9月

30

するべきことは?

恐竜が滅亡してほ乳類が栄えた。
そのおかげか、人間が生まれた。
人間が滅亡しても、次の種が栄えるのだろう。
地球にとってはどうでもいいことと思ってしまう。
いや、次の種が生まれたほうが、地球にとってはいいのかもしれない。
そういうあきらめを受け入れれば、そういう未来がやってくる。
僕たちはいまなにをすべきか?
ジェーン・グドールからのメッセージ

9月

29

人間の生き方

人間の生き方がどうであれ、地球にはあまり関係ない。
アリが別種同士で戦っても、人間にはあまり関係ないのと同じ。
人間の生き方が重要なのは、地球にとってではなく、人間にとって。
それなのに人間は、勝手に戦って死んでいく。
間違いはきちんと認めて、仲良く生きていこうよ。
間違えた人を「ぶっ殺す」なんて言わないでさ。
人間が生み出した熱や物質で熱くなった地球が、さらに熱くなってしまうよ。

9月

28

僕のビー玉

どこに行ったのだろう、僕のビー玉。
ラムネのビンと同じ色をした、少し歪んだビー玉。
覗き込むと空気の泡がキラキラ輝き、まるで星空のようだった。
少し歪んだその歪み具合が好きだった。
ビー玉を覗いていると、そこにはほかのどこにもない宇宙が存在していた。
普通に見ると、ただのビー玉。
どこにでもある、ひとつのビー玉。
僕が失ったものは、ただのビー玉ではない。
説明できない深宇宙。

9月

27

鳩の鳴き声

朝、相方が窓を開けると、外で鳩が鳴いていた。
プープーポプゥー、プープーポプゥー、プープーポプゥー。
その声を真似て鳴いてみた。
すると相方は「そんな鳴き方はしてない」という。
「じゃあ、どんな鳴き方?」と質問するが、モゴモゴ言って答えてもらえなかった。
鳩の声真似は難しい。
ツーツージョウホー、ツーツージョウホー、ツーツージョウホー。
とも聞こえる。

9月

26

水の循環

水の循環が激しくなっている。
温暖化で増えた水蒸気が、地球全体を撹拌している。
いままでの穏やかな撹拌から、激しい撹拌へ。
熱くなったのだから対流が起きるのは自然なこと。
人はそこにどう住まわせてもらうのか。

9月

25

アリンコを殺して学ぶこと

子供の頃、アリンコをたくさんつかまえてきてバケツに入れて、そこに水を入れた。
バケツから逃げるアリンコもいたけど、溺れるアリンコもいた。
いま考えるとよくあんな残酷なことしたなと思えるが、子供の頃の僕はそれが面白かった。
アリンコは、みんな一緒だった。
つまり個体識別できていない。
名前なんかない無名のモノたち。
いくら殺しても何も言わない。
だからいくら殺しても問題ない。
なんどかやって、もうそういう遊びはしなくなった。
大人になって会社に入り、大きなビルの高いところから、下を歩いている人たちを見た。
アリンコのようだった。
そして、そのアリンコのような人のひとりが僕だと思った。
簡単に殺されてはかなわない。
そう思っている人みんなで社会を作っている。

9月

24

個人の気持ちいいものから全体の気持ちいいものへ

エゴイスティックに気持ちいいものを書いてきた。
他人がそれを気持ちいいと思うかどうかはさておき、自分が気持ちいいと思えること。
それを書き尽くすことで「自分の気持ちいいこと」だけではない気持ちいいことが生まれてきた。
それがいったい何なのかよくわからなかったけど、いってみればもっと高い視点の気持ちいいもの。
自分ではない視点から出る言葉が、いったいどんなものかよくわからないけど、それに挑戦してみる。
言葉は個がないと成立しないけど、個と全体の境をふらふらするのだろう。
いまがあるのはすべての過去のおかげ。
明日がきっとあるのは、すべての今のおかげ。
「今」はひとつでもあり、見方によっては無限にあるもの。

9月

20

まぼろし

快楽はまぼろしであるが、苦痛もまぼろしである。
気持ちいいときに気持ちよくなり、苦しいときに苦しめばいい。

9月

19

PCのお掃除

故あって友人からPCを借りた。
キーボードが汚れていたので、アルコールが配合されたウェットティシューで掃除する。
これで気持ちよく使えるね。

9月

18

北極圏の街

三日連続で夢を見るというのは、僕にしては珍しい。
また夢を見た。
北極圏にあるどこかの街に行った。
列車で到着し、その街に一泊する。
翌日は歩いてどこかに行く。
そのどこかがどんな所なのか、地図を広げた。
しかし、自分のいる場所がわからない。
いまいる街の名がわからない。
だけど行くべき場所があるはず。
岬の地図を眺めて目が覚めた。

