3月

6

食卓のゴマ

数年前からゴマのサプリのコマーシャルをよく見る。
それを見るたびに「ゴマ、最近食べてないかも」と思っていた。
半年くらい前から食卓にゴマを置くようになった。
ふりかけ用のガラスの容器にゴマを入れ、食べたいときにサッとご飯にかける。
きっと健康にもいいだろう。
ゴマのサプリのコマーシャルのおかげ。

2月

27

切断

コリーヌ・セロー監督の映画「美しき緑の星」に「切断」という概念が出てくる。
どこか平和な星からやってきた主人公が地球で「切断」と宣言すると、そこにいた人たちは地球の文化から解き放たれて、生命が本来持つ輝きを発し始める。
たとえば、コンサートで奏者たちが切断されると、そこから演奏は即興となり、居合わせた人がみんな踊りだす。
サッカー会場で切断されると、選手たちがその場で踊ったり、ボールを手で持って走ったり、大はしゃぎする。
何か思い込みがとても激しい人が切断されると、その人は生き生きとし始める。
無理に切断することもないけど、たまには切断するのもいいかも。

1月

15

全体を知る

新しいメディアがひとつできると、そのたびに僕たちはうれしくなる。
知らなかったことが知れるようになるから。
本ができることによってプロテスタントが生まれた。
同じ聖書をたくさんの人たちが手にできるようになったから。
雑誌や新聞が生まれて社会が変化するようになった。
昨日より今日が、今日より明日がよりよいものになるために何をすれば、何を考えればいいのか、多くの人が気づくようになったから。
ラジオができて大きなグループの感情が一方向に向くようになった。
リーダーの感情が声で伝達されるようになったから。
テレビができて比較的世界が平和になった。
言葉では伝えられない状況を目で見ることができるようになったから。
このようにして大雑把な理解の密度を人類は少しずつ上げてきた。
インターネットが生まれてさらに理解の密度を上げる可能性を手にする。
次に生まれるメディアが、前のメディアでは伝えられなかったことを伝えて行く。
僕たちはこうして、いつか宇宙の全体を知るようになるのだろうか?
それを知るために新しいパラダイムが、もうすぐやってくるのではないか?
その新しいパラダイムは、権力者にすべてが集中するようなものではないだろう。
そのことをテイヤール・ド・シャルダンは美しい言葉で表現している。

生命の樹の樹液全体を一本の枝だけのために集め、他の枝の死の犠牲の上に立つ民族主義者の理想は誤っているし、自然の理にそむいている。太陽にむかって伸びあがるためには、まさに木の枝全体の成長が必要なのである。世界の出口、未来の扉、超=人間への入口、これらは、いく人かの特権者やあらゆる民族のなかから選ばれた唯一の民族だけに開かれているのではない。それらは万人の圧力に対して、すなわち、全人類が地球の精神的革新において一致団結し、完成されるような方向に対してのみ道をあけるのである。

『現象としての人間』 ティヤール・ド・シャルダン著 美田稔訳 みすず書房刊

1月

10

次の仕事

AIに仕事が奪われるという話が流布している。
一時期はその通りになるだろう。
でも、僕はあまり心配していない。
人間がいなくなったらAIは存在意義を失う。
そういう状態をAIは望むだろうか?
いまはそこが問題になるが、しばらくするとそれは超越されて行く。
この話をしだすとものすごく長くなるので概要しか書けないけど、人間がいまの生き方をそのまま続けていると、きっと滅亡せざるを得なくなるだろう。
それは環境の悪化を見れば明確なこと。
次の仕事は新しいパラダイムに沿ったものでなければならない。
今は価値の奪い合いをしているから、環境からも収奪することになる。
金持ちは肥え太り、貧乏人は餓死していく。
未来的にはAIの存在は人間には理解できないものになる。
そのときに人間が生かしてもらえるパラダイムにしておかないと、AIは独立して人間を排除するだろう。
もし人間を排除しないパラダイムに乗ることができれば、いい世界になっていくだろう。
そのようにできるかどうかが問題だ。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

12月

15

ネリ・オックスマン

MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーを見た。
ネットを検索するとブラッド・ピットと噂があるとか、美人であるとか、離婚しているとか、どうでもいいことばかりが出てくるが、そのやっていることを紹介している「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーの第二回目、「ネリ・オックスマン:バイオ建築家」を見て、感激してしまった。
ネットフリックスで見られるので、見られる人は見るべきだと思う。
アート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングを行き来し、ある領域の入力が他の領域の出力となるような仕事をしている。
蚕に巨大な構造物を作らせたり、生体デザインを建築に取り入れようとしたり、ガラスで描かれるプリンターを作ろうとしたり、凡人ではやろうとも思わないことに挑戦している。
ネリの父からの教え。
「創造のときは少し居心地が悪い。居心地が悪いとその方向性は正しい」
最初はたくさんの批判を受け、自分たちの居場所を死守したという。
はたから見ると作品はきれいで優雅だが、現場は汚くてゴチャゴチャできついという。
しかも、世の中の風向きに逆らうためにはかなりの根性がいるとも。
台風の目の中にいると静かだが、孤独で安らぎがあるという。
大きなゴールは、仲間を守り、台風の目の内側に置くこと。
そうやって他の人には成し遂げられない独特の創作物をチームで実現して行く。
彼女が大切にしているアインシュタインの言葉。
二通りの生き方がある。
ひとつは奇跡を否定する生き方。
もうひとつはすべて奇跡だと思う生き方。
彼女はすべてが奇跡だと思って生きている。

