8月

16

逆説の日本史

逆説の日本史25巻を読んだ。
作者の井沢元彦は歴史学者のことをよく批判する。
その批判はもっともだと思う。
でも、歴史学者も大変なのだと思う。
皇統に関する公に認められていること以外のことを発表すると何をされるのかわからない。
きっと天皇がそんなことをしているのではないだろう。
取り巻きが変な忖度をしているのだと思う。
それがどこの誰かもわからない。
だからとても怖い。
もし天皇が「歴史と神話は切り離しましょう」とひとこと言ってくれたら、きっと日本の歴史学は急速な進歩をするのだと思う。

7月

31

サナト・クマーラ

30年くらい前、京都の鞍馬寺の奥の院で金星人が降り立った場所が記された碑を見た。
変わった碑があるものだと思っていたら、それからしばらくして知人がそこに行き、その金星人はサナート・クマラという名前だと言い出した。
どうやってそれを知ったのかは教えてもらえなかったが、印象に残った。
クマラという名が鞍馬寺の名の由来だとも言われた。
そんなことはすっかり忘れていたが、久しぶりに本の中にその名を見つけた。
中村元著『思想の自由とジャイナ教』に登場する。

ジュャイナ教哲学はサナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』に言及されている。

と書かれていた。
しかし、その前後にサナトクマーラがどういう存在で、「サナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』」という意味がわからないので検索してみた。
なんとサナト・クマーラのことがウィキペディアに書かれていた。
日本では「サナト・クマラ」「サナート・クマラ」とも表記されると書かれている。
しかし、「サナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』」の意味はまだわからない。

6月

30

自分の区別

ジャイナ教の認識論について学んでいくとなるほどと思うことがある。
そのひとつ。
何かについて学ぼうとしている人と、学ぼうとはしていない人のあいだの認識は違うということ。
当時のインド哲学でこのようなことをいうのはジャイナ教だけだったそうだ。
だからジャイナ教にはその認識の違いを表す言葉が存在する。
その認識の違いは「ある」といえばあるし、「ない」といえばないような程度のものだと、かつての僕なら考えたと思うが、『日刊 気持ちいいもの』を書き続けたおかげで、たしかにそれはあるなと思うようになった。
意味的にその違いが存在することは明確だが、「学ぼうとする」ことによって「あることに対する興味の時間的継続」が生まれ、それが感情に絡まり、認識が異なるものになるのだ。
これを知ることによって心という曖昧なものが受ける影響について考える足がかりがまたひとつ増えた。

5月

26

真実と物語

日本には古事記以来、天皇にまつわる物語がある。
日本にとってそれは大切なものだ。
伊勢神宮に行ったり、皇居でご奉仕したりして、それは感じている。
しかし一方で、歴史的事実も大切なもの。
古墳を調べると、被埋葬者が歴史的事実と、宮内庁が発表していることとの間に差があることがわかる。
歴史は歴史として調べ、日本の物語は日本の物語として保持することはできないのか?
多くの人はできないと思っているようだ。
事実がわかると皇室に危機が訪れると考えている人。
事実を知って日本を変えようとしている人。
いろんな人がいる。
こう考えてくると、真実と物語のどちらを大切にするかというよりは、それを利用して何かをしようとする人の問題だとわかる。
それを解決するのは難しく思えるが、ただみんなが節度を守ればいいだけのようにも思える。

5月

17

非二元意識

一時期スピリチュアルな人たちの間でも「ノンデュアル」として話題になっていた。
僕がその存在を知ったのは二十年以上前、ケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』にその言葉が出て来たから。
その本の中で何度も「非二元的な知の様式」などという言葉で登場する。
はじめて読んだときはフロムの「生きるということ」に出てくる「あるということ」のように、意味がわかったようなわからないような状態だった。
書いてあることは理解できるが、言っている本当のところが、僕の想像しているものと同一のものかどうか自信が持てなかった。
ところが、「非二元的」なことが、いろんな本のあちこちに登場していることが、これ以降少しずつ理解できるようになった。
あれから二十数年、いまではすっかり「非二元」の追っかけフリークのようになってしまった。
ヒーリング・ライティングを通して、それをかいま見るにはどうしたらいいのか、伝えられるようになりたい。
でも、そのまま伝えられるものではなく、だからこそ秘教と言われている分野に登場するので、本にしたところで正しく伝えられるものではないことは知っている。
それでも、それを求める冒険の入口に立てるような本にしたい。

