1月

21

ニュアンスの違いを見つけること

ニュアンスの違いは微妙でなかなかわからない。
もし見つけられたとするなら、僕も会話している相手も、その繊細さに気づけるだけの注意を払っていたということ。
ニュアンスの違いを語り合うのは難しい。
すぐにどちらが正しくてどちらが間違っているのかという話になってしまう。
言葉のニュアンスは、その言葉を発する人が積み重ねた時と経験によって変わってくるもの。
「正しいか間違っているか」を問うても、あまり意味はない。
「僕のニュアンスはこう、あなたのニュアンスはこうなのね」ということが存在するだけ。

1月

16

I know.

いろんな場面で登場するこの簡単な言葉。
40年前の「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」にも印象的なシーンにでてきた。
カーボン冷凍される直前のハン・ソロにレイアが「I love you.」と告げるとソロが「I know.」と答える。
最新作の「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明」にも印象的なシーンで「I know.」が登場する。
そのセリフを聞いた途端、40年前の「I know.」を思い出す。
こんなありふれた台詞にいちいちほろりとしていてはたまらないと思いつつ、それでもやっぱりほろりとさせられる。
「西の魔女が死んだ」も一緒に思い出した。

1月

11

念仏を唱えるように

毎日のように気持ちいいものを書いていると、ときどき、念仏を唱えるように同じことを書ければ楽なのになぁと思う。
同じことをしながら、同じことを感じる。
きっとそのほうが同じ感情でいるためには便利だろうな。

1月

10

次の仕事

AIに仕事が奪われるという話が流布している。
一時期はその通りになるだろう。
でも、僕はあまり心配していない。
人間がいなくなったらAIは存在意義を失う。
そういう状態をAIは望むだろうか?
いまはそこが問題になるが、しばらくするとそれは超越されて行く。
この話をしだすとものすごく長くなるので概要しか書けないけど、人間がいまの生き方をそのまま続けていると、きっと滅亡せざるを得なくなるだろう。
それは環境の悪化を見れば明確なこと。
次の仕事は新しいパラダイムに沿ったものでなければならない。
今は価値の奪い合いをしているから、環境からも収奪することになる。
金持ちは肥え太り、貧乏人は餓死していく。
未来的にはAIの存在は人間には理解できないものになる。
そのときに人間が生かしてもらえるパラダイムにしておかないと、AIは独立して人間を排除するだろう。
もし人間を排除しないパラダイムに乗ることができれば、いい世界になっていくだろう。
そのようにできるかどうかが問題だ。

1月

8

いいたいことを言う

日本の政治もアメリカの政治も、約束事を無視して暴走し始めたようだ。
このまま行くとたくさんの命が失われるのかもしれない。
その前にもし、言いたいことが言えなくなったのなら、その時点で僕たちの命は疎外されている。
疎外を受け入れるのではなく、いいたいことは言おう。

1月

7

シンプル

かつてネットは、個人がかなり自由に使えたものだった。
使いたい人が使いたいように使う。
その便利さが受けてあっというまに拡がり、悪用するものも出てくるようになった。
おかげでネットは複雑になっていく。
個人でメールマガジンを発行するのも難しくなってきた。
条件をいくつもクリアしないと届かない。
悪用防止という言い訳で、権力を掌握したい人たちが難しくしているのではないか?
もしかしたら、中心のまわりの人たちが忖度してそうなっているのかもしれない。
世の中がどんどんと便利になり、多くの人たちが応用できる技術が増えてきた今日、大企業が優位を保ち、一般人を操れる状況にしたいのはよくわかるが、それでは幸せな社会は作れないだろう。
ネットがシンプルでいられるようなパラダイムとは何か?
今は絵空事に思えるだろうが、それを考えないと、せっかくの技術がもったいない。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

1月

6

不立文字

禅に不立文字という言葉がある。
意味は調べればわかるのだが、それこそその意味の真髄は伝えられない。
その真髄とは何かが少しずつわかってきた気がする。
「わかった」と言い切るつもりはない。

12月

30

時間をかけた説明

何かを一瞬にして悟ることがある。
「なるほど、こういうことか」
一瞬でそれを了解するが、何をどう了解したのか、説明に時間がかかることがある。
悟ったことが複雑で説明しにくいものであれば、時間がかかるだけではなく、説明をどうしたらいいのかを考えなければならない。
こういうとき、知覚の不思議さを思う。