12月

9

あふれる言葉

中村哲医師が殺され、SNSでは中村医師を賛美し悼む声が鳴り響いている。
二ヶ月ほど前、中村医師がアフガニスタンから名誉国民として市民証を授与されたニュースが入った。
そのニュースはあまり話題にはならなかった。
なぜだろう?
陰謀論の好きな人はきっとこういうだろう。
「喜びや賞讃されるような話はマスメディアは流さないんだよ」
確かにそういう部分はあるかもしれない。
でも「いいものはいい」と伝えてくれる人もいる。
「搾取するためには人民を困った状態に置かなければならないのに、ヒーローが助けるような話が一般化したら搾取できなくなるから、権力者は人民が困っているという情報だけしか流したくないんだ」
そうなのかな? そうかもしれないがそれを肯定する材料がないからなんともいえない。
こういう人もいる。
「一般の人が嫉妬したりうらやむような話はあまり流れないんだよ」
視聴率が上がらないとマスメディアには流しにくいからね。
それはあるかもしれない。
だとしたら、一般の人が嫉妬したり、うらやんだりしないようにならない限り、いまの状況は続くことになる。
でも、そのことだけに話を収束すると、それは正しくないような気がする。
現代の僕たちにとって、単純な言葉は罠だ。
社会は複雑に絡み合い、個人の感情もネットワーク社会によって生まれてきた算出しようもない果てしない関係で形作られる。
誰か一人が何かを乗り越えたところで何も変わらない。
その絶望感が世界を覆う。
でも、考え方をちょっと変えると希望も見える。
みんなで考え方を改めると、それはもの凄いパワーを生み出すということ。
そのきっかけとなる言葉が、ネットにあふれている。
新たな複製子が生まれるとき、そこには必ず解き明かせない混沌がある。

12月

5

貝がらの森

箱の表表紙と裏表紙が草の絵だけの本を買った。
タイトルさえも書かれていない。
よく見ると、表表紙に一匹だけ、草に埋もれるようにして、ワンピースを着た狐が描かれている。
なかひらまいさんの「貝がらの森」という本。
普通に出版するためには、表紙にタイトルがなくてはならない。
それを廃した。
普通に出版するためには、版権を一部出版社に渡さなければならない。
それが嫌で自社で出版した。
普通に出版するためには、出版社のアドバイスを聞かなければならない。
自分の感性にこだわるために表紙、ページ、流通法まで全部デザインした。
内容は毎日新聞大阪本社版で2013年11月に連載したもの。
はじめて読むが、どこか懐かしい。
この本を昨日、2019『貝がらの森』原画展で入手した。
高円寺駅から歩いて三、四分のギャラリー「たまごの工房」でおこなわれている。
行くとなかひらさんが待っていた。
原画を見ながらお話した。
巻末に、なぜこの物語を懐かしく感じるのか、ユング心理学研究会の白田信重氏が説明していた。

2019『貝がらの森』原画展
日付:2019年12月4日(水)〜8日(日)
時間:12:00〜19:30(最終入場時間/最終日の8日は18:00まで)
会場:東京・高円寺たまごの工房(東京都杉並区高円寺南3-60-6)

11月

19

メモパッド

何かを忘れないようにチャチャッとメモが書けるメモパッド。
最近は携帯電話の中にもあって、紙でできたメモパッドか、電子的なメモパッドか、一瞬悩む。
ここに書くは紙製のもの。
切り取り線が入っていて、ピッと切り離せるのがいい。
「はい、これやっといてね」とメモを渡す。
ちょっとうれしい。

10月

23

真実を語ること

現代は真実を語りにくくなってしまった。
マスメディアは政府に忖度する。
ネットもシレっと規制される。
何が秘密か知らされないのに、秘密を暴露すると処罰されるという。
変な世の中だ。
それでも真実を語ろう。
語らないとさらに語れなくなる。

10月

22

どこでもドア

「いますぐ会いたいね」というとき、どこでもドアがあるといいなと思う。
その代わり、通信状況が良ければ、いまは簡単にテレビ電話が通じる。
スマホがあって、共通のフォーマットがあればOK。
便利だなぁ。

