7月

7

四季〜ユートピアノ〜

1980年に製作されNHKで放映された単発ドラマ。
2000年を過ぎた頃に一度再放送された。
それを一度だけ見たのだが、とても印象に残った。
主人公の女性が調律師としていろんなピアノを調律していく。
淡々としたドラマだが、ピアノの音が印象に残った。
ピアノによってあんなにも音色が違うのかとはじめて知った。
もちろんピアノによって音の違いがあるのは知っていたが、置かれている場所によって響きが違う。
調律していくことでも音が変わる。
その些細な違いに気付かされていく。
ピアノの音が流れるたびに「うちのピアノの音と違うな」と思う。
うちのピアノの音と思い出の大切さをかみしめた。

5月

30

クラウドアトラス

六つの時代の物語を、一度に見せられる。
どこにも人生の挫折があり、成功がある。
悪と呼ばれるものの正体は何か。
善や愛はどのように得られるのか。
僕たちは何のために生きているのか。
そんなことを思いながら複雑な関係の中に浸される。

5月

17

ゲームに飽きる

相方がこのところの自粛規制でうちにずっといる。
それで退屈しのぎにスマホのゲームを始めた。
脇から覗いて面白そうだったので、僕も始める。
高校生の頃、アーケードゲームというのが流行り、テトリスとかインベーダーゲームなどをやった。
やりはじめるとついやり続けてしまう。
はじめて買ったPCに「タワー」というゲームをインストールしたが、三日間徹夜を続けて、これ以上先はないようだというところまでやった。
バカだなと思う。
なので、ゲームを始めると止まらないのはわかっているので、徹底してやってある程度できるようになったらもうやらない。
これで終わりという感じを持つのが大切。

5月

12

妄想する

アフターコロナがどうなるか、妄想する。
根拠なんてなくていい、自分のとっていい社会とはどういうものか。
あまりにも利己的な社会を想像するのは無駄なことだ。
自分にとっていい社会といいつつ、実現する可能性を持たせるためには他人にとってもいい社会でなければ妄想するエネルギーが無駄になる。
面白い。

3月

31

ジーマ・ブルー

ネットフリックスで製作されたデヴィッド・フィンチャーとティム・ミラーによるアンソロジー「ラブ、デス&ロボット」というシリーズがある。
一話が10分程度で気軽に見られるが、どの話もなかなか面白かった。
特に僕が響いたのは「ジーマ・ブルー」という話。
ジーマというアーティストが次第に巨大な作品を作っていく。
そのときに必ず使用するのが「ジーマ・ブルー」と呼ばれる、空にも海にも存在する青い色。
物語の最後で、なぜその色が使われるのかが明かされる。
「小鳥の歌」という霊的な物語を集めた短編集に出てくる塩の人形を思い出した。

3月

10

萌音と萌歌

ちょっと前に相方が、ケーブルテレビで『義母と娘のブルース』を一気見していた。
「なにそれ?」と隣で一緒に見たら、面白くて止まらなくなってしまった。
そのドラマで娘役をしていた「上白石なんとか」のことをそのドラマで覚えた。
それ以来、ときどきテレビに出てくると、「あ、あの女の子だ」と思い出すのだが、「ん? とても似ているけどちょっと違う。整形でもしたの?」と思うことがあって、でも、また別のときに見かけるともとの顔に戻っていたりして、「なんだろう?」と思っていた。
「上白石なんとか」の、「なんとか」の部分もときどき違っているような気がして、検索してなるほどと思う。
姉妹がそっくりなんだね。
知りませんでした。

2月

27

切断

コリーヌ・セロー監督の映画「美しき緑の星」に「切断」という概念が出てくる。
どこか平和な星からやってきた主人公が地球で「切断」と宣言すると、そこにいた人たちは地球の文化から解き放たれて、生命が本来持つ輝きを発し始める。
たとえば、コンサートで奏者たちが切断されると、そこから演奏は即興となり、居合わせた人がみんな踊りだす。
サッカー会場で切断されると、選手たちがその場で踊ったり、ボールを手で持って走ったり、大はしゃぎする。
何か思い込みがとても激しい人が切断されると、その人は生き生きとし始める。
無理に切断することもないけど、たまには切断するのもいいかも。

2月

10

亀塚古墳

古墳に興味を持つようになったのは、亀塚古墳に行ったから。
大分県大分市、丹生川の別府湾に注ぐ河口近くにある。
全長116m、後円部の直径64m、前方部の長さ52m、高さが後円部で10mという立派な古墳が、平成に入ってから復元された。
葺石で覆われた美しい墳丘に前方部から後円部まで登ることができる。
一番高い後円部に登ると、別府湾が見下ろせる。
たまたま行った日が「海部のまつり」の日で、古代衣装をまとった女性たちが、男性の楽士たちを引き連れ、たおやかな舞いを披露しながら古墳のまわりを歩いていた。

1月

16

I know.

