7月

9

たくさんのハローとグッドバイ

「人生にはたくさんのハローとたくさんのグッドバイがある」
友達の小柳晶嗣さんが三年前にカミーノ巡礼に行ってきて、帰って語った感想。
まったくそうだなぁと思う。
その時のYouTubeがこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=wqRhX8I3M5M

7月

8

亡くなった方を思い出す

時々、亡くなった方を思い出す。
何かのきっかけで思い出したり、ぼうっとしていたら思い浮かんだり。
それを「気持ちいい」というのは少々抵抗があるが、しみじみとしてよかったり、うるっとしたりする。
「あんなことしなければ死なずにすんだのに」とか「一緒にあれをすればよかった」とか、文句や悔いも思いつつ、最後に「出会えてよかった」と思う。

5月

26

一服の幸せ

朝、机に向かっていたら、相方がお茶を淹れて持ってきてくれた。
「朝のお茶は一服の幸せと申します」
そう言って置いていった。

5月

26

観の目と見の目

僕が幼稚園に通っていた頃、母が不思議なことを言いだした。
道路を渡るとき、こんな話をしてくれた。
「ようちゃん、横断歩道を渡るときどうする?」
「右見て、左見て、もう一度右見てから渡る」
「そうね、そう教わったよね。でもね、ようちゃんはこうしてご覧なさい。まず横断歩道の前に立ったら耳を澄ますの。そしたらまわりで走っている車は一度に全部わかる。それで左右を見るのはその確認。それから渡りなさい」
以来そうして渡った。
あとで気づくのだが、そうしていると横断歩道を渡るとき以外にも気配に敏感になる。
大人になって宮本武蔵の『五輪書』を読んだ。
母が言ってたことを宮本武蔵が別の言葉で書いていた。

目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊(いささ)かも敵の太刀を見ずという事、兵法の大事なり。

3月

23

怒りの声

藤井聡京都大学大学院教授は311後に「日本強靭化計画」というのを発表した。
僕はその話をたまたま参加した衆議院議員第一議員会館での勉強会で聞いた。
それが実際に内閣に取り上げられ「国土強靭化基本計画」という名前となった。
その藤井教授が、いまの政治家に対して「なんのために政治家を志したんですか」と憤っている。
こちらの映像で。
https://youtu.be/q3KcdJhBMb8
それを聞いて気持ちが落ち着いた。

3月

10

萌音と萌歌

ちょっと前に相方が、ケーブルテレビで『義母と娘のブルース』を一気見していた。
「なにそれ?」と隣で一緒に見たら、面白くて止まらなくなってしまった。
そのドラマで娘役をしていた「上白石なんとか」のことをそのドラマで覚えた。
それ以来、ときどきテレビに出てくると、「あ、あの女の子だ」と思い出すのだが、「ん? とても似ているけどちょっと違う。整形でもしたの?」と思うことがあって、でも、また別のときに見かけるともとの顔に戻っていたりして、「なんだろう?」と思っていた。
「上白石なんとか」の、「なんとか」の部分もときどき違っているような気がして、検索してなるほどと思う。
姉妹がそっくりなんだね。
知りませんでした。

2月

20

岩田健太郎氏

昨日公開されたYouTubeで、ダイヤモンド・プリンセス内のCOVID-19の検疫状態を告発した、神戸大学病院感染症内科の岩田健太郎先生。
一日にして英雄となる。
よくぞ内容を公開してくれました。

2月

1

秩父遥拝

今朝、テレビをつけたら矢野顕子が民謡を歌っていた。
なんかいいなと思っていたとき、ふと「秩父遥拝」を思い出す。
笹久保伸さんが秩父の機織り歌やまりつき歌、雨乞いの歌などを集めてアルバムにしたもの。
もう歌われなくなってしまった歌ばかり。
笹久保さんは「秩父前衛派」というアート集団を主宰している。
武甲山の破壊をやめろと訴えながら、さまざまなアート活動をしている。
武甲山は石灰が産出されるのでセメント会社が掘り続け、山の形が変わってしまった。
毎年秩父夜祭で人々はその山を祀る。
秩父の町を潤すためにやせ細った山。
笹久保さんは「おかしいだろう」と訴えながら、いまはもうほかでは聞けない歌を声を絞り出すように歌うとき、隠されてしまった魂たちが咆哮を始める。
失われた山容、鉱石、泉、草花、動物、古事記の時代から伝わってきた物語や祀られた神々。
あなたには聞いてほしい、その咆哮を。

