2月

29

スピリチュアルなこと

幼い頃から科学的に考えることが好きだった。
一生懸命理屈を追いかけた。
そうやって理系の大学に入った。
だけど、自分の気持ちというものは科学的には動かない。
なぜこんなことを僕はしたいのだろう?
なぜあの人が気になって仕方ないのだろう?
なぜ僕はここにいて、あんな方向に進もうとしているのだろう?
こういう疑問はちっとも科学的ではない。
スピリチュアルというものに向き合ったとき、いろんな理屈があることを知った。
もちろんカルトもある。
商業主義的なスピリチュアルも存在する。
なんだかまったく訳のわからないものもある。
そして僕はいろんな不思議なものに出会い、自分の道を進んでいる。
自分の道は未知である。
それを許容するしかない。

2月

28

前世でしてたこと

そもそも前世というものが本当にあるかどうかわからないが、あるとしたらきっとこれをやっていただろうなと思うことがある。
それは、写本だ。
文章を書き写していくだけの単純な作業だが、引用などでそれをしているとなぜか落ち着く。
しかも、幼い頃に兄がどこかから買ってきたレタリングの本に夢中になった。
百種類程度の異なる字体で書かれたアルファベットが、ただ羅列されているだけの本。
そこの字体を真似てみたり、参考にして自分なりの字体を作ったりもした。
当時はただ面白いからとやっていたけど、大人になって「なんでそんなことに夢中になっていたのだろう?」と思うようになって、そうか前世でしていたのかもと思うようになった。
科学的に本当のことではないけれど、僕の心に馴染むことなので、きっと本当のことだ。

2月

27

切断

コリーヌ・セロー監督の映画「美しき緑の星」に「切断」という概念が出てくる。
どこか平和な星からやってきた主人公が地球で「切断」と宣言すると、そこにいた人たちは地球の文化から解き放たれて、生命が本来持つ輝きを発し始める。
たとえば、コンサートで奏者たちが切断されると、そこから演奏は即興となり、居合わせた人がみんな踊りだす。
サッカー会場で切断されると、選手たちがその場で踊ったり、ボールを手で持って走ったり、大はしゃぎする。
何か思い込みがとても激しい人が切断されると、その人は生き生きとし始める。
無理に切断することもないけど、たまには切断するのもいいかも。

2月

26

サイト復活

サイトを暗号化しているので、その更新作業を数日前にしたのだが、手続きをどこか間違ってしまった。
おかげでサイトが数日閲覧できなかった。
以前はサイトが閲覧不可になるとかなり気になったが、25年もサイト運営していると「まあそういうこともある」とあわてずにすむようになった。
いまは見れますよ。

2月

26

COVID-19

COVID-19のおかげで日本は狂乱状態一歩手前のようだ。
こういうときこそ落ち着かなければならないと思う。
COVID-19は確かにいままでのウィルスとは何かが大きく違う。
死亡率が低いと言われるが、なぜか検疫を厳重にしようとした。
検疫を厳重にしようとしたのになぜかダイヤモンド・プリンセスでの対応は間違っていたと言われる。
安倍内閣のシンパだといわれた百田氏や高須氏も、ウィルス感染者への対応は間違っているとtwitter上で言い出した。
政府は重症患者であふれることを予測しているからこそ、病院での対応を厳しくして、ウィルスの検査を軽症者には認めないようにしている。
電通では社員が感染したことを発表し、本社ビルに勤務する5,000人をテレワークに切り替えることを発表した。
大企業でこのような対応は日本では最初になる。
いままでにはあり得ないことが多い。
これは何のサインなのかな?

2月

26

変化

夢の話をFBに書いたら、友人が「僕も最近よく夢を見るようになった」という。
何かが変化しつつあるのかも。
その何かは、集合無意識に関わる何か。

2月

26

武士の心

昔、こんな話を聞いたことがある。
切腹を決めた武士が前夜すやすやと眠っているのを見て、切腹の朝、息子が聞いた。
「父上、本日切腹の儀、恐ろしくはないのですか」
「切腹するまではなんの恐ろしいこともない。いまは朝ご飯がおいしいだけだ」

