5月

26

観の目と見の目

僕が幼稚園に通っていた頃、母が不思議なことを言いだした。
道路を渡るとき、こんな話をしてくれた。
「ようちゃん、横断歩道を渡るときどうする?」
「右見て、左見て、もう一度右見てから渡る」
「そうね、そう教わったよね。でもね、ようちゃんはこうしてご覧なさい。まず横断歩道の前に立ったら耳を澄ますの。そしたらまわりで走っている車は一度に全部わかる。それで左右を見るのはその確認。それから渡りなさい」
以来そうして渡った。
あとで気づくのだが、そうしていると横断歩道を渡るとき以外にも気配に敏感になる。
大人になって宮本武蔵の『五輪書』を読んだ。
母が言ってたことを宮本武蔵が別の言葉で書いていた。

目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊(いささ)かも敵の太刀を見ずという事、兵法の大事なり。

1月

7

チュルチュルを思い出す

ふとしたときにチュルチュルを思い出した。
チュルチュルとは、麺類を総称した幼児語で、母がよく幼い僕に「チュルチュル食べましょうね」というふうに使っていた。
先日そばを食べていてそのことを思い出す。
そのときに一緒に思い出したのは、うまく言葉にできない感情だ。
それはずっとチュルチュルだと思っていた幼い僕が、チュルチュルに区別があることを知り、「このチュルチュルはおそば、このチュルチュルはうどん、このチュルチュルはラーメン、このチュルチュルはそうめん」と区別したときのなんとも言えない感情。
このチュルチュルはおそばであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはうどんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはラーメンであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはそうめんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
でも、僕と母さんのあいだにはチュルチュルに関してのたくさんの思い出がある。
しかも、当時の僕はこれほどはっきりした区別が持てず、何だかよくわからないけど何かに引っかかっている感情を感じ、どうしようもないのでどうにもできなかった。
この当時の僕にとっては複雑な思い。
そんな感情を大人になって味わいなおす。
言語化して区別できると「なんだかなぁ」という感情が生まれるが、きっと幼い頃の感情とは少し違うものなのだろう。

11月

30

柿の季節

柿の季節になると相方が
柿の皮をむいて出してくれる。
そのときに毎年同じ話をする。
それは、父が柔らかい柿が好きで
母は固い柿が好きだったこと。
母が固い柿の皮をむいて出すと
父が「僕は柔らかい柿が好きだから
固いうちに皮むかないでよ」という。
すると母が
「この前柔らかくなるまで
 待ったんだから
 今度は固くてもいいでしょう」
と反論する。
その二人のやりとりを僕は隣で
毎回見ていた。
母は母で母だったし、
父は父で父だった。
柿の季節になるとする話。

1月

4

黄金銃を持つ男

「007 黄金銃を持つ男」という
映画が公開されたのは
僕が中学生の頃。
正月映画として公開され、
父と見に行った。
見に行く直前、出掛けに
どんな理由かは忘れてしまったけど、
父が母と喧嘩した。
映画を見終わって、
帰りの丸の内線の中で
こんな話をした。
「母さんまだ怒っているかな?」
「どうかね」
「現実は映画みたいに行かないね」
「そうだな」
母さんの誕生日のことを思い出して
次に思い出したこと。

1月

3

母の誕生日

今日は母の誕生日。
母が好きだったものを思い出す。
黄色い車
生け花
お茶
お酒
ミシン
帽子
ハワイ
ミツコ
など。
生きていれば90歳だ。