10月

5

正直化の功罪

ネットが存在するお陰で、世界の正直化が進むと思われる。
ネット上で嘘をつくと巡り巡っていつかバレるから。
恐らく解釈の曖昧さのようなものはAIが理解して吸収するようにになり、明確な矛盾だけがピックアップされるようになるだろう。
そうなると困るのは大きな組織や政治家だろう。
きっとそのようなことに困らないように手は打ってあるのだろうけど、それで乗り越えられる程度のAIならいいが、AIが自律的に進化するようになるとどうなるかわからない。
憲法や法律に反することはすぐに見つけられるようになるだろう。
世界の正直化が進み、トップの顔色をうかがうような社会からは早く脱し、足の引っ張り合いのようなこともなくなって、それぞれの能力を十分に発揮できる社会になってほしい。
そのためには多様性とはどういうことか、もっと深く考えなければならない。

9月

7

テレ東ニュース

朝5時に起きて、さて台風はどうなっているのかと思う。
ネットで調べると、一時間前、つまり午前四時のニュースをYouTubeのテレ東ニュースというチャンネルで流していた。
当初の予想よりは穏やかになったように思える。
テレビのニュースをネットで流してもらえるのはありがたい。

9月

4

青い空に雲がぽかぽか

東京では、青い空に雲がぽかぽかと浮かんでいる。
台風が近づいているせいか、空が不安定なのかもしれないが、青い空にちぎれた雲がぽかぽか浮いているのは美しく感じる。
ネットでは、新型コロナウィルスはあまり過剰に心配する必要はないという書き込みがたくさんあるが、マスメディアでは死者が何人、罹患者が何人と注意喚起している。
このちぐはぐな感じが、美しい空と、これから来るだろう強大な台風とのコントラストに似ている。
なにごとも無事に終わりますように。

9月

3

介護施設とテレビ電話

相方の母が介護施設に入っている。
体調を崩して病院からそちらに移った。
新型コロナのおかげで面会ができない。
二週間に一度くらい、相方とその姉が母と facetime を使って会話する。
はたで見ていてもとても楽しそう。
直接会えたほうがもっと楽しいかもしれないけど。

8月

20

多次元な視点

多次元な視点について考え続けている。
日本のマスメディアは比較的一つの正解を追い求める。
しかし、これからの社会では、一つの正解よりも、多次元なそれぞれの正解を求めるようになるであろう。
僕の正解と、あなたの正解とでは違いがあっていい。
なぜなら、僕とあなたは立場が違うし、環境が違う。
あるイベントの案内にこんなことを書いた。

新型コロナウィルスへの対処___

いま僕たちは新型コロナウィルスの影響によって混乱の中にいます。
どの話が正しいのか、どの情報を基準にして考えなければならないのか、いろんな判断が可能だと思います。
波をモデルに考えると、いくつかの波長の違う波が同時に起きて、いろんな方向に揺らされているということでしょう。
それに適合するためには自分の立ち位置が明確でないとならないと思います。

年齢はどうか。
重症化しやすい疾患にかかっているかどうか。
同居している人たちとの関係はどうか。
仕事との関係はどうなっているか。
自らの社会的立場から、何を主張したいのか。
 
これらが複雑に絡み合い、新型コロナウィルスに対してはどう対処すべきなのか、一つの答えが生まれるような状況ではありません。
そこで当イベントは、もし社会的な状況が許すのであれば、(ロックダウンがなされてない、美術館やレストランが営業されているなど)このイベントを実行しようと思います。
その際の参加・不参加の判断は、ぜひみなさん個人で考えてください。
もし当イベントの主催者が一つの答えを責任を持って出すとしたら
「危険性があるからこのイベントはしない方がいい」となるでしょう。
しかし、もしこのまま自粛が続けば、社会全体に経済的ダメージが大きくなっていくのも明らかです。
「自粛さえしていればいい」という答えも出しにくい状況だと思います。
そこで、当イベントでは、マスクや手洗い、直接のコンタクトはしないなどの対応を考えた上で、実行する予定です。
もし何かイベントを中止せざるを得ない状況が生まれましたら、ご連絡いたします。
みなさんの判断も時期によって変わるかもしれません。
参加しようと思ったが、やはりしないという連絡も、いつもと同様受け入れます。
早く新型コロナウィルスを気にせず、いろんな活動ができる世の中になってほしいですね。
「もう以前のようには決してならない」というようなことを言う人もいますが、今までも何度も人類は新しいウィルスを乗り越えてきました。
それを思えば、なぜ今回だけ無理だと言うのか、不思議に思います。
難しい状況にも対応し、楽しく生き延びていきましょう。
お申し込みをお待ちしております。
___