5月

15

次代の天皇

現在の天皇は「国民の象徴」ということになっているが、自民党の憲法改正案では「元首」とするとなっている。
明治維新以降天皇は君主として統治していた。
「元首」と「君主」は何が違うのだろう?
古事記や大嘗祭を研究した工藤隆博士がその著書『古事記誕生』でこんなことを書いている。
短くまとめるので概念の大切な部分が抜け落ちるが、気になる方は中公新書の『古事記誕生』を読んで下さい。

日本は戦前、誇大妄想の神国日本像へとのめりこまされた。
敗戦後は逆に日本人のアイデンティティーを考えなくなり、心的空洞をもたらした。
日本の島国文化・ムラ社会には助け合い精神・忍耐力・自己抑制力などプラス面があるが、同時にムラの内側の論理がすべてにおいて優先されるので、外側からの視点を正確に把握できなくなることがある。
よって、文化人類学、考古学、古代史学、言語学、民族学ほか、さまざまな学問から得られた要素をインプットして、縄文・弥生期をホログラフィー的手法で立体的に浮かび上がらせることで古事記を研究することが大切だ。
そうしてはじめて日本は自分のオリジナリティーがどのようなものか知ることができるだろう。

このような考察を経てから、次代の天皇像を考える必要があるように思う。
政治家が利用するための天皇はいらない。

2月

29

スピリチュアルなこと

幼い頃から科学的に考えることが好きだった。
一生懸命理屈を追いかけた。
そうやって理系の大学に入った。
だけど、自分の気持ちというものは科学的には動かない。
なぜこんなことを僕はしたいのだろう?
なぜあの人が気になって仕方ないのだろう?
なぜ僕はここにいて、あんな方向に進もうとしているのだろう?
こういう疑問はちっとも科学的ではない。
スピリチュアルというものに向き合ったとき、いろんな理屈があることを知った。
もちろんカルトもある。
商業主義的なスピリチュアルも存在する。
なんだかまったく訳のわからないものもある。
そして僕はいろんな不思議なものに出会い、自分の道を進んでいる。
自分の道は未知である。
それを許容するしかない。

2月

10

亀塚古墳

古墳に興味を持つようになったのは、亀塚古墳に行ったから。
大分県大分市、丹生川の別府湾に注ぐ河口近くにある。
全長116m、後円部の直径64m、前方部の長さ52m、高さが後円部で10mという立派な古墳が、平成に入ってから復元された。
葺石で覆われた美しい墳丘に前方部から後円部まで登ることができる。
一番高い後円部に登ると、別府湾が見下ろせる。
たまたま行った日が「海部のまつり」の日で、古代衣装をまとった女性たちが、男性の楽士たちを引き連れ、たおやかな舞いを披露しながら古墳のまわりを歩いていた。

2月

8

古墳時代の謎

日本中に16万基もの古墳を造ったという古墳時代。
そんなにお墓を造ってどうするんだろうと思っていたら、とても合理的な説明をしている人がいた。
小名木善行という人。
こんな説明をしている。
「古墳時代と言われている頃に水田がたくさん造られました。
 水田は水路を確保するために水平な土地をたくさん造ります。
 そのために掘り起こされた土がたくさん出る。
 それを積んでおいたのが古墳になったのです。
 あるときから水田の規模が大きくなったので、大きな水田を造ったリーダーを祀るために、大きな古墳の頂上に葬るようになったのでしょう。
 しかも、水害が起きたときには古墳の高さが役に立ちます。
 避難所になるのです。
 そうやって水田技術が広まると同時に古墳も広まっていったのです。
 それが400年するとピタッとなくなるのは、水路が完備して、土砂を一カ所に溜めておく必要がなくなったからではないですか?」
日本中に16万基ものお墓を造り続けたという話よりは、こちらのほうが腑に落ちる。

