7月

5

水に心のことを教わる

泳ぐようになってもうすぐ9年。
水に心のことを教わった。
どうやって教わったのかというと
その入口はこういう問いだった。
「何を考えたら楽に泳げるのか?」
はじめのうちはポジティブなことを
考えるようにした。
たとえば、
「いくら掻いても進まない」
と思ったら、
「掻いた分だけ進む」
と考える。
だけどこれはあまりうまくいかない。
実際には葛藤が生まれてつらくなる。
ではどうすればいいのか?
次にしたのは水を感じること。
手で掻くと掻いた水が渦になったり
圧力のある層になったりする。
それを感じてみるのだ。
はじめは半ば空想だった。
「こう掻けばここに層ができるはず」
という感じ。
ところがしばらくすると
実際に感じるようになってきた。
肌がわずかな圧力の変化を
実は感じていたのだ。
それを発見するとそれを利用する。
クロールをしていて
手で掻くと、
そこに圧力のある層ができ、
それが泳いでいる僕から見ると
後ろの方へ流れて行く。
その層が足から離れるときに
そこをキックすると、
その層を感じずに
ただキックしたときより
わずかに進みがよくなる。
そういう圧力の層を見つけては
その層が
うまく利用されているかどうかを
感じて行く。
圧力の層は
実際に存在するのかどうか
本当はわからない。
僕が幻影を
感じているだけかもしれない。
でも、実際に速く楽に
泳げるようになった。
きっとだからあるのだろう。
でもそれは、
「きっとある」と前提しない限り
見つけられなかった。
あると信じることで存在し始めた。

2月

6

水の音

気持ちいいものとして
何度も思い出すもののひとつに
水の音がある。
一滴だけ水滴が水面に落ちる音。
波の音。
せせらぎの音。
ちょろちょろ流れる水の音。
滝の音。
水琴窟の音。
泳いでいるときの音。
雨の音。
雨の音にもまたいろいろある。
どれも素敵。
なぜ水の音に心慰められるのだろう。