6月

16

祝5000回

「日刊 気持ちいいもの」が、5,000回を迎えました。
ありがとうございます。
10,000回をめざします。

6月

1

もうすぐ5000回

日刊 気持ちいいものが、もうすぐ5000回になる。
普通に考えれば嬉しいところだが、あまり嬉しくないのが本心だ。
5000回の頃に何か個展のようなイベントをおこなおうと思っていた。
その準備を四年くらい前から始めていたが、一昨年の末に体調を崩して入院してしまった。
個展の準備は頓挫した。
ここ数日、日刊 気持ちいものが書けない理由はそこにあると思い、ここに吐露する。
自分がやると言っていたことができないことはとても気持ちが悪い。
これからも気持ちいいものを書き続けるためにこれを書いた。
失敗の宣言だ。
5000回を超えて、一万回を目指す。
精神の変容を見つめるために。

5月

13

ゆらゆら揺れるキャンドルの火

バリ島では足元を照らした。
アイルランドの教会では、礼拝に来た人たちが祭壇に命を吹き込んだ。
震災後の福島では、祈る人たちがグラウンドに並べて文字を書いた。
どれもゆらゆらと揺れるキャンドルの火で。
そこには何かが宿る。

4月

19

小出裕章講演会

自民党は原発を再開させようとしていますが、普通の感覚の人には信じられないのではないでしょうか?
しかも、トリチウム水は海に放出するつもりです。
とんでもないと思う。
マスメディアではなんとなく「仕方ない」という感じですが、呆れてしまいます。
そういう状況の中で、小出裕章氏が福島で公演なさいました。
タイトルは「汚染水はなぜ流してはならないか」。
日本人なら聞くべきです。
知るべきです。
現実をお知らせいただき、ありがとうございます。
https://www.youtube.com/live/rrXxlQuR8io

12月

31

除夜の鐘

もうすぐ今年も終わる。
この一年は療養しかしなかった。
来年は何をしようか?
煩悩の数だけ鐘の音を聞き、何を思うだろう?
良い年をお迎えください。

4月

21

水の音

波の音、ザブン

雨の音、ザー

滝の音、ドーッ

みんなおんなじ水の音

鼓動の音、トクトク

わたしのなかに、トクトク

あなたのなかに、トクトク

地球の上の 誰の胸にも、トクトク

トクトクも、実はやっぱり水の音

あなたの心が揺れるとき
わたしの心に波紋が広がる

みんなおんなじ水だから

あなたの耳に懐かしい
やさしいきれいな水の音
心の底から湧き出るように

あなたのために祈ります

母さんからいただいた、トクトク

父さんからいただいた、トクトク

いつまでも安らかに続きますように

—————–

この詩「水の音」は2004年8月14日、ピース・キッズ・サッカーの大会に参加するため、イスラエルとパレスチナから来た子供たちの歓迎会で朗読したものです。
それぞれの節で日本語、ヘブライ語、アラビア語で輪唱のようにして朗読されました。
当時のイスラエル大使エリ・コーヘン氏や駐日パレスチナ総代表部代表のワリド・シアム氏にもご臨席いただきました。
世界が平和であるよう祈ります。

4月

20

春の鉢植え

相方が毎年、春になると花の鉢植えをする。
近所のJAで仕入れて、大きめの鉢に植え替える。
今年もその時期になったので、せっせと作業。
根付いた頃を見計らって玄関前に出す。

3月

27

砂曼陀羅

昔、護国寺でおこなわれたチベット・フェスティバルで、砂曼陀羅の写真を撮る許可をもらった。
それはチベット僧たちが数日間、息を殺して描き上げたものだった。
初日の儀式を見学し、書き上げられた砂曼陀羅の写真を撮った。
近づくと、砂がもっこりと盛り上がっているのがわかった。
真上から撮影した写真しか見たことがなかったので、そのもっこりを撮るべく、横から何枚も撮影した。
結界となっている城壁や、如来や菩薩が佇んでいる場所が立体となって浮かび上がった。

