6月

17

笑いのコツ

笑いとは感情だから、伝染する。
泣いている人がそばにいると泣きたくなるし、怒っている人がそばにいると怒りたくなる。
大人になれば感情の操作に長けてきて、隣に誰がいようが無視できるようにもなるが、意図的に操作しないと人間の感情は同調していくもの。
なので、笑っている人のそばにいるとたいてい笑いたくなる。
笑いの感覚をもし自分が意識的に持てれば、いつでも笑えるのかもしれない。
かつて笑いのエクササイズというのをやったことがある。
1時間半笑い続けるという飛んでもないエクササイズだ。
はじめは笑いたくもないのに笑うという心理的障壁があるが、自分がやると決めれば案外笑えるものだ。
そして、笑い続けて30分もすると、アゴと腹筋が痛くなってくる。
ここから先はその痛みを感じながら笑い続けるという感情の創作作業になる。
このエクササイズのおかげで、いつでも笑おうと思えば笑えるようになった。
そして、笑うとまわりの人がたいていつられて笑う。
一生懸命抵抗する人はいるが、そういう人は抵抗することに怒りを覚えるようになる。
抵抗を手放せば、笑えるのに。
笑いのコツは、笑いの雰囲気を作り、きっかけを与えるということだろう。
笑いの雰囲気は、雰囲気であるが故に、簡単な人には簡単だし、難しいという人には難しくなるようだ。

6月

16

ミルクセーキ

牛乳と卵、それにバニラビーンズと氷を入れ、ミキサーにかける。
甘みはハチミツと黒砂糖を使った。
幼い頃、母がよく作ってくれた。
その頃はバニラビーンズが手に入らないので、バニラエッセンスを使っていた。
ひさしぶりに作ったミルクセーキは氷を入れすぎ、ソフトクリームのようにねっとりした。
相方がコップから飲もうとしてなかなか出てこず、思い切りのけぞったら一度に落ちてきて服を汚した。
それを見て笑ったあとに僕は、ステア用のスティックを出してかき混ぜて飲んだ。

6月

11

全体を知る

どんなに小さな生命のことでも、その全体を知るのは難しい。
命のメカニズムは、どんなに小さくてもとても複雑だ。
だから、僕たちが普通に見ることができる動物のメカニズムになると、さらに難しくなる。
何しろ生きている自分がなぜ生きているのかすらわからない。
細かいデータが積みあがって、小さな連動をすべて知るようになっても、きっと生命を成立させる新たな枠組みが理解できない限り、生命がなぜ生命であり続けるのかはきっと理解できないだろう。
「仕組みを知る」ということ自体に問題があるのかもしれない。
イリア・プリゴジンがノーベル賞を取って40年以上たつが、散逸構造と分子運動の関係など、曖昧な部分をどのように見るかも関わってくるだろう。
ホロンの層が変わると、規則も変わる。
人間はどこまで行っても群盲象を評すことを抜け出せないのかもしれない。

