5月

31

区別する

何かの本で、
「愛することとは」という問いに
「あるがままを受け取ること」と
あった。
そこで考える。
「愛することの反対は?」
本に書かれているそのままを
反対にすると、
「あるがままを受け取らない」
となるであろうか。
「あるがままを受け取らない」
としたら、それはどういうことか。
「差別する」ということかなと思う。
つまり「こうならいい」
「これはだめ」とすることだ。
でも、常識とか作法というものは
「こうならいい」「これはだめ」
がなければ成り立たない。
では、こうしたらどうかな?
「こうしたらみんなが喜ぶ」
「こうしたらみんなが怒る」
でも「喜ぶ」と「怒る」ほどの
感情的な距離がない場合は
「こうしたら気持ちいい」
「こうしたら不快」
という区別になるかな。
もっと微妙な場合は
「こうしたらちょっと気持ちいい」
「こうしたらちょっと不快」
となるのかな。
「こうならいい」「これはだめ」

「こうしたらちょっと気持ちいい」
「こうしたらちょっと不快」
の微妙な区別は
もし本当のAIや
ベーシックインカムの時代が
来るのであれば、
大切なものになるのかも。
そもそも人間は
言葉でいろんなものを
区別することで繁栄してきた。
この「区別」と「差別」の違いを
自分にとってはっきりとさせないと
ならないのかも。
「区別」するといいながら
どうしても「差別」しているような
ことがないかな?
僕は使っているうちに
混同してしまうし、
状況によって「区別する」
といいながら
「差別する」ようなことが
生まれている気がする。
「区別する」という
シニフィアンに
「差別する」という
シニフィエがつく。
「区別」はきちんと
「区別」のままにしよう。

5月

30

視点の外側

毎朝起きて外を眺める。
いつもしている行動の中に
自分の思いや視点がある。
自分はその思いや視点に囚われるが
その思いや視点が
生まれた背景がある。
僕を育ててもらった歴史だとか、
なぜ今の社会になったのかだとか、
どうして人間は
人間になったのかだとか。
いつもの視点に囚われた自分と
その外側に立つ自分のあいだを
行ったり来たり。

5月

29

鳥の鳴き声

朝、起きるとハトが鳴いていた。
僕にはあの声が
ツーツー、ジョウホウ
ツーツー、ジョウホウ
と聞こえる。
どんな鳥にしても
どうして同じ種はみんな
同じような声で鳴くのだろう。
きっと同じ仲間だということを
主張しているんだろうと思う。
だとするとオウムや九官鳥は
人間の声を真似しているのではなく
一生懸命同じ仲間だと
いいたいのかな。

5月

28

月と木星

昨晩、うちに帰ると相方が
「月と木星が見えるよ」
というので空を見上げた。
薄雲がかかっていたが東南の空に
月に寄り添って木星が光っていた。
「木星って曲あったよね」
というので、三拍子の部分を歌った。
途中で相方も一緒に歌いだした。

5月

25

うがやふきあえずのみこと

夢の中に
「うがやふきあえずのみこと」が
出てきた。
少し前に現代語訳された
「古事記」を読んだから
出てきたのだと思う。
目が覚めてもその音が
耳に残っていた。
そういう名前の神様がいたことは
覚えているけど、
その神様がどういう神様かは
覚えていなかった。
そこで調べてみる。
神武天皇の父親とある。
海彦山彦の山彦と豊玉姫の息子。

5月

24

シャキシャキなもやし

軽く茹でたり炒めたりした
シャキシャキなもやしが好きで、
白龍トマト館に行けば
大豆もやしを頼むし、
うちでもよくもやしを炒める。
蒸して食べるのもおいしいね。
心地よい歯ごたえが美味しさを増す。

