8月

31

さよなら夏の日

今年も夏が終わる。
すでに五十数回夏を越えてきた。
もうすぐ秋が来て、冬が来る。
毎回まったく違う夏なのに、夏と名付けたことによって同じものが毎年来るかのような錯覚を起こす。
今年の夏はどんな夏だったのか。
いまはただ耳を澄ますのみ。

8月

30

複雑なこと

善意でしてあげたことでも、相手は「押し付けられた」と思うかもしれない。
意地悪でしたことを相手は「うれしい」と思うかもしれない。
たまたましてあげたことを相手は「鬱陶しい」と思うかもしれないし、「うれしい」と思うかもしれない。
一対一ならこういうことはまだ理解できる。
しかし、多人数対多人数のやりとりは複雑すぎて話にならない。
あるグルーブが別のグループに何かをしてあげる。
1グループの人によっては善意だったり、悪意だったり、「面倒だからしなくてもいい」と思っていたりもするのだろうが、そのグループの代表のような人が「善意だ」と宣言すると、それは善意でやったことになる。
一方で、何かをしてもらった2グループには1グループからしてもらったことを「ありがとう」と思う人がいれば、「嫌みだ」と思う人もいて、「面倒なことをするな」と思う人もいるが、2グループの代表が「ありがとう」と言えば、それが2グループの代表的な意見となる。
しかし、互いのグループの中にはいろんな思いの人がいて、代表が変わるとそのグループの思いも変わったかのような状態になる。
ここいらのゴタゴタを人間はあまり丁寧に考えない。
「グループの意見」とか「かつてからの認識」とか言って、いくつもある解釈のひとつだけを強調して取り出すから複雑度が増す。
複雑なことをそのまま取り上げることはできないのかな?
いまのところ難しそうだ。
もし可能になったら?
楽しいかもって思えるかな?
能率ばかりで考えるとそんなことはできないと思うけど、好きな人たちと意見交換がたくさんできると思えれば、楽しいかも。
「1グループのAさんはこういう意見、Bさんはこういう意見、Cさんはこういう意見。2グループのxさんはこういう意見、yさんはこういう意見、zさんはこういう意見」
こういうのを全部言い合い、聞き取ったら、みんなが「なるほどそういう考え方もあるのか」となるのでは?
それで、最善の策はどんなものかをみんなで考える。
時間がかかるので能率的ではないけどね。
みんながそのやりとりを楽しいと思えたら、いいのでは?

8月

29

ふくらはぎの筋肉

2010年12月にマラソンを走って以来、ジョギングもしなくなってしまった。
その代りに泳いでいる。
おかげでダイエットは成功して体重は76kgまで落ちた。
代償として足の筋肉が落ちて、いまでは長く走れない。
ひさしぶりにジョギングを再開する。
すると細くなったふくらはぎに筋肉がついてきた。
それで3kgほど重くなった。
わかりやすいからだだ。

8月

28

地球交響曲第九番

1992年に完成した第一番からずっと見てきた地球交響曲。
今年2月に逗子でひさしぶりに第二番を見た。
そのときに龍村仁監督が来場し、お話しをした。
第九番の制作について触れていた。
交響曲第九番のジンクスというものがある。
クラシック音楽好きには有名な話だ。
ベートーヴェンが交響曲第九番を作って終わって以来、誰も交響曲は9作以上作れなくなったという。
マーラーは第九を作るのを避けるため『大地の歌』を作った。
そして、『大地の歌』の次に第九を作って人生を終える。
龍村監督もそのことを気にしているようで、冗談のように「次は第九だよ」と何度も言っていた。
後日、監督とお話しする機会があった。
そのときに「第一番を作ったときにはもう第九まで作るつもりだったのですか?」と聞いた。
すると監督はこう答えた。
「そこまでは作らなければならないと思っていたよ」
第一番から八番まで作り続けてきた地球交響曲。
第九を作って大きな節目とするつもりのようだ。
その第九にはベートーヴェンの第九が取り上げられる。
小林研一郎氏の指揮による演奏会の練習から本番までを撮影する。
『歌うネアンデルタール』を著したスディーヴン・ミズン博士が来日し、北海道と沖縄に行く準備をしているそうだ。
ミズン博士は『氷河期以降』という著書で縄文のことに触れている。
きっと何か関係があるのだろう。