いろんな場面で登場するこの簡単な言葉。
40年前の「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」にも印象的なシーンにでてきた。
カーボン冷凍される直前のハン・ソロにレイアが「I love you.」と告げるとソロが「I know.」と答える。
最新作の「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明」にも印象的なシーンで「I know.」が登場する。
そのセリフを聞いた途端、40年前の「I know.」を思い出す。
こんなありふれた台詞にいちいちほろりとしていてはたまらないと思いつつ、それでもやっぱりほろりとさせられる。
「西の魔女が死んだ」も一緒に思い出した。

1月

14

グーグルマップ

何十年も前に旅行したところをグーグルマップで覗く。
懐かしい建物があることもあれば、まったく町並みが変わってわからなくなっていることもあり、とても面白い。
30年前には考えられなかった遊び。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

12月

15

ネリ・オックスマン

MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーを見た。
ネットを検索するとブラッド・ピットと噂があるとか、美人であるとか、離婚しているとか、どうでもいいことばかりが出てくるが、そのやっていることを紹介している「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーの第二回目、「ネリ・オックスマン:バイオ建築家」を見て、感激してしまった。
ネットフリックスで見られるので、見られる人は見るべきだと思う。
アート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングを行き来し、ある領域の入力が他の領域の出力となるような仕事をしている。
蚕に巨大な構造物を作らせたり、生体デザインを建築に取り入れようとしたり、ガラスで描かれるプリンターを作ろうとしたり、凡人ではやろうとも思わないことに挑戦している。
ネリの父からの教え。
「創造のときは少し居心地が悪い。居心地が悪いとその方向性は正しい」
最初はたくさんの批判を受け、自分たちの居場所を死守したという。
はたから見ると作品はきれいで優雅だが、現場は汚くてゴチャゴチャできついという。
しかも、世の中の風向きに逆らうためにはかなりの根性がいるとも。
台風の目の中にいると静かだが、孤独で安らぎがあるという。
大きなゴールは、仲間を守り、台風の目の内側に置くこと。
そうやって他の人には成し遂げられない独特の創作物をチームで実現して行く。
彼女が大切にしているアインシュタインの言葉。
二通りの生き方がある。
ひとつは奇跡を否定する生き方。
もうひとつはすべて奇跡だと思う生き方。
彼女はすべてが奇跡だと思って生きている。

12月

8

目覚めよ、愛に生きるために

11月末に『目覚めよ、愛に生きるために』というタイトルの本が出版された。
著者は本郷綜海。
スチャダラパーを世に出し、有名ラッパーに育て上げると手を引き、今度は自分がヒーラーや歌手になると言ってアメリカに渡ってしまった。
その直前に知り合い、何度か会ったのち、本郷さんはバーバラ・アン ブレナンのもとで学ぶようになる。
何年かのちに帰国して、最初のライブに行った。
ライブが始まると、本郷さんはとても長く唸る。
一分以上ただ「うー」と唸っていた。
ところが、その唸りが凄い声だった。
ピュアとか透明とか、そんなもんではない、魂の奥に隠していた何かを揺さぶり起こすようなそんな声。
聞いているうちに鳥肌がたった。
心の鎧が解けていくような感覚と、それに逆らおうとする、自分の土台を突き崩されてはならないという恐怖の感覚。
その長い唸りのあと、その歌声は「月の砂漠」を歌いだす。
長い緊張のあとでポッと懐かしい歌が始まったので心の壁が決壊した。
涙が出た。
そのあと、「月の砂漠」のはずが、どんどんとアドリブで違うものになっていく。
大笑いしてしまった。
それがどういう体験だったのか、丁寧に説明してもあまり伝わらないだろう。
彼女の「素」に触れたという体験だった。
アメリカで大変なことを学んだなということがよくわかった。
今ではヒーラーとして有名になり、歌手としても地歩を固めている。
前回のライブにはスチャダラパーが参加したと聞いた。
その本郷さんが二冊目の本を出したのだ。
タイトルがとても直球で、ちょっと読むのは気恥ずかしい。(笑)
でも、ズイズイと読んでいった。
大きな愛の話をしている。
本郷さん自身が愛だと思っていた幻想をどのように手放し、どのように大きな愛へと転換していったのかが書かれている。
とても素敵でわかりやすく。
読んでいるとときどき「イラッ」とする。
とてもわかりやすいから、「大きな愛は簡単ではない」という僕の思い込みが発動する。
本郷さんが「素」だから、こっちも負けじと自分の「素」が反応してしまう。
鏡に映った自分自身にムカムカしたくない人は、読まないほうがいいな。
自分の幼さや邪悪さが見えてしまうよ。
大きな愛に身を投じる覚悟のある人だけ読むといい。