5月

23

2018年5月22日の金星と木星

昨晩、相方が帰って来て
「あの光はなに?」というから
外に出て西の空を見た。
まだわずかに夕焼けの光が
夜空の底にほの見えていた。
それより上、
すっかり夜空になったあたりに
ひときわ明るく光る星があった。
「あれ星かなぁ?」
というので
「金星じゃない?
 太陽が落ちたばかりに見える
 明るい星はたいてい金星だよ」
と答えた。
「じゃああれは?」
と東の空を指さす。
そこにもひときわ明るい星があった。
「木星かなぁ?
 よくわからないけど」
色からして火星には見えなかった。
土星があれほど明るく光るのを
見たことがない。
そこでiPhoneを取り出し
Star Walkを呼び出した。
Star Walkは夜空にかざすと
その方向にある星の名前を
教えてくれる。
西の星は金星、東の星は木星と
わかった。
ネットで調べると、
5月27日に月と木星が
接近して見えるそうだ。

5月

22

バジルの双葉

うちのプランターに
バジルの双葉が出てきた。
すぐに双葉のあいだに
また葉が生えてきて、
四葉になった。
大きくなったら
ジェノベーゼソースにする。

5月

21

平成30年5月21日の夢

三日ほど、気持ちいいものが書けなかった。
無理をすれば書けたのかもしれないが、
書くのにちっとも気持ちよくない。
気持ちよくないのに無理に書いて
嘘をつくのは嫌だなと感じる。
いったいどうすればいいんだ?
感情は、さまざまな些細なことの
積み重ねでできている。
自分にとってどうでもいいと思うようなことが
実は重大な影響を与えていたりする。
そのことを今朝の夢で思い出した。
だけど、この体験を意味が通るように
書くことができるのか不安だ。
なぜ僕がそのことを思い出せたのか
僕自身はっきりしていないからだ。
そして、それがなぜ解決できたのか、
きっといろんなことの
些細な積み重ねであるから、
それをひとつひとつ書いても、
その話のどこが効果的だったのか、
結局わからないだろうと思う。
でも、一応書いてみる。
夢はこんなものだった。
ある日、どこかの田舎に行く。
何かの手伝いをしに行った。
その手伝いが終わって帰ろうとすると
もうすでにかなり遅い。
その場所は駅からかなり離れている。
近くにはふたつの駅があり、
どちらの駅まで歩こうかと考える。
ひとつの駅には
雪道を歩かなければならない。
もうひとつの駅には
雪道を歩く必要はない。
僕は雪道を歩こうとして途中まで行ったが
やっぱりやめたと思い
もうひとつの駅に向かう道を選ぶ。
うちに帰るのに遅くなると思い
電話をかける。
そこで気づきがやってきた。
そして目覚める。
目が覚めるとラジオで飛行機の
話をしていた。
そういえば、と思い出す。
飛行機の航路は世界中を巡っている。
どの街とどの街が、
距離は隔たっていても
関係が深いのか、
便数でわかるなと思う。
それでさらに何かが解決した。
そしてなぜか
「日刊 気持ちいいもの」が
書けるような気がした。

5月

17

フンコロガシの仕事

フンコロガシは逆立ちをして
うしろ脚で糞を転がす。
一度だけだが、
そのフンコロガシの
働いている様を見たことがある。
どうやって糞を丸めるのか
それはわからなかったが、
彼を見つけたとき、
丸い糞をせっせと転がしていた。
フンコロガシの気持ちなど
わかりようがないのだが、
その様を見ると
とてもうれしそうだった。
あの糞で、大好きなあの娘と
こどもが作れる。
きっとうれしかっただろう。

5月

16

細川貂々のtwitter

ほぼ毎日「今日のシアワセ」
と題された簡単なイラストと一言が
流れて来る。
たとえば
「その人のカッコいい一面を
 知れてうれしかった」
とか
「雨が降るのを
 ボーっと見ながら
 本を読んだ」
とか、
「ずいぶん
 肩の力をぬける
 ようになった」
とか、
それがシアワセだったら
僕も幸せと思えるような
イラストと一言。

5月

15

2000m泳ぐ

2000m泳ぐようになって5,6年経つ。
以前は一生懸命泳いでいたが、
いまはコツをつかんだのか
あまり苦しくない。
歩くようにして2000m泳ぐ。
だからあまり速くは泳がない。
のんびりと、水の流れを感じながら
どれだけ効率的に泳げるかを
考えながら泳ぐ。
泳ぐことが快適なので
また泳ぎに行く。
こういう循環を作るのが難しい。