8月

27

窓を開ける

エアコンはつけずに窓を開け、足下に扇風機を置くようになった。
昔の夏は真夏でもこのくらいの日があった。
30度を超えずに過ごせる日。
窓が開いているから蝉の鳴き声がよく聴こえる。
ベランダに一匹来て鳴いていった。

8月

24

梨を食べる

今年はじめての梨を皮をむいて食べる。
果汁がしたたる。
コリッ、ショリショリ。
ほのかな梨の香り。
自然と上がる口角。

8月

23

バレットタイム

映画「マトリックス」で、カメラのアングルを動かしながら一瞬の動作を流れるような視点で捉える映像が流された。
当時はスゲーとしか思わなかったが、あれの何に感動したのか、ふと思いついた。
ピカソなんかがキュービズムという絵を描いたのも、はじめはナンダ?としか思わなかったが、あとでジワジワと感動したのと同じで、あのバレットタイムという撮影方法も、今頃になってジワジワと来た。
空間や時間を超えて多視点になることの予兆に感動したんだ。

8月

22

水滴の音

世界は一滴の水の音とともに始まった。
一滴の水の音が世界を変えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
一滴の水の音とともに人は笑い、人は歌い、鳥は飛び、魚は群れをなす。
僕がそれを認識していなかっただけ。
一滴の水の音とともに宇宙は存在し、銀河は巡り、彗星は流れ、太陽は輝く。
一滴の水の音とともにあらゆることが起き、あらゆることが変化し、あらゆることが流れていく。
僕はその状況の中に浮かんで流されるだけ。
一滴の水。

8月

21

夕立らしい夕立

昨日の夕方、夕立らしい夕立が降った。
遠くに雷が鳴り、ざっと降って、ぱっとやんだ。
降ったあとは涼しくなり、木立ではセミが大きな声で鳴き出した。
夕立らしい夕立はひさしぶりな気がする。

8月

20

書くことがない

3906回も気持ちいいものを書いていると、もう書くことがないと思うことがある。
それをなんとか乗り越えてきた。
もう乗り越える必要はない。
書くことがないことが気持ちいいから。
「書くことがない」ことは良くないと感じているあいだ、その気持ちよさは現れてこない。
書くことがないこともいいものだ。

8月

19

ヒメアカボシテントウの夢

相方が僕についているムシを殺してくれた。
まわりを見るとヒメアカボシテントウが何匹かいる。
子供の頃、フタホシテントウと呼んでいた、黒地に赤い星が二つあるてんとう虫。
「殺さなくていいよ、なにもしない虫だから」
と言ったが、相方は気になるらしい。
そこで目が覚めた。

8月

17

ケルトの魂

『ケルトの魂』という本をいただいた。
鶴岡真弓の対談集。
20年以上も前にアイルランドに行った。
また行きたいなと思う。
キリスト教が入る前のアイルランドは多神教だった。
その影響がキリスト教が入っても残り続ける。
一神教というのは政治的にはいい宗教かもしれない。
人民を統一しやすいから。
でも、暮らしている人にとっては多神教のほうが暮らしやすいように思う。
いろんな視点が混在することが許されて、それでなんとか折り合いをつけていくから。
宗教学では多神教が進化して一神教になるというような説があるようだが、それがまた多神教に戻るのがいいように思う。
せめて戻らなくても、ケルトのように混在するとか。

8月

16

きれいな海でシュノーケリング

きれいな海でシュノーケリングしたい。
沖縄とかハワイとか、グレートバリアリーフも最高だった。
そういうところでシュノーケリングして魚やイルカを一緒に泳ぐ。
ムフフだ。
想像するだけで真夏の暑さの中、一瞬の涼が得られる。