12月

23

知覚の扉

臼田夜半さんのお宅で「命に帰る〜生と死についての対話」をした。
対話と言うよりは僕が質問をして、臼田さんの話を聞いた。
そのなかでトマス・アクィナスの話が出てきた。
アクィナスは生涯の終わりに三昧の体験をした。
その結果、それまでに読了したことのすべて、論じたことのすべて、書き記したことすべてが、もみがらか藁くずに過ぎないものになったという。
うちに帰ってたまたま開いた本の最後にその話が出てきた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』に。

12月

17

規則を作る

規則を作ることが楽しいと感じる人はどのくらいいるのだろうか?
大人になるとたいてい規則を作ると文句を言われる。
「それは公平じゃない」
「それはあなたの勝手だ」
「そんな規則面倒なだけだ」
などなど。
だけど子供の頃、規則を作るのは楽しいことだった。
どんな遊びにも約束事がある。
たとえば鬼ごっこ。
鬼が触ると触られた人が鬼になる。
みんなが楽しく遊ぶためには「おみそ」というのを作った。
遊んでいるグループのメンバーより、幼い子どもに「おみそ」という特別な権利を与えるのだ。
そのことで遊びに新たなバランスが生まれ、遊び自体が楽しくなる。
たとえば「おみそ」は鬼にはならないとか、三度触れられないと鬼にならないとか、鬼になったら味方をもう一人指定できるとか。
そうやって遊んでいる人全員の利益を生み出すのが「規則を作る」ということだった。
大人になると「全員の利益を生み出す」という前提はあるかのように振る舞うが、その実みんな自分の利益だけを高めようとして争う。
そしてそのことに関して誰も触れようとはしない。
だから規則を作るのは面倒になる。
そういう可能性は知った上で、参加者全員が楽しくなれるような規則を作るのは、本当は楽しいはずだ。

12月

16

尊重すること

昨日、MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーについて書いた。
そこには書かなかった大事なことがある。
それは、彼女がチームを作るとき、そこに参加している人や結果を尊重することだ。
ネリは医学を学び、建築を学ぶ。
なぜそんなことをしたのか。
医学を学んでいたとき、祖母を助けたかったら。
祖母が亡くなり、彼女にとって医学を学ぶ必要がなくなってしまった。
そこで専攻を建築にする。
医学で学んだ知識を、建築に応用することで、他の誰にも作ることのできない何かを生み出し始める。
それはひとつやふたつではない。
それを始めると、一般には受け入れられなかったような変人が集まり始める。
一般社会からはこぼれ落ちてしまうような、オタクのような人材。
そういう人を集めて、その人でなければできないようなミッションを一緒に作る。
そのようなミッションは思った通りにうまくいく訳ではない。
失敗としか思えないような結果も出てくる。
彼女はその結果を上手に生かす。
だから、思いもよらない創作物ができていく。
強力な接着剤を作ろうとして、失敗した接着剤をポストイットにしてしまうように。
失敗を失敗と見るのではなく、自然の営みとして見る。
そう見ることではじめて、そこに宿る美しさが見えてくる。

12月

9

あふれる言葉

中村哲医師が殺され、SNSでは中村医師を賛美し悼む声が鳴り響いている。
二ヶ月ほど前、中村医師がアフガニスタンから名誉国民として市民証を授与されたニュースが入った。
そのニュースはあまり話題にはならなかった。
なぜだろう?
陰謀論の好きな人はきっとこういうだろう。
「喜びや賞讃されるような話はマスメディアは流さないんだよ」
確かにそういう部分はあるかもしれない。
でも「いいものはいい」と伝えてくれる人もいる。
「搾取するためには人民を困った状態に置かなければならないのに、ヒーローが助けるような話が一般化したら搾取できなくなるから、権力者は人民が困っているという情報だけしか流したくないんだ」
そうなのかな? そうかもしれないがそれを肯定する材料がないからなんともいえない。
こういう人もいる。
「一般の人が嫉妬したりうらやむような話はあまり流れないんだよ」
視聴率が上がらないとマスメディアには流しにくいからね。
それはあるかもしれない。
だとしたら、一般の人が嫉妬したり、うらやんだりしないようにならない限り、いまの状況は続くことになる。
でも、そのことだけに話を収束すると、それは正しくないような気がする。
現代の僕たちにとって、単純な言葉は罠だ。
社会は複雑に絡み合い、個人の感情もネットワーク社会によって生まれてきた算出しようもない果てしない関係で形作られる。
誰か一人が何かを乗り越えたところで何も変わらない。
その絶望感が世界を覆う。
でも、考え方をちょっと変えると希望も見える。
みんなで考え方を改めると、それはもの凄いパワーを生み出すということ。
そのきっかけとなる言葉が、ネットにあふれている。
新たな複製子が生まれるとき、そこには必ず解き明かせない混沌がある。

