9月

22

言い争い

言い争いがあることは素敵なこと。
複数の主張を互いに戦わせて、より良い考えを採用することができるから。
問題なのは、言い争いをしないこと。
互いに自分の主張を守るため、いつか暴走しかねない。
相手の言うことに耳を貸し、互いの主張をさらにいいものに高めましょう。

9月

19

ディア・ハンターのテーマ曲「カヴァティーナ」

理髪店に行った。
高校生の頃から通っている理髪店。
来月、開店から115年になるそうだ。
20歳ほど年上のマスターが、僕が来年還暦だと言ったら、「もうすぐ僕に追いつくね」と言う。
思わず「絶対追いつかない」と言った。w
顔を剃ってもらっている時、ディア・ハンターのテーマ曲「カヴァティーナ」がBGMでかかる。
高校生の時、その切ない映画を劇場で見た。

9月

16

相方の夢

朝起きると、相方がプリプリと機嫌が悪い。
どうしたのか聞くと、僕と夢の中で喧嘩したのだと言う。
どんな夢を見たのか聞いた。
一緒に街を歩いていたら、僕の知り合いだというアジア系の男がやってきて、何語か判らない言葉で話しかけられた。
「何を言っているの?」と僕に聞くが「判らない」と答えたそうだ。
その男はすれ違いざまに相方のお尻を蹴っていったという。
夢は続く。
街を歩いているともう一度その男に出会った。
相方は怒って話しかけると、その男はバク転をしながら階段を降りていったという。
「なぜ僕と喧嘩したの?」と聞くと、「その男と知り合いだったのがいけない」という。
「それで起きたら怒っているの」と言ったら「そう」。
二人で笑った。

9月

9

呼び方

人のことを呼ぶとき、なんと呼ぶか。
幼い頃、両親のことをパパ、ママと呼んでいた。
中学生になって父さんと母さんに呼び方を変えた。
ところが、両親は互いをパパ、ママと呼び続けた。
面白いなと思う。
両親にとってはパパ、ママと呼び合うことで、きっと何かを感じていたんだろうな。

9月

3

介護施設とテレビ電話

相方の母が介護施設に入っている。
体調を崩して病院からそちらに移った。
新型コロナのおかげで面会ができない。
二週間に一度くらい、相方とその姉が母と facetime を使って会話する。
はたで見ていてもとても楽しそう。
直接会えたほうがもっと楽しいかもしれないけど。

9月

2

呼吸

吸ったら吐く。
吐いたら吸う。
当たり前のこと。
つらい思いを抱えたら手放す。
手放したら、新たなつらい思いを抱えることができるかもしれない。
吸ってばかりじゃ窒息する。
呼吸しましょう。

8月

28

クロアゲハ

とても大きなクロアゲハが、僕の周りを舞ってくれた。
「おー」と思って見上げながら、一緒にくるくると回ったら、すぐそばに止まったので写真を撮る。
その話を相方にしたら、「去年山椒の葉が蝶の幼虫に食い尽くされてたから、その御礼に来たんじゃない」というので笑った。
「そんなことあるわけないじゃないか」と思いつつ、念のためにクロアゲハの幼虫がどんなものを食べるのかを調べると柑橘系の葉っぱだという。
山椒はミカン科の植物なのだ。

8月

24

概念を伝える

新しい概念がきざしたとき、それを他人に伝えるのは難しい。
きっと誰の頭にも新しい概念が宿り、それを伝えたいとは思うけど、どう説明したらいいのかがわからず伝えられていないことがたくさんあるだろう。
どうしても伝えなければならないことは、伝えるための努力をしなければならない。
人間として生まれ、言葉を与えられたからには、そのような努力が、実は一番の喜びになるのではないか。