2月

22

スーパー猫の日

今日は2022年2月22日で、スーパー猫の日だそうだ。
相方が喜んで朝からニャーニャー言っている。
楽しそうでいい。

2月

7

子供のサッカー大会

イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。

1月

28

はじめて見たオゴオゴ

バリ島のニュピの日に、プリカレラン家にホームステイさせてもらった。
ニュピ前日の夜、低級霊を祓うために、村ごとに大きなはりぼての鬼を作り練り歩く。
その儀式や鬼をオゴオゴという。
当時バリ島の街にはほとんど街灯がなく真っ暗だった。
その中を数十人の男たちが高さ五、六メートルもあるようなオゴオゴを神輿のように担いで移動していく。
時々なぜか彼らは走り出す。
数十人が一度に暗闇の中を走ってくると、その音は恐怖をもたらす。
うっすらと見えるオゴオゴの影、激しい息と意味のわからない言葉、そして数十も重なったペタペタというサンダルの音。
どう避けていいかもわからない。
狭い道の中で揉みくちゃにされて、ひとごみから吐き出されると、オゴオゴを引き回した集団は遠ざかっていった。

1月

27

狼の遠吠え

ポール・ウィンターのライブを聞いたことがある。
地球環境に関する会議、グローバル・フォーラムの席上だった。
ポール・ウィンターは鯨の声を録音して、そのメロディーを元にアドリブしたりするサックス・プレイヤーだ。
彼の作品に「Wolf Eyes」という曲がある。
曲の冒頭に狼の遠吠えが入っている。
そして、それを受けて独特の深いメロディーが奏でられる。
命を愛おしむような、悲しげでもあり、喜びも含むような、深いメロディー。
ライブではその曲の最後に、こう語りかけられた「狼になって遠吠えをしましょう」。
会場のみんなが一斉に遠吠えをした。
なんか知らんけど、ゾクゾクしたし、泣けた。

1月

25

富士サーキットの幽霊

会社員だった頃、仕事で何度か富士サーキットに行った。
多忙な会社員生活だったので、早朝に自分の車でサーキットに行き、その夜に帰った。
仕事の内容はサーキットのプロモーションだったので、いわゆるレースクイーンを連れてタイヤのプロモーションをしていた。
チームは十人前後で、レースクイーンと実行部隊が半々だった。
僕以外のメンバーは土曜に前泊してサーキットに行き、日曜の早朝に合流していた。
あるとき、レースクイーンの一人が、宿泊していたホテルでの霊体験を話してくれた。
そのホテルで寝ようとしたら、窓からの視線が気になり、カーテンを閉めて寝たのに、ふと目を覚ますとカーテンが開いていて、「どうしたの?」と思ったら、何かに足首を掴まれたそうだ。
そんな話しを聞いていたので、早朝に車で行けてラッキーと思っていたが、ある日車が故障して、前泊することになってしまった、
土曜の夜、別の仕事を終えてから富士サーキットに向かう新幹線の車内誌に、景山民夫のインタビュー記事を見つけた。
当時景山民夫は売れっ子の放送作家から直木賞作家に脱皮し、幸福の科学に入信して少し不思議な立ち位置の作家だった。
この数年後、景山は自宅で燃え上がり死んでしまったという。
プラモデルを作っていたときのシンナーに煙草の火が引火したとのことだったが、なぜか詳細は発表されず、不思議な噂が飛び交った。
その景山民夫が、確か阿川佐和子のインタビューを受けて、それが掲載されていた。
なぜ幸福の科学に入信したのかという質問に対して、「霊的なことへの説明が丁寧だから」というような返答をしていた。
ほかの質問についてはよく覚えてないのだが、ひとつだけ印象に残った質問があった。
「もし幽霊に出会ってしまったら、どうしたらいいいのか?」
景山はこんなことを答えていた。
「幽霊は肉体を持たないので、絶対的に生きている人のほうが有利です。幽霊には感情的に巻き込まれるとやっかいなので、ハハハと笑って無視するのが一番」
なるほどと思い、宿に向かった。
到着は深夜だったので、チームのみんなは翌日早朝の集合に備えて寝ているはずなので、ひとりで用意されていたシングルルームに入った。
その部屋は少し不自然だった。
シングルルームなのに広い。
ベッドさえ入れれば、四・五人が泊まれそうだった。
この深夜にクレームを言っても仕方ない。
そのまま気にしないで寝た。
正確には、気にしないようにしながら、「出てきたらハハハと笑って寝る」と思っていた。
深夜、ふと目を開けてしまった。
すると、ベットから見上げた天井と壁の境に足を付けて、まっすぐこちらに向かって立ち、クッと顔を上げている真っ赤なワンピースの少女がいた。
もちろん、「ハハハ」と笑って寝返りを打って、見ないようにした。

