7月

31

イルカのフィン

2000年頃、イルカとよく泳いだ。
年に一度は御蔵島に行っていた。
イルカと一緒に泳いで互いに見つめ合うような体験は胸が高鳴る。
そういうとき、イルカはゆっくり泳いでいるが、フィン(おびれ)の動きはとてもリズミカルだ。
指揮法を習ったとき「放物線を描くように」と言われ、速度は最下点が一番速く、上がるにしたがって遅くなるようにと言われた。
まさにそれと同じようにフィンが動く。
僕もイルカを真似してその要領で泳いでいる。

7月

20

蜜の香り

梅雨の湿り気の中、林を歩いていると、蜜の香りがしてきた。
とても甘い香り。
林が生きている息遣い。

7月

16

地球そして生命の誕生と進化

『地球そして生命の誕生と進化』と題された映像をYouTubeで見た。
よくできている。
未来についても示唆している。
これから数世紀の人類の未来についても、このクオリティで映像化できたらいいのにと思う。

6月

22

行動に意味が生まれる

ケニアに行ったとき、鳥の写真を撮ろうとした。
草原に一本の木が立っていて、そこにたくさんの鳥が群がっていた。
その木のまわりに飛ぶ鳥を、望遠レンズで一羽ずつ撮ろうと思った。
しかし、飛ぶ速度がとても速くてなかなかレンズで追いきれない。
諦めずに鳥をレンズで追いかけて行くと、しばらくして規則性があることがわかった。
ある一羽は、ほぼ同じ軌道を何度も飛んでいる。
それを見つけた途端、何羽もの鳥もそれぞれに軌道があることがわかった。
すると、二羽がほぼ同じ軌道を飛んでいるのも見つけた。
きっとつがいなのだろう。
そこで面白いことを思いついた。
同じ軌道を飛んでいるとつがいになるのか、つがいだから同じ軌道を飛ぶのか。
それともたまたま同じ軌道を飛んでいるだけなのか?
それは単に見ている僕が勝手に意味を付けているのかもしれない。
一方で、鳥たちにとって、同じ軌道を飛ぶことで、彼らの間に何か意味のようなものが生まれないのかと質問したくなった。

6月

22

太陽に意味を与える

太陽が輝いているおかげで、僕たちは生きていられる。
太陽がもし輝いていなかったら、地球は氷の星。
生命は生まれなかっただろう。
だから、太陽は一方的に僕たちに恩恵を与えていてくれるように思う。
僕たちは何か太陽にお返しをしているだろうか?
そう考えたとき、太陽を認識し、意味を与えていることが、僕たちのできる太陽へのお返しかもしれないと思う。
太陽を認識し、意味を与えても、太陽のためにはちっともならないと考えがちだが、果たしてそうなのか?
地球では二酸化炭素による温暖化が問題になっているが、一方で太陽は黒点が減少し、ミニ氷河期になるのではないかと言われている。
まるで地球の状況を見て太陽がバランスを取ってくれているようだ。
僕たちと太陽は重力で繋がっているが、ほかの要素でも繋がっているのかもしれない。
それとも重力に、コミュニケーションの能力があるのか?