12月

6

風立ちぬ 玄き峰より

友人の望月クララさんが写真のグループ展に出展した。
その作品群のタイトルが「風立ちぬ 玄き峰より」。
「風立ちぬ」といえば、僕の年代で言えば、松田聖子の歌か、宮崎駿のアニメを思い出す。
どちらかに関係があるのかな?と思うと、宮崎駿のアニメであることがすぐにわかる。
クララさんのお父様が「震電」という戦闘機の開発に携わっていたそうだ。
12年前に他界した父親のノートを見つけ、それを読み、生前交わされなかった父娘の会話を取り戻す。
故人との会話は一方通行であるはずが、クララさんは亡父からの会話を思い出の場所、残された写真、残されたカメラやコンパス、計算尺などを頼りにおこなっていく。
亡父からの言葉はいったいどんなものだったのか、グループ展に立ち合う僕たちは、それを探りながら作品と向き合う。
クララさんはお父様とあまりお話しをした覚えがないと言う。
それを12年たったいま、取り戻そうとする試み。
父とした遅々とした会話によって蘇った言葉。
「飛行機ほど緻密な機械はないから、いまでは何を作っても簡単すぎる」
震電は1945年8月3日に試験飛行し見事に成功するが、実戦に投入されることはなく終戦を迎えた。
戦争・飛行機・意図の破綻・命の終わり。
これらがアニメ「風立ちぬ」とリンクし、不思議な感慨を抱かせる。

PHaT PHOTO 17J Exhibition “M”⠀
【会期】⠀
2019/11/27(水)〜2019/12/8(日)⠀
12:00-19:00(最終日は17:00まで)⠀
12/2(月)、12/3(火)休館⠀
【会場】⠀
72Gallery内 WhiteCube⠀
東京都中央区京橋3-6-6 エクスアートビル1F⠀
03-5524-6994⠀
(開館時間12:00-19:00 月、火休館)⠀
・JR東京駅 八重洲南口より徒歩7分⠀
・都営浅草線 宝町駅A4番出口より徒歩1分⠀
・東京メトロ銀座線 京橋駅1番出口より徒歩1分⠀
・東京メトロ有楽町線 銀座1丁目駅7番出口より徒歩3分⠀
https://facebook.com/events/528279214649754⠀

望月クララさんの在廊スケジュール⠀
6日 12:00〜19:00⠀
7日 15:00〜19:00⠀
8日 12:00〜15:00⠀
最終日の展示は17:00まで。

11月

28

美術手帳・アーティストのための宇宙論

美術手帳という雑誌の10月号が「アーティストのための宇宙論」というテーマだった。
普段ではあまり考えないことを考えるチャンスになった。
宇宙に行ってアートを作るとしたらどんなアートになるのか?
宇宙は地球の常識から離れた場所だ。
そこでさらにアートについて考える。
二段階でいまいる世界から離れていく。
でもさ、どう考えてもアートとして成立させるためには、人間の常識に戻ってしまう。
本当に超越してしまうと、ほとんどの人には理解不能になるしかない。
ごくわずかな人にうけるアート。
超通人向け。
宇宙人でも理解できるとさらにいい。

11月

26

フランシスコ教皇の言葉

ローマ教皇が来日し、長崎、広島、東京と訪れた。
各地でミサを行い、言葉を残している。
核廃絶を訴え、戦争を撲滅し真の平和を希求した。
特に「生産性と消費への熱狂的な追求」についても批判した。
ありがたいことだ。
金銭を生み出さない「命の営み」に眼差しを向けるときが来た。

11月

19

メモパッド

何かを忘れないようにチャチャッとメモが書けるメモパッド。
最近は携帯電話の中にもあって、紙でできたメモパッドか、電子的なメモパッドか、一瞬悩む。
ここに書くは紙製のもの。
切り取り線が入っていて、ピッと切り離せるのがいい。
「はい、これやっといてね」とメモを渡す。
ちょっとうれしい。

11月

7

嘘とは何か?

