3月

27

楽しいことを考える

このコロナウィルスの騒動が一件落着し、世の中も平和になったら、きっとどこの誰とでも共通の話題ができる。
「コロナウィルス禍のときどうして過ごしたか」
911のときのように泣き笑いの話になる。

3月

23

おせっかいなおばあさん

相方と散歩がてらランチを食べに出かけた。
何年も前に相方がカナダに旅行したとき、お土産でフリースのベストをくれた。
ひさしぶりにそれをお揃いで着て出かけた。
裏道をふらふらとのんびり歩いていると、マスクをしたおばあさんが向こう側から歩いてきて、すれ違い様に「仲良しね、一緒の服着て」と言って歩き去っていった。
思わず笑ってしまった。
「昔はああいうおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいたね」
相方も「そうそう」という。
「私が膝上くらいのミニをはいていたら、『寒くないの』ってよくいわれた」
昔はそういう老人が多かった。
僕も冬に半ズボンをはいていると「元気でいいね」と何度か言われた。
いまはそういう人にはほとんど会わない。
僕が大人になったから話しかけにくくなったというのもあるだろう。
でも、年配の人が見知らぬ子供に話かけるというのは、以前より減ったのではないだろうか。
おせっかいなおばあさんに話しかけられ、ちょっとうれしかった。

3月

23

怒りの声

藤井聡京都大学大学院教授は311後に「日本強靭化計画」というのを発表した。
僕はその話をたまたま参加した衆議院議員第一議員会館での勉強会で聞いた。
それが実際に内閣に取り上げられ「国土強靭化基本計画」という名前となった。
その藤井教授が、いまの政治家に対して「なんのために政治家を志したんですか」と憤っている。
こちらの映像で。
https://youtu.be/q3KcdJhBMb8
それを聞いて気持ちが落ち着いた。

3月

18

気持ちいいを引き寄せる

ひさしぶりにこの『日刊 気持ちいいもの』を再開した日、東日本大震災が起きました。
朝に創刊号を発信し、昼過ぎに大地震が起きたのです。
それから数ヶ月は苦痛や困難を感じながら「気持ちいいもの」を発信しました。
とてもいい修行でした。
いまもまた似た状態になってきました。
何か大きな発見があるのかも。

3月

6

トイレットペーパー1200個

毎週おいしい食材を届けてくれるお兄さんがやってきて「すみません」という。
どうしたの?と聞くと、「今日のトイレットペーパーは届けられましたけど、来週からもしかしたら届けられないかもしれません」。
「おや、あの騒ぎで?」
「そうなんです、人によっては100組とかの注文もあるんです」
そこのトイレットペーパーは12個一組。
ということは一度に1200個もトイレットペーパを注文するのか。
「大変ですね。使い切るのに何年かかるんだろう?」
お兄さんは謝りながら笑うしかない。

3月

2

あんぱんの話

近所にあるパン屋さん「アンジェリーナ」のあんぱんには、桜の塩漬けが載せてある。
相方はひとつしかないあんぱんをふたつに割って、両手に持ち、「どっちがいい?」と聞く。
僕から見て左側のあんぱんが不自然に揺れている。
左を選べということか?
そこで反対を選ぶ。
「じゃあ右」
「えっ? こっち?」と言って、僕から見て右を振る。
「そう」
「えーっ」と不満げな顔をして、お皿に右のあんぱんを置く。
そして、そこに乗っていた桜の塩漬けを二つにちぎって分けた。
相方は桜の塩漬けが好きなのだ。
「黙ってそっちから見て右側を出せばいいじゃないか」
「やだ」
「なんで?」
「こういうやりとりが面白いから」

3月

1

テレワーク

相方がテレワークを始めた。
ダイニングでパチパチとキーボードを叩いている。
コーヒーなど淹れにいくと「飲む?」と聞いて一緒に淹れてあげる。
普段とは違う生活になった人が多いだろう。
飲食店は集客が心配だと思う。
アート関係ではイベントが中止になりお手上げの人もいるだろう。
こんなときこそいままでにない楽しみを見つけるべき。
僕は何かの参考になるかと思い『デカメロン』を読み出した。
出だしはペストの流行から始まる。
死に直面した10人の男女が、それまでの常識から逸脱して語り合う生の現実。
僕たちもなにがしかの覚悟が必要かも。
願わくば、ここしばらくの窮屈な感覚を吹き飛ばすような何かをしたい。

2月

26

武士の心

昔、こんな話を聞いたことがある。
切腹を決めた武士が前夜すやすやと眠っているのを見て、切腹の朝、息子が聞いた。
「父上、本日切腹の儀、恐ろしくはないのですか」
「切腹するまではなんの恐ろしいこともない。いまは朝ご飯がおいしいだけだ」

2月

20

のし梅

相方が「のし梅」というお菓子を買ってきた。
「のし梅食べる?」というので、「なにそれ?」というと、「知らないの? 昔からあるお菓子よ」といわれたあとで、「ようちゃんっていろんなこと知っているけど、こんなこと知らないんだってこと知らないわよね」という。
そりゃ当然だろ、世界中のことくまなく知っている訳じゃないと思いながら、「幼い頃から食べてたの?」と聞くと、「いいや」。
あれ?と思って、「いつからそのお菓子を知っているの?」と聞いた答えが衝撃的だった。
「去年テレビで見て知った」

