4月

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忘れてしまうもの

『日刊 気持ちいいもの』に
書こうとするものをよく忘れてしまう。
前の晩「よし明日はこれを書こう」
と決めても、
翌朝には忘れてしまうことが
よくある。
「そりゃ歳だろう」と
誰でも思うだろうが、
それだけでもない。
ここに書こうとしているのは、
レッテルの再現ではないのだ。
たとえばこの文章は
「忘れてしまうもの」という
タイトルだが、
タイトルだけでこれから僕が
どんなことを書こうとしているのかは
多くの人にはよくわからないと思う。
だいたい「忘れてしまうもの」を
気持ちいいだなんて思う人は
少ないだろう。
でもそれを
気持ちいいものとして感じ、
その気持ちよさを書くためには
多くの人に言語化されていない、
わかりにくいことを
わかるように書かなければならない。
そうすると、僕自身にもまだ
言語化されてないことなので、
それは簡単に失われてしまう。
「これ気持ちいいな」と
思ったものが、
すでに言語化されていて
「この感覚」と明示できれば
その「気持ちいいもの」は
簡単に書ける。
ところが「気持ちいいもの」が
明示しにくい、
一般には言語化されてないことに
気持ちよさを感じてしまうと、
それを覚えておくのが難しい。
それを文章に書くのは、
まるで手に掬った水を運ぶようだ。
今回の気持ちいいものは、
たまたま書く直前に思いついたので
掬った水を
無事に文章へと運び終えそうだが、
前日にこんなことが思い浮かんで
「気持ちいいな」と思っても、
なかなか文章にはできずに
忘れてしまう。
今日は「きっと忘れてしまうな」と
思うことが文章化できて、
とても気持ちいい。
いままで忘れてしまった物事に
しみじみと哀悼を思う。

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