5月

15

チェット・ベイカー没後30年

ジム・ホールと共演した『アランフェス協奏曲』をときどき聞いたが、
チェット・ベイカーのことはほとんど知らなかった。
それがファンになったのはヒロ川島と出会ってから。
川島さんはチェットと1986年の初来日の際に知り合いとなり、
不思議な縁を結ぶ。
昨日、5月13日はチェットの命日。
毎年この日にはヒロ川島が「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」をおこなう。
没後30年という節目にその音を聞きに行った。
川島さんはただチェットのファンだからと
MEMORIAL NIGHTをおこなっている訳ではない。
彼はチェットの楽器を譲り受けたのだ。
はじめてそのことを聞いたときは「なにそれ?」と思った。
その話を聞いたとき、彼はまだ会社員だった。
月に一度、練習のためにライブを開くという贅沢をしていた。
収入を得ていたという点ではプロだが、
音楽だけで生計がたっていた訳ではないので
セミプロという状態だった。
その彼になぜチェット・ベイカーが
本人の使っていた楽器を上げたのか?
いろいろと話を聞いてやっと合点した。

話は飛ぶが、昔々空海が唐に行った。
当時の空海はまだ無名で、
なぜ唐に行けたのかすら定かではない。
恵果和尚を訪ねると、空海の資質を見抜き
即座に奥義伝授を始め、半年ですべてを伝え、
恵果は入滅する。
もちろん空海はその後日本に帰り大活躍するのだが、
チェットと川島さんの関係に似たものを感じる。
チェットは1986年に川島さんと出会い、
1988年5月13日に亡くなる。
僕と川島さんは1996年に出会った。
ある日、僕の車の助手席に
川島さんを乗せ走っていると、
チェットと川島さんの不思議な話を
聞かせてくれた。
不思議な話はたくさんあるのだが、
そのひとつは確かこんなものだった。
チェットが亡くなりしばらくすると、川島さんの友人から
「チェットのいい曲だけ集めてカセットに録音してくれ」と頼まれた。
川島さんは録音されてないカセットを探すと、
ラベルに何も書かれていない一本のカセットを見つける。
よく見ると少しだけテープが進んでいたので
何か入っているのかな?と思い、そのカセットをかけてみる。
するとレコーダーから聞こえてきたのは、
英会話の練習テープのようだった。
「Repeat after me.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.」
川島さんはそんな英会話教材を聞いたこともなかったし、
なぜそのように録音されているのかもわからなかった。
そんな不思議な話をいくつか聞かされ、
「本当かよ」と思ったし
それを口にすると
「本当なんだよ」と川島さんは叫んだ。
そのとき、車内でかけていた
ラジオの曲が変わった。
すると川島さんが「あーっ!」と叫ぶ。
「どうしたの?」と聞くと、
「この曲、ポップなんだけど、間奏の部分を
 チェットが吹いているんだ」
しばらくして、チェットの吹くアドリブが鳴り始めた。
そんなことがあったので、
今ではふたりの不思議な縁を疑うことはない。
何しろその後の川島さんの活躍は
チェットから楽器を託された意味を体現している。
チェットの生誕70年には
「JAZZ-Love Notes」という番組を
テレビ東京で2クールにわたりOn Airする。
ちなみにLOVE NOTESとはチェットが生前作りたいと言っていたバンド名。
それを川島さんは1989年に立ち上げ、いまも活動を続けている。
彼は30回「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」を続けてきた。
川島さんは普段別の楽器を使っている。
1年に一度「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」にチェットの楽器で演奏する。
素晴らしい供養だ。

5月

15

進化の構造

ケン・ウィルバーが
1995年に書いた本。
1998年に日本語訳が出た。
内容が難しいので
一度読んだだけでは理解しきれない。
でも、意味がわかって来ると
いろんな妄想が湧いて来る。