1月

18

グレタのねがい

『グレタのねがい』という本をご献本いただいた。
17歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリの話が書かれている。
児童向けの本なのでサラッと読める。
僕が一番面白く感じたのは、グレタの両親が何をしたのかという部分。
もし自分の子どもが学校に行くのをボイコットして、国会前で「気候のための学校ストライキ」なんてプラカードを掲げたらどうするでしょう?
たいていの親なら怒って子どもを引きずってでも家に帰らせたりするでしょう。
ところがグレタの親はそうしませんでした。
なぜでしょう?
グレタが行動を起こす前に親はすっかりグレタに説得されていたのです。
グレタが外で活動する前に、親とグレタは十分なやりとりをしていたのです。
それでも親は学校ボイコットには反対していました。
その間のやりとりが面白かった。
大人向けではないのであまり詳しくは書かれてないのですけど。
もし大人向けの本が出るのであれば、このあたりを詳しく知りたい。
子どもがこの本を読んで、もし親が新しいパラダイムを受け入れる準備ができていれば、親子で考えるようになり、世の中はどんどんと変わるんだろうなと思います。
グレタの主張は子どもっぽくて聞くに耐えないというようなことをいう人もいますし、人によっては大人が背後にいてあれは陰謀だなんて方もいます。
僕はその背景までは詳しくは知らないので陰謀だということについては何も言えませんけど、グレタの話は穏当なものだと思います。
いままで大人は、環境危機についてあまりにも無視し続けてきたからです。
どのように無視してきたかについて詳しくていい本があります。『人新世とは何か』という本です。
地質時代はたいてい数十億年から数百万年という単位で変化してきましたが、人が現れ産業革命に突入することでたった250年程度で新しい地質時代を定義すべきかどうか論議になっています。
その新しい地質時代が「アントロポセン(人新世)」なのです。
この本を読むと、グレタの主張はおおげさなものではないなと感じます。

1月

15

全体を知る

新しいメディアがひとつできると、そのたびに僕たちはうれしくなる。
知らなかったことが知れるようになるから。
本ができることによってプロテスタントが生まれた。
同じ聖書をたくさんの人たちが手にできるようになったから。
雑誌や新聞が生まれて社会が変化するようになった。
昨日より今日が、今日より明日がよりよいものになるために何をすれば、何を考えればいいのか、多くの人が気づくようになったから。
ラジオができて大きなグループの感情が一方向に向くようになった。
リーダーの感情が声で伝達されるようになったから。
テレビができて比較的世界が平和になった。
言葉では伝えられない状況を目で見ることができるようになったから。
このようにして大雑把な理解の密度を人類は少しずつ上げてきた。
インターネットが生まれてさらに理解の密度を上げる可能性を手にする。
次に生まれるメディアが、前のメディアでは伝えられなかったことを伝えて行く。
僕たちはこうして、いつか宇宙の全体を知るようになるのだろうか?
それを知るために新しいパラダイムが、もうすぐやってくるのではないか?
その新しいパラダイムは、権力者にすべてが集中するようなものではないだろう。
そのことをテイヤール・ド・シャルダンは美しい言葉で表現している。

生命の樹の樹液全体を一本の枝だけのために集め、他の枝の死の犠牲の上に立つ民族主義者の理想は誤っているし、自然の理にそむいている。太陽にむかって伸びあがるためには、まさに木の枝全体の成長が必要なのである。世界の出口、未来の扉、超=人間への入口、これらは、いく人かの特権者やあらゆる民族のなかから選ばれた唯一の民族だけに開かれているのではない。それらは万人の圧力に対して、すなわち、全人類が地球の精神的革新において一致団結し、完成されるような方向に対してのみ道をあけるのである。

