳ならば、その20年後、30年後はどうなっているかを最後に語る。
草原を見つめてどういう話をしようかと皆が考えているとき、ある友人が「お茶を下さい」と言った。
僕は急須のお茶を注ぎながら「このお茶が春の慈雨のようにあなたの心を満たしますように」と言った。
そこで目覚まし時計が鳴って、目が覚めた。

3月

10

味の濃い蕗味噌

相方が蕗味噌を作ってくれた。
が、食べさせてもらう前に「失敗した。砂糖と塩を間違えて、塩をたくさんいれたので、そのあとで砂糖をさらにたくさんいれた。味が濃すぎる」という。
食べて見るとあまり気にならない。
確かに味が濃いが、ふきの香りもちゃんとして、食べるときに量を少なめにすればおいしく食べられる。
ところが、食べるたびに「味濃いでしょう」と隣で言う。
落ち着かないので、相方がいないときに静かに楽しむ。

3月

10

萌音と萌歌

ちょっと前に相方が、ケーブルテレビで『義母と娘のブルース』を一気見していた。
「なにそれ?」と隣で一緒に見たら、面白くて止まらなくなってしまった。
そのドラマで娘役をしていた「上白石なんとか」のことをそのドラマで覚えた。
それ以来、ときどきテレビに出てくると、「あ、あの女の子だ」と思い出すのだが、「ん? とても似ているけどちょっと違う。整形でもしたの?」と思うことがあって、でも、また別のときに見かけるともとの顔に戻っていたりして、「なんだろう?」と思っていた。
「上白石なんとか」の、「なんとか」の部分もときどき違っているような気がして、検索してなるほどと思う。
姉妹がそっくりなんだね。
知りませんでした。

3月

8

サテン・ドール

マッコイ・タイナーと聞いてすぐに思い出すのが、『バラードとブルースの夜』に収められた「サテン・ドール」。
ジャズピアノで「サテン・ドール」を習ったとき、「お手本として聞くのは誰の演奏がいいか?」という質問に先生が教えてくれたもの。
「こうやるとモード奏法っぽくていいよ」と、コードとスケールの考え方から離れられない僕に、単一コードが指定されている小節の中にいくつもの違う和音をぶち込んだ演奏を教えてくれた。
「そんなことやっていいんですか?」という、ジャズの考え方からすればまったくとんちんかんな僕に「かっこよく聞こえれば何をしてもいいんだよ」という、めまいがする名言をいただいた。
他のアルバムではマッコイ・タイナ−はどんどんモダンジャズっぽくなっていったが、そういうのももちろんいいけど、僕にはデビュー三作目の「サテン・ドール」が、思い出とともに沁みる演奏だった。

3月

7

ふれあいの里のたくあん

近所にJAの総合園芸センター「ふれあいの里」がある。
そこでは練馬で作られた野菜や花が売られているが、ときどきこれはすごいというものが売り出される。
最近感激したのがたくあんだ。
普段は化学調味料が入っている、どこにでも売っているようなたくあんが売られているのだが、この前見つけたたくあんは、大根丸ごと一本が抱えるほどの大きなパックに入れられて、原材料には大根、糠、塩、昆布、鷹の爪、柿の皮、鰹節と書かれていた。
これは絶対おいしいだろうと思い買った。
うちに帰って糠を落とし、切って食べるとうまい。
懐かしいたくあんの味。
うますぎるのでご飯とこのたくあんだけでも幸せ。
ビールのつまみにもいい。