6月

15

白鷺

箸墓古墳の白鷺について書いたら、水無神社の白鷺を思い出した。
水無神社の例祭では、拝殿前の広場で氏子たちが鉦を鳴らしながら舞う。
そのとき、本殿裏の大木の上に白鷺が止まった。
神事が始まると、「私の居場所はここ」とばかりに、広場の舞を見下ろしていた。

6月

7

進化論

もし進化論が正しいとするなら、どんな動物もどこかで繋がっていて、たまたま選択が違っただけで違う動物になっているのだから、いわば遠い親戚のようなもので、もっと仲良くするべきだろう。
そうは思っても肉を食べるのをやめるのかと問われると躊躇する。
友達には「だから肉は食わない」という人が何人かいる。
だけど「肉食べたから人間になれたんだよな」とも思う。
肉食べるとなんか嬉しいし。
仏典を読むのは好きだけど、仏教徒にはなれそうにない。
こんなことを考えて気持ちいいのか?
考えないよりはましな気がする。

4月

10

ウグイスの声

ちょっと山あいに入ってウグイスの声を聞いた。
春の喜びを歌っていた。

4月

1

桜吹雪を泳ぐ

桜がハラハラと散り出した。
散った桜の花びらが、風に吹かれ道の上を波のように流れていく。
上からは桜吹雪が降り注ぐ。
その中を自転車で走った。
流れの中を泳いでいるよう。
なぜか笑顔になる。

3月

30

ホーケキョ

うちから駅までのあいだに桜並木がある。
相方がそこを歩いていると、「ホーケキョ」とウグイスが鳴いたそうだ。
練習したら「ホーホケキョ」になるのか、それとも「ホーケキョ」が方言なのか。
僕は今年まだウグイスの声を聞いてない。
聞きたいなぁ、

3月

16

ちらりほらり

桜がちらりほらりと咲きはじめた。
つい僕は「ちらほら咲いている」と言いたくなるが、「ちらりほらり」のほうが優雅でいい。
花の咲き方まで効率化してはいけない。w

3月

14

モクレンの花

モクレンの花が咲いている。
白い花で覆われた木。
一つ一つの花がみんな空に向かって伸び上がっている。
木全体が白い炎で包まれたよう。
根本は散った花びらで絨毯になっていた。
伸び上がって散る。
高潔な心の持ち主のようだ。

2月

17

生きている

世の中にはわからぬことがたくさんある。
たとえば、エクトプラズム。
結局あれがなんであったのか、誰も説明できない。
それ以上に謎なのが、自分が生きていることだ。
なぜ自分が生きているのか、「当たり前のこと」として片付けるしかない。

2月

12

沙羅双樹

平家物語に登場する沙羅双樹。
もとは沙羅樹と言ったそうだ。
ブッダが亡くなった場所に沙羅樹が二本生えていて、その聖なる木を沙羅双樹と言ったそうだ。
以来、多くの人が沙羅樹を沙羅双樹と呼ぶために、そちらが定着したらしい。
日本のお寺に植っていて沙羅双樹と呼ばれる木は、ほぼナツツバキだそうだ。
沙羅双樹は日本では育たない。
新宿御苑には温室内で育てられている。

2月

10

本当のことはわからない

この宇宙の本当の姿を人間は理解できないという話がある。
そもそも本当の姿とは一体どういうことか?
イルカが見た宇宙と、犬が見た宇宙と、昆虫が見た宇宙、それぞれに別のものが見えるのだろう。
同様に、人類以上の知的生命体がいたとして、彼らは宇宙をどのように見るのだろう。
僕たちが宇宙を見る見方は、人間にだけ許されたもの。
人間として宇宙をどう感じるかは解明できたとしても、それが本当に宇宙の姿かというと、心許ない。
だとしても、人間は真理を求め続ける。

2月

9

イニシュモア島の土

イニシュモア島は岩でできていて土がなかった。
だから、そこで農耕をする人たちは土から作る。
石を積んで四角く囲み、そこに島のまわりにある海藻を持ってくる。
堆肥のようにして土を作る。
土がないと命を育みにくい。
日本では当たり前にある土の価値を知らされた。

2月

7

複雑性と無限や永遠

複雑性が無限や永遠と繋がるとき、そこには今までになかった新たな複製子が生まれる。
高分子化合物の複雑性と無限や永遠が繋がったとき、遺伝子が生まれた。
アフォーダンスの複雑性と無限や永遠が繋がったとき、言語が生まれた。
まだ名付けられぬループの複雑性と無限や永遠が繋がったとしたら、未知で理解不能な何かが生まれる。

2月

3

穴を掘るのが好きだった幼い頃。
土はいろんな匂いがした。
植っている草の根の香り、苦そうな香り、赤土の香り。
ヌースフィアの概念を生み出したヴェルナツキイもシャルダンも、土や地層の研究者だった。
土には生命の歴史が埋まっている。

