7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

7月

10

執着を見つめる

人間、生きている限り、執着を手放せないのだと思う。
なにしろ生きていることが執着の一つだ。
それすら手放すって、死んでしまうよ。w
あるときからそういう自分を観察することにした。
正しくは「執着する自分を見つめる」ということかな。

7月

8

山から星へ

昔、宇宙の中心は山の頂上にあった。
だから神様の多くは山にいた。
長い歴史のなかで、いろんな宗教が神様をいろんなところに連れて行った。
いろんなところに神様が現れるようになり、宇宙の中心は曖昧になったが、それでも人間のイメージとしては、山の頂上が宇宙の中心になることが多かった。
ところがある時から、星が宇宙の中心になった気がする。
その星の中心が宇宙の中心でもある。
それはもちろん象徴的なもの。
各個人が宇宙の中心にいて、いろんな存在につながっている。
星と星が重力や電磁波で結ばれているように。
山を象徴とするピラミッド構造を維持したい人は、星を象徴とする多次元的な人とのつながりに困惑し、一生懸命ピラミッドに戻そうとしているかのように思える。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

6月

2

適切な質問

ユングが錬金術を研究していたことを友人に話したら、質問された。
「なぜユングは錬金術を研究したの?」
その質問で、曖昧だったことがはっきりとした。
こういうのを適切な質問というのだろう。

6月

2

曖昧になることはっきりすること

「わかることとわからないこと」に書いたように、曖昧になることがある一方で、曖昧ではあるけど譲れないことが現れてくる。
それがなぜ譲れないのか、説明してもあまり説明にならない。
なぜなら、その説明は僕の心にあることで、他人とそれを共有してないから。
共有するためには、きっとその人との濃密な関係が必要になる。

5月

23

5000回記念

もうすぐ4500回を迎える。
5000回には何か、個展のようなことをしたいと思っているが、5000回分の文章をただ掲示しただけでは面白くない。
何かいいアイデアはないかとうつらうつら考える。

5月

11

集合無意識

今の日本はいろんなところで抑圧されていて、その結果何が生み出されるのか心配でもあり、楽しみでもある。
集合無意識が、いろんなところで形になる。
アートや哲学、エンターテイメントへの影響が楽しみ。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

5

創作的に読む

はじめて現代語訳された大乗起信論を偶然読むことになった。
それを古本屋で見つけたのだ。
その本は筑摩書房から昭和40年に出版された世界古典文学全集の第七巻『仏典Ⅱ』、そのなかに大乗起信論が含まれていた。
仏典の現代語訳を自分で買ったのはこれがはじめてだった。
翻訳が良かったのだろう、そこにある意味をぼんやりとつかむことができた。
しかし、一見すると矛盾しているようなことが多く出てきて、「なんのことやら?」と思う部分もたくさんあった。
だけどひとつ、これはこういうことだなと理解できることがあった。
それは「熏習」という言葉。
これはまさに「リフレーミング」のことを言っているのだろうと勝手に解釈した。
そのおかげで、その大乗起信論を何度も読むことになった。
その一点を理解したことで、この文書には読み取れていない何事かが書かれていることを信じることができた。
信じなければこの本は、とても読めなかっただろう。
信じて読むことで、あとから新たな区別が僕の心に生まれてくる。
その区別がまた別のことを理解させてくれる。
「創作的に読む」ということがどのようなことか、読んでいる最中には気づかなかったが、あとで考えるとこういうことなのだなと理解できた。

4月

2

深遠な智慧に開かれていく

いつも「気持ちいい」状態でいることなどできるのだろうかと、この『日刊 気持ちいいもの』を始めた。
その結果、いろんなことが理解できるようになってきた。
最初はきっとリフレーミングの限界と可能性を知ることになるんだろうと思っていたが、結果としてはそれ以上のものになってきた。
かつて理解できなかったことのいくつかが、急に理解できるようになってきた。
なぜそのようになったのか、きちんと説明したいが、それが難しい。
いままでもそのようなことがときどき起こったし、これからも起こっていくんだろうなと漠然と思う。
たとえば、かつて僕は相方の感情に揺らされていた。
相方が怒ると僕も怒らざるを得ない。
だから一度喧嘩が始まると収めるのに時間がかかった。
それが以前ほど揺らされなくなった。
なぜか? と問われて、答えることはできるが、通り一遍の答えでは聞いた人はその恩恵を受けとることはできないだろう。
たとえば、「あらゆるモノがつながっていて、それらに感謝するしかない」と知っていても、相方が怒れば僕も怒る僕だった。
感情が揺らされないためにはいろんな体験と智慧が必要だった。
そしてまた僕は、さらに変化していくんだろう。
相方に感情を揺らされることも起きるだろう。
歳だからそう思うという見方もあるだろう。