2月

20

ざわちんのメーク

インスタグラムに変わったマスクの写真があったので、相方に見せた。
相方がふとこんなことを洩らした。
「ざわちんがさ、似たことしてた。マスクすると有名人に見えるの。たとえば綾瀬はるかとかさ」
僕はてっきりこういうことかと思って話した。
「そのマスクすると僕の口元が綾瀬はるかになるの? 目が僕で、口が綾瀬はるかじゃ気持ち悪いな」
すると相方大笑い。
「違う、マスクをするとまるで綾瀬はるかがマスクしているように見える目元のメークをするの」
先にきちんとそう言ってよ。

2月

19

ドラえもんのポケット

相方が、普段持ち歩いている鞄の中身が多くて重いと嘆いていた。
「いらないもの出せばいいじゃないか」と言ったところ、「非常時に備えて必要なものを入れているの。あなただってその恩恵にあずかっているでしょう」という。
ちょっと怒りが混じっていたようなのでガス抜き。
「ドラえもんのポケットのように異次元に荷物を全部置いておければいいね」と言ったら笑われた。
メデタシメデタシ。

2月

14

吊るされた板の夢

ときどき不思議な夢を見る。
アクリルかプラスチックでできたような、三角形や四角形の板が、それぞれ頂点の部分がヒモに吊るされていて、それがクルクルと回ったり飛んだりしている。
かなりな枚数あるのだが、それらがなぜかスムーズに動き回っている。
普通であればそれぞれのヒモが交差して、こんがらがってしまうだろうと思うのに、理由がわからないがそれぞれきれいに飛んだり回ったりしている。
いったい何の夢なのか?
「初夢会」というところでその夢の絵を描いた。
絵を描いて、その夢の説明をし、講師にアドバイスをもらうのだが、一緒に参加している人が勝手に「私はこう思った」みたいなことも言う。
別の人が指名されて答えていた。
「この夢はきっと、起きていたときに必死に悩んで、答えが出ないと苦しんでいたので、その答えが夢に出てきたのだと思います」
その人の話を聞いているとき、僕も同じ体験があるなと思っていたら、ふと答えが出てきてしまった。
夢の中では不思議なことが起こる。
いくら論理を追いかけても出てこない答えが、ポコッと出てくることがある。
答えを知ると「なるほど」と思うが、どうしてそんな答えが導きだされるのかわからない。
状況を全体的に把握しないと答えは出ないようなことの答えが出てくる。
この前日に、ある人と話をしていて「レンマ学」という本の話になった。
レンマとは、ロゴスとの対概念である。
ロゴスは論理を言語的、一次元的に追いかけていくこと。
レンマは、全体的な把握から理解していくこと。
夢はレンマ的であると思ったのだ。
すると、板の夢の意味が浮上した。
四次元以上の空間を移動しているものを、四次元の視点で見るとどうなるのか。

2月

8

インターネットで変化したこと

インターネットというメディアのおかげで世界は変わった。
変化の最中にいる人々はほとんどそれに気づかない。
どこの誰かわからない人の文章より、親しい友人たちの文章に愛着を感じる。
誰か他人の文章に感心するより、自分の文章の腕を上げたい。
記録に残るから仕事の指示はすべてメールでする。
気軽に写真や映像を撮影する。
そうやって、PCやスマホに釘付け。

2月

2

声に乗るもの

声にはいろんなものが乗ってくる。
感情、体調はもちろん、ささいな違和感も伝えてくる。
声というものはいろんなことを含んでくれる。
その不思議さ。
僕の声にもいろんなものが乗るのだろう。
隠しても無駄だ。

1月

31

実感の言葉

普通は「実感のこもった言葉」というだろうけど、「実感の言葉」という概念を考えてみた。
「レッテルの言葉」と対になる。
たとえば僕はパソコンの中身についてよく知らない。
するとパソコンの中身についての会話にはついていけないが、うわべの話ならできる。
一方で、パソコンの開発技術者が「クロック数を上げることができました」というとき、きっとそこにはそれまでの苦労だとか、技術的難点とか、いろんな思いが言葉に込められているだろう。
そういうときに「実感の言葉」ということにする。
一方で僕がするだろううわべの話は「レッテルの言葉」ということにする。
明確な線引きは難しいが、言葉にはこんな違いがあるのではないかと思う。
先日父親を亡くした知人と話した。
彼は父親が生きている頃はよく父親に対しての文句を言っていた。
そんなとき、彼に「父親は僕のことを愛していた」といわせても、きっとレッテルの言葉にしかならなかっただろう。
ところが父親が亡くなったあとで話を聞いたとき、ふと彼はこう洩らした。
「親父は僕のこときっと愛していたんだと思う」
そういって涙した。
これこそ実感の言葉だなと思った。

