1月

28

武甲庵

秩父市役所の裏手に「武甲庵」というカフェギャラリーがオープンした。
一階がカフェ、二階がギャラリーである。
ここに3月17日まで清水武甲という写真家の作品が展示されている。
武甲庵の「武甲」は清水武甲の「武甲」なのだ。
秩父の写真を撮り続け1995年に亡くなる。
まだ雄大な武甲山や戦争中の秩父の様子も見られる。

1月

12

武甲山かつての山容

秩父に通うようになった。
はじめて行ったとき、武甲山を見ても何とも思わなかった。
だけど、1970年頃から急激に形を変えたと聞いてなるほどと思う。
かつての山容はもこもこもっこりとして、頼もしい山だった。
現在は山のてっぺんがピラミッドのようになっている。
かつての武甲山の写真を見ると、今の武甲山が痛々しい。
日本三大曳山祭のひとつである秩父夜祭では、いまでも武甲山に向かって祈りを捧げる。
神の住む山が削り取られ続けている。
もこもこもっこりの山の写真を見て慰める。

4月

5

梟サブレ

今年も秩父今宮神社の龍神祭と
水分神事に参拝した。
秩父今宮神社はかつて
今宮坊と呼ばれ、
神仏習合の一大霊場だった。
明治維新の神仏分離令で
各神社仏閣は独立する。
このとき大宝年間に役小角によって
勧請されたという八大龍王神のお祭、
龍神祭は幕を閉じる。
しかし、平成七年、
そのお祭りは復活した。
龍神祭は午前中におこなれ、
午後に水分神事がおこなわれる。
水分神事は、秩父神社から神官らが
今宮神社の境内にある
龍神池のご神徳を
いただきに来る神事で、
水幣を渡すことで象徴されている。
秩父神社の神官らは水幣を持ち帰り、
秩父神社の鳥居の前に藁で作った
龍の水口にそれを刺し、
龍のご神霊が行き渡った境内で
田植えを模した所作をおこなう。
無事に実際の田植えが終わり、
秋に実りが得られると、
そのお礼にと秩父夜祭をおこなう。
日本三大曳山祭のひとつである
秩父夜祭は、平成28年
ユネスコ無形文化遺産に登録され、
さらに人が集まるようになったが、
その祭は、
ご神体である武甲山に、
恵みをもたらしてくれた
龍神様をお返しするのが目的だ。
行進する曳山の先頭を行く神輿に
龍の水口が乗る。
この一年の営みの最初となる神事が
水分神事である。
この神事に秩父神社から
御神幸行列して来た人たちの背中に、
フクロウの絵が描かれていた。
「なぜフクロウ?」と思い、
秩父神社に行き、
御田植神事を見たあとで
境内の裏にまわると、
そこに「北辰の梟」がいた。
社殿裏にある木彫の梟。
なるほど、これを担いで来たのか
と思い、境内から出ると、
目の前のお菓子屋さん八幡屋本店に
「梟サブレ」という
ポスターが出ていたので
思わず買ってしまった。
鎌倉・豊島屋の鳩サブレーを
思い出す。