2月

26

気づきのための夢

またしても不思議な夢を見た。
目の前に、それぞれが半透明のようにして、二つの出来事が同時進行して、それぞれに対応している僕がいた。
二つの出来事を正確には覚えていない。
だけどそれに対応している実感があった。
夢だから、そうなのかと受け止めるしかない。
そこで目が覚めた。
トイレにこもって何の夢だったのか考える。
ふつふつと浮上してくる意味。
ある過去と、ある未来を一度に見ていたのだなと思う。
過去も未来も「いま思い浮かべている」という等価なものであることを確認するために。
多次元に生き始めると愛することが当たり前になるという。
いま愛をもって過去を見ると、いまの行動が愛とともに現れる。
同じ過去をもし憎しみや怒りをもって見ると、いまの行動が残酷になる。
どちらを選ぶか。
いま愛をもって未来を見ると、いまの行動が愛とともに現れる。
同じ未来をもし憎しみや怒りをもって見ると、いまの行動が残酷になる。
どちらを選ぶか。
いまの心のありようが、過去にも未来にも影響する。
過去も未来も心にあるから。
愛とは、関わり合う全ての存在をありのままにしてその力を引き出すような、高度な組織化を助ける力。
その力を言葉ではほとんど説明できない。
生命体の機能をすべて言葉で表現できないのと同じ。
あらゆることが同時に起き、かつ時間が異なれば起きることも常に変化する。
それらすべてを言葉で追跡することはできない。
でも、愛する心は、不可能を可能にしようとさまよう。
言葉を多次元に表現する術を得る日、言葉の概念が一新され、それは可能になる。

2月

21

死にたくなること

ときどき死にたくなる。
とんでもない失敗をしてしまったとか、誰かに責められたとか、借金が返せないとか、したいことができないとか、誰かに裏切られたとか、病気になってしまったとか、大切な集まりに遅刻してしまったとか、いつまでたっても仕事が終わらないとか、うっかりくだらない答弁をしている国会中継を見てしまったとか、あと20年生きるとしてたった2万回程度しかない食事の機会にまずいものを食べてしまったとか、楽しみにしていた集会がコロナウィルスのせいで中止になったとか、可愛いあの子に会えなくなったとか、、、
生きているという本質に関係ない、まったくどうでもいいこと悩むなぁと考えたあと、攻めに転じる。
死んだら何にも感じられなくなる。
どうせならもっと苦しんでやろう、悲しもう、悔しがろう。
どたばたじたばたしたあとで、楽しいこと、うれしいこともあるだろう。
それを感じるためには生きていなければならない。
死にたくなるようなことは、そのためのいいスパイスだ。

2月

20

儀式の夢

曇天の空の下、木の枝で十字架を作り、牛の頭蓋骨をそこにかける。
大麻で布を織り、白い服を作って着る。
不思議な音階の石の笛を誰かが吹いている。
その音は、からだの各部に響いて震える。
大きな火を焚く。
葦のような植物性の細い管に、細かく削った骨、トウモロコシ、麦、コメなどを入れ、焚き火の中に刺して立たせる。
しばらくすると熱せられた管から中身が空へと吹き上げられる。
そこで目が覚めた。
いったい何の夢だろう。
感じてみると、COVID-19を無毒化するための儀式だったようだ。

2月

20

岩田健太郎氏

昨日公開されたYouTubeで、ダイヤモンド・プリンセス内のCOVID-19の検疫状態を告発した、神戸大学病院感染症内科の岩田健太郎先生。
一日にして英雄となる。
よくぞ内容を公開してくれました。

2月

20

のし梅

相方が「のし梅」というお菓子を買ってきた。
「のし梅食べる?」というので、「なにそれ?」というと、「知らないの? 昔からあるお菓子よ」といわれたあとで、「ようちゃんっていろんなこと知っているけど、こんなこと知らないんだってこと知らないわよね」という。
そりゃ当然だろ、世界中のことくまなく知っている訳じゃないと思いながら、「幼い頃から食べてたの?」と聞くと、「いいや」。
あれ?と思って、「いつからそのお菓子を知っているの?」と聞いた答えが衝撃的だった。
「去年テレビで見て知った」

2月

20

ざわちんのメーク

インスタグラムに変わったマスクの写真があったので、相方に見せた。
相方がふとこんなことを洩らした。
「ざわちんがさ、似たことしてた。マスクすると有名人に見えるの。たとえば綾瀬はるかとかさ」
僕はてっきりこういうことかと思って話した。
「そのマスクすると僕の口元が綾瀬はるかになるの? 目が僕で、口が綾瀬はるかじゃ気持ち悪いな」
すると相方大笑い。
「違う、マスクをするとまるで綾瀬はるかがマスクしているように見える目元のメークをするの」
先にきちんとそう言ってよ。

