1月

14

ピタゴラスの数秘術

数秘術というものを以前から噂では聞いていた。
調べるとそれはピタゴラスが発祥らしい。
しかも、その真髄をプラトンが『国家』に書いているという。
調べると面白かった。
http://bit.ly/2tRjLSM

1月

12

武甲山かつての山容

秩父に通うようになった。
はじめて行ったとき、武甲山を見ても何とも思わなかった。
だけど、1970年頃から急激に形を変えたと聞いてなるほどと思う。
かつての山容はもこもこもっこりとして、頼もしい山だった。
現在は山のてっぺんがピラミッドのようになっている。
かつての武甲山の写真を見ると、今の武甲山が痛々しい。
日本三大曳山祭のひとつである秩父夜祭では、いまでも武甲山に向かって祈りを捧げる。
神の住む山が削り取られ続けている。
もこもこもっこりの山の写真を見て慰める。

1月

4

あけましておめでとうございます

新年を言祝ぐ言葉。
言祝ぐは寿ぐであり、事祝ぐことでもある。
日本には祝う言葉があふれていた。
祝うは「いわ・う」であるため神社には大きな岩があることがある。
「細石も巌となりて」と君が代にあるが、実際に成長しつつあった細石が秩父今宮神社に奉納されている。
巌となりつつある細石が現実にあるとはつい数年前まで知りませんでした。
疑う方はご自分の目で確かめてみてください。
見ればなるほどと思うでしょう。

12月

23

クリスマスソング

この季節になるとあちこちからクリスマスソングが聞こえてくる。
「ジングルベル」とか「リトル・ドラマー・ボーイ」など懐かしいスタンダード曲もあるが、ジャパニーズポップの定番もたくさんある。
どれが一番印象的かというと僕にとっては「ホワイトクリスマス」か山下達郎の「クリスマス・イブ」だな。
どの曲にせよ、キュンとする。

12月

10

神の詩 バガヴァッド・ギーター

何年か前に読んだが
そのときはあまり意味が
わからなかった。
戦争の最中に悩む者と
至上者との対話。
悩む者は
「一家一族を全滅させたり
 親しい友人同志が殺しあうほどの
 過誤があったとは思えません」
と嘆くが、至上者は
「すべての生物は永遠不滅であり
 その実相は人智では測り難い
 破壊されうるのは物質体(肉体)
 だけである
 だから戦え」
という。
何度も問答を繰り返し、
ついに導かれるのは
宇宙普遍相の偉大な形相(姿)。
果たしてそこに何を見るのか。

真実も科学も高度になればなるほど
少しの歪みが大きな影響を与える。
神の詩も、少し間違えると
とんでもない考えに導かれるだろう。
仏教でいう「真如」とともに
これを読むことが求められる。

12月

6

おもろさうし

昔懐かしい歌詞の一部が
はじめて読む文章に
埋め込まれていると
それを読んだ途端に
感覚が懐かしい頃を思い出す。
そのことを思いながら
「おもろそさうし」を読むと、
沖縄のきらびやかな時代が
どのように編まれていたのかが
わかるような気がする。

12月

3

秩父夜祭

いま秩父夜祭がおこなわれている。
今日が大祭で今晩が大きな盛り上がりとなる。
普段の秩父は閑散としていて静かな田舎町だが、
今日だけは人が沢山でてきて、
いったい普段この人たちはどこにいるんだろう?
という状態になる。
意匠を凝らした山車や
夜に打ち上げられる花火などを見てうっとりとする。
山車の周りに張り巡らされた
彫刻作品を見るだけで
秩父の人々の熱意が伝わってくる。
もちろん山車を引き回すために
かけ声をかける男たちの熱さが見物だ。

11月

7

仏典を読みなおす

かつて仏典には理解不能な文章が
たくさんあった。
書いてあることは判読できるが
それから生まれる実感が伴わない。
ふん、とか、うーむとか思っていた。
しばらくして書かれていることは
たいてい理解できるようになった。
最近では読み始めると没入する。
若い頃、
本を再読することはなかった。
いまは読みなおすことが愛おしい。