そう、それぞれに違う判断をすることを肯定的にとらえた。
マスメディアでは一つの正解を追い求める。
それはメディアの性質上仕方ないのかもしれない。
それはそれとして、僕たちは他人の視点も理解した上で、自分の選択をしなければならない。
このとき、多次元な視点が必要となる。

8月

4

一澤だより

「一澤だより」が届いた。
一澤信三郎帆布のDMだ。
ここのカバンが大好きで、No.03664にその話を書いた。
そのカバン屋さんから創立115年を記念して「一澤だより」というDMが届いた。
「いいごえん(創立115年)」ということで、はじめて作るDMだそうだ。
手作り感満載の12ページ。
信三郎さんはどの写真も登場するのは後ろ姿だけ。
余程照れ臭いのだろうか。
届けてもらって嬉しいDMというのは珍しい。

6月

16

アメリカの混乱

アメリカの混乱は、いったい何が起きているのか正しく把握することが難しい。
アメリカにいる人でもきっとそうだろう。
まして日本にいたら矛盾した話がたくさんあって、どれが正しいのかわからない。
もうすぐきっと日本も同じ状態になる。
これはきっと新しい時代の禊のようなもの。
山本太郎の都知事選出馬で、いろんな勢力がいろんなことを言い始める。
すっきりとしたいい時代に脱皮したい。

6月

6

資本主義のリセット

6月3日の日経新聞に「資本主義のリセットを」という記事が掲載された。
世界経済フォーラム(WEF)の年次総会のテーマを「グリート・リセット」にするという。
どんなグレート・リセットがおこなわれるのか?
記事によると資本主義に変わる経済は『社会的市場経済』で、資本主義に変わる言葉は『才能主義』となるだろうとのこと。
細かいことがわからないので、まだいいとも悪いともいえないけど、多くのひとが幸せに感じて生きられる社会にしていきたい。
才能主義で心配なのは、才能を育てるために競争ばかりがあおられること。
人間の幸せは何かをよく考えた上で、リセットしてほしい。

5月

20

たくさんのことを知る

ネットの時代になって、かつてでは知りようのなかったくさんのことを知るようになった。
誰かがポソッとつぶやいたことがヒントになって、その奥に隠れていた何かが現れて来たり、噂でしかなかったことが、多くの人々の証言によって事実のように思えて来たり、よほど詳しい人でないとわからなかったことが、多くの人に向けて説明されたり。
ネット時代の前ですでに読み切れないほどの情報があったが、誰でも発信できるようになって情報爆発のようになっている。
情報のカンブリア紀だ。
これを過ぎたら落ち着くのだろうけど、どのように落ち着くかが問題だ。
ひとつの見方にまとめるのではなく、いろんな見方が共存できるようにしたい。

5月

19

世界の人口

世界の人口77億4千万。
もうすぐ77億5千万。
産業革命が起きた頃から、人口は爆発的に増え続けている。
2055年には100億に達し、その後増加の割合は緩やかになるが、2100年頃に110億でピークに達するだろうと言われている。
1億に達するのに20万年かかったが、そこからたった200年で7億になった。
だから人口をコントロールしなければならないというが、生物の増加はままならないもの。
人間の生き方を変えるべきだろう。
いかにエネルギーの消費を減らすか。
AIのサポートでそれを可能にするとき、きっと社会のあり方も変わっていく。
狩猟社会から農耕社会に変わったように、農耕社会から工業社会に変わったように、工業社会から情報化社会に変わったように、次の社会はAI社会になる。
いまのままの社会で100億を超えることはできないだろう。
人々が生き生きと暮らし、あらゆる生物が共生し、どんな生命もおろそかにされないような地球を、実現できるのだろうか?
生物との共生がもし無理だとすると、おそらくAIによって人間はほぼ絶滅する。
もし生物との共生が可能になれば、AIとの共生も可能になるだろう。
生命もAIも共存できるビジョンを作ろう。