2月

19

ドラえもんのポケット

相方が、普段持ち歩いている鞄の中身が多くて重いと嘆いていた。
「いらないもの出せばいいじゃないか」と言ったところ、「非常時に備えて必要なものを入れているの。あなただってその恩恵にあずかっているでしょう」という。
ちょっと怒りが混じっていたようなのでガス抜き。
「ドラえもんのポケットのように異次元に荷物を全部置いておければいいね」と言ったら笑われた。
メデタシメデタシ。

2月

19

プールバー

最近では見かけなくなったプールバー。
かつてバブル真っ盛りの頃、夜の街にはプールバーがあったものだ。
バーボンのロックを小さなテーブルにおいて、白い玉をつき、順番を待つうちにすする。
ビリヤード台にかぶさるように屈み、指を立て、キューを突き出す色気と、ゲームの楽しさに浸った。
酒を飲みながら玉を突くあの音をまたいつかどこかで楽しみたい。

2月

14

美保関隕石と直方隕石

初夢会で面白い話を聞いた。
ある参加者がバイクでツーリング中に、美保関隕石の碑を見つけたのだそうだ。
美保関隕石とは、1994年12月10日に島根県八東郡美保関町にある民家に隕石が落ちた、その隕石の名前だ。
その碑にはもうひとつ直方隕石という隕石の説明も書かれていた。
直方隕石は861年5月19日、当時の暦では貞観3年4月7日に、福岡県直方市の須賀神社に落ちたそうだ。
直方隕石は世界最古の落下目撃隕石だそうだ。
このふたつの隕石は岩石鉱物学的な観察から、同じ母体のしかもすぐ近くから飛んで来たはずだということがわかった。
火星と木星のあいだにある小惑星帯から来たらしいと言われるが、もしそうだとしたら、いったいどういう意味のあることなのか?
あんなに遠いところから、その距離に比すればほぼ一点ともいえるような場所に、1130年を隔てて、ほぼ同じ隕石が落ちる。
しかも、地球は公転と自転をしているし、小惑星帯も違う速度で太陽のまわりを回っているはずだ。
いったいどういうことだろう?
須賀神社ではその隕石が保存されていて、五年に一度の神幸大祭でそれが公開される。
次の神幸大祭は2021年10月らしい。

2月

14

吊るされた板の夢

ときどき不思議な夢を見る。
アクリルかプラスチックでできたような、三角形や四角形の板が、それぞれ頂点の部分がヒモに吊るされていて、それがクルクルと回ったり飛んだりしている。
かなりな枚数あるのだが、それらがなぜかスムーズに動き回っている。
普通であればそれぞれのヒモが交差して、こんがらがってしまうだろうと思うのに、理由がわからないがそれぞれきれいに飛んだり回ったりしている。
いったい何の夢なのか?
「初夢会」というところでその夢の絵を描いた。
絵を描いて、その夢の説明をし、講師にアドバイスをもらうのだが、一緒に参加している人が勝手に「私はこう思った」みたいなことも言う。
別の人が指名されて答えていた。
「この夢はきっと、起きていたときに必死に悩んで、答えが出ないと苦しんでいたので、その答えが夢に出てきたのだと思います」
その人の話を聞いているとき、僕も同じ体験があるなと思っていたら、ふと答えが出てきてしまった。
夢の中では不思議なことが起こる。
いくら論理を追いかけても出てこない答えが、ポコッと出てくることがある。
答えを知ると「なるほど」と思うが、どうしてそんな答えが導きだされるのかわからない。
状況を全体的に把握しないと答えは出ないようなことの答えが出てくる。
この前日に、ある人と話をしていて「レンマ学」という本の話になった。
レンマとは、ロゴスとの対概念である。
ロゴスは論理を言語的、一次元的に追いかけていくこと。
レンマは、全体的な把握から理解していくこと。
夢はレンマ的であると思ったのだ。
すると、板の夢の意味が浮上した。
四次元以上の空間を移動しているものを、四次元の視点で見るとどうなるのか。

2月

12

チーターの狩り

ケニアの草原でチーターの親子を見た。
三頭ほどの子供と母親。
母親はガゼルを追って走り出す。
乾いた土の上を走るので、ものすごい速度で土煙が上がっていく。
草原を駆け回る土煙。
子供達は顔をあげてその様を見つめる。
チーターは、足は速いが力はあまりない。
相手が草食動物でも、狩りは楽ではない。
僕が見ていた狩りは空振りに終わった。
子供達のもとに戻ってきて、肩を落とす母チーター。