11月

2

ブサキ寺院での礼拝

バリ島のブサキ寺院は
いくつかのお寺が
集まってできている。
その中心にあるのが
プナタラ・アグン・ブサキ寺院。
ここに三大神である
ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァを
祀っている場所があり、
そこで礼拝する。
この三神をまとめて
トゥリ・ムルティと呼ぶが、
その三神のための椅子が
その礼拝所には用意されている。
礼拝所に座り、
アグン山の方向に目をやると
高い場所に
その三つの聖なる椅子が目に入る。
神様は目に見えるものではない。
その見えない神を
そこに降ろすことをイメージした。
そしてその場所と
自分の祖先や親族と
大宇宙に感謝することを促される。
すると、その三つが、実はすべて
つながっているものであることが
イメージでき、そのことに震えた。

10月

12

道(タオ)に戻る

「黄金の華の秘密」を翻訳した
ヴィルヘルムが、こんな体験をした。
ヴィルヘルムが住んでいた
中国のある地方が旱魃になり、
村人が雨乞い師を呼んでくる。
しばらくしてしわくちゃな老人がやってきた。
その老人は静かな場所にある
小屋を貸してくれといい、
そこに三日間こもりました。
すると、四日目には曇ってきて
雪など降るはずがない季節に雪が降りました。
ヴィルヘルムはその雨乞い師に
どうすればそういうことができるのか聞きました。
「どうやって雪を降らせたのですか?」
「わしは雪など降らせていない」
「では、この三日間
 何をしていたのですか?」
「それなら答えられる。
 この土地はタオからはずれていた。
 天の定めるしかるべきあり方から
 はずれていたのじゃ。
 わしもそんな土地に来たために
 タオからはずれた。
 だからその自然な秩序に戻るため
 三日必要だったんじゃ。
 自分がタオに戻ったから
 おのずと雨が降ったんじゃよ」

7月

31

大山阿夫利神社

去年の秋、大山祇神社に行った。
その話を知り合いにしたら
こんなことを言われた。
「以前、
 大山祇神社に行こうとして
 バスに乗ったら、
 知らずに乗り過ごして
 阿奈波神社に行ってしまった」
阿奈波神社は大山祇神社の祭神
大山祇神の娘、
磐長姫が祀られている。
木花咲耶姫のお姉さんだ。
その話を聞いた夜、夢を見た。
僕はなぜか大山祇神に清められた。
そこで目が覚め、もう一度寝ると、
今度は大山阿夫利神社という
神社がでてくる。
そこの祭神も調べたら
大山祇神だった。
そのときは思い出せなかったが、
ずっと前、石神井川のほとりを
散歩していたとき、
不動尊を見つけた。
そこに大山講の名残だと
書かれていて、
大山講とは何かを調べたときに
大山阿夫利神社のことを知った。
しかし、それ以来ずっと忘れていた。
その夢を見ても、その神社の名前を
聞いたことがあるような気がしたが
はっきりとは思い出せなかった。
そこで大山阿夫利神社を調べて
そういう神社が実在することを知り、
もっとしばらくしてから
不動尊のことを思い出した。
だから、いつか行ってみようと
思っていた。
先週末、台風が接近するなか
大山阿夫利神社に行った。
まずは下社で参拝し、
奥社に向かう。
往復三時間だと書かれていたので、
それくらいなら平気だろうと
思ったが、甘かった。
以前の大雨で石段が
たくさん崩れていた。
それをよじ登っていく。
行きに二時間かかった。
帰りは下りだから
早いだろうと思ったが、
今度は足が疲れて
思うように進めない。
結局往復四時間かかった。
なぜ大山阿夫利神社が
夢にでてきたのか、
いまだにわからない。
でもお参りできてよかった。
やっと足の筋肉痛が
やわらぎつつある。

