7月

6

さようなら

12年と4ヶ月ほど使ってきたこのサイトとお別れする。
その日、12年前に作ったサイトからの第一号は、配信してしばらくして東日本大震災が起きた。
以来、あまり気持ちよくない状況の中、気持ちいいものを探し続けてきた。
そして5,000回を迎える。
一万回を目指して継続していく。
新しいサイトに読者登録してない方とは、これでお別れになる。
お元気で。
気が向いたら、また新しいサイトも覗きにきてください。

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『日刊 気持ちいいもの』のサイトからの配信は今回が最後になります。
新しいサイトはこちらにあります。
https://www.dailyfg.com

7月

5

電子書籍の企画

宮沢賢治の話が2回続いたが、その大きな理由が、電子書籍の企画だ。
宮沢賢治の283作品が一冊の電子書籍で読めるようになっている。
それを200円で手に入れた。
著作権切れの作品はみんなこんなふうになっていくのかな。
以前の全集ものは置く場所に困ったが、電子書籍だと心配ない。

7月

4

風の又三郎

宮沢賢治の作品を読んでいる。
今朝は「風の又三郎」を読んだ。
僕が小学生の頃、母が「風の又三郎」の本を買ってくれた。
少し厚い本だったから、宮沢賢治の作品が何作か入っていたのだと思う。
その本は箱に入っており、箱から出したときの表紙の風合いを覚えている。
ところが、その本の内容は全然覚えていない。
母に「読んだ?」と聞かれ、「読んでない」と答えたことを覚えている。
以来、ずっと宮沢賢治の本は読んでこなかった。
敬遠していたと言ってもいいかもしれない。
今朝「風の又三郎」を読んで、なぜそうだったのかがわかった。
思いがけない発見だ。
風の又三郎の冒頭にこういう文が出てくる。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

これを読んだときはなんとも感じなかった。
ところが、この作品の終わりにもう一度同じように登場する。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう

最後の一行がリフレインされている。
これを読んで、なぜ僕が宮沢賢治を読まなかったのかが理解でき、
同時に涙が流れた。
僕はこの言葉を記憶の底に留めていた。
母が「読んだ?」と聞いたとき、実は僕はすでにその本を読んでいた。
だけど「読んだ」と答えなかった。
なぜか?
「読んだ」と答えたら、必ず母は感想を聞いた。
ところが、なんと答えていいのか分からなかったのだ。
何かが心に引っかかったが、それが何かうまく説明できなかった。
それが説明できないから、読んでないことにした。

記憶って不思議だなと思う。
小説の冒頭を読んでも何も思わなかったのに、終わりになって出てきた、ほとんど同じフレーズを読んではじめて、消した記憶を思い出した。
還暦を過ぎてこれを知ることに深い意味を感じる。
その意味が何かは、とても長い話になるので、いつか別のところで発表する。

7月

2

セロ弾きのゴーシュ

小学生の頃に「セロ弾きのゴーシュ」を読んだはずだ。
その絵本の表紙を覚えている。
だけど話はほとんど覚えていなかった。
森の動物たちがゴーシュのセロを聴きにくるというところだけしか。
もっと含蓄のある話だったのを最近読んで知った。

7月

2

蓮の花

沼から伸び出てパッと美しい花を咲かせる蓮の花。
その様をイメージして結跏趺坐することを蓮華座という。
法華経はサンスクリットから訳出すると「白蓮華のように最も優れた正しい教え」となるそうだ。
その美しさと品、そして力強さが多くの人を魅了する。
その美しさをとらえたくて何度も撮影した。

6月

30

梅雨明け

日本気象協会の梅雨明け予想が発表された。
関東は7月中旬で、全国的にほぼ平年並みだとか。
沖縄はもう明けている。
今日の天気だけ見ると、もうじゅうぶんに夏だ。
度を越した大雨はもう勘弁願いたい。
限界を超えた暑さも嫌だけど。