5月

12

水面を見上げる

水中メガネやゴーグルをして
水面を見上げる。
太陽の光は柔らかくなり、
木々や建物が踊り出す。
プールサイドは見えなくなり、
底に沈めば静けさに押しつぶされる。

5月

11

未来を変える目標

上田壮一さんのお話しを聞いた。
上田さんは Think The Earth の理事で
SDGs for schoolの実行委員。
『未来を変える目標
  SDGsアイデアブック』
という本を出版した。
Think The Earth とは何かは
こちらをご覧ください。
http://www.thinktheearth.net/jp/
SDGとは
Sustainable Development Goals の
略で、2015年に国連で採択された
2030年までに達成すべき
ゴールのこと。17項目ある。

1.貧困をなくそう
2.飢饉をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに
  そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで
  目標を達成しよう

それぞれ簡単にできることでは
ないのですけど、
『未来を変える目標』には、
これらを実現するために
人々がやっている
簡単な例が載せられ、
これら17のゴールを実現するために
知るべきことが
クイズで提示されます。

5月

10

何にがんばっているのか

ときどき他人と
話が合わないことがある。
話せば話すほど
ポイントがずれていく。
そういうときは
自分と相手が
「何にがんばっているのか」
考えてみる。
がんばる先が違うと話が噛み合ない。
自分のことでがんばっているのか、
家族のためにがんばっているのか、
会社のことでがんばっているのか、
町や国のことでがんばっているのか、
地球のためにがんばっているのか。
そう考えてもうまくいかないときは
聞き役に徹すればいいのだろうけど、
つい熱くなってしまう。

5月

9

オープンサンド

まず、具材は何にするか?
見た目が美しい彩りの華やかな食材を選ぶ。
トマト、色のついたパプリカ、
茹でたシュリンプ、
レタス、炒めたペーコン、
生ハム、ゆで卵、錦糸卵、
薄切りのキュウリ、
水にさらしたタマネギ、
シーチキン、タマネギ、マヨネーズを和えたもの。
こんなものを適当に準備して
食パンにバターか、
粒マスタードとバターを混ぜたものを塗って、
食べるときに好きにのっけて
それをオープンでチンする。
おいしさは、
オーブンの蓋を開けたときから始まる。

5月

8

イルカと泳ぐビジョン

今朝、ここに何を書こうかと
瞑想していたとき、
ドルフィン・スウィムの
ビジョンを見た。
小さな船で海に漕ぎ出すと
イルカが群れでやってきた。
ウェット・スーツを着ていたので
すぐに海に入りたいと思うが、
シュノーケルとマスクがない。
仕方ないので普段プールで使っている
競泳用のゴーグルで入る。
なんでこんなビジョンを
見るんだろう?
ひさしぶりに
『日刊 気持ちいいもの』の
バックナンバーを検索した。
こんな文章が出てきた。

No.00133 00.06.09
イルカと一緒にでんぐりがえし

先週、御蔵島に行った。
年に一度イルカと泳ぐために行く。
御蔵島のまわりには、
野生のイルカが生息している。
しかも彼らは人間を恐がらない。
機嫌がいいと寄ってくる。
今年はイルカの機嫌が
やたらとよかった。
普段なら一緒に泳いでも
息継ぎするときに
離れてしまうのだが、
今回は一緒に息継ぎをしてくれた。
それも一度や二度ではなく何回も。
若い二頭のイルカが寄ってきたので、
きりもみ状態のようにして
クルクルと潜っていったら
彼らもまねして潜ってきた。
息継ぎに海面に出ると彼らも
息継ぎした。
次は潜りながら彼らを追っかけると
上へ行ったり下に行ったり
でんぐりがえしを
何度かすることになった。
そして息継ぎ。
彼らも彼らにとっては
再びする必要もないはずの
短い間隔の息継ぎをした。
次はきりもみ状態と
でんぐりがえしを一緒にやってみた。
方向感覚がなくなる。
しかも深くなれば水圧で頭が
締められる。
彼らもなんか一緒に
グルグルしているみたいだ。
自分が回っているので
よくわからない。
息継ぎに上がると目が回っていた。
彼らもまた息継ぎし、
深くへと潜っていく。
負けてはいられない、
もう一度潜った。
その後、何回一緒に潜っただろう?
五回か六回か? 
船にあがると同行していた友人が
うらやましがった。
僕もはじめての体験だった。