6月

11

連絡がつく

知らない人にインタビューするのに、いろいろと手を尽くして連絡先を探り、やっと見つけて連絡を取る。
相手から返事が来るととてもうれしい。

6月

9

いろんな意味を受け取ると何に気づくのか

No.03861の続きを書く。
いろんな意味を受け取る人がどんなことに気づくかだが、それはたくさんのことに気づくことになるので、「これに気づく」というふうに限定はできない。
自分が持っている意味の枠組みがガラッと変わるので、人によってはそれをアセンションというかもしれないし、人によってはそれは気づきだというかもしれないし、人によっては悟りだというかもしれない。
そんなの当たり前に知っていたという人には、たいした変化は表れないかもしれない。
この話は最近の若い人で、センスのいい人ならすぐに理解するだろう。
平野啓一郎が『ドーン』という小説で分人主義と言う考え方を披露している。
それは、人間は誰でも、目の前の相手や、置かれた場所によって自然と自分のあり方を変えて行くというものだ。
それは意図的なものではなく、自然とそうなってしまうようなこと。
たとえば、会社で話す話し方と、家で子供に話す話し方では、自然と語調も雰囲気も違うだろう。
そのような状況によって異なる自分になってしまうことを認める立場が分人主義だ。
たとえば企業人としては認めざるを得ないことでも、父親としては認められないとか、地域社会の一個人としてはどう考えるとか、立場が違うと出す答えも違うことがあるだろう。
それをいままでは比較的「個人」という考えにまとめられ「矛盾があってはならない」という幻想を抱かされ、ひとつのある方向に思考を限定するような教育がなされてきた。
それは工業社会や帝国主義社会には必要だったかもしれない。
それがいま緩まりつつある。
緩まることで多様性を許容する社会となっていくだろう。
社会の多様性を許容するためにはこのような心の状態、つまりいろんな状態が複合していることを許容することが不可欠に思える。
そのようなことを感性的に受け取るきっかけのひとつとして多次元リフレーミングが使えたらなと思う。
結局、多次元リフレーミングとは何かだが、人はひとつだけの考えしか持たないものではない。立場によって違う考えを持つ。
だから、目の前に現れた現象の意味は一つだけではない。
しかも、別の人が同じ状況を体験しても、また別の意味が生じる。
そのようにして現象に対する意味は複雑で様々だが、その様々な意味を人間は共通のものでないとおかしいと思い込もうとしていた。
その思い込みを手放すときが来て、それを手放すことで何が表れてくるかということが大切なこと。
それを多次元リフレーミングが可能にする。
しかし、多次元リフレーミングが意味するものは、ここに書いたことよりもっと範囲が広い。
それはまたいつか。

6月

9

いろんな意味を含む言葉

「多次元リフレーミング」の話をするといったら「難しそう」といわれた。
確かに難しいのかもしれない。
でも、それを簡単に伝える方法はないかなと思っていたら、答えが夢に出てきた。
たとえば、この会話。

A「あの人に好きだって言ったんだ」
B「あんたバカやわ」

この会話文からどんな意味を読み取っただろう?
かつての僕なら「前提がわからないから正しい意味はわからない」と答えた。
それも確かなことだろう。
だけど、こんな答えもできる。
Aがどんな相手に「好きだ」と言ったかによって、いろんな意味が表れてくる。
もしAが遊び人風の男だったら、Bの「あんたバカやわ」は、「あんな男はやめておきな」という意味かもしれないし、「あんな男とつき合うなんて時間の無駄よ」という意味かもしれないし、「あんた物好きだね」という意味かもしれないし、往々にしてそれらすべての意味を含むことになる。
またはAが「好きだ」と言った相手が堅物でまじめで、浮気なんか絶対しないような男だったとしたら、Bの「あんたバカやわ」は、「結婚するつもり?」だったり、「遊びじゃ済まなくなるよ」という意味だったり、「あの男はやめておきなさい」だったり、またまたいろんな意味が浮上する。
そのどの意味を自分が受け取るのかは、心持ちや状態で変化することがある。
つまり、自分が持っている心的フレームによって、どんな意味が表れてくるかは決まってくる。
それが心の深い部分で同意できる人は、自分の心のあり方を変えることで、同じ文でもいろんな意味が浮上してくることがあることを受け入れられるだろう。
多次元リフレーミングでは、その自分の枠を意図的にいろんなものにしてみることで、自分が固く持ち続けている意味や解釈を別の物にしてみる試みだ。
無理にすることはない。
したい人がすればいい。
それが簡単にできる人は、いろんなことに気づいていく。
簡単にはできなくても、多少はできる人は、それを意図的におこなうことで着実に何かに気付いていくだろう。
次回へ続く。

6月

7

声が出せる

三日ほど前、寝る前に喉がイガイガしていた。
うがいをして寝たが、それから三日の間にガラガラ声になってしまった。
「あー」と声を出すと、三種類の音が聞こえる。
出したい声と勝手に出てしまう別の音と、ガラガラと鳴るもうひとつの音。
こんなのははじめてた。
普通に声が出せるって、ありがたいことだったんだな。