6月

29

都内の自転車道

都内にはかなり自転車道ができてきた。
車道の端に自転車通行帯が示してあるものや、広い歩道を自転車と共有するタイプなど、自転車の通れる道がはっきりしてきた。
昔は歩道を走ればいいのか、車道を走ればいいのか、不明瞭で肩身が狭かったが、今はどちらも堂々と走っていける。

6月

28

じょうよまんじゅう

和菓子屋さんで「じょうよまんじゅう」を買った。
うちに帰って相方と食べようとして「じょうよまんじゅう」と言ったら、相方が「じょうようまんじゅうでしょう」という。
「いや、じょうよまんじゅうだよ」
「いや、上に用いると書いて上用饅頭だよ」と言い争う。
結局、どちらも間違いではないことがわかる。
じょうよまんじゅうの「じょうよ」は「薯蕷」と書き、大和芋、山芋、つくね芋たちを「薯蕷」と呼び、それらを饅頭の皮に用いたものを薯蕷饅頭と呼んだそうです。
一方で「上用饅頭」は、高貴な人が食べるお菓子ということで、かつて高級な饅頭をそう呼んでいたことがあるとか。
勉強になりました。

6月

27

レインボウ・コネクション

カーペンターズの曲。
カレンが出来を気に入らず、一度お蔵入りになったものをリチャードが後年仕上げて発表した。
詩が素敵なので和訳した。

虹の歌ってなんでこんなにあるの?
虹の向こうには何があるの?
虹は見えるけど単なる幻。
スケスケで隠しているものなんて何もない。
そんなふうにいう人がいて、そのまま信じる人もいる。
私はそれが間違いだって知っています。
じっくりと観察してください。
いつか私たちはそれを見つけるでしょう。
レインボウ・コネクション。虹のつながり。
恋人たちと夢想家たちと私。

願いは聞かれ、答えも得られる。
誰がそんなことを言ったのでしょうか?
明けの明星に願いをかけるとき、
誰かが思いつき、誰かが信じたのでしょうか。
何が実際に起きてきたかを目を開いて見てください。
星を眺め続けることは確かにドキドキして素晴らしいこと。
でも、その先に見えるものは一体なんだと思いますか?
いつか私たちはそれを見つけるでしょう。
レインボウ・コネクション。虹のつながり。
恋人たちと夢想家たちと私。

みんなその魔法にかかっている。
きっとそれが魔法だと知っているのに。
あなたはずっと眠っていましたか?
ずっと「きっと魔法だよ」という声を聞いていましたか?
私は彼らが私の名を呼び続けていたのを聞いてきました。
若い船員を魅了して海にひきずりこむ囁きのように。
声は一つか二つかもしれない。
でも、無視するには難しいほど何度も聞いた。
私がそうあるべきと考えるような大切なこと。
いつか私たちは見つけるでしょう。
レインボウ・コネクション。虹のつながり。
恋人たちと夢想家たちと私。

6月

26

お引越し

新しい家に住むというのは清々しいものだ。
新しい土地で知らないお店を見つけたり、見たことのない何かを見つけるのは嬉しい。
「日刊 気持ちいいもの」のサイトも、そろそろお引越ししようかと思う。
12年間使ってきたからな。

6月

25

三つの夢

2023年6月19日の朝、三つの夢を見て目が覚めた。
正確には、目が覚めたとき、三つの不思議な物語が頭の中にあった。
三つともありありと思い出せる。
でも、夢を見た感覚はなかった。
起きて三つの夢を書き留めようとした。
そうして書いたのが、No.05004の「かき氷」とNo.05005の「ゴムのオブジェ」だ。
三つ目の夢はそのときすぐには書き留められなかった。
だけど、あまりにも三つの物語としてうまくまとまっていたから、「すぐに書き留めなくても平気だろう」と後回しにした。
しばらくして書き留めようとしたが、まったく思い出せない。
三つの物語はどれも「喪失」がテーマだ。
そして最後の物語のタイトルは「その女」。
しかし、どうしても内容が思い出せない。
夢というやつは、どうして思い出せなくなるのだろう?