7月

9

大雨に被災したみなさまに
お見舞いを申し上げます。
一日も早い復旧と復興を
お祈り申し上げます。

祈る

人は天災の前では無力だ。
逃げることしか対処ができない。
実効的な効果が
あるかどうかは別にして
祈ることを通して
まずは心を落ち着ける。
八百万の神々よ
日本とそこに住まう人々を
守りたまえ。

6月

19

祈る

宗教に関する本をたくさん読んだ。
心理学に関する本も、
スピリチュアルな本も。
そしていろんなお祭にも参拝した。
聖人と呼ばれるひとたちにも会った。
そうしてやっと気がついた。
最高・最善の神様がいるということ。
どんなに宗教同士で争っても、
どんなに派閥同士で争っても、
どんなに国同士で争っても、
いつか統合してくれる神様。
その神様に名前はない。
その神様はどういうものと
言っても仕方ない。
宇宙を運行している神様。
生命を生み出した神様。
神様という名前は
古くさいかもしれない。
宇宙を生み出した理のようなもの。
それは僕を動かしている。
あなたも動かしている。
それは僕のビジョンであり、
あらゆる人のビジョンでもあり、
地球のビジョンでもあり、
宇宙のビジョンでもある。
それをねじ曲げて利己的に使うと
間違った宗教が生まれる。
どれだけあらゆる存在を正当に扱い、
至福をもたらし、
この生を充実させることが
できるのか。
そのためにいる神様。
僕の能力でそのすべてを
知ることはできない。
人類の英知でも正しくは
把握できない。
宇宙のように神秘に満ちた神。
その存在に感謝するとともに、
その存在に少しでも近づこうとする。

6月

15

自己とは、最初から与えられてはいないもの

瞑想によってブッダになろう
などと思うな。
お前はいつもブッダだったのだが
そのことを忘れているだけだ。
こう言うのはやさしいのだが。
黄檗希運

5月

25

うがやふきあえずのみこと

夢の中に
「うがやふきあえずのみこと」が
出てきた。
少し前に現代語訳された
「古事記」を読んだから
出てきたのだと思う。
目が覚めてもその音が
耳に残っていた。
そういう名前の神様がいたことは
覚えているけど、
その神様がどういう神様かは
覚えていなかった。
そこで調べてみる。
神武天皇の父親とある。
海彦山彦の山彦と豊玉姫の息子。

5月

4

ケチャ

バリ島に行くと
ケチャをどこかでやっている。
声によってさざ波が生まれ、
そのモアレに頭がしびれる。
声の干渉は色彩をもたらし、
丸く座った男たちの上に
風を呼び起こす。
バリ島全体がキュビズムのように
視点の定まらない高次元立体物に
なっていく。
時を超え、場所を超え、
意味すらも超えた迷宮に包まれる。

4月

15

狭井神社の薬井戸

大神神社の摂社に狭井神社がある。
正式名称を
狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおみわあらみたまじんじゃ)
という。
大神神社の主祭神の荒魂を
祀っているという。
神社の裏手に井戸があり、
薬井戸と呼ばれている。
いまは岩にスイッチがあり、
それを押すと
ご神水が出てくるようになっている。
三輪山の登山口になっていて
ここで水をいただいて
荒魂を受けて山に登る。
さっぱりとしたいい水でした。

4月

9

龍神木

秩父今宮神社に
樹齢千年以上といわれる
龍神木がある。
幹に大きな洞があり、
そこに龍神様が祀られている。
冬には葉を落とし、
春から夏にかけて葉をつけなおす。
幹の周りにベンチが置かれ、
そこに座って木漏れ日を感じる。
龍神様を祀っている洞に、
もうすぐフクロウがやってくるはず。
http://www.imamiyajinja.jp/ryujinboku.html