これは18年も前のことだ。
今はこのときほど体力がないだろう。
でもいつかまたイルカと
泳いでみたい。
泳ぎながら彼らとときどき目が合う。
恋人と目が合ったときのように
キュンとするんだよ。(笑)

5月

7

ビール麦茶

JA東京あおば総合園芸センター
ふれあいの里で買い物をした。
区内外で採れた農作物を売っている。
そこに「ビール麦茶」があった。
手に取ると
明治33年、練馬区で栽培された
日本初のビール麦
「金子ゴールデン」で作った
麦茶です、と書かれている。
面白そうなので買ってみた。
淹れてみると普通の麦茶だ。
だけどこの商品にはすでに
歴史的な物語が刻まれている。
中荒井村(現・豊玉南)の
金子丑五郎が六条大麦の「四国」と
米国ビール麦の
「ゴールデンメロン」を
自然交雑した麦の中から選び出し、
日本初めてのビール麦として
育てたそうだ。
当時は関東一円で栽培され、
国産ビールに使われていたが、
昭和25年頃から
使われなくなっていた。
平成15年、農業生物資源研究所に
保存されていた「金子ゴールデン」を
JA東京あおばが中心となり、
練馬の農家が栽培し、
金子ゴールデンを収穫、
それを使って練馬の地ビール
「練馬金子ゴールデンビール」を
作った。
このビールもふれあいの里で
売られている。
この麦を使った麦茶だから
「ビール麦茶」。
この季節になるとずっと
アイスコーヒーを作っていたが、
相方が胃の調子が良くないというので
今年はこの麦茶にする。
幼い頃には母にお願いして
麦茶に砂糖を入れて飲んだりした。
最近でもペットボトルの麦茶を
飲んだりすることはあったけど、
作った麦茶を
冷蔵庫から取り出して飲むと
とても懐かしく感じる。

5月

7

しらすおろし

湯通ししたしらすと大根おろしを
アツアツご飯に載せてから
醤油をたらす。
あとは食べるのみ。
熱いご飯と冷たいおろし、
しらすの香りと
大根の辛さが
口のなかて混ざりこむ。

5月

7

こいのぼり

こいのぼりが風に吹かれて
ゆらりるらりと揺れるのは
見ていて気持ちがよい。
こいのぼりは大きいほど
その動きが艶かしい。
ときどきバサッと
布があおられる音がして、
腰を曲げてゆらめくこいのぼり。
うちではあげたことがなかったので
よそのうちであげられた
こいのぼりが、
きっとうらやましかったと思うけど、
あまりうらやんだ覚えがない。

5月

4

ケチャ

バリ島に行くと
ケチャをどこかでやっている。
声によってさざ波が生まれ、
そのモアレに頭がしびれる。
声の干渉は色彩をもたらし、
丸く座った男たちの上に
風を呼び起こす。
バリ島全体がキュビズムのように
視点の定まらない高次元立体物に
なっていく。
時を超え、場所を超え、
意味すらも超えた迷宮に包まれる。

5月

3

豆腐の木の芽味噌田楽

ベランタの山椒の葉を使って
木の芽味噌を造り、
それを豆腐に塗って田楽を作る。
田楽はオーブンで焼く。
焼かれた豆腐は表面が固くなり
以前の豆腐の食感ではなくなる。
肉のような固さが生まれ、
噛めば噛むほど血が沸き立つ。
木の芽味噌の山椒の香りが
沸き立つ血を冷まそうとするが、
一度沸き立った血は
そう簡単に冷めるものではない。
鼻息荒く、食べ尽くすまで
心の充血はやむことがない。

5月

2

スカスカ

僕のサイトはリニューアルによって
現在中身がほとんどない。
気分爽快。
スカスカいいなと思う。
うちの書斎は本であふれている。
置き場所がなく本が積まれ、
書類が積まれ、
足の踏み場が狭くなり、息苦しい。
それにもかかわらず
本を廃棄するたびに悲しくなる。
この葛藤はいつまで続くのだろうか。
スカスカいいなと思うけど、
読み返したい本がたくさんある。