8月

14

はじめて作ったオムライス

オムレツが作れるようになったので、オムライスに挑戦。
レシピを見ずにできるかどうかやってみる。
まずは中に入れるケチャップライスを作る。
ベーコンを炒めてタマネギを炒め、ご飯を入れてケチャップライスにする。
このときうっかり塩コショウをわすれた。
薄焼き卵を作って、ケチャップライスを包む。
卵の量が多かったのか、薄焼き卵が破けてしまった。
でも一応できあがり。
次はもっと上手に作りましょう。

8月

8

鬼押出し

浅間山が小規模な噴火を起こしたとか。
すぐに思い出したのが「鬼押出し」。
浅間山のまわりをごつごつした岩が取り囲んでいる。
かつて浅間山が噴火したとき流れ出た溶岩がそのようになったと聞いた。
行ったのは小学生のころだったかな。
今日のようにとても暑い日だったように思う。

8月

6

錯綜する思考

僕のなかには矛盾がたくさんある。
あるときは好きだったものが、別のときには鬱陶しくなり、あるときは興味のあったものが、別のときには無関心になる。
そういう自分の勝手さは、たいてい意識されない。
気持ちいいものを3900回も書いていると、そういう自分に向き合うことになる。
そういうとき、ちっとも気持ちよくない。
だけど、この不快さが新しいものを生み出す力になる。
不快だけど気持ちいい。
こういう矛盾した僕の心よ。
不快だけど気持ちいいという、論理的には理解し難い感覚よ。

8月

5

古いアイルランドのCD

98年だったかな、アイルランドに行った。
そのときに買ったCDをひさしぶりに聴く。
そのCDを買ったお店の雰囲気を思い出す。
トリニティ大学のそばだった。
そこでケルズの書を見て、有名な図書館に行った。
芝生の緑が美しかった。
小学生たちが社会科見学に来ていて写真を撮ったらはしゃいでいた。
音楽の中に記憶が閉じ込められていたようだ。

8月

4

萩野公介の復帰

先日韓国でおこなわれた水泳世界選手権。
瀬戸大也が活躍していたが、ライバルだった萩野公介が参加していなかった。
どうしたのだろう? と思いネットを調べると理由がわかった。
その荻野が一昨日から開催している「FINAスイミングワールドカップ2019東京大会」に168日ぶりに参加しているとのこと。
とてもうれしかった。
他人の期待はさておいて、自分の道を進んで欲しい。
そういいながら、期待している僕の矛盾よ。

8月

3

意味の発見

かつて読んだ古い本や雑誌を再読していると、そのときには汲み取れなかった意味が湧き出てくることがある。
そういう意味を見つけると「今の僕もわからない意味があるんだろうな」と思う。
最近はインターネットで言葉の意味を探す。
すると、何でもわかった気になる。
でも、それはきっと違うのだと思う。
辞書を読むよりはその言葉の体系を知ることができるようになっただろう。
辞書はスペースが限られているので、用例が少ない。
言葉の意味のプリズムのわずかしか受け取られない。
インターネットを調べると、その気になればいろんな用例が得られる。
なかには新しい創作もあるし、間違ったものもあるだろう。
そういう意味の宇宙に放り出されると、何が正しくて何が間違っているのか、はっきりとはわからなくなってくる。
誰かが創作した言葉の意味を「間違っている」というのは正しい態度なのだろうか?

8月

2

肩や首が凝ること

泳いでいるとときどき、肩や首が凝っていると感じることがある。
そういうときは体を緩める。
ついでに気持ちも緩める。
一日中PCに向かったりしていると、知らないうちに無理をしている。
そういう年になってしまった。
泳ぎながらからだと気持ちをほぐす。
肩や首のコリはいい合図。

8月

1

流れに乗る

流れはいつも形を変える。
こういうときにはこういう流れが来ると思い込むと、まったく違う流れが来る。
常に思い込みを手放すこと。
最善の対応はいま生まれる。