3月

23

大日経を読む

大日経の現代語訳を読んだ。
いままでにいろんなお経の現代語訳を読んできたが、きちんと理解しているものはほとんどない。
そもそも理解するというのはどういうことなのか、それすら謎になる。
わかったような、わからないことが、ずっと続く。
眠くもなる。
それを続けているとやっと理解できることが生まれてくる。
それはまさに、僕の内側に生まれる。
他人に説明しても詮無いことだ。
なるほどと唸る。
いろんなお経に苦労して、「あれは理解した、これは理解できない」とやり続けてきたおかげだ。

3月

11

10年前の今日

10年前、3月1日から試運転した。
3月1日に1991回として、3月11日が2001回の正式稼働。
『日刊 気持ちいいもの』を再開した。
正式オープンの言葉とともに、以下のような文を流した。

—–

生きていること

生きていることは何よりも気持ちいいこと。
もし生きていなかったら
気持ちいいも、気持ち悪いもない。
「愛する」の反対が「憎む」ではなく、
「無関心」とマザーテレサは言った。
「気持ちいい」の反対が「無感覚」としたら
感覚を持てる「生きている」状態は
どれほど素敵なことだろう。
生きている限り、
気持ちいいことを感じていこう。

—–

朝の七時頃に配信して、その日の14時46分、東日本大震災が起きた。
翌日から気持ちいいとはいえない状況の中、「気持ちいいもの」を配信し続ける。
偶然だとはわかっていても、、、

3月

4

聖なる瞬間

ミルチャ・エリアーデの著作に『聖と俗』がある。
そのなかで「聖なる瞬間は繰り返される」という話しがある。
たとえば聖なる瞬間をお祭りなどで反復するのだ。
なるほどと思う。
僕にとっての聖なる瞬間もいくつかあって、それらを記憶の中で反芻している。
この『日刊 気持ちいいもの』で何度か書きたくなる内容は、僕にとっての聖なる瞬間なのだな。
そうだとしたら、同じこと何度か書いてもいいじゃないかと思える。

3月

4

夢見と何度も書くこと

夢について何度か書いた。
それでわかったのは、夢は一面的ではないことだ。
ある場面を見たとする。
それが僕にとってどんな意味なのか、どんな感情をともなうのか、どんな表現が適切なのか、それを感じていくと、いくつもの意味や感情や表現があらわれてくる。
それは現実の景色でも多少あって、結局、僕の感じる夢や景色は多面的であることがわかってくる。
一度それを受け入れてしまうと、不安定な意味や感情の羅列が吹き出してくる。
いや、ちょっと違う。
羅列ではないのだ、不安定な意味や感情が同時に生起し、それを表現するのに羅列するしかなくなるのだ。
言葉を使うことにあまりにも慣れてしまっていて、羅列されることが当たり前で、そのように感じていると思い込んでいるのだ。
同時に生起した意味や感情は、表現しにくいためにすぐには言葉にならない。
この沈黙が大切なのだ。

1月

25

矛盾だらけの話

自分には矛盾がある。
話す相手によって違うことを言うことがある。
それはある程度仕方ないことだと思っている。
相手のことを思ってそう言って上げるのであれば、それは仕方ないことと言えるだろう。
では、自分の都合を優先するために話を変えることはどうだろうか?
自分の都合というのが具体的にどういうものかによって変わるだろう。
たとえば、こんなふうに考えることができる。
視点が自分の内側にあるか、外側にあるかで、判断が変わる。
常識では多くの場合、視点は自分の内側にあるものだ。
だけど政治家のような人間は、社会の視点という自分の外側に視点を持って行かざるを得ないことがある。
そういうとき、狡猾な人は外と内を混同して、話を曖昧にしてしまうことがある。
どういうときに内側に置き、どういうときに外側に置くべきかは、きっと「共感」という、いまの僕たちには少し曖昧な判断基準によって決められる。
それを厳格にできるものなのか、いまの僕にはよくわからない。
それはただ、各個人の心によるものと考える人が多数派だろう。