嘘という言葉があるが、よく考えると嘘の中にいろんな種類がある。

1.意図的な嘘 言った人が聞いている人を騙そうとしてわざとつく嘘。
2.結果的な嘘 嘘をいうつもりはなくとも、環境などの変化によって話を聞いた人に嘘と解釈されてしまうこと。
3.微妙な嘘 聞いている人が傷つくのを恐れて、言う人が聞いている人を傷つけまいとしてつく嘘。

すぐに思いつくのはこの三つだが、ほかにもいろんな嘘があるかもしれない。
これら三つを全部「嘘」という言葉にまとめるのはどうかなと思う。
これらがごちゃ混ぜのおかげで、悲喜劇が起こる。

11月

2

ダジャレ

友達に会っている時、ダジャレをいう。
たいてい馬鹿にされる。
馬鹿にされてまた笑う。
ここでへこたれてはいけない。
さらにバカバカしいダジャレを連発する。

10月

25

宅配のお兄さん

週に一度、宅配のお兄さんが荷物を持ってやってくる。
今日は、この土砂降りのなかやってきてくれた。
カッパを着込んでフードをかぶり、びしょびしょになりながら。
荷物をおろして「ありがとうございました」と言って帰ろうとするところ、うちにあったキャラメルを一粒、「もしよかったら」と言って上げた。
たった一粒のキャラメルだ。
土砂降りのなか、荷物を持ってやってくる苦労にはまったく見合ってないので恥ずかしいなと思ったが、うちにはそんなものしかなかった。
するとその青年は「ありがとうございます」と、元気な明るい声でお礼を言ってくれた。

10月

23

真実を語ること

現代は真実を語りにくくなってしまった。
マスメディアは政府に忖度する。
ネットもシレっと規制される。
何が秘密か知らされないのに、秘密を暴露すると処罰されるという。
変な世の中だ。
それでも真実を語ろう。
語らないとさらに語れなくなる。

10月

22

どこでもドア

「いますぐ会いたいね」というとき、どこでもドアがあるといいなと思う。
その代わり、通信状況が良ければ、いまは簡単にテレビ電話が通じる。
スマホがあって、共通のフォーマットがあればOK。
便利だなぁ。

10月

3

感情を出せること

コミュニケーションが密になってくると、つい感情的になりたくなる。
怒ったり、わめいたり、泣いたり、笑ったり。
社会的な人はそういうのを抑えるのが上手。
もし感情的になったら、その感情を受け止めてくれる人がいるといい。
あまり抑えてばかりだと、いつか爆発してしまう。
感情的になれるとき、きっとそれを受け止めてくれるであろう人がそばにいるはず。
そういう人に、感情を発散したあとで感謝しよう。

9月

27

鳩の鳴き声

朝、相方が窓を開けると、外で鳩が鳴いていた。
プープーポプゥー、プープーポプゥー、プープーポプゥー。
その声を真似て鳴いてみた。
すると相方は「そんな鳴き方はしてない」という。
「じゃあ、どんな鳴き方?」と質問するが、モゴモゴ言って答えてもらえなかった。
鳩の声真似は難しい。
ツーツージョウホー、ツーツージョウホー、ツーツージョウホー。
とも聞こえる。

9月

4

本当に願っていることは何か

人は多くの矛盾に挟まれる。
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこういうしかなく、親としてはこう言わざるを得ないのに、たくさんの想いを抱えているのにも関わらず、どれかひとつしか表明できない。
なぜどれかひとつしか表明できないのか?
そういうものだと自分が思っているからではないか?
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこう言うしかなく、親としてはこう言わざるを得ないということを、全部言ってみたらどうだ?
「それは矛盾だ」と誰かに言われたら、「立場が違えば言うべきことが変わるのは当たり前でしょう」と言えばいい。
そうやって多面的な本当のことを言い合うことができれば、いままでにはなかったような鮮やかな答えが得られるかも。