9月

17

白いテーブルのピアノ

表面がガラスでできた白いテーブルに、鍵盤の絵が浮き上がっている。
その鍵盤に触れるとピアノの音がする。
ポロポロと弾くと光の具合か鍵盤が見えなくなる。
なんとなくこのあたりにこの鍵盤があるだろうと思って弾くと、その通りに音が出る。
しばらく弾いていると、鍵盤の位置がわからないのに、思った通りの音が出てくるようになった。
驚いて手を離すと、それまで見えていなかった鍵盤がうっすらと浮かび上がる。
なんかスゲーッと思って目が覚めた。

9月

15

飴をなめる

今朝、馬がバスに乗っていた。
とても珍しいので一眼レフで何枚か写真を撮った。
一枚がお気に入りになった。
いくつも並ぶつり革の向こうで、馬が楽しそうに隣の人と話をしている。
つり革で遠近感が強調され、馬にフォーカスが合った。
そばにいた馬が前足に飴の袋を抱えていた。
ひづめでは飴の袋を開けられない。
僕が袋を開けてやり、口に一粒含ませてあげた。
僕も一粒いただいた。
見知らぬおばさんが馬の代りに「ありがとう」と言ってくれた。
この夢はいったい僕に何を伝えたかったのだろう?

9月

14

秋風

夜になって静かになると、秋の虫の声が聴こえる。
その音を聞きながら目をつぶる。
そよそよと秋の風。

9月

13

実際にその場に行くこと

いろんな映像がネットに溢れている。
だから、現実にその場に行かなくても、かなりのことはネットでわかるようになってきた。
これからもその度合いは進むだろう。
それでも、どんなに詳しくネットでわかるようになっても、まだしばらくはその場に実際に行くことにはかなわない。
行くまでの過程や、その場の雰囲気は、きっとバーチャルでどんなに情報量が増えても、補えない何かが残る。
それを感じにその場に行く。

9月

12

エコなコテージ

昔、エコなコテージに泊まった。
建物の骨格が木造で、壁がテント地でできていて、明かりに裸電球がひとつだけ。
天井に大きな扇風機。
窓は、テント地に縫い付けられたファスナーを開けると網戸になっていた。
シャワーは屋根の上に水がたまる仕組みになっていて、日中に太陽の光で温める。
シャワーを出すときは天井から垂れていたヒモを引っ張るので片手が使えない。
片手でからだを洗うのは難しいのでヒモを付け足して足で操作できるようにした。
足の指にヒモを括り付け、足を床につけるとお湯が出る。
お湯を止めるときにはその足を上げる。
お湯がもったいないので片足になってふらふらしながらからだを洗った。
お湯は昼間ピーカンだと熱いくらいになるのだが、ある量を使うと水になる。
トイレは、うわべは水洗だが、肥料にするため紙以外は流すなと言われる。
そのときは覚悟して行ったから楽しかった。
不便を喜べた。

9月

11

グラスに氷入りの水

製氷機で作ったアイスキューブをスコップで取り出しグラスに入れる。
カラカラと鳴っては入っていく氷たち。
浄水器から水を注ぐとパチパチと音がする。
飲むのはしばらく冷やしてから。

9月

8

雨降るの?

用があって原宿にいた。
朝の予報では16時には大雨が降るはずだった。
ところがその時間、晴れていた。
19時半に帰ったが、そのときも雨は降ってない。
真夜中に降るらしいが、そんなにすごい雨になるのかどうか、まだ実感がない。
ただ湿度はとても高い。

9月

6

自分のテンポで

人間は喜びや楽しみを基として生きるのがいい。
かつて他人を働かせてなんとかしたいと思った王たちは、自分の欲望を満たすために制度を作り、人を縛った。
生命にも成長のステップがあるように、社会にもステップがあるだろう。
そのステップをそろそろひとつ上がったほうがいいと思う。
人は節度ある教育を受けて、この社会の役に立つことが人生での楽しみであると理解できれば、あとはある程度自由にできるようにすればいいのではないか?
生産性は落ちるかもしれない。
でも、それで困るのは、困るような社会にしているからではないか?
過度な競争は戦争を生む。
話し合いで互いを高められるように社会を少しずつ変質させていこう。
「競争しなければならない」と考えるのは手放してもいいのではないか?

9月

4

本当に願っていることは何か

人は多くの矛盾に挟まれる。
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこういうしかなく、親としてはこう言わざるを得ないのに、たくさんの想いを抱えているのにも関わらず、どれかひとつしか表明できない。
なぜどれかひとつしか表明できないのか?
そういうものだと自分が思っているからではないか?
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこう言うしかなく、親としてはこう言わざるを得ないということを、全部言ってみたらどうだ?
「それは矛盾だ」と誰かに言われたら、「立場が違えば言うべきことが変わるのは当たり前でしょう」と言えばいい。
そうやって多面的な本当のことを言い合うことができれば、いままでにはなかったような鮮やかな答えが得られるかも。

9月

3

ウソがない

地球交響曲第四番で名嘉睦稔が「鳥の言葉にはまったくウソがない」という。
起きたことをそのまま反応として鳴くからウソがつけないと。
人間は嘘をつかざるを得ない状況にしばしば追い込まれる。
それはいったいなぜだろう?
ウソがなければ、きっと気楽でいいだろうに。