6月

23

ゴムのオブジェ

ガラス・ミュージアムに行った。
ガラスを素材とした美術・工芸作品が集められている。
作品を見てまわると、一点だけとても気になる作品があった。
タイトルは「ゴムのオブジェ」。
じっと見ると素材はゴムのようだ。
でも、ここはガラスのミュージアム。
なぜゴムの作品があるのか?
ゴムのように見えるが、実はガラス製なのだろうか?
形も不思議だ。
女の裸体のようにも見えるし、宇宙船のようにも見えるし、細胞分裂のようにも見える。
係員のような男が来たので訊ねた。
「これはガラス製ですか?」
「すみません。僕はバイトであまり詳しくありません。学芸員はいま外出中で二時間ほどで戻ると思います。
二時間は待てないのでその日は帰った。
一週間ほどのちに再訪した。
「ゴムのオブジェ」があった場所に行くと、そこには立派なガラス細工が飾ってあった。
「水盤」と書かれている。
学芸員を呼んで質問した。
「ここにあったゴムのオブジェはどこに行きましたか?」
「ゴムのオブジェ?」
彼はしばらく考えてからこう答えた。
「ここはガラス・ミュージアムです。ゴム製の作品は置いてないですよ」
「一週間ほど前ここにあったんですけど」
「いや、ないと思いますよ。確かに一週間ほど前にはこの水盤は修繕に出していましたけど、ゴムのオブジェなんて置いてないです」
「いや、あの、ここに女性の裸体のような、宇宙船のような、細胞分裂のような形のゴムのオブジェがあったんです」
「それはどんな形ですか? 想像できませんね」
「いや、だから、」
「とにかくゴムのオブジェは置いていません。何かの勘違いではないですか?」
僕の心の中にあるゴムのオブジェ、これはいったい?

6月

19

かき氷

ある時、ある場所にアンティークな雰囲気の喫茶店があった。
その店に入り、ブレンドコーヒーを頼んだ。
若い女の店員がコーヒーと一緒に小さなかき氷を持ってきた。
「これは?」
「サービスです」
女はカウンターの中に戻って行った。
そのかき氷は、氷がフワフワで、食べたことのない味がした。
カウンターの向こうにいる店員に聞いた。
「これは何のシロップですか?」
「お客様はこの店ははじめてですよね」
「はい」
「次にいらしたときにお教えします」
ちょっとムッとした。
なぜいま教えてくれないんだ。
きっとこれはお店のプロモーションの手法なのだろう。
その手に乗るか。
二度と来ないと心に決めた。

あれから三年が過ぎた。
いまだにあの店の雰囲気とかき氷の味が忘れられない。
再びアンティークな雰囲気の喫茶店に来た。
前と同じ席が空いていたのでそこに座った。
若い男の店員がやってきた。
ブレンドコーヒーを頼んだ。
しばらくしてコーヒーだけがやってきた。
店員に質問した。
「あの、かき氷は?」
男は「かき氷?」と復唱し、「うちには置いていませんよ」という。
「三年ほど前にここでコーヒーを頼んだら、サービスですとかき氷が出てきたんですけど」
「うちではないでしょう。この店を僕は五年ほど経営していますが、カキ氷なんて出したことがありませんよ」
言葉を失った。
男は「ごゆっくり」と言って
カウンターの奥に消えた。

6月

18

揺れる

気持ちいいものを書き続けていると、自分の心が揺れているのがよくわかる。
あるときには気持ち良かったものが、別の時には不快になったり、悲しくなったり、意味のマトリックスを漂っていく。
心は正確には表現できない。

6月

18

原口一博氏の国会答弁

原口一博氏の風貌が変わった。
がんに罹患したそうだ。
アレとの因果関係を調べようとしたが、国会議員でも調べられないという。
それで岸田総理に詰め寄るような質問をした。
政治はいま大混乱の中にあるが、マスメディアはそれらを伝えない。
原口氏のもっと突っ込んだ話はネット上で見られる。