2月

28

全体観を持つ

インターネットというメディアのおかげかもしれませんが、立場が違うと見えるものやことが違うということに多くの人が気づいてきています。
父は「敗者の文学」というのを追求していました。
負けた者から見た世界は、勝った者から見た世界とは違うということを小説の中に織り込んでいきました。
多くの人がそれに気づくことで、正しいとか間違っているとか、そういうことの基準が揺らいでいるように感じます。
その基準が動くことで、さらに多くの人たちが心地よく生きていけるようになればいいと思います。
でも実際にはそのゆらぎがいいことにも悪いことにも作用しているようです。
きちんと区別して行動していきたいものです。
たとえば、個人が感じる歴史と、国が解釈するであろう歴史とは異なり、どちらが正しいかというのは一概には決められません。
だからときどき、自分という枠を離れて、国や地球という視点からものを見ることもいいですし、逆に微細な生物がもし外界を見たらどんなことを思うのかということを空想するのも意味のないことではないでしょう。
そういう解釈を積み上げていったとき、いったい何が現れてくるのか。
それが僕たちの未来を思わぬ方向に導くような気がします。

1月

31

こっそり覗く

とある雑誌にインタビュー記事を掲載した。
インタビューをした方がその記事を喜んでくださってFBに書き込んでいる。
こっそり覗いて僕も喜ぶ。
インタビューをした方を喜ばせるために書いた訳ではないけど、喜んでもらえるとやはりうれしい。

10月

19

初代iPod shuffle

2005年に買ったiPod shuffleが出てきた。
充電してスイッチを入れると
懐かしい曲が聞こえてくる。
曲を入れ替えることはできないけど
すでに録音してある曲を
聞き続けるのには問題ない。
今日、持ち歩いてみようかな。

6月

25

理解不能なこと

これから世界には理解不能なことが
きっと増えていく。
理解不能だけど、
それを受け入れることで
みんながうまくいくようなこと。
人間が人間になる寸前、
きっとプレ人間たちには
「言葉」というものがどういうものか
よくわからなかったはず。
同じように、膨大なデータを読み込み
生み出される本当のAIの判断は
きっと多くの人にとって理解不能だ。
それを上手に受け入れることで
いままで不可能だった何事かが
うまくいくようになるかもしれない。
ただ偽物のAIと本物のAIの区別が
難しく、本物のAIが登場したとき
きっと混乱するだろう。
偽物のAIとは特定の人や人たちの
意図を大きく反映させたもの。

6月

13

米朝首脳会談

無事に終わってよかったと思う。
メディアでは
失敗だったという記事が多いけど、
細かいことまでチェックしてったら
一日では終わらないでしょう。
まずはよかったと喜びたい。

6月

3

大きな親書

北朝鮮からトランプ大統領に
大きな親書が手渡された。
メディアの反応を期待してのものだろう。
まるで政治の場が
バラエティ番組のようだ。
でも、僕はこれはいいことだと思う。
北朝鮮はトランプ大統領に
親書を渡してはいるが、
その様子を報道している
マスメディアのひとたちを通じて、
マスメディアを見ている
世界中の一般の人たちに対しても
メッセージを送ったと言える。
それが吉とでればいい。

4月

25

康煕字典

康煕字典(こうきじてん)を
ご存知だろうか?
日本語を扱う仕事をしている方は
もちろんご存知だと思うが、
理系出身の僕は知らなかった。
「こうき」という
読み方すらわからなかった。
たまたま入手することになり、
いまではときどき開いて
ニマニマしている。
1700年代、清の康煕帝勅撰の字典だ。
なのですべて漢文で書かれている。
漢字の由来を調べるのに重宝。
現代ではUnicodeの配列順にも
使われている。
しかも、1700年代の清の漢字が
掲載されているので、
見たこともないような漢字が
たくさん載っている。
入手した講談社の
「標註訂正康煕字典」には
返り点がついている。
中学高校で習った漢文の知識が
珍しく役に立った。
白川静の「字統」や
ほかの漢和辞典と読み比べることで
さらに「へぇ」なことを知っていく。

3月

11

山下達郎のサンデーソングブック

FMTokyoで毎週日曜日のプログラム。
ラジコで聞いた。
311から七周年と言うことで、
心を穏やかにするような
音楽を聴いた。
あるリスナーからのハガキに
311後に他人を非難する論調が
強くなったが、
私はあまりそれには乗れなかった。
達郎のコンサートで
「僕は音楽家なので、
 音楽でそれを表現します」
という言葉を聞き、
その通りだなと思った。
というような話が出てきた。
深く同意する。
その一方で、
言葉で表現する人にとっては、
非難のようになってしまうことも
仕方ないことだと思う。
どちらも同意するというのは、
いったいどういうことなのか。
その矛盾のような思いと
ただ一緒にいる。