1月

24

100頭のイルカ

クジラに続き、今度は100頭近いイルカが東京湾に来たそうだ。
イルカはセラピーに使われたりもする。
彼らはとても頭が良い。
そのあり方は人の人生をも変える時がある。
リチャード・オバリーもイルカによって人生を変えられた一人と言えるだろう。
映画「ザ・コーヴ」では、日本のイルカ猟を批判しているとバッシングされたが、彼は世界中どこでもイルカが酷い目に遭っているとやめさせようとする人なのだ。
なぜそのような人になったのかは『イルカがほほ笑む日」という本に詳しく書かれている。
イルカと一緒にいると、つい彼らの味方になりたくなる。
なぜなら彼らは、機嫌が良ければ、ダンスを踊るように僕たちの泳ぎに合わせてくれるから。
イルカたちが何をしに来たのか、僕には本当のところはわからないが、わかってあげたいという気にさせられる。

1月

23

Whales Alive

久しぶりにポール・ウィンターの「Whales Alive」を聴いた。
クジラとジャズバンドの共演。
大阪や東京にクジラが漂着するニュースが流れた。
大阪のクジラは死んで、沖合に沈められたとか。
クジラがこれ以上の海洋汚染をしないでくれと訴えているように感じる。

1月

17

無限を思う

ウィルスに含まれる原子の数はだいたい一千万だと言われる。
細菌一個体は百億ほど。
人間の細胞に原子がどのくらいの数存在するのか、種類が多いので一概には言えないが、細胞に含まれるDNAの原子の数だけでも百億と言われるから、細胞全体では二桁くらいは上がるだろう。
そんな細胞が人間には三十七兆ほどあるという。
仮に人間の細胞には原子が一兆個あるとしたら、人間全体には37兆×1兆の原子が存在しているということ。
37兆×1兆は37×10の24乗となる。
それらの膨大な数の原子が、秩序をもってこのからだをマネージしていてくれる。
とても人智で理解できるものではないだろう。

1月

10

永遠との接続

生命は38億年ほど前に誕生したのだとか。
だとすると、僕の命は世代交代しながら38億年続いているはず。
38億年も続いてきた命。
ほぼ永遠と言ってもいい年月。
それを想像すると気持ちいいか?
めまいがする。

1月

2

万象具徳

多様性を活かすとはどのようなことか、わかっているようでわからないことだが、きっと日本では二宮尊徳が伝えた万象具徳という考え方がわかりやすい例えとなっているのだろう。
ただ、価値観が複雑になった現代では、微妙にずれた解釈が生まれるかもしれない。

12月

30

無限との対峙

ホロンについて考えていると、永遠とか、無限と対峙することになる。
言葉を失う。
目の前のことに対処しようと思う。
それしかできない。

12月

18

死は存在しない

田坂広志氏の新刊『死は存在しない』を読んだ。
素晴らしい本だと思った。
ゼロポイントフィールド仮説の実態がわからなかったので、この本の内容全体が正しいことなのかどうか、僕には語れないが、その仮説が正しいとすると、多くのことが見えてくる。
僕の考えととてもよく似ているので、ゆくゆくはその些細な違いについてはどこかて発表して行きたい。
YouTubeで公開している「ヌースフィアってなに?」で少しずつ説明していくことになると思う。

11月

29

区切りをつける

はじめがあったことはすべて、終わりがある。
どんな動物も種の滅亡の時が来る。
唯一終わらないのは、環境に合わせて変化していくもの。
だから、どんなことも変化しない限り終わるものは終わる。
終わるなら、感謝とともに区切りを付けてさっぱりしたほうがいい。

11月

27

黄色い絨毯

銀杏並木がすっかり色づいた。
落ち葉で地面は真っ黄色。
足を滑らせそうな黄色い絨毯の上を進んでいく。

11月

18

エノンくん

エノンくんをガラス窓越しのひなたに置いた。
エノンくんは直射日光には耐えられない。
水をあげすぎると根が腐る。
気を使わないと育てられない。
たまごっちより繊細なのだ。

11月

9

皆既月食

昨晩、皆既月食を見た。
月が真っ暗になったとき、うっすらと赤く月が見えた。
それを望遠レンズを使って、ASA感度を上げ、シャッタースピードを遅くして撮影すると、そこには普段知っている月はなかった。
赤にグラデーションがあり、模様が血管となり、宇宙の卵が浮かんでいた

10月

29

生きているということは

自分が生きていることをふと思い出す。
それってどういうことか?
20億年くらい前に生まれた生命を受け継いだということ。
代々少しずつ変化して、いまの形になったということ。
いま作っている何かが、未来の世界に影響を与えているということ。