6月

6

好きなら好きだとはっきりいえ、ない

最近この『日刊 気持ちいいもの』では、気持ちいいのかよくないのか、はっきりしないものが取り上げられるというご意見をいただきそうな気がする。(笑)
気持ちいいものを追求していった結果、「気持ちいい」と「気持ちよくない」の二分化は正しくないなと思うに至った。
どんな感覚でも繊細に感じていくと、「いい」部分と「よくない」部分と、さらに感じていくと「いいともよくないともいえない」部分が現れてくる。
それを「いいか悪いか」で二分するのはどうも違うなと、3859回も書き続けて感じるようになってきた。
ある日には「いいな」と思っていたものが、別の日には「それほどよくないな」と思うことなどいくらでもある。
しかし、一度「いい」と言ってしまったら、「正しい自分を演出するため」にはいつでも「いいものはいい」といい続けなければならないような気がしていた、というか、そういうことを意識もせずにそれを結果として心がけていたように感じる。
最近それは違うなと思うようになった。
右翼か左翼かと問われたとき、たいていの人は違和感を感じながらかつてはどちらかを選んでいたのだと思う。
でも、最近のセンスのいい人は「どちらかには決められない」と思っている人が多いのではないか?
立場やその日の状態や、話す相手などによって、言いたいことが微妙に違うのはよくあること。
あって当然だろう。
時代がその曖昧さを許容できるものになってきた。
国会も多数決だけで考えているのは時代遅れではないか?

6月

5

プチぷよ

相方がプチぷよというプチトマトを買ってきた。
まず名前がかわいい。
プチぷよ。
キャッチーなネーミンクだ。
このプチトマト、食べるときの食感がほかのプチトマトとは違う。
名前の通り、ぷよっとした食感だ。
しかも甘い。
パチッとはじけるような食感が好きな僕としては、ぷよっとしたプチぷよは及第ギリギリだが、ネーミングがいいので取り上げた。
相方はその食感も好きだという。

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6月12日(水)の夜に代々木で以下のようなお話しをします。
30年間考え続けてきたことをはじめて人前で話します。
興味のある方はぜひいらしてください。

◎レゾナンスCafe Vol.031
「人類はもうすぐ悟る
   〜多次元リフレーミングの視点から」

人類はなぜ全体的な悟りになかなか至らないのか?
お釈迦様は紀元前に生まれて過ごしましたが、その悟りは一部の人にしか伝わっていませんでした。
それがこの時代になって仏教に興味を持つ人が増え、次第に広がっていくのはなぜか?というお話しを起点に、仏典に埋め込まれているリフレーミングについて考え、それが多次元にわたって起こることがどのようなことなのかを説明します。
その結果、人類全体での悟りがどのように表れてくるのかについて考えます。
みなさんの考えもぜひ聞かせてください。

日時 令和元年6月12日(水)
          午後7時00分より
会場 BVハウス
    東京都渋谷区千駄ヶ谷5-20-23
    JR山手線・代々木駅東口 徒歩2分
    地図 http://bit.ly/1htntqy
    案内 http://bvhouse.exblog.jp
スケジュール
    19:00 開場~名刺交換
    19:30 つなぶちようじのお話
    20:30 ご歓談
    21:30 中締め
会費  3,000円(飲物と軽食つき)
定員  12名
お申込 こちらのメールフォームからお願いします。
    http://www.houshouakira.com/modules/mailform/index.php?controller=form&id=3
レゾナンスCafe URL
http://www.houshouakira.com/resonance/

6月

4

言えない思い

昨日の「日刊 気持ちいいもの」を書いて思い出したことがある。
それはまだ黛敏郎が「題名のない音楽会」の司会をしていた頃、「ビギン・ザ・ビギン」をテーマに番組を作ったことがあった。
その中で黛が「ビギン・ザ・ビギンはフリオ・イグレシアスの編曲で短調の部分がなくなり、芸術性が失われた」と主張した。
「ビギン・ザ・ビギン」の原曲には長調の部分と短調の部分があり、長調の部分でかつての恋の華々しい思い出を歌い、短調の部分で現在の失恋状態を思うという構成になっている。
それを黛は実際にオーケストラに演奏させて解説し、さきほどの主張をしたのだ。
それを聞いて、僕はうなってしまった。
黛の言いたいことはわかる、でもね・・・という、「・・・」の部分がうまく言葉にならなかったのだ。
それを30年もして思い出すのだから、「・・・」の部分はよっぽどのことだろうと思うのだが、そんなによっぽどのことでもない。
なにが「・・・」に含まれていたのか、やっと言語化できるようになった。
ようは「フリオ・イグレシアスの曲もいい」と言いたかったのだが、黛の説得力には勝てそうにないので黙っていたのだ。
いまなら反論できる。
フリオの曲は長調で歌っていても、すでに哀愁を帯びているのだ。
長調の部分と短調の部分が、長調の歌のなかにギュッとまとまって絞り込まれている。
開高健がエッセイに「(モダニズムとは)1.最高の材質。2.デサインは極端なまでにシンプル。3.機能を完全に果たす」と書いていたが、まさにそれだと。
でも、30年前でも本来なら「いいものはいい」それだけですんだのだろうけど、僕はそこで口を噤んだ。
そんな些細なことでも30年後に思い出すのだから、本当に恨みに思っていることなど、死ぬまで忘れないんだろうな、心の底では、と思った。