8月

22

誰かのせいにしておく

「なんでこうなってしまうんだ」と思ったとき、とりあえず誰かのせいにしておく。
実際にはその人の責任ではないかもしれないことを知っているので、怒るわけにはいかないし、その人に向かって文句などは言わない。
時間を稼ぐことで感情の炎が燃え上がるのを一時止めておく。
そののち、推理力を働かせて、正しい犯人を探っていく。
明らかな犯人がわかれば、その人に対して話をする。
自分のせいだとわかったら、同じ過ちをしないように対策を練る。
わからなかった場合は、時間の経過が怒りや悔しさをやわらげてくれる。
これに気づいたのは、相方が何かというと僕のせいにするから。
ベランダのハーブが枯れたとき「あなたのせいよ」というし、料理の味付けがうまくいかなかったとき、「あなたのせいよ」と言われる。
はじめのうちは明らかに僕のせいではないとそこから言い合いになったが、最近ではもう慣れたので「はいはい」と返事をする。
相方は僕のせいにすることで気が楽になるようだ。

8月

4

一澤だより

「一澤だより」が届いた。
一澤信三郎帆布のDMだ。
ここのカバンが大好きで、No.03664にその話を書いた。
そのカバン屋さんから創立115年を記念して「一澤だより」というDMが届いた。
「いいごえん(創立115年)」ということで、はじめて作るDMだそうだ。
手作り感満載の12ページ。
信三郎さんはどの写真も登場するのは後ろ姿だけ。
余程照れ臭いのだろうか。
届けてもらって嬉しいDMというのは珍しい。

8月

2

暗黙知の言語化

なんとなくわかってはいるけど、うまく言葉にできないことがある。
例えば、「家」という概念がなかった頃の人間がここにいたとしよう。
現在の家ほど立派なものではないが、動物の「巣」とは何かが違う場所に住んでいる。
「巣」にはたいてい屋根がない。
「屋根を付けた巣」だと表現してみる。
しかし、それもしっくりこない。
「巣」とは何が違うのか考えてみる。
そうだ、「巣」では何世代も同じところに住まないが、僕たちの住む場所は何世代も受け継ぐものだ。
だから「世代を超えた巣」とか言ってみる。
御先祖様がそこにいたし、きっと今もいるかもしれない。
そういう守るべき場所だ。
「屋根を付けた世代を超えた巣」という言葉は不便だ。
「寿限無寿限無」の落語のようになってしまう。
そこでは一緒に住んでいるものみんなが安寧に暮らせるように祈っている。
白川静先生の説によれば、その祈りのために犠牲を捧げ、それを表現したものが「家」という文字になった。
こんなふうにして、自然界に存在しなかった「家」という概念が生まれてきた。
似たようなことを人間は連綿と続け、いろんな概念と言葉を生み出してきた。
みんながなんとなくわかっていることをこうして言語化してきた。
これからも新しい言葉が生まれ続ける。

7月

13

些細な選択

些細な選択によって未来を作っている。
朝ごはんに何を食べたかとか、メールになんて書いたかとか、家族に朝起きてどんな挨拶をしたのかとか、普段なんとも感じてないような些細な選択に、実は未来への鍵があるのかもしれない。
「そんなこと言ったら何もできなくなるじゃないか」と考えるのではなく、そういう可能性にあふれていることを喜ぼう。

7月

9

たくさんのハローとグッドバイ

「人生にはたくさんのハローとたくさんのグッドバイがある」
友達の小柳晶嗣さんが三年前にカミーノ巡礼に行ってきて、帰って語った感想。
まったくそうだなぁと思う。
その時のYouTubeがこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=wqRhX8I3M5M

6月

29

することとしないこと

何かをすると、その影響が僕のまわりに生まれる。
たとえば「あの本読んだよ」といえば、その本を読みたい人が現れたり、また逆に「そんな本読むものか」という人が現れる。
そういう人たちがまた別の人に影響を与える。
同様に「しない」と決めたことにも影響が現れる。
そういう影響は多くの場合本人にはあまり感じられない。
でも確実にある。
それを知ると行動には喜びと慎重さが生まれる。

6月

22

行動に意味が生まれる

ケニアに行ったとき、鳥の写真を撮ろうとした。
草原に一本の木が立っていて、そこにたくさんの鳥が群がっていた。
その木のまわりに飛ぶ鳥を、望遠レンズで一羽ずつ撮ろうと思った。
しかし、飛ぶ速度がとても速くてなかなかレンズで追いきれない。
諦めずに鳥をレンズで追いかけて行くと、しばらくして規則性があることがわかった。
ある一羽は、ほぼ同じ軌道を何度も飛んでいる。
それを見つけた途端、何羽もの鳥もそれぞれに軌道があることがわかった。
すると、二羽がほぼ同じ軌道を飛んでいるのも見つけた。
きっとつがいなのだろう。
そこで面白いことを思いついた。
同じ軌道を飛んでいるとつがいになるのか、つがいだから同じ軌道を飛ぶのか。
それともたまたま同じ軌道を飛んでいるだけなのか?
それは単に見ている僕が勝手に意味を付けているのかもしれない。
一方で、鳥たちにとって、同じ軌道を飛ぶことで、彼らの間に何か意味のようなものが生まれないのかと質問したくなった。