1月

20

下田移動教室

小学校での修学旅行はなぜか移動教室という名称だった。
なぜそう呼ばれたのか詳しいことは知らない。
小学五年の時の移動教室は下田に行った。
ペリーが来航した下田港や石廊崎を見た。
夕方に宿舎に着き、ベッドを割り当てられる。
僕は二段ヘッドの上の段だった。
夕暮れ、そのベッドに座ってボーッとしていたら、目の前の白い壁に四角いスクリーンのような光が差し込んだ。
なんだろう?と思って見ていると、そこにたくさんの線が出てきてうねりだした。
ほんの一瞬のことだった。
五秒ほどでその白い壁には何も映らなくなった。
ぞっとした。
なんだかわからないものを見てしまった。

1月

17

ブラバンの秘密

「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。

11月

12

ぐるり。

訪問看護士で、写真家の尾山直子さんが写真展「ぐるり。」を開く。
尾山さんを知ったのはピース・キッズ・サッカーというNPOで。
当時はまだ学生で、必要なことを何でも楽しそうにやる子だった。
看護士になり、FB上で訪問看護士になったと知った。
大変な仕事をするなと思っていたが、仕事の傍ら美術大学の通信課程を終え、写真展を開くという。
内容は、訪問看護している老いた人と家族、その様子を撮ったもの。
専用サイトを見に行って、心をつかまれた。
https://gururi-2021.studio.site

10月

25

ナイト・レインボウ

本を整理していたら「Tales from the night rainbow」という本が出てきた。
No.04584に書いた「夜の虹」について書かれた本。
山崎美弥子さんに確かめたら、「はい。この本です」とのこと。
20年近く前にすでにその話に触れていたのに気づかずにいた。

10月

22

rooms

知り合いがroomsというイベントに出展をしているので覗きに行った。
いろんなアートが、所狭しと並べられていた。

https://www.roomsroom.com

9月

22

アフリカ象

市原ぞうの国で見た象は、ほとんどがインド象だった。
一頭だけアフリカ象がいた。
インド象には悪いのだが、アフリカ象はかっこうがいい。
頭の形と耳の大きさ。
耳をパッと広げるとかっこよさが際立つ。
アフリカ象の写真ばかり撮ってしまった。

8月

30

ほのかやかすかを楽しむ

山崎美弥子さんの個展「Night Rainbow」に行ってきた。
山崎さんの絵はその多くが水平線のような絵。
海と空の色が描かれる。
それが微妙に一枚ずつ違う。
似た色の絵が集められたところがいくつかあったが、そうするとわずかな違いが際立ってくる。
ところで、会場となった青山スパイラルの一階はカフェで、そこに個展中は特別メニューがふたつある。
ひとつはサンセット ハーブティーレモンソーダ。
ひとつはエディブルフラワーの白ワインジュレとババロア。
甘すぎると嫌だなと思ったが、ふたつを頼んでみた。
味がとても繊細。
甘すぎることはまったくない。
まずはハーブティーソーダ。
レモンソーダのような味に、そえられたシロップを入れると、レモンソーダの色が次第に紫色のサンセットに。
シロップの味は独特のハーブの香りで満たされ、少しずつ足すことでほのかな味の変化を楽しめる。
ジュレとババロアもかすかな味わいで、Night Rainbowのようにこちらの感覚を研ぎ澄ますことで浮かび上がってくるような繊細な味。
ほのかやかすかを楽しむことができると、きっと生活は楽しいことで溢れている。