12月

5

貝がらの森

箱の表表紙と裏表紙が草の絵だけの本を買った。
タイトルさえも書かれていない。
よく見ると、表表紙に一匹だけ、草に埋もれるようにして、ワンピースを着た狐が描かれている。
なかひらまいさんの「貝がらの森」という本。
普通に出版するためには、表紙にタイトルがなくてはならない。
それを廃した。
普通に出版するためには、版権を一部出版社に渡さなければならない。
それが嫌で自社で出版した。
普通に出版するためには、出版社のアドバイスを聞かなければならない。
自分の感性にこだわるために表紙、ページ、流通法まで全部デザインした。
内容は毎日新聞大阪本社版で2013年11月に連載したもの。
はじめて読むが、どこか懐かしい。
この本を昨日、2019『貝がらの森』原画展で入手した。
高円寺駅から歩いて三、四分のギャラリー「たまごの工房」でおこなわれている。
行くとなかひらさんが待っていた。
原画を見ながらお話した。
巻末に、なぜこの物語を懐かしく感じるのか、ユング心理学研究会の白田信重氏が説明していた。

2019『貝がらの森』原画展
日付:2019年12月4日(水)〜8日(日)
時間:12:00〜19:30(最終入場時間/最終日の8日は18:00まで)
会場:東京・高円寺たまごの工房(東京都杉並区高円寺南3-60-6)

11月

28

美術手帳・アーティストのための宇宙論

美術手帳という雑誌の10月号が「アーティストのための宇宙論」というテーマだった。
普段ではあまり考えないことを考えるチャンスになった。
宇宙に行ってアートを作るとしたらどんなアートになるのか?
宇宙は地球の常識から離れた場所だ。
そこでさらにアートについて考える。
二段階でいまいる世界から離れていく。
でもさ、どう考えてもアートとして成立させるためには、人間の常識に戻ってしまう。
本当に超越してしまうと、ほとんどの人には理解不能になるしかない。
ごくわずかな人にうけるアート。
超通人向け。
宇宙人でも理解できるとさらにいい。

10月

16

大切な秘密について

「この世界のさらにいくつもの片隅に」という新作アニメの予告編にこんな言葉がでできた。

死んだら心の底の秘密も、な〜も消えてなかったことになる。
それはそれで贅沢なことなんかもしれんよ。

なんかいいなと思った。

10月

9

世界征服を企む悪の組織

子供の頃見たヒーローものには、よく世界征服を企む悪の組織が登場した。
それを正義のヒーローがやっつけていく。
何年か前にショッカーについてのジョークがあった。
ショッカーは仮面ライダーに出てくる世界征服を企む悪の組織。

ショッカーは、大きな夢、野望を抱いている。
仮面ライダーは、具体的な目標はなく、常にショッカーの後追い。
ショッカーは、目標達成のための研究努力を怠らない。
仮面ライダーは、ショッカーの目標を阻止するのが生き甲斐。
ショッカーは、組織で行動。
仮面ライダーは、単独、または少人数で行動する。
ショッカーは、よく笑う。
仮面ライダーは、いつも怒っている。

これを読んで、なんともいえない不思議な気分になった。
あえて言語化すると、ショッカーは企業に似ている。w

10月

7

レ・ミゼラブル

「レ・ミゼラブル」は、昔「ああ無情」というタイトルの子供向けの本を読んでいた。
だから、あんな大河小説だとは思ってなかった。
概要だけ読んでも面白そうに感じる。
いつか全部読んでみたいと思うが、こうやって読みたい本ばかりが増えていく。
「モンテ・クリスト伯」も読んでみたいしな。

9月

12

エコなコテージ

昔、エコなコテージに泊まった。
建物の骨格が木造で、壁がテント地でできていて、明かりに裸電球がひとつだけ。
天井に大きな扇風機。
窓は、テント地に縫い付けられたファスナーを開けると網戸になっていた。
シャワーは屋根の上に水がたまる仕組みになっていて、日中に太陽の光で温める。
シャワーを出すときは天井から垂れていたヒモを引っ張るので片手が使えない。
片手でからだを洗うのは難しいのでヒモを付け足して足で操作できるようにした。
足の指にヒモを括り付け、足を床につけるとお湯が出る。
お湯を止めるときにはその足を上げる。
お湯がもったいないので片足になってふらふらしながらからだを洗った。
お湯は昼間ピーカンだと熱いくらいになるのだが、ある量を使うと水になる。
トイレは、うわべは水洗だが、肥料にするため紙以外は流すなと言われる。
そのときは覚悟して行ったから楽しかった。
不便を喜べた。