1月

23

何をしているのか

「日刊 気持ちいいもの」を書き続けることでいったい僕は何をしているのか?
その理由をかつて書いた。
だけど、新しい理由をもうひとつ見つけた。
僕は誰かを説得しようとは思わない。
ただ自分が感じたことを表現したいだけだ。
誰も共感してくれなくてもいい、誰も賛同してくれなくてもいい。
僕が感じたことは僕だけのものだ。
たまたま同じことを感じる人はいるかもしれない。
たまたま共感する人はいるかもしれない。
それでいい。
誰かを無理矢理説得して、自分と同じ方向を向かせ、自分と同じ考えを持たせることはない。
あなたはあなたのままで、僕の文章を、読みたいときだけ読めばいい。
多様な世界はそこから始まる。
そういうことが感じられる文章とはどんなものか?
それを見つけてみたかった。

1月

22

気持ちいい状態

毎日、ここに文章を書くときには、気持ちいい状態になる。
もう4374回もやって来たわけだから、はじめの1000回程度の頃よりずっと楽にできるようになった。
だけど、このところなかなか難しい状態が続いている。
なぜなのかの理由はわかるが、それを解消するための探求は続く。

12月

9

日刊 気持ちいいもの No.00001〜No.01700

『日刊 気持ちいいもの』の最初の1700本をpdfにまとめたものをざっと読み直した。
忘れていたたくさんの気持ちいいものに出会えて良かった。
僕が書いたのだから、どれを読んでも気持ちいい感覚がよみがえる。
気持ちがブルーになったとき読むといい。
『日刊 気持ちいいもの』サイトのトップに置いてある。
読者登録した人はログインすれば読めます。

11月

30

居心地の悪さ

居心地の悪さが気持ちいいというのは、理解されにくいことだろう。
何かを表現したいとき、まず来るのが、この居心地の悪さなのだ。
何かを表現したいが、それを正しく伝える言葉がないとき、そういう気分になる。
それは長い文章で書き伝えないと伝えられない何か。
それが兆したということ。

11月

23

思い込んでいるものとは違う

僕はたくさんの幻想を持っている。
僕は六感で感じることしか知らない。
つまりそれらの感覚で生まれる幻想と共に生きている。
だとしたら、真実とは何か?

11月

20

いろんな意味を感じる

いまニュースになっているいろんなことについて、いろんな意味を感じてみる。
いろんな解釈が可能だ。
だけど、もし自分が恐怖に駆られていて、「とにかく安全でないといけない」と考えると、他の存在を軽んずるようなことを考えるかもしれない。
日本とか、世界とか、大きな社会のことを考えるのなら、大きな視点を持たないと判断を誤る。
自分という個人のことだけを考えていては正しい考察はできない。
だからといって日本のことを考えるのに、日本だけのことを考えてもダメだ。
各個人のことを考え、国のことを考え、世界のことを考える。
その上で、考えることを脱してそれぞれの階層を感じてみる。
そのためにはまずたくさんのことを学ばなければならない。

11月

4

全体性を見つめる

全体性を見つめると、悪は善に勝てない。
堕天使は天使に勝てない。
闇は光に勝てない、
だから光は闇の存在をただ愛してあげれば良い。
共感しつつ、その境界線を認識していればいい。
愛とは、関わり合う全ての存在をありのままにしてその力を引き出すような、高度な組織化を助ける力だから。

9月

22

波紋の写真

ヒーリング・ライティングのサイトでトップに使っている波紋の写真が好きだ。
バリ島のサヌールというビーチで撮った。
朝日に輝く引き潮の海面。
浅瀬にできる潮だまりに朝日が反射して金色に輝く。
底にいる生物たちが出すガスが浮いてきて幾重にも重なった波紋を作る。
http://www.healingwriting.com

9月

18

ヒーリング・ライティングBeer House

ヒーリング・ライティングBeer Houseを始めた。
会場はZOOMを利用してネット上でおこなっている。
今までに四回開催したので、三回目からは冒頭のプレゼンテーションをYouTubeにアップロードし始めた。
https://www.youtube.com/channel/UCcaXJJw7OvQ7R5qVukklnhw
なぜBeer Houseとしたかというと、緊張しているとヒーリング・ライティングはうまくいかない。
ビールを一杯飲んだくらいでやるのがいいかなと思ってそういう名前にした。
もちろんお酒に弱い人はお茶でもいい。
リラックスして参加してほしい。
遅刻されると他の参加者に影響があるので、開始時刻は厳格に守る。
遅刻した場合は参加できないということにした。
一緒にやる人たちのため。