8月

15

黙祷について

東京オリンピック開会式の黙祷について、いろんな話が浮上している。
オリンピックの間に亡くなったかたがたに黙祷を捧げた。
それだけでいいじゃないか。
どうしてもというなら、対立の状況をそれぞれの立場で知りましょう。

7月

24

共感社会

共感社会ができるのだという。
それに大切なのは「真実」「愛」「コミュニケーション」。
みんな「コミュニケーション」に力を入れるが、「真実」と「愛」が置き去りにされている。
嘘だらけの社会や会社に「真実」と「愛」のレッテルを貼っても、すぐにはがれる。
「膿」がいま、出てきている。

7月

24

東京オリンピック開会式に対する共感

昼にブルーインパルスが飛んだ。
残念ながら五輪のマークを完全な形でカメラに捉えた人はいなかったようだ。
雲があったし、風が強かったのかもしれない。
残念であったが、まだパラリンピックがある。
開会式の式典は、ピクトグラムのプレゼンテーションは面白かったものの、それ以外はいまひとつ僕にはピンとこなかった。
あれだけ人が入れ替わるのだから、トップに立つ人にビジョンも信念も欠けていたのだろうと思う。
下で働いた人は大変だっただろう。
会場の外では、オリンピックに反対する人たちと、警官たちとの間で小競り合いが起きていたとか。
デモをしたい気持ちもわかるが、あれだけ大金を投入したのだから成功させたいという気持ちもわかる。
ピラミッド社会が崩れはじめ、球体社会に移行しつつある。
インターネットが生まれたときからそれは始まっていた。
なのに、IT会社がピラミッドを維持しようとしているのはちぐはぐに思う。
トヨタはさすがだなと思う。
時代の嗅覚がほかの企業と比べて桁違いだ。
いま経験しているのと同じような難局が、これから数年、あらゆる分野で起きるのだと思う。
社会のメタモルフォーゼのためには必要なステップなのだろう。

6月

30

2020東京オリンピック

僕は2020東京オリンピックができるのか、それの開催が決まったときから心配でした。
なぜなら、1940年に開催予定だった東京オリンピックを思い出したからです。
もちろん僕は生まれていません。
話を聞いて知っていただけです。
あのオリンピックが中止になったのは、日本がある役目を負ったからではないかと思ったのです。
そして、今回も。
これは僕の勝手な推測です。
欧米社会とアジア社会の結節点としてやりとりする内容は、決して言葉だけでは説明のしようがない、複雑怪奇なものでしょう。
長年の摩擦や妥協が影響してる。
新型コロナウィルスが影を落としているように見えますが、それは見える部分の問題であって、本当の問題は、見えない部分にあるのだと思います。
どんなやりとりがなされるのか、観察していきたいと思います。

6月

15

5月15日と29日、ロンドンにて

2021年5月15日と29日、ロンドンにて、大規模な抗議活動がおこなわれた。
もちろん、アレへの抗議だ。
日本では打て打てとマスメディアで叫ばれているが、冷静な人たちは冷ややかな目を向けている。
社会的立場によって仕方なく打たなければならない人たちもたくさんいる。
なんとか自分を納得させて、打つ人もいる。
もちろんマスメディアのいうことを聞いて、喜んで打つ人もいるだろう。
そういう日本の状況下で、ロンドンの映像は力づけられる。
https://bit.ly/3voj4un