10月

30

人新世の「資本論」

資本主義が次に向かうべき方向とは何か?
それが書かれている。
マルクスは資本論第1巻を書き上げてから、死ぬまでの15年間、自然科学などを学び、人間と自然の物質代謝について考えていたという。
簡単に言えば、来るべき地球環境問題について深く考えていたのだ。
そのために資本論第二巻、第三巻が書けなくなってしまった。
第一巻も書き直そうかとしていたようだという。
なぜ著者斎藤幸平氏はそのようなことを知っているのか?
現在MAGAと呼ばれる国際的出版プロジェクトに関わっており、それはマルクスとエンゲルスの草稿・遺稿・メモなどを100巻ほどの全集とするものだそうだ。
それを精査すると、マルクスが環境問題を取り込んでどのような解決をもたらそうとしていたかが浮かび上がってくるという。
この晩年のマルクスの考えを背景に、資本論第一巻を読み直す必要があると齊藤氏は主張する。

10月

29

真如

「大乗起信論」に真如という言葉が出てくる。
わかったようでわからない言葉。
その人の立場や精神的段階によって意味が微妙に異なる言葉。
言葉とはいったいどんなものかが炙り出される言葉。

10月

29

心が揺れる

些細なことで心が揺れる。
「そんなこと気にしているんだ」と気づく。
僕の心は薄い絹のカーテンのよう。

10月

27

隕石

最近、隕石の落下が増えているように感じる。
2013年にロシアのチェリャビンスクに落ちたが、それ以外にもいくつか報道された隕石があった。
地球に接近する可能性のある天体のことをNEO(Near Earth Object)という。
現在すでに1万6千個ほど発見されている。
それらは軌道が計算され、100年は地球には落ちてこないそうだ。
しかし、観測できない小さな隕石はいつでも落ちてくる可能性がある。
中にはスペースデブリであることもある。

10月

26

アームチェア

歳をとって筋力が落ちてくると、肘掛がある椅子がありがたくなる。
以前は肘掛は邪魔なくらいに思っていた。
歳をとるとありがたいものが増えるんだな。

10月

26

ゆっくりやる

いろいろなことが若い頃のテンポではできなくなってきた。
だからゆっくりやる。
相方が「疲れたが口癖になっていない?」という。
確かにそうかもしれない。
よく感じてみると、疲れたのではなく、思う通りに体が動かないのだ。
思う通りに体が動かないとき、若い頃だったらそれは疲れた証拠だったから、「疲れた」と思う。
仕方がないのでゆっくりやる。
丁寧にそうしているように思えてくる。

10月

24

ジャズを聴く

ほぼ毎日のようにジャズを聴く。
アドリブが好きなのだ。
フリージャズのようなアドリブではなく、元になるメロディーやコード、あるいはモードがある程度決まっているものの方が安心する。
ジャズのアドリブの気持ち良さは、生まれてくる音の流れがある程度予想でき、そしてたいていは裏切られることにある。
予想してその通りだと喜び、裏切られてもまた喜ぶ。
それに慣れてきたら、そういう音の流れの中に浸かっていることが気持ちよくなる。

10月

23

意味をたくさん持つ

毎日気持ちいいものを書くことは気持ちいい。
毎日気持ちいいものを書くことは面倒だ。
毎日気持ちいいものを書くことは勉強になる。
毎日気持ちいいものを書くことは無駄なことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは価値のあることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは暇な人がすることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは心の修養になる。
毎日気持ちいいものを書くことは意味がない。
毎日気持ちいいものを書くことは光を灯すことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは闇を見つけることだ。
・・・
こうやって毎日いろんな意味を見つけ続けられることがとてもありがたいこと。
このような状況を生み出してくれた一切の存在、状況、宇宙に、深い感謝を捧げる。

10月

22

満足する

現代の人にとって、満足するというのがとても大切な課題になってきた。
どんなに技術力をあげても、どんなに環境負荷の低い商品を作っても、環境破壊は止まらない。
今の文明で満足し、物資が足りない国や地域、資源が足りなくて困っている人たちに、一緒に生きていくために何ができるのかを考え、自分の利益や楽しみや消費が過剰にならないように考えなければならない。
それは、自分の身の回りの状況を考えて何が過剰かを考えるのではなく、飢餓や飢饉、戦争や難民の状況を考えた上で、何が過剰かを考える。
日本のような先進国は、どう考えても過剰だ。
もう今の状況で満足するべきだろう。
国内においてもヒエラルキーの下にいる人たちからの過剰な搾取はもうやめよう。
特に資産をたくさんお持ちの方は。
不満足な人を満足させてあげよう。
そしたらきっと、新たな不満足の循環は生まれてこなくなる。
もう十分に与えられているのだから。

10月

22

朝のコーヒー

毎朝のようにコーヒーを飲む。
豆を電動ミルに入れて、細かく砕き、粉にしてドリッパーにセットする。
お湯を注いでいくとコーヒー豆の粉がふっくらと膨んできて、コーヒーの香りが充満する。
朝の心地よい儀式。
以前にもここに書いたから、もう書かないと思っていたが、あえて書いてみる。
繰り返される心地よさは忘れてしまいがち。
記憶を遡っていけば、幼い頃に13歳年上の兄にコーヒーを入れてもらった幼稚園児か小学生のころにたどり着く。
あれから何度繰り返したのだろう。
それぞれの時に、それぞれの喜びがあり、それぞれの感覚があった。
もし朝にコーヒーを淹れられなくなったら、それだけで寂しいことだと思う。
朝にコーヒーが淹れられることの、何というありがたさ。