『現象としての人間』 ティヤール・ド・シャルダン著 美田稔訳 みすず書房刊

12月

16

尊重すること

昨日、MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーについて書いた。
そこには書かなかった大事なことがある。
それは、彼女がチームを作るとき、そこに参加している人や結果を尊重することだ。
ネリは医学を学び、建築を学ぶ。
なぜそんなことをしたのか。
医学を学んでいたとき、祖母を助けたかったら。
祖母が亡くなり、彼女にとって医学を学ぶ必要がなくなってしまった。
そこで専攻を建築にする。
医学で学んだ知識を、建築に応用することで、他の誰にも作ることのできない何かを生み出し始める。
それはひとつやふたつではない。
それを始めると、一般には受け入れられなかったような変人が集まり始める。
一般社会からはこぼれ落ちてしまうような、オタクのような人材。
そういう人を集めて、その人でなければできないようなミッションを一緒に作る。
そのようなミッションは思った通りにうまくいく訳ではない。
失敗としか思えないような結果も出てくる。
彼女はその結果を上手に生かす。
だから、思いもよらない創作物ができていく。
強力な接着剤を作ろうとして、失敗した接着剤をポストイットにしてしまうように。
失敗を失敗と見るのではなく、自然の営みとして見る。
そう見ることではじめて、そこに宿る美しさが見えてくる。

12月

15

ネリ・オックスマン

MITにいるネリ・オックスマンのドキュメンタリーを見た。
ネットを検索するとブラッド・ピットと噂があるとか、美人であるとか、離婚しているとか、どうでもいいことばかりが出てくるが、そのやっていることを紹介している「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーの第二回目、「ネリ・オックスマン:バイオ建築家」を見て、感激してしまった。
ネットフリックスで見られるので、見られる人は見るべきだと思う。
アート、サイエンス、デザイン、エンジニアリングを行き来し、ある領域の入力が他の領域の出力となるような仕事をしている。
蚕に巨大な構造物を作らせたり、生体デザインを建築に取り入れようとしたり、ガラスで描かれるプリンターを作ろうとしたり、凡人ではやろうとも思わないことに挑戦している。
ネリの父からの教え。
「創造のときは少し居心地が悪い。居心地が悪いとその方向性は正しい」
最初はたくさんの批判を受け、自分たちの居場所を死守したという。
はたから見ると作品はきれいで優雅だが、現場は汚くてゴチャゴチャできついという。
しかも、世の中の風向きに逆らうためにはかなりの根性がいるとも。
台風の目の中にいると静かだが、孤独で安らぎがあるという。
大きなゴールは、仲間を守り、台風の目の内側に置くこと。
そうやって他の人には成し遂げられない独特の創作物をチームで実現して行く。
彼女が大切にしているアインシュタインの言葉。
二通りの生き方がある。
ひとつは奇跡を否定する生き方。
もうひとつはすべて奇跡だと思う生き方。
彼女はすべてが奇跡だと思って生きている。

12月

8

目覚めよ、愛に生きるために

11月末に『目覚めよ、愛に生きるために』というタイトルの本が出版された。
著者は本郷綜海。
スチャダラパーを世に出し、有名ラッパーに育て上げると手を引き、今度は自分がヒーラーや歌手になると言ってアメリカに渡ってしまった。
その直前に知り合い、何度か会ったのち、本郷さんはバーバラ・アン ブレナンのもとで学ぶようになる。
何年かのちに帰国して、最初のライブに行った。
ライブが始まると、本郷さんはとても長く唸る。
一分以上ただ「うー」と唸っていた。
ところが、その唸りが凄い声だった。
ピュアとか透明とか、そんなもんではない、魂の奥に隠していた何かを揺さぶり起こすようなそんな声。
聞いているうちに鳥肌がたった。
心の鎧が解けていくような感覚と、それに逆らおうとする、自分の土台を突き崩されてはならないという恐怖の感覚。
その長い唸りのあと、その歌声は「月の砂漠」を歌いだす。
長い緊張のあとでポッと懐かしい歌が始まったので心の壁が決壊した。
涙が出た。
そのあと、「月の砂漠」のはずが、どんどんとアドリブで違うものになっていく。
大笑いしてしまった。
それがどういう体験だったのか、丁寧に説明してもあまり伝わらないだろう。
彼女の「素」に触れたという体験だった。
アメリカで大変なことを学んだなということがよくわかった。
今ではヒーラーとして有名になり、歌手としても地歩を固めている。
前回のライブにはスチャダラパーが参加したと聞いた。
その本郷さんが二冊目の本を出したのだ。
タイトルがとても直球で、ちょっと読むのは気恥ずかしい。(笑)
でも、ズイズイと読んでいった。
大きな愛の話をしている。
本郷さん自身が愛だと思っていた幻想をどのように手放し、どのように大きな愛へと転換していったのかが書かれている。
とても素敵でわかりやすく。
読んでいるとときどき「イラッ」とする。
とてもわかりやすいから、「大きな愛は簡単ではない」という僕の思い込みが発動する。
本郷さんが「素」だから、こっちも負けじと自分の「素」が反応してしまう。
鏡に映った自分自身にムカムカしたくない人は、読まないほうがいいな。
自分の幼さや邪悪さが見えてしまうよ。
大きな愛に身を投じる覚悟のある人だけ読むといい。

