6月

9

Thanksgiving

高校卒業の頃に学校のそばに「友&愛」というレンタルレコード屋ができた。
そこで「December」というレコードを借りた。
なぜそれを借りたかというと、そのレコードが輸入版で、しかも表紙の写真が美しくて切なかったから。
針を落とすとピアノのソロ曲集だった。
そのアルバムの最初の曲が「Thanksgiving」。
Emで始まる美しくて切ない曲。
しばらくして日本でもそのレコードが発売になり、さらに時間が経つと楽譜も発売された。
大学生になった僕はその曲を好んで弾いた。
そのレコードの奏者はジョージ・ウィンストン。
「Autumn」「Winter into spring」「Summer」と四季をテーマにしたアルバムをよく聞いた。
R.I.P.

6月

9

十年後から見る

十年後から現代を見たらどんなふうに見えるのだろう?
ケネディ大統領の暗殺のようにうやむやなままか。
すべてが明らかになっていい世界になっているか。
もちろん後者のようであって欲しい。

6月

8

追億

1973年に公開された映画。
このテーマ曲が有名で、いまだにあちこちでかかっている。
高校生の頃ブラバンで演奏したりもした。
テーマ曲は知っているが、映画は見たことないなと、大学生のとき早稲田松竹でかかっているのを見つけて観た。
名画座だからか、コマが飛んでいるような場面もあった。
話自体はあまりよく覚えてないが、あそこで観たことを忘れられない。
当時はボロボロな劇場だったが、今では綺麗になったよだ。
もう一度何か観に行ってみようかな。

6月

7

進化論

もし進化論が正しいとするなら、どんな動物もどこかで繋がっていて、たまたま選択が違っただけで違う動物になっているのだから、いわば遠い親戚のようなもので、もっと仲良くするべきだろう。
そうは思っても肉を食べるのをやめるのかと問われると躊躇する。
友達には「だから肉は食わない」という人が何人かいる。
だけど「肉食べたから人間になれたんだよな」とも思う。
肉食べるとなんか嬉しいし。
仏典を読むのは好きだけど、仏教徒にはなれそうにない。
こんなことを考えて気持ちいいのか?
考えないよりはましな気がする。

6月

5

踏切の音

目の前にいたらうるさいかもしれないけれど、少し離れたところに聞こえてくる踏切の音はいい。
特に真夜中、静寂の中を、遠くから聞こえてくる踏切の音はなんかいい。
「みんなが元気に生きている」って感じがする。

6月

4

内面のヴィジョン

二十代の頃にはじめて瞑想をした。
その時に「ヴィジョンを見ろ」と言われたが、何のことやらさっぱりわからなかった。
ヴィジョンなどというものは見えなかった。
以来瞑想を続け、見れるようになったが、最近は歳のせいか、ヴィジョンを見ながら寝てしまうことがある。
ヴィジョンがそのまま夢になってしまう。
気持ちいいからいいんだけどね。

6月

3

手水

あれのおかげいで二年ほど、神社の手水舎には水が張られていなかった。
それが再開された。
よかったと思う。
神様の力もあれにはかなわないと神社側が考えていたことに疑問を持つが。

6月

2

アンディ・ウィリアムスの歌声

中学生の頃、よくアンディ・ウィリアムスの歌を聴いていた。
今でもときどき街中などで聞こえてくると、聴いたことのない曲でも声ですぐにわかる。
アメリカン・ドリームが素直に信じられていた頃を思い出させてくれる声。

6月

1

大雨

「人心乱れて災起こり難来たる」と言われます。
天から降る大量の雨で人心を清め、災いが払われますように。
無縁社会を終結させ、灼熱の欲望を鎮める力を人類に与えたまえ。
正しき政がなされるように清明な感覚を与えたまえ。
子供がたくさん生まれ、笑って暮らせる社会となりますように。

6月

1

もうすぐ5000回

日刊 気持ちいいものが、もうすぐ5000回になる。
普通に考えれば嬉しいところだが、あまり嬉しくないのが本心だ。
5000回の頃に何か個展のようなイベントをおこなおうと思っていた。
その準備を四年くらい前から始めていたが、一昨年の末に体調を崩して入院してしまった。
個展の準備は頓挫した。
ここ数日、日刊 気持ちいものが書けない理由はそこにあると思い、ここに吐露する。
自分がやると言っていたことができないことはとても気持ちが悪い。
これからも気持ちいいものを書き続けるためにこれを書いた。
失敗の宣言だ。
5000回を超えて、一万回を目指す。
精神の変容を見つめるために。