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1月

22

ガムランを聴く

大学生の頃、「題名のない音楽会」で小泉文夫がケチャを紹介していた。
世の中には不思議な音楽があるもんだなぁとそのCDを探して買おうとした。
ところが見つからず、同じバリ島の音楽ということで、ガムランのCDを買った。
うちに帰って聞くと、最初の音でゾーッと鳥肌が立った。
「なんだこの音楽は!」と思い、ラックにしまった。
「こんな気持ちの悪い音楽はもう聴かないだろう」と思っていたのだが、なぜかときどき聞きたくなる。
聞いてはゾッとしてまたしまう。
「いったい何をしているんだろう?」と思っていた。
このゾッとした感じが、ヌミノーゼだと理解するのは十年以上過ぎてから。
縁があり、そのガムラン楽団を率いていたプリカレラン家にホームステイさせてもらうようになってからだった。

3月

17

目からウロコが落ちた音階感

僕がバリ島に興味を持ったきっかけは
ガムラン音楽だった。
それを聞いたとき鳥肌が立った。
いろいろと調べて行くと
ガムラン音楽は不協和音をたくさん
取り入れていることがわかってきた。
たとえば、一対の楽器があり、
同じ音を出すのに
わずかに調律をずらしている。
半音の半音にもならないようなズレ。
たとえば3Hzほど音が
ズレていたとしよう。
すると一秒に三回ほど
ワンワンワンとうなることになる。
そのうなりが
美しいという解釈なのだ。
だからわざとそれを出すようにセットする。
しかも楽団の所有している
楽器のセットごとにそのズレは違う。
同じ曲を演奏しても
楽団ごとにその印象は違うものになる。
だから楽団の楽器をひとつ取りだして
別の楽団の中で演奏するというのは
非合理なこと。
楽団の響きが変わってしまうのだ。
でも、その変わってしまった響きが
いいなら、それでよい。
純正律は簡単に転調ができない。
転調すると、すべての音が
微妙にズレるからだ。
(なぜかは純正律のことを調べて
 周波数を丁寧に計算していくと
 理解できます)
西洋の人たちは
それを何とかしようと
いろんな音階を生み出した。
でも、どんな音階も
正確には割り切れない。
うまく割り切れないのが
人間の世界だと解釈し、
生まれてくるうなりは
消すべきものと考えた。
もしすべての調が
うまく割り切れれば、
それは神の世界。
バリの音楽はそれほどまでには
厳密さを追及しなかった。
生まれてくるうなりを美しいものと感じた。
そしてそれこそが
神の世界を表しているとした。
理論的には西洋の考えのほうが
進んでいるが、
人間的にはバリの音楽の考え方で
充分だと思う。
結局西洋の人たちも
平均律を使うことに落ち着いたのは
そういうことなのだと思う。