11月

26

フランシスコ教皇の言葉

ローマ教皇が来日し、長崎、広島、東京と訪れた。
各地でミサを行い、言葉を残している。
核廃絶を訴え、戦争を撲滅し真の平和を希求した。
特に「生産性と消費への熱狂的な追求」についても批判した。
ありがたいことだ。
金銭を生み出さない「命の営み」に眼差しを向けるときが来た。

10月

25

宅配のお兄さん

週に一度、宅配のお兄さんが荷物を持ってやってくる。
今日は、この土砂降りのなかやってきてくれた。
カッパを着込んでフードをかぶり、びしょびしょになりながら。
荷物をおろして「ありがとうございました」と言って帰ろうとするところ、うちにあったキャラメルを一粒、「もしよかったら」と言って上げた。
たった一粒のキャラメルだ。
土砂降りのなか、荷物を持ってやってくる苦労にはまったく見合ってないので恥ずかしいなと思ったが、うちにはそんなものしかなかった。
するとその青年は「ありがとうございます」と、元気な明るい声でお礼を言ってくれた。

5月

22

わが世の旅をうるはしと思ふ

耆那教聖典のことを五月九日に書いたが、その本の最後に「故鈴木重信君を憶う」という文があり、それが16ページにもわたっているので読んでみた。
耆那教聖典には「瑜伽論(ヨーガ・シャストラ)」「入諦義経(タットヷ−ルター・ディガマ・スートラ)」「聖行経(カルパ・スートラ)」の三典が入り、付録として三典の注釈と「耆那経論」が入っているが、目次にはその文、つまり「故鈴木重信君を憶う」のことは書かれていない。
本の扉を開き、1ページ目に「耆那経聖典」と、きれいな枠囲いに書かれていて、次のページにただ一行「訳者 鈴木重信」とある。
凡例にこのようなことが書かれていた。

耆那教の所謂聖典は、前顕の三典のみならず、尚ほ別に多くを存す。訳者鈴木重信氏は、昨夏本会の嘱に応ずるや、同教の根本的信仰と行事とを伝ふるものとして、行支経(アーチヤーランガ・スートラ)、優婆塞十経(ウヷーサガ・ダサーオ)の二典、大優の伝記を語る聖行経(カルパ・スートラ)、同教倫理の要諦を説ける瑜伽論(ヨーガ・シャーストラ)、同教の哲学的作品たる入諦義経(タットヷ−ルター・アディガマ・スートラ)の三典、合して五典を翻訳するの胸案を抱けり。而かも訳者は、その時既に業に不治の難症に悩み、瑜伽論、入諦義経の二典を訳了し、漸く僅に聖行経の初三四葉に筆を染めたるのみにて、流星の虚を逸するが如くにして逝けり。訳者は文才煥発、学会稀に見るの秀才たるに加え、刻苦精励倦むを知らざるの士なりき。今や亡し、痛恨何ぞ勝えん。

鈴木重信氏は31歳で亡くなったそうだ。
16ページにわたる「故鈴木重信君を憶う」には、鈴木氏がいかなる人だったかが書かれ、最後に三典を訳出したノートに書かれていた和歌が紹介されていた。

月一つ古城の雨の夜半に晴れて
     わが世の旅をうるはしと思ふ

3月

15

エンジェルくみさん

二十数年前、はじめてお会いしたとき、変わった元気なおばさんだなとしか思わなかった。
手書きの天使の絵が書いてある名刺に「エンジェルくみ」と書かれていた。
それから二十年以上して再会した。
人の真の姿は一度や二度会った程度ではとてもわかるものではない。
でも、エンジェルくみさんは明らかに進化していた。
いま69歳だというが、下手な30代よりよっぽど元気だ。
いや、いまの10代の子もエンジェルくみさんの元気さにかなう人は少ないかもしれない。
そばにいる人をワクワクさせてくれる。
「私は地球に遊びに来たの」といって「遊びに来たの」という歌を歌う。
人生の苦楽を語って「いまを生きる」と歌う。
極めつけは「ミトコンドリア4G」という歌。
細胞内のミトコンドリアが活性化するという。
これを一緒に歌うと確かに大笑いして元気になれる。
どんな病気も治してしまいそうだ。
レゾナンスCafeでお話してくれた内容がこちらに。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=783

