3月

31

フクさんの「高齢ADHD母の遠距離介護記録」

いろんなBlogを読んでいるが、ほぼ毎日読むBlogは少ない。
そのうちのひとつが「高齢ADHD母の遠距離介護記録」。
90歳近い母親のADHDと認知障害を心配しつつ、ときどきその行動に腹を立てる。
筆者は東京に住んでいるが、九州に住んでいる母親のお世話にときどき帰る。
東京にいるときにはアレクサで繋いで、いつでもお話しをできるようにしている。
その日常のつらさと楽しさ。
母と娘の関係を幼い頃から現在まで、行きつ戻りつしながら、タペストリーのように編み上げています。
自らの感情の揺れを認めつつ、いろんな角度から見つめ直すフクさんの文章に脱帽です。
https://55enkyorikaigo.hateblo.jp

3月

30

チューブラー・ベルズ50周年

1973年に発表された名作「チューブラー・ベルズ」が来年発表から50周年を迎える。
ロンドンではその記念コンサートがある。
まるでクラシック作品のような扱いだ。
20歳の青年がひとりで作ったアルバムがこんなに人気が出て、50周年の記念リサイタルまでやるなんて。
中学生だった僕が夢中になったのはなぜか、その理由はわからないけど、こんなにすごい曲だったんだなと思う。
ひさしぶりにまた聞いた。

3月

29

9980

いろんなアンビエント系のアルバムを聴いてきたけど、Conect.Ohmというユニットの「9980」というアルバムが最高に素敵。
何がどのようにいいのかはうまく言えない。
たいてい、こういう系のアルバムは一回聞くと飽きるんだけど、これは何回も聞いてしまう。
音と構成が凝っていて、変化が地味に抑えてあって、数寄に通じる。

3月

28

控えめな満開

昨日、東京では桜が満開になったという。
近所に桜の名所があるので、毎年のように桜を見る。
今年の桜は控えめかもしれない。
年によってぶぁっと咲く年と控えめな年がある。
今年は少し控えめな気がする。
これからぶぁっと咲いたらそれはそれでいいのだけれど、控えめの桜でもなんかいい気がする。
桜もウクライナの状況を悲しんでいる。

3月

27

砂曼陀羅

昔、護国寺でおこなわれたチベット・フェスティバルで、砂曼陀羅の写真を撮る許可をもらった。
それはチベット僧たちが数日間、息を殺して描き上げたものだった。
初日の儀式を見学し、書き上げられた砂曼陀羅の写真を撮った。
近づくと、砂がもっこりと盛り上がっているのがわかった。
真上から撮影した写真しか見たことがなかったので、そのもっこりを撮るべく、横から何枚も撮影した。
結界となっている城壁や、如来や菩薩が佇んでいる場所が立体となって浮かび上がった。

3月

25

金平茂紀氏によるルカシェンコ大統領へのインタビュー

ロシアのウクライナ侵攻に関しては、一方的な内容しかマスメディアには取り上げられないが、ベラルーシのルカシェンコ大統領から見た侵攻がどういうものか、丁寧にインタビューされている。
アメリカがどのように関わっていると思われるのか、ルカシェンコ大統領が明確に答えた。
いまのうちに見ておいた方がいいね。
金平氏でないとこういうインタビューはできない。

3月

24

十分に中庸な速さで

プーランクのピアノ曲に「3つの常動曲」がある。
1曲目が「十分に中庸な速さで」、2曲目が「とても控えめな速さで」、そして3曲目が「機敏に」となっている。
この曲をはじめて聴いたのは2013年1月30日、プーランクが亡くなって50年目の命日だった。
その日にピアニストの鈴村真貴子さんがプーランクの曲だけのリサイタルを開いた。
鈴村さんは東京芸術大学大学院の博士号を得るのにプーランクのピアノ作品演奏法について論文を書き演奏した。
たった一度10年近く前に聞いた曲だったが、鈴村さんが昨年末にCDアルバム「フランシス・プーランクピアノ作品集Vol.1」を発表し、その1曲目が「3つの常動曲〜十分に中庸な速さで」だった。
ピアノリサイタルの情景を思い出した。
ステージ上に振りまかれた音の色彩。

3月

23

聖なる世界

僕たちは貴重な存在に取り囲まれている。
あまりにも当たり前になってしまったため、見えなくなってしまったその尊さ。
とても高い価値を持ったものしか残らない世界。
そんな世界の中で生かしてもらっている。
「当たり前」と思うか「尊い」と思うか。
それは自分に委ねられている。

3月

22

GO

病院に行くのにタクシーを電話で手配しようとしたら、30分くらいかかると言われたり、話し中でつながらなかったりしたので、GOというタクシー配車アプリをダウンロードして使った。
呼んだら3分で来たよ。
どこ走って来たかわかったし。

3月

21

団子を食べる

みたらし団子と海苔団子を食べた。
網で焼いた焼き目が付いていて、噛むとグニョーッと伸びてくる。
そうやって頬張ったとき、たくさんの記憶や感覚のかけらがキラキラと輝く。
微笑みを連れてくる。

3月

18

団子屋さん

自転車で走っていたら団子屋さんを見つけた。
ショーケースに昔ながらの木枠に入れて、団子が何種類も並んでいた。
いなり寿司や太巻きも売っていた。
昔はこういうお店があちこちにあったけど、今では珍しくなってしまった。
住宅街にぽつんとあるお店。
よほどおいしくないとこれは続かないだろうと思い買ってみた。
食べるのが楽しみ。