6月

17

明治生まれと昭和生まれ

僕が子供の頃、明治生まれの人は随分と立派だった。
明治・大正・昭和と、三つの時代を生き抜いている。
「すごい」と思ってた。
今自分が昭和生まれで、昭和・平成・令和と、三つの時代を生きてきた。
まったくすごい雰囲気はしない。
きっと戦争がなかったから。
「生き抜いてきた」という感じがしない。
ありがたいことだ。

6月

16

祝5000回

「日刊 気持ちいいもの」が、5,000回を迎えました。
ありがとうございます。
10,000回をめざします。

6月

15

白鷺

箸墓古墳の白鷺について書いたら、水無神社の白鷺を思い出した。
水無神社の例祭では、拝殿前の広場で氏子たちが鉦を鳴らしながら舞う。
そのとき、本殿裏の大木の上に白鷺が止まった。
神事が始まると、「私の居場所はここ」とばかりに、広場の舞を見下ろしていた。

6月

13

箸墓古墳

最古級の前方後円墳である箸墓古墳。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓といわれているが、なぜ古墳の名前が箸墓古墳となったのか、その理由が凄まじい。
それを読んで僕は映画「エクソシスト」を思い出した。
伝承とは異なり、古墳は静かな雰囲気に包まれている。
隣にある箸中大池には、古墳とのきわに白さぎがいた。

6月

10

広東あんかけ汁そば

ある中華料理屋さんで、広東あんかけ汁そばを食べた。
具がいっぱい入っていて、嬉しかった。
麺より具の方が多かった。
覚えているだけでも、エビ、鶏肉、小松菜、絹さや、ネギ、しめじなどが入っていた。
いちいち確認しなかったので、もっといろいろと入っていたと思う
麺は細めで歯応えが良くてうまかった。

6月

9

Thanksgiving

高校卒業の頃に学校のそばに「友&愛」というレンタルレコード屋ができた。
そこで「December」というレコードを借りた。
なぜそれを借りたかというと、そのレコードが輸入版で、しかも表紙の写真が美しくて切なかったから。
針を落とすとピアノのソロ曲集だった。
そのアルバムの最初の曲が「Thanksgiving」。
Emで始まる美しくて切ない曲。
しばらくして日本でもそのレコードが発売になり、さらに時間が経つと楽譜も発売された。
大学生になった僕はその曲を好んで弾いた。
そのレコードの奏者はジョージ・ウィンストン。
「Autumn」「Winter into spring」「Summer」と四季をテーマにしたアルバムをよく聞いた。
R.I.P.

6月

9

十年後から見る

十年後から現代を見たらどんなふうに見えるのだろう?
ケネディ大統領の暗殺のようにうやむやなままか。
すべてが明らかになっていい世界になっているか。
もちろん後者のようであって欲しい。

6月

8

追億

1973年に公開された映画。
このテーマ曲が有名で、いまだにあちこちでかかっている。
高校生の頃ブラバンで演奏したりもした。
テーマ曲は知っているが、映画は見たことないなと、大学生のとき早稲田松竹でかかっているのを見つけて観た。
名画座だからか、コマが飛んでいるような場面もあった。
話自体はあまりよく覚えてないが、あそこで観たことを忘れられない。
当時はボロボロな劇場だったが、今では綺麗になったよだ。
もう一度何か観に行ってみようかな。

6月

7

進化論

もし進化論が正しいとするなら、どんな動物もどこかで繋がっていて、たまたま選択が違っただけで違う動物になっているのだから、いわば遠い親戚のようなもので、もっと仲良くするべきだろう。
そうは思っても肉を食べるのをやめるのかと問われると躊躇する。
友達には「だから肉は食わない」という人が何人かいる。
だけど「肉食べたから人間になれたんだよな」とも思う。
肉食べるとなんか嬉しいし。
仏典を読むのは好きだけど、仏教徒にはなれそうにない。
こんなことを考えて気持ちいいのか?
考えないよりはましな気がする。

6月

5

踏切の音

目の前にいたらうるさいかもしれないけれど、少し離れたところに聞こえてくる踏切の音はいい。
特に真夜中、静寂の中を、遠くから聞こえてくる踏切の音はなんかいい。
「みんなが元気に生きている」って感じがする。