4月

30

平成

平成は、言葉の通り平静だった。
樽に寝かされた酒のように、芳醇な文化が生まれますように。

4月

30

言の葉の神

言の葉の神よ、我にたくさんの麗しい言の葉を降らせよ。
多くの人々が感動するあわいの言葉。
思わず声に出して読みたくなる言葉。
そんな言葉を雨のように降らしてみよ。

4月

29

幻を見る

大学生の頃まで、幻を見るということはなかった。
瞑想の時にビジョンを見ることすらできなかった。
それがふとしたきっかけでできるようになる。
以来、寝入りに幻と現実を行ったり来たりすることができるようになった。
慣れてくると面白い。

4月

27

ジャスミン

町を歩いていると、どこからともなくジャスミンの香りがしてくる季節になった。
まわりを探すと一群のジャスミンの花が咲いている。
小さな白い花々が緑の葉のなかに群れている。
あの香りを嗅ぐとうれしいと同時に切なくなる。

4月

26

ブラック・ジャック

高校生の頃、週刊チャンピオンに連載されていた「ブラック・ジャック」を、いきつけのラーメン屋さんで読むのが楽しみだった。
数ページの連載枠に毎週一話をコンパクトにまとめ、しかも面白くて感動できるという手塚治虫の能力に毎回驚いていた。
手塚治虫が医学部出身だったからというのもあるだろうが、それでもすごいことだと思う。
単行本が出るたびに買い続け、全巻揃えたが、就職するときに古本屋に売ってしまった。
先日入ったそば屋の片隅に、ブラック・ジャックの文庫版単行本が置いてあり、そばを待つ間に一話読んだ。
涙目になる。w

4月

26

緑の地平線〜ホライゾン

『ナウ・アンド・ゼン』の次に出たカーペンターズのアルバム。
このアルバムの発売日、僕は風邪を引いて中学校を休み寝込んでいた。
しかし、このアルバムがどうしても早く聞きたかったので、母親の目を盗んで予約していたレコード屋さんに夕方に行って買った。
はじめて聞いたときには少し違和感があった。
それまでのカーペンターズとちょっと雰囲気が違うのだ。
でも何度か聞くうちに好きになった。
特に「アイ・キャン・ドリーム」の編曲が気に入った。
途中からストリングスが絡み、間奏をトロンボーンの和音で演奏する。
「ソリテアー」、「グッドバイ・アンド・アイ・ラブ・ユー」や「愛は木の葉のように」のような静かな曲が特に良かった。
「オンリー・イエスタディ」や「プリーズ・ミスター・ポストマン」ももちろんいい。
「プリーズ・ミスター・ポストマン」はビートルズも演奏していると聞き、後日聞いたが、ビートルズの演奏が幼稚に思えた。

4月

24

水の底から空を見上げる

アウトドアのプールに入ると、ゴーグルをして潜って、底から空を見上げる。
景色がゆらゆらと揺れてなんかいい。
無意識と顕在意識が入れ替わり立ち替わり去来する。
無意識は気づいたときに顕在意識となり、無意識ではなくなる。
このあるんだかないんだかわからぬ狭間を感じるのがいい。
楽しみすぎると窒息する。

4月

23

何度か見る、何度か見たい

最近はビデオとかDVDとか、便利なものができたので、映画を何度も見るようになった。
といってもそんなに何度も見ないのだが、かつて映画は映画館で見て、ときどきテレビの洋画番組で見た頃に比べれば、何度も見るようになった。
そのおかげか、最近の映画は一度見ただけでは気がつかないようなギミックがこっそりと用意されていたりする。
何度も見るためにかつての映画なら「ミスがあった」で済んだところが、かえってそれが話題になってのちのちヒットしたりする。
好きな映画は何度か見るが、細部を忘れた頃に見る。
頻度が高いのは007とスター・ウォーズだな。
新作が公開される前に見直したりしてね。
連作ではなくてよく見るのは「サウンド・オブ・ミュージック」と「プリティ・ウーマン」。
相方が好きなんだよねぇ。
休日に見ているのを隣で見ていたりする。
僕が何度か見たいと思っている映画は「ニューシネマ・パラダイス」と「クラウド・アトラス」。
でも実際にはそれぞれ映画館で一回と、あと一度見た程度だ。
「ニューシネマ・パラダイス」は173分のディレクターズカット版のDVDを持っているのだが、まだ一度も見ていない。
いつか見ようと思ったまま、いつかがなかなか来ない。

4月

22

干焼蝦仁

レシピをにらみながらはじめて作った。
途中で少々不安だったが、完成品は美味しかった。
ぷりぷりの海老がネギニンニク生姜と溶き玉子のうっすらオレンジ色のあんかけに漂う。
また作ろう。

4月

21

サイトを作る

1998年頃からサイトを作り始めた。
96年頃からインターネットが普及し、WINDOWS98で一般的になった。
GO LIVEというサイト制作ソフトを友人からもらい、それではじめてのサイトを作った。
タイトルは「つなぶちようじの生息域」。
タイトルと、真ん中に牛が一匹いるイラストだけの、ほとんどなんにもないサイトだった。
次第にコンテンツが増えていったが、それをたくさんの人が見に来てくれた。
面白かったのは、海外にいる日本人が見に来てくれたこと。
「飛ぶ教室」というイベントをおこなったときには、フランスやアメリカから問い合わせがあった。
その頃は反応がとてもよかった。
いまは詐欺やなりすましが心配なのか、かつてほどには問い合わせは来ない。
インターネット黎明期というのは新しい出合いがたくさんあって、楽しいものだった。