3月

17

豊富にあること

すでに豊富にある。
無理に手に入れなくてもいい。
奪い合わなくてもいい。
ちょっと待てば手に入る。
競う必要はない。
ゆったり味わおう。

3月

12

味わい直す

気持ちいいものを文章にするというのはどういうことかというと、そのひとつは「味わい直し」なのだ思う。
人は、いろんな状況でいろんな体験をする。
たとえば、失恋のあとにどんなにおいしいものを食べても、おいしくは感じられなかったりするだろう。
だけどもし、失恋の感情から解放されて、気分のいいときに同じものを食べたら、とてもおいしく感じるかもしれない。
それに似ている。
気持ちいいものを書くことで、気持ちいいものの再体験をする。
ただ文章を書くだけだと再体験にはならないが、文章を書きながら、その体験をまざまざと思い出していくと、新たな体験となる。
すると、かつてした体験がみずみずしくよみがえる。
ことによっては、気持ちいいと感じなかったものも、そう感じるようになる。
それを通して何を見つけるか。
それが大切なんだなと、理解できるようになった。

3月

11

11年

11年前の今日、311が起きた。
11年前の今日、『日刊 気持ちいいもの』を再開させた。
この11年はいろんな感情をもたらす。
きっとどの11年でも、いろんな感情をもたらすだろう。
でも、僕のこの11年は、ほかの11年と比べると、特別な11年になった。
どの11年を取っても特別ではあるが、この11年の特別さとは異なる。
優劣ではない。
異なるということが大切だと思う。

3月

9

忘れられない誕生日

最近ではFBに登録しておくと、知り合いの誕生日をその日に教えてくれるので、メッセージを簡単に送ることができる。
あまりにも簡単なため、自分の誕生日にはたくさんメッセージをいただけるのだが、過剰な気がしないでもない。
でも、FBを見なくても日付を見ると「あ、あの人の誕生日だ」と思い出すことがある。
そういう人にバースデーメッセージを送るのかというと、そうでもない。
照れくさくて遠くから思っています。

3月

8

理解し得ないもの

理解し得ないもの、それが「いのち」。
どんなに単純な構造をした「いのち」でも、誰もその全貌を理解し得ない。
理解すれば理解するほど謎が増える。
掘れば掘るほど掘るべき先が現れてくる。
いつまでも永遠に絶えることなく掘ることを楽しめそうだ。

3月

7

たくさんの傷

僕にはたくさんの傷がある。
あのときにこうしてできた傷。
そのときにこんなふうにできた傷。
つい最近、こうしてできた傷。
これらのおかげでいまの僕になりました。
傷のおかげで僕だと気づく人もいるでしょう。
ありがとう。

3月

6

産みの苦しみ

ロシアのウクライナへの侵攻が気になる。
ロシアが一方的にウクライナの人々を殺しているという報道の一方、ネットを丁寧に見ていくと、ウクライナ極右が非人道的な人間の盾戦術をおこなっているという情報もある。
どれが真実かは僕には知りようもないが、少なくとも第二次世界大戦の時の大本営発表ばかりではないことに感謝。
人類は新たな世界の「産みの苦しみ」に直面している。
一部の権威が一方的に世界を支配する体制から、話し合いによって社会を運営する体制に。
つまり、ピラミッド社会から球体社会への脱皮。
表面上はたいした差がないかもしれない。
大切なのは市民の心と行動だ。
戦ったり、争ったりするのではなく、話し合いと融和が大切。
聞く耳を持たない人に聞く耳を持ってもらうためにはどうしたらいいのか?

3月

4

「ぐるり。」の言葉

世田谷ものづくり学校でおこなわれている、尾山直子さんの写真展「ぐるり。」を見て来た。
訪問介護をしている看護師でもある尾山さんが撮りためた作品を展示したもの。
訪問介護を受けていた「えいすけさん」とその家族の介護風景。
写真作品が展示されているものと思って会場に行くと、会場のまんなかに大きなテーブルがあり、そこに「えいすけさん」の言葉が展示されていた。
それを読むことで、もうどこにもいない「えいすけさん」との対話が始まる。
「えいすけさん」との対話のはずが、いつか自分の心にいる、かつてお世話になったが会えなくなった人たちとの会話になり、いろんな思い出とリフレクションしてこころにジワジワと沁みてくる。

ぐるり。のサイト https://gururi-2021.studio.site

3月

3

もうすでにある

遠くの人とも自由に会話できる。
知りたいことはほとんどなんでも知ることができる。
食べたいときに食べたいものを食べようとすれば食べられる。
いま欲しい物といったら、ほぼなんでも手に入っていて、特に必要でもないものを贅沢品として追いかけている。
そんな幸せな世界になってきた。
このことに目を覚まさなければならない。
いま体験している現実がもったいない。
それを知った上で、社会的に起きている事件を眺めると、もっとどうにかなるだろうとしか思えない。
「どうにもならない」と思わされているように感じる。
答えはすでにあるのに、目隠しをされているようだ。

3月

1

理想論

戦争はほとんどなくなりました。
無意味な殺戮はほとんとなくなりました。
人権蹂躙はほとんどなくなりました。
でも、まったくなくなったわけではない。
なぜだろう?
なくしましょう。