10月

20

欲望の拡大を抑制する

資本主義では人間の欲望をうまく利用することで社会を成立させているという。
社会が成熟するまではそれでよかっただろう。
でも、そろそろ欲望の拡大に歯止めをかけるべきではないか?
人間は十分に地球資源を搾取した。
これからは搾取せずに生きる術を探すべきだろう。
そのためには、自分の中に存在する「欲」に直面しないとならない。
他人に対する搾取についても考えなければならない。

10月

19

ルーティーン

気持ちいいものを書くことが僕の朝のルーティーンだが、時々書けないことがある。
そういうときにルーティーンの大切さが身に染みる。

10月

19

感覚を新しくする

どんなに気持ちいいものでも、慣れてしまうと気持ちいいとは思わなくなる。
慣れたものは「当たり前」になる。
そのことを思い出すと気持ちいいものは身近にたくさんある。
慣れるまで僕のそばにいてくれてありがとう。

10月

19

沈香

911の数時間前、京都で沈香を買った。
箱には十点ほど入っていたが、今はもう二点しかない。
その一点を点てた。
書斎をふんわりと包んでくれる。
20年は夢のごとし。

10月

16

アームクリップ

シャツの袖が長いとき、アームクリップで留める。
今日までそれの名前がわからなかった。
調べるとアームバンド、アームガーター、シャツガーターなど、いろんな名前が出てくる。
どうも統一された名前がないようだ。
とにかくそれを使う。
袖が長いまま上着を着ると、上着の袖からシャツの袖がダラダラッと出てきて鬱陶しい。
いい長さで留めるために苦労する。
シャツの袖に留めるから片手でやらなくてはならない。
丁寧にやるためにはシャツを着る前に留めればいいのだろうが、たいてい着てから「あ、袖が長い」と思って付けるので片手でやることになる。
そうしながら「留めにくい」と静かな怒りを抱える。
着る前に付ければ楽なのに。
両袖が無事に留まると深く息を吐く。

10月

15

複雑なことを味わう

世の中はよく見てみると複雑なことで満たされている。
その複雑なことを一般の人はすべて知る必要はないようにできている。
そのおかげで多くの人は楽に生きていける。
一方で、複雑なことを知ることで、それまで見えなかったことが見えてくる。
どちらの楽しさを味わってもいいし、辛さを味わってもいい。

10月

14

机上の掃除

二つの机を使っている。
一つはいつも使うので場所をあけてあるが、もう一つの机は油断するとすぐに荷物の山となる。
読みかけの本とか、書類とかが山奥の森のようになる。
そこを掃除した。
未解決の冒険のネタがたくさん出てきて辛くて楽しい。

10月

14

核軍縮が選挙前に発表されるとか

トランプがプーチンと核軍縮を話し合い、米大統領選挙前に発表するという。
本当ならめでたい。
https://bit.ly/2Il4K30

10月

12

バインダーノート

中学生の頃から愛用していたバインダーノートがひょっこり出てきた。
半透明になっていて、ポケットに入れた絵や文字が表紙と裏表紙から見える。
表紙にはハワイのティキゴッド、裏表紙にはアフリカの木彫りの仮面をデッサンしたものが入っていた。
ノートには浪人生の頃に書いたと思われる英単語の一覧が入っていた。
いま読んでも意味がわからない単語がある。
数学的な英単語が多いから、大学生の頃に書いたのかもしれない。

10月

12

秋の虫の声

窓を開けると秋の虫の声が聞こえる。
きっと彼らは年を越さない。
そう思ったら、幼い頃に同じことを考えていたことを思い出した。
切なくて身悶えした。
息が苦しくなって困った。
ナイーブだったな。

10月

10

リンガラ

ケニアに行った時、土地のポビュラー音楽にリンガラというものがあった。
特徴は軽快なエレキギターのリズムパターン。
どの曲にもほぼ必ずウキウキするようなリズムパターンが刻まれる。
それを聞きながら平原に作られた一本道を車で走るのは最高だった。

10月

9

カーディガン

薄手のカーディガンがちょうどいい季節になった。
シャツだけだと寒いけど、セーターを着ると暑過ぎる。
カーディガンを着て、少し暑ければボタンをはずす。
外出先では緊張しているせいか、カーディガンのボタンは閉めたまま。
うちにいるときだけ微調整が必要になる。

10月

8

春だ

朝食を食べていたとき、相方がポツッと「春だ」と呟いた。
それまで「前日から10度も温度が下がって風邪を引きそうだ」と言っていたにも関わらず、ポツッと「春だ」という。
一瞬相方が何を言っているのかわからなかった。
ことによってはボケたか、精神的錯乱か? と思ったが、次の瞬間、目が覚めたのは僕の方だった。
ラジオから爽やかな声が聞こえてきた。
女優波瑠の声だった。

10月

7

野菜のごった煮

冷蔵庫に野菜がたくさん残っているとごった煮を作る。
もう数日置いておくと悪くなりそうな野菜をまず優先させる。
それを中心に何を入れると美味しくなりそうか考えて適当に他の具材を入れる。
うまくハマって美味しくなると嬉しくなる。
今日はトマトを中心に、玉ねぎ、大根、椎茸、鶏肉、それにベランダで育てている月桂樹とローズマリーの葉を入れた。
セロリも入れたかったが、冷蔵庫になかった。
思ったより美味しいのでムフフ。

10月

6

小さな刑事

中学生になって好きな映画を見るようになった。
きっかけは「ウエスト・ワールド」。
あまりにも面白くて、以来新聞で映画の広告を見ては誰かを誘って見にいくようになった。
そうやって見に行った三作目がイタリア映画「小さな刑事」だった。
とても切ない映画で、映画館ではじめて泣いた。
もう一度見たいのだが、ビデオもDVDも出ていない。