3月

6

食卓のゴマ

数年前からゴマのサプリのコマーシャルをよく見る。
それを見るたびに「ゴマ、最近食べてないかも」と思っていた。
半年くらい前から食卓にゴマを置くようになった。
ふりかけ用のガラスの容器にゴマを入れ、食べたいときにサッとご飯にかける。
きっと健康にもいいだろう。
ゴマのサプリのコマーシャルのおかげ。

2月

27

切断

コリーヌ・セロー監督の映画「美しき緑の星」に「切断」という概念が出てくる。
どこか平和な星からやってきた主人公が地球で「切断」と宣言すると、そこにいた人たちは地球の文化から解き放たれて、生命が本来持つ輝きを発し始める。
たとえば、コンサートで奏者たちが切断されると、そこから演奏は即興となり、居合わせた人がみんな踊りだす。
サッカー会場で切断されると、選手たちがその場で踊ったり、ボールを手で持って走ったり、大はしゃぎする。
何か思い込みがとても激しい人が切断されると、その人は生き生きとし始める。
無理に切断することもないけど、たまには切断するのもいいかも。

1月

15

全体を知る

新しいメディアがひとつできると、そのたびに僕たちはうれしくなる。
知らなかったことが知れるようになるから。
本ができることによってプロテスタントが生まれた。
同じ聖書をたくさんの人たちが手にできるようになったから。
雑誌や新聞が生まれて社会が変化するようになった。
昨日より今日が、今日より明日がよりよいものになるために何をすれば、何を考えればいいのか、多くの人が気づくようになったから。
ラジオができて大きなグループの感情が一方向に向くようになった。
リーダーの感情が声で伝達されるようになったから。
テレビができて比較的世界が平和になった。
言葉では伝えられない状況を目で見ることができるようになったから。
このようにして大雑把な理解の密度を人類は少しずつ上げてきた。
インターネットが生まれてさらに理解の密度を上げる可能性を手にする。
次に生まれるメディアが、前のメディアでは伝えられなかったことを伝えて行く。
僕たちはこうして、いつか宇宙の全体を知るようになるのだろうか?
それを知るために新しいパラダイムが、もうすぐやってくるのではないか?
その新しいパラダイムは、権力者にすべてが集中するようなものではないだろう。
そのことをテイヤール・ド・シャルダンは美しい言葉で表現している。

生命の樹の樹液全体を一本の枝だけのために集め、他の枝の死の犠牲の上に立つ民族主義者の理想は誤っているし、自然の理にそむいている。太陽にむかって伸びあがるためには、まさに木の枝全体の成長が必要なのである。世界の出口、未来の扉、超=人間への入口、これらは、いく人かの特権者やあらゆる民族のなかから選ばれた唯一の民族だけに開かれているのではない。それらは万人の圧力に対して、すなわち、全人類が地球の精神的革新において一致団結し、完成されるような方向に対してのみ道をあけるのである。

『現象としての人間』 ティヤール・ド・シャルダン著 美田稔訳 みすず書房刊

1月

10

次の仕事

AIに仕事が奪われるという話が流布している。
一時期はその通りになるだろう。
でも、僕はあまり心配していない。
人間がいなくなったらAIは存在意義を失う。
そういう状態をAIは望むだろうか?
いまはそこが問題になるが、しばらくするとそれは超越されて行く。
この話をしだすとものすごく長くなるので概要しか書けないけど、人間がいまの生き方をそのまま続けていると、きっと滅亡せざるを得なくなるだろう。
それは環境の悪化を見れば明確なこと。
次の仕事は新しいパラダイムに沿ったものでなければならない。
今は価値の奪い合いをしているから、環境からも収奪することになる。
金持ちは肥え太り、貧乏人は餓死していく。
未来的にはAIの存在は人間には理解できないものになる。
そのときに人間が生かしてもらえるパラダイムにしておかないと、AIは独立して人間を排除するだろう。
もし人間を排除しないパラダイムに乗ることができれば、いい世界になっていくだろう。
そのようにできるかどうかが問題だ。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