2月

1

秩父遥拝

今朝、テレビをつけたら矢野顕子が民謡を歌っていた。
なんかいいなと思っていたとき、ふと「秩父遥拝」を思い出す。
笹久保伸さんが秩父の機織り歌やまりつき歌、雨乞いの歌などを集めてアルバムにしたもの。
もう歌われなくなってしまった歌ばかり。
笹久保さんは「秩父前衛派」というアート集団を主宰している。
武甲山の破壊をやめろと訴えながら、さまざまなアート活動をしている。
武甲山は石灰が産出されるのでセメント会社が掘り続け、山の形が変わってしまった。
毎年秩父夜祭で人々はその山を祀る。
秩父の町を潤すためにやせ細った山。
笹久保さんは「おかしいだろう」と訴えながら、いまはもうほかでは聞けない歌を声を絞り出すように歌うとき、隠されてしまった魂たちが咆哮を始める。
失われた山容、鉱石、泉、草花、動物、古事記の時代から伝わってきた物語や祀られた神々。
あなたには聞いてほしい、その咆哮を。

1月

6

不立文字

禅に不立文字という言葉がある。
意味は調べればわかるのだが、それこそその意味の真髄は伝えられない。
その真髄とは何かが少しずつわかってきた気がする。
「わかった」と言い切るつもりはない。

12月

7

歌垣の世界

折口信夫の本に歌垣という言葉が登場し、それがいったいどんなものか興味を持った。
長いあいだ忘れていた興味が、一冊の本によって解き明かされる。
工藤隆著『歌垣の世界』。
かつて日本にあった歌垣が、いまも中国雲南省の奥地に存在し、その研究と考察によって、日本についてのさまざまな示唆を与える。

令和の時代となり、天皇の儀式もかつてより報道されるようになり、憲法改正をするのならば日本人が考えなければならない天皇制というものについて、この本の最後に書かれていることはとても大事なことを伝えていると思うので、ここに転載する。

——
恋愛文化は『源氏物語』(1000年代初頭)に典型的であるように、王朝の物語世界でも、男女の恋愛をめぐるテーマを熟成させた。宮廷を舞台とする世界中の物語のほとんどは、政治的暴力の醜い権謀術数が展開される世界である。しかし『源氏物語』のテーマはあくまでも男女の恋愛である。

このような恋歌文化の強力な伝統は、長江以南諸民族の歌垣文化に発するものであり、しかもそれが日本においては、六〇〇、七〇〇年代の本格的国家建設の際にも継承されたということは、世界文化史上でも画期的なことであった。

もちろん恋愛と言うものは、合理的・現実的判断力(リアリズムの眼)が強すぎるときには生まれにくい。恋愛文化の伝統が強いということは、柔らかな価値観、だれかを恋い慕う思いなどに価値を認めようとする感性が強いということである。したがって、政治的な権力争い、国際政治における謀略的な闘いなどのリアリズムの眼が求められる場面では、しばしば判断ミスを誘う思考構造ともなる。

人間は、限られた生命を生きる存在であることを自覚しつつ、それでもなお生きることを選択して生きている以上、何らかの幻想や願望や憧憬を抱え込んで、いわばそれらを、生きることの栄養源にして生きていくのである。そのような幻想や願望や承継の最も甘美かつ魅力的な世界が恋愛であり、その表現形態の一つとして恋歌文化がある。したがって、長江以南少数民族の歌垣文化とその中心にある恋歌文化を、古代国家段階だけでなく二十一世紀の現代にまで伝えている日本文化は、それ自体で誇るべき世界文化遺産だとして良い。

しかし、他国と戦争するような場合にまで、幻想と願望と憧憬という、リアリズムから最も遠い意識に身をゆだねて行動をとれば、どれほど悲惨な結末を迎えるかは、一九四五年の敗戦までの日本軍部およびそれを心情的に支えた多くの日本国民が実際に体験したことであった。

11月

26

フランシスコ教皇の言葉

ローマ教皇が来日し、長崎、広島、東京と訪れた。
各地でミサを行い、言葉を残している。
核廃絶を訴え、戦争を撲滅し真の平和を希求した。
特に「生産性と消費への熱狂的な追求」についても批判した。
ありがたいことだ。
金銭を生み出さない「命の営み」に眼差しを向けるときが来た。