6月

18

たくさんの意味

僕たちは言葉を持つことで何かにフォーカスすることができるようになった。
あれがしたいとか、これをしたいということを群れで共有できるようになった。
もちろん群れで何かの意図や目的を共有する動物はたくさんいる。
しかし、以前からある意味や行動以外の、新しい概念を共有することは難しい。
そのために言葉が役に立った。
ところが、あまりにもそれが発達したおかげで、「何かにフォーカスすること」以外の価値が見えにくくなってしまった。
たとえば「電話」という言葉。
僕が幼い頃は電話といえば二種類しかなかった。
黒電話か赤電話。
黒電話は家にある電話。
赤電話は公衆電話のこと。
しばらくすると公衆電話にもたくさんの種類が生まれ、黄色電話、ピンク電話、青電話、緑電話といろんな色が採用されて行った。
色が多様になるのと同時に、それぞれの色に象徴される電話の意味も生まれたはずだ。
だから、「電話」一言では、今の人たちはそれがどんな形状のものを指しているのか正確にはわからない。
ファックス付き電話かもしれず、グループ電話かもしれず、携帯電話かもしれず、スマートフォンかもしれない。スマートフォンの区別も考えると、いったい何種類の電話があるのか見当もつかない。
だけど、言葉上は「電話」でわかった気になる。
同じようなことがいろんな言葉で起きている。
「愛しているよ」という言葉の「愛」がどんな意味であるのか、よく聞いてみないとわからない。
ところが、自分が一番理解しやすいか受け取りやすいか、その微妙なところは人によってよくはわからないけど、たいてい人はどこかの意味に落ち着いている。
その意味の体系を組み直したり、壊してくれるのが文学的体験ということだろう。
他人と話しているとときどき自分の意味体系が壊れる。
「壊れる」と感じていることが、いかに自分の意味を強固に持ち続けているかを表している。
この世界にはたくさんの意味がある。
意味は次から次へと生まれてくる。
そのなかで、どうして自分の意味だけを大切にし続けるのか、よく考えなければならない。
言い方を変えると、なぜ自分の意味にだけしがみついているのか、ということになる。
自分を守るのと同様に、自分の意味も守らなければならない。
そう思い込んでいる結果、しなやかさを失っていることがあるかもしれない。

6月

3

朝の鳴き声

暑くなって来たので、窓を網戸にして寝る。
朝四時過ぎになると空が白んで鳥が鳴き始める。
日によって鳴く鳥が異なるけど、どの鳥の声も清々しくていい。
はじめて行ったカウアイ島のポイプの浜辺を思い出す。
B&Bに泊まり、開けた窓から早朝に十種類近い鳥の声が一度に聞こえた。
八つくらいまでは数えられたが、九つ当たりから「あれ? さっきこの声数えたかな?」となって、本当に正確な数は疑問。
涼しい風とともに窓から入って来て、とても気持ちよかった。
鳥たちはいったい何をささやき合っているのかな?

6月

1

パラダイス酵母

パラダイス酵母という酵母をいただいた。
この酵母でパンも焼けるのだそうだ。
リンゴジュースで培養する。
酵母を少量入れると、しばらくしてリンゴジュースが炭酸飲料のようになる。
それを飲むと体の調子がよくなる。
飲む量と健康状態によっては好転反応が出るそうだ。
あまり大量には飲んでないせいか、僕にはたいした反応は起きていない。
リンゴジュース以外のジュースで培養しているひともいるようだ。
培養しているとちょっと楽しい。

5月

27

ハエの侵入

夜にふと「最近ハエを見てないな」と思った。
昔はよく手や足をこすり首をクルクル回す様子を見たものだ。
「虫が減っているからな」と思い寝た。
翌朝、朝ご飯を食べていると、大きなハエが開けた窓から入って来た。
相方は大騒ぎである。
だけど僕は、ひさしぶりに見てうれしかった。

5月

19

世界の人口

世界の人口77億4千万。
もうすぐ77億5千万。
産業革命が起きた頃から、人口は爆発的に増え続けている。
2055年には100億に達し、その後増加の割合は緩やかになるが、2100年頃に110億でピークに達するだろうと言われている。
1億に達するのに20万年かかったが、そこからたった200年で7億になった。
だから人口をコントロールしなければならないというが、生物の増加はままならないもの。
人間の生き方を変えるべきだろう。
いかにエネルギーの消費を減らすか。
AIのサポートでそれを可能にするとき、きっと社会のあり方も変わっていく。
狩猟社会から農耕社会に変わったように、農耕社会から工業社会に変わったように、工業社会から情報化社会に変わったように、次の社会はAI社会になる。
いまのままの社会で100億を超えることはできないだろう。
人々が生き生きと暮らし、あらゆる生物が共生し、どんな生命もおろそかにされないような地球を、実現できるのだろうか?
生物との共生がもし無理だとすると、おそらくAIによって人間はほぼ絶滅する。
もし生物との共生が可能になれば、AIとの共生も可能になるだろう。
生命もAIも共存できるビジョンを作ろう。