2月

11

蟻地獄

幼い頃、近所の農家の庭にあった物置の壁沿いに、蟻地獄がいた。
はじめて見た蟻地獄に興奮した。
蟻をつかまえてきては蟻地獄の巣に落としてみる。
逆円錐形の蟻地獄の巣は、蟻が入ると登れない。
上がろうとして足掻けば足掻くほど下に落ちていく。
円錐形の中心に届くちょっと前で、蟻地獄が砂をパッとかける。
蟻はそれでももがいて上がろうとするが、二度三度と同じことを繰り返して、力つきて巣の中心にいる蟻地獄に捉えられる。
その様を見て興奮し、もう一度と別の蟻をつかまえてくる。
気がつくと、僕たちは蚊にたくさん刺されていた。

2月

10

亀塚古墳

古墳に興味を持つようになったのは、亀塚古墳に行ったから。
大分県大分市、丹生川の別府湾に注ぐ河口近くにある。
全長116m、後円部の直径64m、前方部の長さ52m、高さが後円部で10mという立派な古墳が、平成に入ってから復元された。
葺石で覆われた美しい墳丘に前方部から後円部まで登ることができる。
一番高い後円部に登ると、別府湾が見下ろせる。
たまたま行った日が「海部のまつり」の日で、古代衣装をまとった女性たちが、男性の楽士たちを引き連れ、たおやかな舞いを披露しながら古墳のまわりを歩いていた。

2月

10

大阪歴史博物館

2001年に完成した大阪歴史博物館へ十数年前に行った。
何も知らずに館内に入り、10階に行く。
そこでは飛鳥時代・奈良時代の宮殿内が再現されていて、その説明のための映像が流されていた。
フムフムと思いながら見ていると、最後にCGで再現された難波宮が登場し、その建物内部から視点は建物の外に出て俯瞰となり、建物全体が映し出されると、目の前のスクリーンが窓に変わり、博物館から見下ろす土地にその建物があったことが示される。
そこからは実際の難波宮太極殿跡が見下ろせた。
博物館の映像でビックリした珍しい体験だった。

2月

8

ホケノ山古墳

大神神社に参拝に行ったとき、立ち寄った古墳。
箸墓古墳のすぐそばにある。
さほど大きくないし、登れるようだったので登っていった。
小高い丘となっていて、周囲をぐるりと見回すと、いくつかの古墳らしき丘が見える。
とても気持ちがいいので相方がそこで踊りだした。
両手を広げて「アー」っていいながらクルクル回った。
隣にいて思わず笑った。

2月

8

古墳時代の謎

日本中に16万基もの古墳を造ったという古墳時代。
そんなにお墓を造ってどうするんだろうと思っていたら、とても合理的な説明をしている人がいた。
小名木善行という人。
こんな説明をしている。
「古墳時代と言われている頃に水田がたくさん造られました。
 水田は水路を確保するために水平な土地をたくさん造ります。
 そのために掘り起こされた土がたくさん出る。
 それを積んでおいたのが古墳になったのです。
 あるときから水田の規模が大きくなったので、大きな水田を造ったリーダーを祀るために、大きな古墳の頂上に葬るようになったのでしょう。
 しかも、水害が起きたときには古墳の高さが役に立ちます。
 避難所になるのです。
 そうやって水田技術が広まると同時に古墳も広まっていったのです。
 それが400年するとピタッとなくなるのは、水路が完備して、土砂を一カ所に溜めておく必要がなくなったからではないですか?」
日本中に16万基ものお墓を造り続けたという話よりは、こちらのほうが腑に落ちる。

2月

8

バタン・ワル

ウブド王宮からサッカー球技場に向かって歩いていく。
球技場の手前の角を左に曲がり、坂を降りていくと、降り切った左側にバタン・ワルがある。
ウブドに行くと一度は寄りたいカフェ。
たいてい混んでいるが、入る余地はいつもある。
何がいいのかはっきりは言えない。
とてもおいしいという訳ではないが、そこそこおいしい。
一番は、居心地がいいのかな。
バリらしい騒音も心地よい。
壁にかかっている絵も好み。

2月

8

インターネットで変化したこと

インターネットというメディアのおかげで世界は変わった。
変化の最中にいる人々はほとんどそれに気づかない。
どこの誰かわからない人の文章より、親しい友人たちの文章に愛着を感じる。
誰か他人の文章に感心するより、自分の文章の腕を上げたい。
記録に残るから仕事の指示はすべてメールでする。
気軽に写真や映像を撮影する。
そうやって、PCやスマホに釘付け。