4月

30

干し椎茸スープ

どうやら運動不足で血圧が上がったようだ。
そこでひさしぶりに干し椎茸スープを飲む。
干し椎茸をいくつか洗って、水から煮出す。
お湯が元の量の半分くらいになったら、お湯が茶色くスープになっている。
そこにチビッとだけ醤油をたらして飲む。
そばつゆを作るときにくわえるとほのかに香っておいしくなる。

4月

30

風を通す

ひさしぶりに南と北の窓を開けてうちに風を通した。
冬の間は寒くてなかなかできないけど、暖かくなってきたので気持ちいい。
前もって網戸の掃除もした。

4月

28

月影が射す

昨晩、窓から影が射していた。
正しくは、影が射すのではなく、月明かりが射していて、それによってできた影が見えたのだ。
でも、最初にそれを見た印象は「なんで影が?」というものだった。
いまの世の中は、まさに月影が射している状態に思える。

4月

27

「うっせぇわ」ビリーバンバン菅原進バージョン

YouTubeにビリーバンバンの菅原進さんが歌う「うっせぇわ」がアップされていた。
原曲は知っているけど、それを菅原さんが歌うとどうなるのか、イメージできなかった。
そこで聞いてみる。
画像と相俟ってじわじわと笑えてくる。
ピアノの伴奏が少し悲しげで、若いとは言えない菅原さんが歌うことで、歌詞の意味が原曲とは違って聞こえる。
https://bit.ly/3aF8BTU

4月

26

話し合える人にお互いになり合う

コミュニティ作りをしようとしている人から、面白い話を聞いた。
コミュニティを作ろうとしても、たいてい一、二年でうまくいかなくなるという。
意見の対立が生まれて喧嘩別れしてしまうのだ。
ところが、20年ほどコミュニティを継続している人の考えに「話し合える人にお互いなり合う」というものがあるそうだ。
たいてい人は思い込みで自分が正しいと決めつけ、相手と対立する。
そうなると話はどこにも行かない。
その決めつけを手放して、相手の感情を聞き、「話し合える人にお互いなり合う」のだそうだ。
人間は言葉によって作りあげたフィクションがたくさんある。
それを見出していく作業なのだとか。
多くの人がそれをできるようになったら、世の中も少しは楽になるだろう。

4月

26

リンツ ショコラ ブティック

光が丘に「リンツ ショコラ ブティック」ができていた。
お店のデザインがあまりにも魅力的だったので思わず入った。
中央にはお手頃な価格の何種類ものチョコが盛られている。
好きなだけ取って量り売りされている。
高級なチョコは棚に飾られていた。
商品にとって見た目や売るための工夫がいかに大切かがよくわかる。

4月

26

動画の編集

ひさしぶりに動画の編集をした。
iMacに付属しているiMovieを使って。
コマーシャルのような枠がすでに切ってあって、それに従って映像を挿入すると、それなりの映像ができる。
音楽もすでに付いている。
便利だ。
https://youtu.be/YC-NV29WfK0

4月

26

空を飛びたい

高い崖から海を見下ろす映像を見ていて、ふとそこから飛び降りたいと思った。
自殺したいとかそういう意味ではなく、単純に、現実を忘れて飛んでみたいと思った。
実際に崖に立ったら、足がすくんで飛べないと思うけど。

4月

22

AIの目

現代に生きる僕たちは、AIが何でもできると思っている。
それって、かつての賢者の石に似ている気がする。
「AIが完成すればこんな理想郷ができるんだ」
こう思い込んでいるが、現実はパラダイムが変わってからやっと理解できる。
科学と心理学が発達してやっと賢者の石の意味が理解できるようになったように。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

20

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか

最近、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』が話題に上がることが多く、読み直すことにした。
20年くらい前に読んでいたようだが、内容をよく覚えていない。
ページを開くと、あこちに蛍光ペンで線が引かれていた。
三分の二くらいまではあちこちに線が引かれていたけど、終わり三分の一には線がほとんど引かれていない。
きっと終わりの部分が理解できなかったんだな。

4月

20

泳ぐ

流れていく水を感じながら泳ぐ。
流れに同調すると、力を入れる場所がわかる。
それに従うとあまり力を入れなくても進んでいく。
水を掻いているのか、水に運んでもらっているのか、曖昧になる。

4月

20

Pasadena Park

大学生の頃、貸しレコード屋で借りてカセットに録音した。
それをずっと聞いていたけど、就職してからCDを買った。
アルバムに含まれるどの曲も好き。
ひさしぶりに聞くとうるっとするので、注意が必要。w

4月

17

国際ZOOM

バリ島の人とzoomで会話した。
かつての国際電話のようにタイムラグがなくて話しやすい。
しかもほぼ無料だ。
便利だなぁ。

4月

16

大葉を刻む

冷や奴を作るのに大葉を刻む。
大葉を二枚取り出し、水で洗う。
キッチンペーパーで水分を取り、大葉二枚を重ねて筒状に巻き、端から細かく切っていく。
刻むときに大葉の香りがする。

4月

16

許す

目の前のことに夢中になると、ついしなくてはならないことを忘れたりする。
それに気づいた途端に「自分はダメ」と自分を罰する。
確かに自分はダメでした。
でも、それを許して次に進む。
気持ちよくはないな。
それすらも気持ちよいものにするべきか?

4月

14

トリチウム水を飲むとどうなるの?