6月

22

太陽に意味を与える

太陽が輝いているおかげで、僕たちは生きていられる。
太陽がもし輝いていなかったら、地球は氷の星。
生命は生まれなかっただろう。
だから、太陽は一方的に僕たちに恩恵を与えていてくれるように思う。
僕たちは何か太陽にお返しをしているだろうか?
そう考えたとき、太陽を認識し、意味を与えていることが、僕たちのできる太陽へのお返しかもしれないと思う。
太陽を認識し、意味を与えても、太陽のためにはちっともならないと考えがちだが、果たしてそうなのか?
地球では二酸化炭素による温暖化が問題になっているが、一方で太陽は黒点が減少し、ミニ氷河期になるのではないかと言われている。
まるで地球の状況を見て太陽がバランスを取ってくれているようだ。
僕たちと太陽は重力で繋がっているが、ほかの要素でも繋がっているのかもしれない。
それとも重力に、コミュニケーションの能力があるのか?

6月

18

たくさんの意味

僕たちは言葉を持つことで何かにフォーカスすることができるようになった。
あれがしたいとか、これをしたいということを群れで共有できるようになった。
もちろん群れで何かの意図や目的を共有する動物はたくさんいる。
しかし、以前からある意味や行動以外の、新しい概念を共有することは難しい。
そのために言葉が役に立った。
ところが、あまりにもそれが発達したおかげで、「何かにフォーカスすること」以外の価値が見えにくくなってしまった。
たとえば「電話」という言葉。
僕が幼い頃は電話といえば二種類しかなかった。
黒電話か赤電話。
黒電話は家にある電話。
赤電話は公衆電話のこと。
しばらくすると公衆電話にもたくさんの種類が生まれ、黄色電話、ピンク電話、青電話、緑電話といろんな色が採用されて行った。
色が多様になるのと同時に、それぞれの色に象徴される電話の意味も生まれたはずだ。
だから、「電話」一言では、今の人たちはそれがどんな形状のものを指しているのか正確にはわからない。
ファックス付き電話かもしれず、グループ電話かもしれず、携帯電話かもしれず、スマートフォンかもしれない。スマートフォンの区別も考えると、いったい何種類の電話があるのか見当もつかない。
だけど、言葉上は「電話」でわかった気になる。
同じようなことがいろんな言葉で起きている。
「愛しているよ」という言葉の「愛」がどんな意味であるのか、よく聞いてみないとわからない。
ところが、自分が一番理解しやすいか受け取りやすいか、その微妙なところは人によってよくはわからないけど、たいてい人はどこかの意味に落ち着いている。
その意味の体系を組み直したり、壊してくれるのが文学的体験ということだろう。
他人と話しているとときどき自分の意味体系が壊れる。
「壊れる」と感じていることが、いかに自分の意味を強固に持ち続けているかを表している。
この世界にはたくさんの意味がある。
意味は次から次へと生まれてくる。
そのなかで、どうして自分の意味だけを大切にし続けるのか、よく考えなければならない。
言い方を変えると、なぜ自分の意味にだけしがみついているのか、ということになる。
自分を守るのと同様に、自分の意味も守らなければならない。
そう思い込んでいる結果、しなやかさを失っていることがあるかもしれない。