8月

28

地球交響曲第九番

1992年に完成した第一番からずっと見てきた地球交響曲。
今年2月に逗子でひさしぶりに第二番を見た。
そのときに龍村仁監督が来場し、お話しをした。
第九番の制作について触れていた。
交響曲第九番のジンクスというものがある。
クラシック音楽好きには有名な話だ。
ベートーヴェンが交響曲第九番を作って終わって以来、誰も交響曲は9作以上作れなくなったという。
マーラーは第九を作るのを避けるため『大地の歌』を作った。
そして、『大地の歌』の次に第九を作って人生を終える。
龍村監督もそのことを気にしているようで、冗談のように「次は第九だよ」と何度も言っていた。
後日、監督とお話しする機会があった。
そのときに「第一番を作ったときにはもう第九まで作るつもりだったのですか?」と聞いた。
すると監督はこう答えた。
「そこまでは作らなければならないと思っていたよ」
第一番から八番まで作り続けてきた地球交響曲。
第九を作って大きな節目とするつもりのようだ。
その第九にはベートーヴェンの第九が取り上げられる。
小林研一郎氏の指揮による演奏会の練習から本番までを撮影する。
『歌うネアンデルタール』を著したスディーヴン・ミズン博士が来日し、北海道と沖縄に行く準備をしているそうだ。
ミズン博士は『氷河期以降』という著書で縄文のことに触れている。
きっと何か関係があるのだろう。

8月

23

バレットタイム

映画「マトリックス」で、カメラのアングルを動かしながら一瞬の動作を流れるような視点で捉える映像が流された。
当時はスゲーとしか思わなかったが、あれの何に感動したのか、ふと思いついた。
ピカソなんかがキュービズムという絵を描いたのも、はじめはナンダ?としか思わなかったが、あとでジワジワと感動したのと同じで、あのバレットタイムという撮影方法も、今頃になってジワジワと来た。
空間や時間を超えて多視点になることの予兆に感動したんだ。

7月

31

COSMIC BIRTH

地球交響曲第一番でラッセル・シュワイカートが語っていた「COSMIC BIRTH」。
人類が宇宙に飛び出していくことは、まるで地球という母胎から生まれでてきた「COSMIC BIRTH」という意味合いで語られる。
しかし、それをSUDIO VOICEという雑誌は「宇宙的覚醒」と訳していた。
もう26年も前のこと。
本当に宇宙的覚醒の時代になるかと思いきや、いまのところ挫折しているように思える。
しかし、その準備は見えないところで着々と進んでいるのだろう。
「COSMIC BIRTH」に必要なのは、一見矛盾するコトたちのゆるやかなつながりと、その全体性への覚醒。
かつて細胞として独立していたモノたちが、いまの生物の細胞の中に見事に組み込まれ宇宙を作っているように、かつて反発していた考えや価値観が融和して、ひとつの体系を作ること。
そんなこと可能なのか?
これから出来上がる、いま生まれつつあるコスモが生まれてはじめて、それが可能だということがわかるようなものになるのだろう。
地球交響曲第九番がクランクインしたとのこと。
第一番で提示された問いの答えが、そこに表れるのだろうか。
それを楽しみに待つ。

7月

10

気持ちいいのかどうか

お化け屋敷に入った人は、そこで恐怖を体験する。
だから、その体験は恐怖であって楽しみではない。
だけど、お化け屋敷に行く人は必ずその体験を楽しむために行く。
恐怖を感じることを楽しんでいるのだ。
僕たちはいろんな感情を体験する。
その体験は、そのある状況に投げ込まれたから。
たまたまその状況に居合わせたからその体験をする。
しかし、もしお化け屋敷のように、その状況に自分から入っていたのだとしたら、どうだろうか?
いろいろな感情を楽しむ、味わうわたし。

7月

5

ひなた28号

鉄腕アトムが原子力で動くように、もしソーラーパワーで動くロボットがあったらどうなるかと空想してみた。
名付けて「ひなた28号」。
28号に至るまで、27の試作機が作られてきた。
28号でやっと作者の満足のいくロボットができる。
まず、日に当たってないとパワーが足りないので、曇りの日は必ず休む。
とても有能だが、お天道様の下にいないとかなり仕事がアバウトになる。
ちからを出し尽くすと「身の程を知りましょう」といって日向ぼっこをする。

4月

26

ブラック・ジャック

高校生の頃、週刊チャンピオンに連載されていた「ブラック・ジャック」を、いきつけのラーメン屋さんで読むのが楽しみだった。
数ページの連載枠に毎週一話をコンパクトにまとめ、しかも面白くて感動できるという手塚治虫の能力に毎回驚いていた。
手塚治虫が医学部出身だったからというのもあるだろうが、それでもすごいことだと思う。
単行本が出るたびに買い続け、全巻揃えたが、就職するときに古本屋に売ってしまった。
先日入ったそば屋の片隅に、ブラック・ジャックの文庫版単行本が置いてあり、そばを待つ間に一話読んだ。
涙目になる。w