3月

26

水が変わったとき

この話をときどき思い出す。
『スーフィーの物語』に出てくる話。
短くするために話を端折るが、
だいたいこんな話だ。

ある師が人びとに警告を発した。
「やがて時が来ると
 特別に貯蔵された水以外は
 すべて干上がり、
 そののち水の性質が変わって
 人びとを狂わすだろう」
ひとりの男だけが
この警告に耳を傾けた。
その男は水を安全な場所に貯蔵した。
ある日、川の流れが止まり、
水が干上がった。
男は貯蔵していた水を飲む。
ふたたび川に水が流れるようになり、
町に行くと、人びとは以前と
ほとんど変わらなかったが、
師の警告や水の干上がったことを
まったく覚えていなかった。
そして、男は自分が狂っていると
思われていることに気づく。
人びとは男に対して哀れみや
敵意しか示さず、
その話をまともには聞かなかった。
男ははじめ新しい水を
飲もうとはしなかったが、
みんなと違うやり方で暮らしたり、
考えたり、行動することに
耐えられなくなり、
ついにある日新しい水を飲む。
するとその男は他の人と同じく、
貯めていた水のことを
すっかり忘れる。
仲間たちからは
狂気から奇跡的に回復した男と
呼ばれた。

3月

21

祓え給い清め給え

腹立たしいことや悲しいことは
頭の中をグルグル巡る。
そういうとき「祓え給い清め給え」。
腹立たしいことをしてくる人間は
きっと何かの考えに取り憑かれてる。
そういう人と対峙するとき、
こちらにも何かの考えが
取り憑いてくる。
「祓え給い清め給え」
こちらが清められていれば、
相手の考えが
浮かび上がってくるかも。

1月

20

金刀比羅宮

幼い頃、歌集に「金比羅船々」が
載っていて、うちでときどき歌った。
その記憶があって、
四国に行ったとき金刀比羅宮まで
足を伸ばした。
階段をずっと登って行く。
すでに夕方になりかかる頃に
参道入口に着いたので、
奥社までたどり着くのか心配だった。
なにしろ1368段もある。
とぼとぼと歩いて行くが、
100段も登るともう疲れが出て来る。
その13倍も歩かなければならない
と考えると目が回る。
それでもとぼとぼと登って行った。
表参道の入口に近いところには
両側にお店があって、
疲れれば休めるが、
ある程度進むとお店はなくなり、
ただひたすら階段をあがっていく。
はじめは霧雨だった雨が
次第に傘のいるような雨になり、
御本宮に着く頃には
ザアザア降りだした。
そこまで785段。
暗くもなってきたので
奥社に行くのはあきらめ、
御本宮でお参りして帰る。
見晴らしのいいはずの
展望台からの景色は、
灰色一色で残念だったけど
幼い頃から知っていた、
けど行ったことのなかった
金比羅さんに行けてよかった。

1月

14

神道とは何か?

「神道の神秘」という本の中に
以下の記述を見つけた。

神道は、前述したように、教祖・教
義・戒律・崇拝対象にこだわらない。
従って、どちらが優れているとか、
どちらが真理であるといった論争を
もたらすことがない。もともと神道
は多神教であるから、誰がどの神格
を、どのような仕方で信仰しようと、
それが他をつぶそうという野心を見
せたり、悪事をなさない限り、許容
し受け入れるのである。それぞれの
信仰や体験を大切にし、平和共存を
旨とするのである。
「神道の神秘」山陰基央著

素敵だと思った。

1月

7

お神楽

明治神宮で昇殿参拝をした。
そのときお神楽が奏で上げられ、
巫女さんが倭舞(やまとまい)を舞う。
音程が合ってないことが
気になるのだが、
そもそも音程が
合っているのかどうかは
西洋的価値観で、
お神楽には関係がない。
音程のゆらぎを楽しむのが
東洋的音楽の楽しみだなと
思った瞬間から
お神楽のよさが沁みてくる。
音程の呪縛から解放された瞬間。