5月

26

一服の幸せ

朝、机に向かっていたら、相方がお茶を淹れて持ってきてくれた。
「朝のお茶は一服の幸せと申します」
そう言って置いていった。

5月

26

観の目と見の目

僕が幼稚園に通っていた頃、母が不思議なことを言いだした。
道路を渡るとき、こんな話をしてくれた。
「ようちゃん、横断歩道を渡るときどうする?」
「右見て、左見て、もう一度右見てから渡る」
「そうね、そう教わったよね。でもね、ようちゃんはこうしてご覧なさい。まず横断歩道の前に立ったら耳を澄ますの。そしたらまわりで走っている車は一度に全部わかる。それで左右を見るのはその確認。それから渡りなさい」
以来そうして渡った。
あとで気づくのだが、そうしていると横断歩道を渡るとき以外にも気配に敏感になる。
大人になって宮本武蔵の『五輪書』を読んだ。
母が言ってたことを宮本武蔵が別の言葉で書いていた。

目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊(いささ)かも敵の太刀を見ずという事、兵法の大事なり。

5月

11

いーの!

相方がリモートワークでずっとうちにいる。
外では大人を演じているが、うちのなかでは子どもになることがある。
この前、何かで「いーの! いーの!」と言い出した。
「長澤まさみの真似か」と言って、僕は「いいんだよ〜」とやった。
すると、「マネじゃないもん、昔からやっていたもん」とスネてしまった。
ここで対処を間違えると大戦が勃発する。
「マネじゃないもん、昔からやっていたもん」と真似をして、ホッペを膨らました。
しばらくはスネたフリを続けていたが、ついには吹き出した。
勝ったぜ。

4月

24

チャット

facebookのメッセージでよくチャットする。
何人か同時にチャットしたりして、いくつか重なると笑える状況が生まれることがある。
あっちで話していることとこっちで話していることが矛盾したりして、その中心にいる「自分はいったい何者?」という状態になったりする。
一度にいくつもの話に対処しているときふと「聖徳太子になる訓練」と思う。
これからの人類はAIの処理速度に追いつかなればならない。w

4月

22

一緒に料理をする

相方と一緒に料理をすると、かならず言い合いになる。
「その野菜、切ったから焼いて」とか言われる。
僕、「何を作るの?」。
「とにかく焼けばいいの」
「何作るのかわからなければ火加減とか、油は何を引くのかとか、途中で調味料入れるのかとか、わからないだろう」
「面倒なこと言わなくていいの」
「じゃあ網で焼いてもいいの?」
「焼きたかったらどうぞ」
でもこれは、僕を美化して相方をおとしめているかもしれない。
相方の視点で書くとこんな感じかも。
「その野菜、切ったから焼いて」
「何を作るの?」
「(さっき野菜炒め作るって言ったでしょう)とにかく焼けばいいの」
「何作るのかわからなければ火加減とか、油は何を引くのかとか、途中で調味料入れるのかとか、わからないだろう」
[(あなたにまかせられるのは野菜炒めだけだから)面倒なこと言わなくていいの」
「じゃあ網で焼いてもいいの?」
「焼きたかったらどうぞ」
僕が子供の頃に見ていたトムとジェリーが懐かしい。

4月

10

ZOOM

ZOOMを使って10名ほどでおしゃべりした。
これ楽しいね。
コロナのおかげで直接会えないので、いまの状況にはとっても便利。

4月

6

facebook

このところのコロナ騒ぎで、いろんな情報がfacebook経由で入ってくる。
友人たちがためになるだろうと考えたたり思ったりした情報を流してくれる。
とてもありがたい。
コロナウィルスへの僕たちの対処は、スペイン風邪のときとほとんど変わらないらしい。
黙って静かにして通り過ぎるのを待つしかない。
スペイン風邪が通り過ぎるのに二年かかったそうだ。
一度はやり、落ち着いたかと思ったら二度目の流行があり、二年過ぎてやっと落ち着いたそうだ。
いろんな説はあるけど、結局二年ほど待って、集団免疫を得られれば、それで終わるのだろう。
人工ウィルスで免疫は獲得できないなんて情報もあるけど、それをいくら心配しても免疫は得られないから、心配するだけムダだと思って、手洗い、うがい、人ごみには出かけないなどを徹底させるしかない。
いろんな情報を回してくれるみなさん、どうもありがとう。
僕もいい情報があったら回します。

3月

27

楽しいことを考える

このコロナウィルスの騒動が一件落着し、世の中も平和になったら、きっとどこの誰とでも共通の話題ができる。
「コロナウィルス禍のときどうして過ごしたか」
911のときのように泣き笑いの話になる。