5月

7

ノヴァセン

ガイア理論を提唱したジェームズ・ラヴロックが99歳にして『ノヴァセン』という本を出版した。
簡単に書くと、人間も自然の一部なので、人間が作り出すAIも自然の一部であり、そうだとするといままでの生物が従ってきた法則に則るはずであり、人間の勢いがたとえ衰えても、AIが次世代を担うだろうという、明るいのか暗いのか判断が難しい未来について書いた。
人間が生き延びるかどうかについては、多分生き残るけど、覇権を握るのはAIになるだろうという。
僕もそうだろうなと思うし、まわりの友人たちにはその話をずっとしてきた。
いろいろと批判もされるが、なぜそうなのかという説明をしだすと長くなる。
ラヴロックはその説明の大部分をはしょっている。
賛成派と反対派に分かれるだろうなと思うけど、賛成しようが反対しようが、そうなるときはいつか来る。

4月

7

寛容であることを学ぶ

これから新型コロナウィルスの検査数を上げていくと、感染者数が増えていくでしょう。
そのとき、感染者を批難するのは間違っています。

慶応大学病院で研修医が集団感染したというニュースがありました。
それに関して批難の言葉が寄せられているようです。
慶応大学が謝罪の言葉を発表するのは当然のことと思いますが、それを他人が批難するのは疑問に思います。

医療従事者はみな、感染の可能性を知りながら、困難に立ち向かっています。

ダイヤモンド・プリンセスから乗客を降ろした時点で、日本国内には新型コロナウィルスが蔓延し始めています。
積極的に検査しなかったため、どこの誰が感染し、どこにウィルスが付着しているのか、正確には知りようがありません。
だから、日本人は誰でも感染の可能性があるのです。
交通機関を使っただけでも感染の可能性があるのですから。
それを知った上で、感染者を批難するのはやめましょう。
感染者はいわば被害者です。
さらにいえば、感染者は抗体を作る可能性を持った人です。
抗体をたくさんの人が持つことができれば、そのとき集団免疫が生まれます。
つまり、感染した人こそが、この状態に対する救世主になりうるのです。
ただし、感染して免疫を得る前は、ウィルスを拡散してしまうので、そのあいだは自宅で静かにしてもらうことが大切です。
感染者に対して寛容でいましょう。
大切なのは、ウィルスをまき散らさないこと。
医療従事者は難しい立場に立たされています。
批難ではなく、応援を。
感染した人には一時も早い回復を祈りましょう。

4月

3

きれいになる地球

新型コロナウィルスのおかげで、あちこちで環境が改善されているらしい。
外に出られないので本当かどうかは確かめられないが、本当であればうれしいことだ。
知り合いが何人か、「今年は花粉症が軽い」と言っている。
普段工場から出てくる排煙が少ないため、「花粉と化学物質が反応して花粉症を引き起こす物質」が少ないという理屈らしい。
人間が好き勝手やっているから、地球上にある時間の堆積とともにやっと作った価値のあるものを使い果たしていくから、地球が怒ってウィルスを作ったのかな?
人間の都合だけで考えるのではなく、地球の環境とか、宇宙の摂理とか、そういう視点で世の中を見るべきときがやっと来たのかな?

3月

12

山椒の葉っぱ

外は次第に温かくなり、桜は咲き、ベランダの山椒の木に小さな葉っぱが出てきた。
春だよ。
そろそろ自分の頭からあの言葉をはずしてもいいコロナ。
おお、はずれない。笑

2月

12

チーターの狩り

ケニアの草原でチーターの親子を見た。
三頭ほどの子供と母親。
母親はガゼルを追って走り出す。
乾いた土の上を走るので、ものすごい速度で土煙が上がっていく。
草原を駆け回る土煙。
子供達は顔をあげてその様を見つめる。
チーターは、足は速いが力はあまりない。
相手が草食動物でも、狩りは楽ではない。
僕が見ていた狩りは空振りに終わった。
子供達のもとに戻ってきて、肩を落とす母チーター。