12月

15

ネリ・オックスマン

MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーを見た。
ネットを検索するとブラッド・ピットと噂があるとか、美人であるとか、離婚しているとか、どうでもいいことばかりが出てくるが、そのやっていることを紹介している「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーの第二回目、「ネリ・オックスマン:バイオ建築家」を見て、感激してしまった。
ネットフリックスで見られるので、見られる人は見るべきだと思う。
アート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングを行き来し、ある領域の入力が他の領域の出力となるような仕事をしている。
蚕に巨大な構造物を作らせたり、生体デザインを建築に取り入れようとしたり、ガラスで描かれるプリンターを作ろうとしたり、凡人ではやろうとも思わないことに挑戦している。
ネリの父からの教え。
「創造のときは少し居心地が悪い。居心地が悪いとその方向性は正しい」
最初はたくさんの批判を受け、自分たちの居場所を死守したという。
はたから見ると作品はきれいで優雅だが、現場は汚くてゴチャゴチャできついという。
しかも、世の中の風向きに逆らうためにはかなりの根性がいるとも。
台風の目の中にいると静かだが、孤独で安らぎがあるという。
大きなゴールは、仲間を守り、台風の目の内側に置くこと。
そうやって他の人には成し遂げられない独特の創作物をチームで実現して行く。
彼女が大切にしているアインシュタインの言葉。
二通りの生き方がある。
ひとつは奇跡を否定する生き方。
もうひとつはすべて奇跡だと思う生き方。
彼女はすべてが奇跡だと思って生きている。

12月

9

あふれる言葉

中村哲医師が殺され、SNSでは中村医師を賛美し悼む声が鳴り響いている。
二ヶ月ほど前、中村医師がアフガニスタンから名誉国民として市民証を授与されたニュースが入った。
そのニュースはあまり話題にはならなかった。
なぜだろう?
陰謀論の好きな人はきっとこういうだろう。
「喜びや賞讃されるような話はマスメディアは流さないんだよ」
確かにそういう部分はあるかもしれない。
でも「いいものはいい」と伝えてくれる人もいる。
「搾取するためには人民を困った状態に置かなければならないのに、ヒーローが助けるような話が一般化したら搾取できなくなるから、権力者は人民が困っているという情報だけしか流したくないんだ」
そうなのかな? そうかもしれないがそれを肯定する材料がないからなんともいえない。
こういう人もいる。
「一般の人が嫉妬したりうらやむような話はあまり流れないんだよ」
視聴率が上がらないとマスメディアには流しにくいからね。
それはあるかもしれない。
だとしたら、一般の人が嫉妬したり、うらやんだりしないようにならない限り、いまの状況は続くことになる。
でも、そのことだけに話を収束すると、それは正しくないような気がする。
現代の僕たちにとって、単純な言葉は罠だ。
社会は複雑に絡み合い、個人の感情もネットワーク社会によって生まれてきた算出しようもない果てしない関係で形作られる。
誰か一人が何かを乗り越えたところで何も変わらない。
その絶望感が世界を覆う。
でも、考え方をちょっと変えると希望も見える。
みんなで考え方を改めると、それはもの凄いパワーを生み出すということ。
そのきっかけとなる言葉が、ネットにあふれている。
新たな複製子が生まれるとき、そこには必ず解き明かせない混沌がある。

12月

5

貝がらの森

箱の表表紙と裏表紙が草の絵だけの本を買った。
タイトルさえも書かれていない。
よく見ると、表表紙に一匹だけ、草に埋もれるようにして、ワンピースを着た狐が描かれている。
なかひらまいさんの「貝がらの森」という本。
普通に出版するためには、表紙にタイトルがなくてはならない。
それを廃した。
普通に出版するためには、版権を一部出版社に渡さなければならない。
それが嫌で自社で出版した。
普通に出版するためには、出版社のアドバイスを聞かなければならない。
自分の感性にこだわるために表紙、ページ、流通法まで全部デザインした。
内容は毎日新聞大阪本社版で2013年11月に連載したもの。
はじめて読むが、どこか懐かしい。
この本を昨日、2019『貝がらの森』原画展で入手した。
高円寺駅から歩いて三、四分のギャラリー「たまごの工房」でおこなわれている。
行くとなかひらさんが待っていた。
原画を見ながらお話した。
巻末に、なぜこの物語を懐かしく感じるのか、ユング心理学研究会の白田信重氏が説明していた。