1年半ほど前に、僕のBlog「水のきらめき」に「トリチウム水を飲むとどうなるの?」という文章をアップした。
ここにいま、コメントが集まるようになってきた。
もちろん、福島のトリチウム水を海洋放出するというニュースを受けてのことだろう。
いろんな意見のやりとりから、有益な結果が導き出されるといいのだが。
https://bit.ly/3tiyqjR

4月

13

可能性を与える

選択をするとき、間接的にではあるが、いろんな人に可能性を与えることになる。
自分にかもしれないし、親しい人にかもしれないし、まったくの他人にかもしれないし、人間ではない存在にかもしれない。
人はそれを意識できれば、多くの存在に可能性を与えようとするだろう。
しかし、選択によって生まれる利益が明確で、それが自分のものになるというとき、人はそれを自分のものにするよう教え込まれている。
それは社会が未熟だったときには必要な考えだが、社会が成熟してもそこに留まっていていいものだろうか?
たとえば、大金持ちが10万円もらえるとする。
誰でもそれは正当だから、大金持ちがもらえばいいと思う。
でも、大金持ちが10万もらっても、たいして可能性は増えない。
すでに莫大なお金を持っているのだから。
それよりは、お金に困っているひとに与えた方が、可能性は広がる。
政治家は、こういうモノの考え方をしないのかな?

4月

13

フィンランディア

朝、目が覚めると、頭の中でフィンランディアが鳴っていた。
なんでだ? と思ったが、あれはロシアの圧政にフィンランドの人々が立ち上がるための曲だった。
新型コロナウィルスによる圧政に日本人も立ち上がるべき時かもしれない。

4月

13

一炊の夢

中学二年の時、国語担当の榊原先生が、担当した生徒全員と交換日記を始めた。
ひとクラスだいたい40名。
担当していたクラスは多分4クラスはあっただろう。
すると毎週160名と交換日記をしていたことになる。
凄く大変だっただろう。
その第一回の課題が「日記に名前を付けて、その理由を書け」というものだった。
僕は確かことわざ辞典のようなものを引いて、「一炊の夢」という言葉を見つけ、日記の名前を「一炊の夢記」とした。
そんなことはすっかり忘れ40年ほど経ってしまったが、ユングが解説を書いた「黄金の華の秘密」を読んでいたら、その本の訳者(湯浅泰雄)が書いた解説に「一炊の夢」を見つけた。
「黄金の華の秘密」の各章が「呂祖師曰く」で始まるのだが、「一炊の夢」はその「呂祖師」が邯鄲(かんたん)の村で盧生という青年に教えた話なんだそうだ。
だから別名「邯鄲の夢」ともいう。
さらにへぇと思ったのは、呂祖師のことを道教史上に残したのは全真教という教団なんだそうだが、そこの開祖は王重陽というひとだそうだ。
重陽の節句に生まれて「陽二」と名付けられた僕は「一炊の夢」から目覚めてしまいそうだ。

4月

10

曼陀羅瞑想

中村元博士の説によると、カトリックの儀式は仏教の儀式と起源が同じだそうだ。
神(キリスト・仏)を自分に受け入れるという儀式は仏教では徹底している。
日本では空海が恵果和尚から伝えられて持ってきた胎蔵界・金剛界の曼陀羅を利用した修行が知られているが、僕はその概要しか読んだことがない。
僕が詳しく読んだことのあるのは、理趣経をもっと濃くしたような秘密集会タントラの現代語訳と、それを利用した曼陀羅瞑想法。
知識として知っていることと、実践することとは違うことを前提にして言うが、これを全部丁寧にやるのは大変だろうなと思う。
だからこその功徳もあるのだろう。

4月

10

受け入れる

「やー」と言って両腕を広げ、抱き合うという不自然な行為を相方とときどきする。
そもそもの起こりは「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマだ。
そのなかで主人公の二人が、互いの恋愛感情をぎこちなく表現するために「やー」と言って両腕を広げ抱き合うシーンがあるのだ。
そのドラマが面白かったので、二人で真似している。w
先日、ユングの本を読んでいたら、そのポーズは何かを受け入れるための象徴だと書かれていた。
だからその同じポーズでキリストは十字架に磔にされたという。
キリストは人間が犯す罪をすべて受け入れてくれたということ。
そして、聖餐でキリストの肉と血(実際にはパンとワイン)を食べることで、その聖体を自らのものとする。

4月

8

あるレベルの悟り

かつてこの「日刊 気持ちいいもの」で、あるレベルの悟りができたと書いた。
そう書いて始めてなるほどと思う。
「あるレベルの悟り」が、レッテルになる。
そうあることが当たり前になる。
そうなったとき、僕はちっとも悟ってない。
自己の肥大が現れる。
そう書いて満足する僕の肥大に直面する。
なるほど。

4月

7

渝わる

「渝」
こんな字、見たことなかった。
ある本を読んでいたところ「渝わる」と出てきた。
「なにわるだ?」
「字統」を調べる。
載ってない。

PCで漢字を調べてインターネットで意味を引く。
読み方は「かわる」。
意味は「かわる」「かえる」「改まる」「あふれる」。

学研の「漢和大字典」によると「中身が抜けて入れ替わる」「水があふれでる」様をいうとのこと。
ニュアンスに凝るといろんな字が使われるようになるんだろうな。

4月

6

朝の文章

朝起きて、夢を見て感じたことを文章にした。
その文をある告知文にまとめる。
ノート数ページに書いたものが1行になる。