4月

20

写真を撮る

鳥やトンボが飛んでいるところとか、イルカがジャンプした瞬間とか、撮るのが難しい写真を撮るのが好きだ。
まさにその瞬間、「shoot a photograph」だ。
狙い澄まして撃つ。
狩りではないが、狩りのよう。
あとで獲物の写った写真を見てにんまり。

4月

19

感情を見つめる僕といる

感情の嵐というものは勝手に吹き荒れる。
その最中にそれを観察するのは難しい。
「気持ちいいもの」を書くことで、何度もそれに直面する。
気持ちいい風が吹いているとき「気持ちいいもの」を書くのは難しいことではない。
嵐のときには難しくなる。
そのときに嵐を見つめる自分を見出す。

4月

18

何度も気づく

昔読んだ本をもう一度読むと、かつて読んだときと違った印象を受けることがある。
それは読んでいる自分が変わったから。
自分というものは変わっていく。
同じ言葉を使っていても、その言葉が表現しているものは変化していく。
だから、同じ言葉で同じことに気づいたと言っても、まったく同じ気づきではない。

4月

17

熊の夢

この何ヶ月か、熊のでてくる夢を見続けていた。
一緒に虎もいた。
ときどきそばにやってくるのでちょっと怖い。
でも熊や虎も物陰からこちらをうかがっていた。
いい距離を保って互いを観察している。

4月

16

何をしているのかに気づく

毎日は書けないときもあるが、せっせと気持ちいいものを書くのはなぜか?
僕はずっと心を調えるためだと思ってきた。
だけどやっと気づいたことがある。
それは、自分の心の目の曇りを取ることだった。
常識とか思い込みとか、教え込まれたこととか、そういうことを通してしか物事を見ることができなかった。
その心の目の曇りを取るためにしてきたのだ。
なるほどね。
生きていることって、気持ちいいことしかないのだな、本当は。

4月

15

生きている

人生最大の驚きとは何だろう?
それをさっき見つけた。
自分が生きていることだ。
あまりにも当たり前なため、気づいていなかった。
オギャアと生まれたときから、僕は生き続けている。
すごいことだ。
いろんな意味で。

4月

14

一瞬の理解

人は一瞬にしていろんなことを理解する。
しかし、それを言語化できないために「理解した」と思えないことがある。
そのことを長い時間をかけて僕は理解した。
それをきちんと説明するには本一冊でも足りないかもしれない。

4月

13

言葉の山が花盛り

言葉にはいろんな働きがあります。
言葉のおかげで空想を空想としてあなたに伝えることができます。
言葉様々です。
言葉の山が花盛りになるまであと数ヶ月。
きっと素晴らしく麗しい山を愛でることができるでしょう。

4月

11

言祝ぐ

おめでとうございます。
この文章を読んでいるあなたは世界でたったひとりのあなた。
この世界であなたにしかできない経験を積んでいる。
その貴重な経験はあなたこそのもの。
だからこそ、おめでとうございます。
あなたが生きていることに万歳。

4月

11

歌舞伎揚

小袋の中にある歌舞伎揚をパリッと割って一口大にして、小袋を裂いて中身を食べる。
シャリシャリとした歯ごたえと甘い醤油味が美味しくてにんまり。
小学生のころから食べ続けている。

4月

8

テラバイト

年々、使うハードディスクの容量が大きくなり、いまではテラバイトが当たり前になった。
かつてはキロバイトでやっていたが、それがメガバイトになり、いつしかギガバイトになり、ついにテラバイトになってきた。
容量が大きいと使っていて楽だが、整理しようとすると大変だ。
テラバイトはなんでもかんでも入れっぱなし。

4月

7

桜を撮る

毎年、春になると桜を撮る。
似たような写真だが、同じ写真はない。
光の変化、空の青さ、桜の色、桜の咲き方、撮影の時刻など、いろんな条件の些細な違いで異なる写真になる。
それが面白くてまた撮ってしまう。

4月

5

樹下のさくら餅

桜並木に沿って歩いていた時、ひとりの男性が背中を向けて黙って立っていた。
きっと桜を見ているのだろうと思って通り過ぎようとした。
そのとき、彼の口元にさくら餅があった。
咲いた桜を見上げながら、さくら餅を頬張っている。
それ、いいなと思った。

4月

4

オン・ザ・ビーチ

渋谷のボイルストンではじめて知ったバーボンをすすっていたとき、クリス・レアの「オン・ザ・ビーチ」がかかった。
波の音から始まり、シンバルをブラシでこする音とともにギターがリズムを刻み、エレピが静かにうなる。
そして、クリス・レアの喘ぐような渋い声。
時代はバブルで浮かれていた頃。
なんでもうまく行くかのように思われた世の中は、次第にかげりを見せてきて、一番うまくいってないのは自分の心かもと思い始めた頃、一人の女性との些細な諍いに心痛める。
そんな気分にじっくり染み込む歌だった。

4月

3

対旋律

中学生の頃、レイ・コニフ・シンガーズの「やさしく歌って」を聞いて、その対旋律に興味を持った。
原曲にはないメロディーが最初に流れ、途中から盛り上がりのメロディーにそれが対旋律として絡む。
ジャズのアドリブと同じで、コードさえ保っていれば、どんなメロディーをいれてもいいのだと気づき、いろんなメロディーに対旋律を作って遊んだ。
あの頃はイージーリスニングのオーケストラがたくさんあって、同じメロディーにいろんな対旋律が聞けたので参考になった。
特にレーモン・ルフェーブルの「シバの女王」の対旋律には衝撃を受けた。