2月

21

ホセ・マリア・アルゲダス

笹久保伸さんが研究したというペルーの国民的作家。
読んでいくとときどき意味のわからないところがある。
きっとペルーの文化がわからないと理解できないのだろう。
こういうことかなと想像で埋めて先を読む。
音楽を演奏するシーンがよくでてくる。
ペルーの人たちの体臭が香る。

1月

20

アイ・ウェイウェイ

両親が詩人で、文化大革命のときに一家で新疆ウイグル自治区の労働改造所、つまり強制収容所に送られてしまう。
その後、北京電影学院で前衛芸術を始めるが、そこでも中国の圧力を受ける。
以来、中国に批判的な作品を多数生み出す。
2009年、森美術館での展覧会はイマイチな感じがした。
それが何故かをここに書いた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p1395/
国から弾圧されても屈しない頑固な魂。
映画「アイ・ウェイウェイは謝らない」には感動した。
アイ・ウェイウェイが監督している「ヒューマン・フロー」という映画が上映されている。
まだ見てないが、感動するに違いない。
現在はドイツに住んでいるらしい。

1月

7

チュルチュルを思い出す

ふとしたときにチュルチュルを思い出した。
チュルチュルとは、麺類を総称した幼児語で、母がよく幼い僕に「チュルチュル食べましょうね」というふうに使っていた。
先日そばを食べていてそのことを思い出す。
そのときに一緒に思い出したのは、うまく言葉にできない感情だ。
それはずっとチュルチュルだと思っていた幼い僕が、チュルチュルに区別があることを知り、「このチュルチュルはおそば、このチュルチュルはうどん、このチュルチュルはラーメン、このチュルチュルはそうめん」と区別したときのなんとも言えない感情。
このチュルチュルはおそばであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはうどんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはラーメンであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはそうめんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
でも、僕と母さんのあいだにはチュルチュルに関してのたくさんの思い出がある。
しかも、当時の僕はこれほどはっきりした区別が持てず、何だかよくわからないけど何かに引っかかっている感情を感じ、どうしようもないのでどうにもできなかった。
この当時の僕にとっては複雑な思い。
そんな感情を大人になって味わいなおす。
言語化して区別できると「なんだかなぁ」という感情が生まれるが、きっと幼い頃の感情とは少し違うものなのだろう。

11月

30

柿の季節

柿の季節になると相方が
柿の皮をむいて出してくれる。
そのときに毎年同じ話をする。
それは、父が柔らかい柿が好きで
母は固い柿が好きだったこと。
母が固い柿の皮をむいて出すと
父が「僕は柔らかい柿が好きだから
固いうちに皮むかないでよ」という。
すると母が
「この前柔らかくなるまで
 待ったんだから
 今度は固くてもいいでしょう」
と反論する。
その二人のやりとりを僕は隣で
毎回見ていた。
母は母で母だったし、
父は父で父だった。
柿の季節になるとする話。

9月

20

スニーカーを洗う

黒い油が付いて汚れてしまった
白いスニーカーを洗った。
靴用の洗剤に漬け込む。
漂白剤が効いて白くなった。
何度か水ですすいで乾かしている。
履くのが楽しみ。
幼い頃、母が運動靴を
洗ってくれたことを思い出す。

6月

23

元気な言葉

元気な言葉は癖になる。
一度聞いて元気になると
もう一度聞きたくなる。
二度聞いて元気になれると
三度目も聞きたくなる。
でもそれって、
言葉じゃないんだよな。
それを発する
人の雰囲気だったりする。
こうして人は恋に落ちる。

6月

20

産んでくれてありがとう

この世界に出ることができて
ここにいられることが幸せだ。
いろんな苦労があるにせよ、
つらい思い出があるにせよ、
なんとかいまを生きている。
母さん、産んでくれてありがとう。

4月

7

ふきの煮物

春になって蕗が売られていたので
買って煮物にしてもらう。
少し苦味があってうまい。
しゃくっていう歯ごたえもいい。
子どもの頃、
母の作ったふきの煮物に
「おいしくない」と
文句をいっていた。
母は
「大人になるとおいしくなるの」
と言い続けていた。
「まさか」と思っていたけど、
本当だった。
文句を言い続けていた僕に、
「大人になるとおいしくなるの」
と言い続けてくれた母へ
いまさらながら感謝。