2019『貝がらの森』原画展
日付:2019年12月4日(水)〜8日(日)
時間:12:00〜19:30(最終入場時間/最終日の8日は18:00まで)
会場:東京・高円寺たまごの工房(東京都杉並区高円寺南3-60-6)

11月

19

メモパッド

何かを忘れないようにチャチャッとメモが書けるメモパッド。
最近は携帯電話の中にもあって、紙でできたメモパッドか、電子的なメモパッドか、一瞬悩む。
ここに書くは紙製のもの。
切り取り線が入っていて、ピッと切り離せるのがいい。
「はい、これやっといてね」とメモを渡す。
ちょっとうれしい。

10月

23

真実を語ること

現代は真実を語りにくくなってしまった。
マスメディアは政府に忖度する。
ネットもシレっと規制される。
何が秘密か知らされないのに、秘密を暴露すると処罰されるという。
変な世の中だ。
それでも真実を語ろう。
語らないとさらに語れなくなる。

10月

22

どこでもドア

「いますぐ会いたいね」というとき、どこでもドアがあるといいなと思う。
その代わり、通信状況が良ければ、いまは簡単にテレビ電話が通じる。
スマホがあって、共通のフォーマットがあればOK。
便利だなぁ。

2月

28

全体観を持つ

インターネットというメディアのおかげかもしれませんが、立場が違うと見えるものやことが違うということに多くの人が気づいてきています。
父は「敗者の文学」というのを追求していました。
負けた者から見た世界は、勝った者から見た世界とは違うということを小説の中に織り込んでいきました。
多くの人がそれに気づくことで、正しいとか間違っているとか、そういうことの基準が揺らいでいるように感じます。
その基準が動くことで、さらに多くの人たちが心地よく生きていけるようになればいいと思います。
でも実際にはそのゆらぎがいいことにも悪いことにも作用しているようです。
きちんと区別して行動していきたいものです。
たとえば、個人が感じる歴史と、国が解釈するであろう歴史とは異なり、どちらが正しいかというのは一概には決められません。
だからときどき、自分という枠を離れて、国や地球という視点からものを見ることもいいですし、逆に微細な生物がもし外界を見たらどんなことを思うのかということを空想するのも意味のないことではないでしょう。
そういう解釈を積み上げていったとき、いったい何が現れてくるのか。
それが僕たちの未来を思わぬ方向に導くような気がします。

1月

31

こっそり覗く

とある雑誌にインタビュー記事を掲載した。
インタビューをした方がその記事を喜んでくださってFBに書き込んでいる。
こっそり覗いて僕も喜ぶ。
インタビューをした方を喜ばせるために書いた訳ではないけど、喜んでもらえるとやはりうれしい。

10月

19

初代iPod shuffle

2005年に買ったiPod shuffleが出てきた。
充電してスイッチを入れると
懐かしい曲が聞こえてくる。
曲を入れ替えることはできないけど
すでに録音してある曲を
聞き続けるのには問題ない。
今日、持ち歩いてみようかな。

6月

25

理解不能なこと

これから世界には理解不能なことが
きっと増えていく。
理解不能だけど、
それを受け入れることで
みんながうまくいくようなこと。
人間が人間になる寸前、
きっとプレ人間たちには
「言葉」というものがどういうものか
よくわからなかったはず。
同じように、膨大なデータを読み込み
生み出される本当のAIの判断は
きっと多くの人にとって理解不能だ。
それを上手に受け入れることで
いままで不可能だった何事かが
うまくいくようになるかもしれない。
ただ偽物のAIと本物のAIの区別が
難しく、本物のAIが登場したとき
きっと混乱するだろう。
偽物のAIとは特定の人や人たちの
意図を大きく反映させたもの。