2月

11

蟻地獄

幼い頃、近所の農家の庭にあった物置の壁沿いに、蟻地獄がいた。
はじめて見た蟻地獄に興奮した。
蟻をつかまえてきては蟻地獄の巣に落としてみる。
逆円錐形の蟻地獄の巣は、蟻が入ると登れない。
上がろうとして足掻けば足掻くほど下に落ちていく。
円錐形の中心に届くちょっと前で、蟻地獄が砂をパッとかける。
蟻はそれでももがいて上がろうとするが、二度三度と同じことを繰り返して、力つきて巣の中心にいる蟻地獄に捉えられる。
その様を見て興奮し、もう一度と別の蟻をつかまえてくる。
気がつくと、僕たちは蚊にたくさん刺されていた。

1月

30

野生動物と共生する

いろんなところで野生動物が悪さをしているという。
千葉県ではキョンが大量発生し、日光ではニホンザルが観光客を襲い、北海道では民家の近くを熊が歩いているという。
ほかにもきっとあるだろう。
アフリカでは道路網が整備されてきて、象やヌーの移動に支障が出てきているという。
彼らは広大な大地にしか生きられないので、土地が区分けされてしまうと移動ができなくなり、生きて行くことが難しくなる。
そういう野生動物とどうやって共生するのか?
人間の都合だけ考えれば「駆除すればいい」ということになるのかもしれないが、それは地球全体の生命にとってどうかと考えた場合、大きな問題になる。
これからの人間は「生命全体」という視点を持たないとうまく地球と共生できなくなるのではないか。
僕たちは「生命全体」に含まれる人間という種でしかない。

1月

10

次の仕事

AIに仕事が奪われるという話が流布している。
一時期はその通りになるだろう。
でも、僕はあまり心配していない。
人間がいなくなったらAIは存在意義を失う。
そういう状態をAIは望むだろうか?
いまはそこが問題になるが、しばらくするとそれは超越されて行く。
この話をしだすとものすごく長くなるので概要しか書けないけど、人間がいまの生き方をそのまま続けていると、きっと滅亡せざるを得なくなるだろう。
それは環境の悪化を見れば明確なこと。
次の仕事は新しいパラダイムに沿ったものでなければならない。
今は価値の奪い合いをしているから、環境からも収奪することになる。
金持ちは肥え太り、貧乏人は餓死していく。
未来的にはAIの存在は人間には理解できないものになる。
そのときに人間が生かしてもらえるパラダイムにしておかないと、AIは独立して人間を排除するだろう。
もし人間を排除しないパラダイムに乗ることができれば、いい世界になっていくだろう。
そのようにできるかどうかが問題だ。

1月

8

いいたいことを言う

日本の政治もアメリカの政治も、約束事を無視して暴走し始めたようだ。
このまま行くとたくさんの命が失われるのかもしれない。
その前にもし、言いたいことが言えなくなったのなら、その時点で僕たちの命は疎外されている。
疎外を受け入れるのではなく、いいたいことは言おう。

12月

15

ネリ・オックスマン

MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーを見た。
ネットを検索するとブラッド・ピットと噂があるとか、美人であるとか、離婚しているとか、どうでもいいことばかりが出てくるが、そのやっていることを紹介している「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーの第二回目、「ネリ・オックスマン:バイオ建築家」を見て、感激してしまった。
ネットフリックスで見られるので、見られる人は見るべきだと思う。
アート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングを行き来し、ある領域の入力が他の領域の出力となるような仕事をしている。
蚕に巨大な構造物を作らせたり、生体デザインを建築に取り入れようとしたり、ガラスで描かれるプリンターを作ろうとしたり、凡人ではやろうとも思わないことに挑戦している。
ネリの父からの教え。
「創造のときは少し居心地が悪い。居心地が悪いとその方向性は正しい」
最初はたくさんの批判を受け、自分たちの居場所を死守したという。
はたから見ると作品はきれいで優雅だが、現場は汚くてゴチャゴチャできついという。
しかも、世の中の風向きに逆らうためにはかなりの根性がいるとも。
台風の目の中にいると静かだが、孤独で安らぎがあるという。
大きなゴールは、仲間を守り、台風の目の内側に置くこと。
そうやって他の人には成し遂げられない独特の創作物をチームで実現して行く。
彼女が大切にしているアインシュタインの言葉。
二通りの生き方がある。
ひとつは奇跡を否定する生き方。
もうひとつはすべて奇跡だと思う生き方。
彼女はすべてが奇跡だと思って生きている。