6月

3

ウンポコマス

僕が会社勤めをしていた頃、新潟に行ったとき、駅から乗ったタクシーの中で、フリオ・イグレシアスの「ビギン・ザ・ビギン」がかかった。
その頃丁度、キューピーかなにかのCFにこの曲が使われていて、誰が歌っているなんという曲か知りたかったので、そのときはじめて演奏者と曲名を知った。
「えっ! あのビギン・ザ・ビギンがこうなるの?」と驚いた。
そのとき、僕が知っていたビギン・ザ・ビギンは、パーシー・フェイスの演奏だけだった。
そのスペイン語の歌詞の中で「ウンポコマス」という部分がある。
何かのときにふっとその部分を思い出すのだ。
「ウンコ・ポマス」じゃないよ。
「ウンポコマス」
「もう少し」という意味なんだそうだ。
フリオの「ウンポコゥ〜マス」という節回しが好き。

6月

2

こころを落ち着かせる

僕が朝起きてすぐにこの「日刊 気持ちいいもの」が書けるときは、こころが落ちいている。
風のない湖の表面のように景色がはっきりと湖面に映るから、気持ちいいものがすっと書ける。
風が吹きまくる荒れた湖面には何も映らない。
だから、このメルマガを読んでいる人にひとつの楽しい読み方を伝授しよう。
この連載が朝届かないとき、きっと僕は四苦八苦している。
荒れた湖面を落ち着かせようと、風の反対側からふーふー吹いたり、うちわを扇いだり、扇風機を回したりしているはずだ。
そんなことをしても湖面は静かにならない。
たいていはさらに荒れる。
「しょうがねぇよなぁ」とあきらめた頃に風はやむ。
しかし「しょうがねぇよなぁ」では、自分の意図が働かない。
意図通りにやっていくためには僕がふーふーしなければならない。
ふーふー。
しかし、これには効き目がない。
さて、どうするか。
どうしようもないことを僕は悟った。

6月

1

古墳時代

僕が小・中学生くらいの頃には、古墳時代という区分はなかったように思う。
縄文・弥生・飛鳥・奈良・・・となっていたはずだ。
弥生と飛鳥のあいだにいつの間にか古墳時代が入っている。
いつからなんだろう?
古墳は全国になんと16万基以上ある。
古墳時代はだいたい400年ほどだから、単純に計算すると年間400基の古墳が作られていったことになる。
僕はそれがとても不思議なことだと思う。
かつて仁徳天皇陵と呼ばれた古墳が世界遺産の候補になっている。
それはきっとめでたいことなんだろうけど、本当にめでたいのかどうかは立場によるようだ。
世界遺産に認定してもらうために大山(仙)古墳と名前を改めた。
つまり仁徳天皇の陵ではないことがわかっているから。
さらに日本の文字の発生はこの頃だと言われている。
漢字が渡ってくる以前、日本には神代文字というものがあったという主張があるが、学術的にはまだあまり認められてない。
神代文字は何種類もあり、立場によって主張が微妙に異なるため学術的に認められないようだが、存在したことは確かなことのように思われる。
なぜなら、400年のうちに16万基の古墳を作るのであれば、その作り方等を文字文書にしてないはずはないと思うからだ。
古墳を作る技術にはたくさんの知識が必要だろう。
それを徹底させるための文書があり、それを多くの人が目にして読み、それを人夫たちに伝えない限り、あのように巨大な構築物は作れないのではないか?
しかも、毎年400も。
その文書がすべて漢字であったのだろうか?
もしかしたら大陸から信じられないほどたくさんの人たちが日本に押し寄せてきたのだろうか?
そして、大陸から来た人たちと、もとからいた日本の人たちとの混血が始まったのだろうか?
大陸と日本の言葉がクレオール化したものが日本語となったのだろうか?
日本語に漢字が使われているのは、そういうことなのかもしれない。
謎がたくさんあるって、なんかワクワクする。