1月

30

野生動物と共生する

いろんなところで野生動物が悪さをしているという。
千葉県ではキョンが大量発生し、日光ではニホンザルが観光客を襲い、北海道では民家の近くを熊が歩いているという。
ほかにもきっとあるだろう。
アフリカでは道路網が整備されてきて、象やヌーの移動に支障が出てきているという。
彼らは広大な大地にしか生きられないので、土地が区分けされてしまうと移動ができなくなり、生きて行くことが難しくなる。
そういう野生動物とどうやって共生するのか?
人間の都合だけ考えれば「駆除すればいい」ということになるのかもしれないが、それは地球全体の生命にとってどうかと考えた場合、大きな問題になる。
これからの人間は「生命全体」という視点を持たないとうまく地球と共生できなくなるのではないか。
僕たちは「生命全体」に含まれる人間という種でしかない。

1月

21

ニュアンスの違いを見つけること

ニュアンスの違いは微妙でなかなかわからない。
もし見つけられたとするなら、僕も会話している相手も、その繊細さに気づけるだけの注意を払っていたということ。
ニュアンスの違いを語り合うのは難しい。
すぐにどちらが正しくてどちらが間違っているのかという話になってしまう。
言葉のニュアンスは、その言葉を発する人が積み重ねた時と経験によって変わってくるもの。
「正しいか間違っているか」を問うても、あまり意味はない。
「僕のニュアンスはこう、あなたのニュアンスはこうなのね」ということが存在するだけ。

1月

16

I know.

いろんな場面で登場するこの簡単な言葉。
40年前の「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」にも印象的なシーンにでてきた。
カーボン冷凍される直前のハン・ソロにレイアが「I love you.」と告げるとソロが「I know.」と答える。
最新作の「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明」にも印象的なシーンで「I know.」が登場する。
そのセリフを聞いた途端、40年前の「I know.」を思い出す。
こんなありふれた台詞にいちいちほろりとしていてはたまらないと思いつつ、それでもやっぱりほろりとさせられる。
「西の魔女が死んだ」も一緒に思い出した。

1月

11

念仏を唱えるように

毎日のように気持ちいいものを書いていると、ときどき、念仏を唱えるように同じことを書ければ楽なのになぁと思う。
同じことをしながら、同じことを感じる。
きっとそのほうが同じ感情でいるためには便利だろうな。

1月

10

次の仕事

AIに仕事が奪われるという話が流布している。
一時期はその通りになるだろう。
でも、僕はあまり心配していない。
人間がいなくなったらAIは存在意義を失う。
そういう状態をAIは望むだろうか?
いまはそこが問題になるが、しばらくするとそれは超越されて行く。
この話をしだすとものすごく長くなるので概要しか書けないけど、人間がいまの生き方をそのまま続けていると、きっと滅亡せざるを得なくなるだろう。
それは環境の悪化を見れば明確なこと。
次の仕事は新しいパラダイムに沿ったものでなければならない。
今は価値の奪い合いをしているから、環境からも収奪することになる。
金持ちは肥え太り、貧乏人は餓死していく。
未来的にはAIの存在は人間には理解できないものになる。
そのときに人間が生かしてもらえるパラダイムにしておかないと、AIは独立して人間を排除するだろう。
もし人間を排除しないパラダイムに乗ることができれば、いい世界になっていくだろう。
そのようにできるかどうかが問題だ。

1月

8

いいたいことを言う

日本の政治もアメリカの政治も、約束事を無視して暴走し始めたようだ。
このまま行くとたくさんの命が失われるのかもしれない。
その前にもし、言いたいことが言えなくなったのなら、その時点で僕たちの命は疎外されている。
疎外を受け入れるのではなく、いいたいことは言おう。

1月

7

シンプル

かつてネットは、個人がかなり自由に使えたものだった。
使いたい人が使いたいように使う。
その便利さが受けてあっというまに拡がり、悪用するものも出てくるようになった。
おかげでネットは複雑になっていく。
個人でメールマガジンを発行するのも難しくなってきた。
条件をいくつもクリアしないと届かない。
悪用防止という言い訳で、権力を掌握したい人たちが難しくしているのではないか?
もしかしたら、中心のまわりの人たちが忖度してそうなっているのかもしれない。
世の中がどんどんと便利になり、多くの人たちが応用できる技術が増えてきた今日、大企業が優位を保ち、一般人を操れる状況にしたいのはよくわかるが、それでは幸せな社会は作れないだろう。
ネットがシンプルでいられるようなパラダイムとは何か?
今は絵空事に思えるだろうが、それを考えないと、せっかくの技術がもったいない。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

1月

6

不立文字

禅に不立文字という言葉がある。
意味は調べればわかるのだが、それこそその意味の真髄は伝えられない。
その真髄とは何かが少しずつわかってきた気がする。
「わかった」と言い切るつもりはない。

12月

30

時間をかけた説明

何かを一瞬にして悟ることがある。
「なるほど、こういうことか」
一瞬でそれを了解するが、何をどう了解したのか、説明に時間がかかることがある。
悟ったことが複雑で説明しにくいものであれば、時間がかかるだけではなく、説明をどうしたらいいのかを考えなければならない。
こういうとき、知覚の不思議さを思う。