10月

30

地球は生きている

ナショナルジオグラフィックにこんな記事が掲載された。
「地球深部で起きる炭素循環を解明、驚きの事実」
地球に炭素が引き込まれ、内部に炭素がたくさん存在するのは理解できるとして、その炭素を岩石に変化させるとき、高圧化でメタンが発生するという。
そのメタンを利用して最初の生命が生まれたのではないかという仮説について書かれている。
詳しいことはあまり書かれてないので詳細はわからないが、もし本当なら面白い。
僕たちにとって「生き物」と「生き物でないもの」との区別ははっきりとしているが、実はその区別はとても曖昧で、星の規模になるともうそれは「物の塊」ではなく「命の端緒」なのかもしれない。
「もの」と「いのち」の区別がナンセンスという時代が来るのかもしれない。

10月

26

犬を飼う

ほんの数ヶ月だけ犬を飼っていたことがある。
しかし、その犬は数ヶ月後に死んでしまった。
その悲しみたるや、筆舌に尽くし難く。
以来、犬を飼うことを一切考えなくなった。
いま思えば、飼っていた時は楽しかったのだ。
失った悲しみが目を曇らせている。

9月

27

鳩の鳴き声

朝、相方が窓を開けると、外で鳩が鳴いていた。
プープーポプゥー、プープーポプゥー、プープーポプゥー。
その声を真似て鳴いてみた。
すると相方は「そんな鳴き方はしてない」という。
「じゃあ、どんな鳴き方?」と質問するが、モゴモゴ言って答えてもらえなかった。
鳩の声真似は難しい。
ツーツージョウホー、ツーツージョウホー、ツーツージョウホー。
とも聞こえる。

8月

28

地球交響曲第九番

1992年に完成した第一番からずっと見てきた地球交響曲。
今年2月に逗子でひさしぶりに第二番を見た。
そのときに龍村仁監督が来場し、お話しをした。
第九番の制作について触れていた。
交響曲第九番のジンクスというものがある。
クラシック音楽好きには有名な話だ。
ベートーヴェンが交響曲第九番を作って終わって以来、誰も交響曲は9作以上作れなくなったという。
マーラーは第九を作るのを避けるため『大地の歌』を作った。
そして、『大地の歌』の次に第九を作って人生を終える。
龍村監督もそのことを気にしているようで、冗談のように「次は第九だよ」と何度も言っていた。
後日、監督とお話しする機会があった。
そのときに「第一番を作ったときにはもう第九まで作るつもりだったのですか?」と聞いた。
すると監督はこう答えた。
「そこまでは作らなければならないと思っていたよ」
第一番から八番まで作り続けてきた地球交響曲。
第九を作って大きな節目とするつもりのようだ。
その第九にはベートーヴェンの第九が取り上げられる。
小林研一郎氏の指揮による演奏会の練習から本番までを撮影する。
『歌うネアンデルタール』を著したスディーヴン・ミズン博士が来日し、北海道と沖縄に行く準備をしているそうだ。
ミズン博士は『氷河期以降』という著書で縄文のことに触れている。
きっと何か関係があるのだろう。

8月

19

ヒメアカボシテントウの夢

相方が僕についているムシを殺してくれた。
まわりを見るとヒメアカボシテントウが何匹かいる。
子供の頃、フタホシテントウと呼んでいた、黒地に赤い星が二つあるてんとう虫。
「殺さなくていいよ、なにもしない虫だから」
と言ったが、相方は気になるらしい。
そこで目が覚めた。