5月

31

神道と仏教

原始仏典と大乗仏典では、言葉は違うかもしれないが、概念としてはほぼ同じことを言っているのではないかということが、否定されたり肯定されたりしている。
それが不思議だったのだが、なぜそのようなことが起きたのか、やっと理解できた。
昔、仏教が成立した時代は、インドにたくさんの聖者がいて、それぞれの法(ダルマ)を説いていた。
バラモン教という源流があり、そこから派生した宗教の一つが仏教だった。
仏教はその頃ライバルだった他の聖者を六師外道と呼んだ。
四師の教えは時代とともにほぼ消滅したようだ。
マッカリ・ゴーサーラのアージーヴィカ教は13世紀頃迄続いた。
マハーヴィーラーのジャイナ教と仏教だけが現在まで続いている。
ジャイナ教はインドに根付く民族宗教に、仏教は世界宗教になった。
バラモン教やジャイナ教の聖典を読み、世界宗教史などを紐解くと、仏典だけ読んでいてはわからないことを多く知ることになる。
それで謎が解けた。
わかってしまえば簡単なこと。
ブッダが生きていた頃には六師外道たちと戦うために、いろんな理屈を否定していた。
ところがブッダが入滅し、弟子たちが悟りを得てテラワーダから大乗仏教へと変化していく頃、かつて否定した理屈を取り込んで、さらに深甚なものにしていった。
その結果を僕たちは読んでいるのだ。
日本における神道と仏教の関係に似ている。
大化の改新前後に戦っていた神道と仏教の派閥は、長い年月の間に境目を薄くしていき、いつしか一体となる。
それを明治になって政府が政治利用するために分離した。
何百年もかけて出来上がってきた教えは数年の研究で解体され、政治が利用できる形態になった。
宗教と言うものは、何百年という単位で見ない限り、いいものかどうかはわからない。
即席で作ったものの価値がわかるのは数百年後。

5月

30

猫を棄てる

文藝春秋に掲載されている村上春樹のエッセー「猫を棄てる–父親について語るときに僕の語ること」を読んだ。
いろんなことを思わされる文章で、「棄てる」の意味を考えてしまった。
「捨てる」ではなく「棄てる」。
「兵隊は日本に棄てられた」とか「棄てられても家に帰る」とか「一緒に棄てた思い出」とか。
最後に登場する猫の逸話。
木に登っていった猫を筆者は棄てたのだろうか? 棄てたと思っているのだろうか?
棄てたつもりはなくても結果として棄ててしまったようなことが、僕のまわりにもあるような気がする。
それは「気がする」だけで、それが事実だとは認めない。
現実を把握するのは難しいし、難しいと思い込みたい僕がいる。

5月

29

風の通り道

暑いね。
窓開けて、部屋の中に風を通す。
風の通り道に自分がいると、なんと心地いいことやら。
していることに夢中で、窓締め切っていると熱中症になりそうだ。
風よ吹け。

5月

28

アネーカーンタヴァーダ

ジャイナ教に「アネーカーンタヴァーダ」という考え方がある。
一言でいうと多元論と価値の多様性の原理。
三冊の本を読み比べて、どういうことかを探ってみた。
しかし、不明なことがまだ多い。
アネーカーンタヴァーダを比較的きちんと説明しているのはなんとウィキペディアだった。
インターネット万歳。
多次元リフレーミングの内容が濃くなった。

5月

27

釈迦に説法

会話の中で「それはあなたには釈迦に説法だろうけど」というところ、「それはあなたには馬の耳に念仏だと思うけど」と言ってしまった。
しまったとは思ったけど、なぜか「釈迦に説法」という簡単な言葉がすぐに思い浮かばなかった。
話は流れていってしまった。
お馬鹿な自分を笑う。

5月

27

菩薩行を生きる

2010年頃に『チベット仏教・菩薩行を生きる』という本を読んだ。
いい本だった。
『入菩薩行論』という仏典の翻訳だ。
2016年にダライ・ラマ法王が日本でその説教をした。
そのときの録画がこちらにある。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p4367/
ひさしぶりにその本を取り出し読み、なるほどなぁと思う。

5月

25

半ズボン

今年も半ズボンの季節が来た。
令和になってはじめての半ズボン。
だからといって特に何かが変わる訳ではない。
「令和の半ズボンは特に涼しい」とかだったら笑ってしまう。
うちで履くのは全然問題ないが、出かけるときに履くかどうかはまだ迷うな。
でも、いまのうちなら蚊に刺されないし、いいんだよな。
半ズボンで悩む僕の心を観察。

5月

24

彼が来た

朝起きると、きれいな鳥の声。
初夏にやってくる彼が来た。
バードコールで呼びかけてみる。

5月

24

社畜よりは野たれ死に

何年か前に「野たれ死にするよりは社畜がいい」という話を聞いた。
世の中にはいろんな人がいていいのだから、そういう人もいるだろうというつもりで聞いたが、なんとその話をした人は99%がそうなんだと主張する。
それはないだろうと思った。
しかし、ちょっと前の政治状況を見ると、そうかもと思ってしまった。
幸いなことに僕のまわりは「社畜になるくらいなら野たれ死にがいい」という人が多いような気がする。
少なくとも知り合いの1%以上はそういう人だ。
それが本当に「幸いなこと」かどうかは今は脇に置いておこう。
現在の社会状況で、ずっと社畜で居続けられる人はいったいどのくらいの割合になるのだろう?
社畜でいたいと思っても、難しいのではないか?
社畜でもなく、野たれ死にでもない道を探すべきだろう。
そのためには自分の思考の枠を壊していかなければならない。
それに気づく人が少しずつ増えている気がする。
野たれ死にというリスクを抱えて飛び立つ人が。

5月

22

わが世の旅をうるはしと思ふ

耆那教聖典のことを五月九日に書いたが、その本の最後に「故鈴木重信君を憶う」という文があり、それが16ページにもわたっているので読んでみた。
耆那教聖典には「瑜伽論(ヨーガ・シャストラ)」「入諦義経(タットヷ−ルター・ディガマ・スートラ)」「聖行経(カルパ・スートラ)」の三典が入り、付録として三典の注釈と「耆那経論」が入っているが、目次にはその文、つまり「故鈴木重信君を憶う」のことは書かれていない。
本の扉を開き、1ページ目に「耆那経聖典」と、きれいな枠囲いに書かれていて、次のページにただ一行「訳者 鈴木重信」とある。
凡例にこのようなことが書かれていた。

耆那教の所謂聖典は、前顕の三典のみならず、尚ほ別に多くを存す。訳者鈴木重信氏は、昨夏本会の嘱に応ずるや、同教の根本的信仰と行事とを伝ふるものとして、行支経(アーチヤーランガ・スートラ)、優婆塞十経(ウヷーサガ・ダサーオ)の二典、大優の伝記を語る聖行経(カルパ・スートラ)、同教倫理の要諦を説ける瑜伽論(ヨーガ・シャーストラ)、同教の哲学的作品たる入諦義経(タットヷ−ルター・アディガマ・スートラ)の三典、合して五典を翻訳するの胸案を抱けり。而かも訳者は、その時既に業に不治の難症に悩み、瑜伽論、入諦義経の二典を訳了し、漸く僅に聖行経の初三四葉に筆を染めたるのみにて、流星の虚を逸するが如くにして逝けり。訳者は文才煥発、学会稀に見るの秀才たるに加え、刻苦精励倦むを知らざるの士なりき。今や亡し、痛恨何ぞ勝えん。

鈴木重信氏は31歳で亡くなったそうだ。
16ページにわたる「故鈴木重信君を憶う」には、鈴木氏がいかなる人だったかが書かれ、最後に三典を訳出したノートに書かれていた和歌が紹介されていた。

月一つ古城の雨の夜半に晴れて
     わが世の旅をうるはしと思ふ

5月

21

大乗起信論

ひさしぶりに「大乗起信論」の現代語訳を読む。
以前はよくわからない部分があったが、いまではすっきり理解できる。
何度も読んだし、解釈するためにいろいろと考えた。
ヒーリング・ライティングにその考えが反映されている。
お世話になりました。

5月

21

バリ島の指輪

十数年前にバリ島で銀の指輪を買った。
ひさしぶりに見つけたら銀が黒ずんでいた。
このまま真っ黒にしてしまうのも忍びないと思い、指でこすってみたがなかなか黒ずみは取れない。
だけど少しだけ銀らしさを取り戻した。
しばらく指にしているとだんだんと輝いてきて、いまではすっかり黒ずみは取れた。
書斎にいるときだけでも指にしていると取れてくるものなのかと驚く。
持っているものはきちんと使ってあげなければなと思う。