11月

11

弥勒菩薩

京都に行ったので、広隆寺を訪ね、弥勒菩薩に対面した。
諸仏に守られ、薄闇の中に佇む弥勒菩薩。
背中には千手観音。
外に出ると苔に囲われた池に日の光がきらきら。

10月

1

ケーヴァラ・ジュニャーナを空想する

ジャイナ教において完全智と呼ばれるもの、それがケーヴァラ・ジュニャーナ。
ケーヴァラ・ジュニャーナは人間には得ることができない。
せいぜいアネーカーンタヴァーダを得るところまで。
アネーカーンタヴァーダとは、多元的観点。
完全智は、人間の感覚では感じられないものも含む、人間には到底得られない知恵。
でも、そういう知恵とはどういうものか、無理だと知っていても考えたくなる。

8月

17

ケルトの魂

『ケルトの魂』という本をいただいた。
鶴岡真弓の対談集。
20年以上も前にアイルランドに行った。
また行きたいなと思う。
キリスト教が入る前のアイルランドは多神教だった。
その影響がキリスト教が入っても残り続ける。
一神教というのは政治的にはいい宗教かもしれない。
人民を統一しやすいから。
でも、暮らしている人にとっては多神教のほうが暮らしやすいように思う。
いろんな視点が混在することが許されて、それでなんとか折り合いをつけていくから。
宗教学では多神教が進化して一神教になるというような説があるようだが、それがまた多神教に戻るのがいいように思う。
せめて戻らなくても、ケルトのように混在するとか。

6月

1

古墳時代

僕が小・中学生くらいの頃には、古墳時代という区分はなかったように思う。
縄文・弥生・飛鳥・奈良・・・となっていたはずだ。
弥生と飛鳥のあいだにいつの間にか古墳時代が入っている。
いつからなんだろう?
古墳は全国になんと16万基以上ある。
古墳時代はだいたい400年ほどだから、単純に計算すると年間400基の古墳が作られていったことになる。
僕はそれがとても不思議なことだと思う。
かつて仁徳天皇陵と呼ばれた古墳が世界遺産の候補になっている。
それはきっとめでたいことなんだろうけど、本当にめでたいのかどうかは立場によるようだ。
世界遺産に認定してもらうために大山(仙)古墳と名前を改めた。
つまり仁徳天皇の陵ではないことがわかっているから。
さらに日本の文字の発生はこの頃だと言われている。
漢字が渡ってくる以前、日本には神代文字というものがあったという主張があるが、学術的にはまだあまり認められてない。
神代文字は何種類もあり、立場によって主張が微妙に異なるため学術的に認められないようだが、存在したことは確かなことのように思われる。
なぜなら、400年のうちに16万基の古墳を作るのであれば、その作り方等を文字文書にしてないはずはないと思うからだ。
古墳を作る技術にはたくさんの知識が必要だろう。
それを徹底させるための文書があり、それを多くの人が目にして読み、それを人夫たちに伝えない限り、あのように巨大な構築物は作れないのではないか?
しかも、毎年400も。
その文書がすべて漢字であったのだろうか?
もしかしたら大陸から信じられないほどたくさんの人たちが日本に押し寄せてきたのだろうか?
そして、大陸から来た人たちと、もとからいた日本の人たちとの混血が始まったのだろうか?
大陸と日本の言葉がクレオール化したものが日本語となったのだろうか?
日本語に漢字が使われているのは、そういうことなのかもしれない。
謎がたくさんあるって、なんかワクワクする。

5月

31

神道と仏教

原始仏典と大乗仏典では、言葉は違うかもしれないが、概念としてはほぼ同じことを言っているのではないかということが、否定されたり肯定されたりしている。
それが不思議だったのだが、なぜそのようなことが起きたのか、やっと理解できた。
昔、仏教が成立した時代は、インドにたくさんの聖者がいて、それぞれの法(ダルマ)を説いていた。
バラモン教という源流があり、そこから派生した宗教の一つが仏教だった。
仏教はその頃ライバルだった他の聖者を六師外道と呼んだ。
四師の教えは時代とともにほぼ消滅したようだ。
マッカリ・ゴーサーラのアージーヴィカ教は13世紀頃迄続いた。
マハーヴィーラーのジャイナ教と仏教だけが現在まで続いている。
ジャイナ教はインドに根付く民族宗教に、仏教は世界宗教になった。
バラモン教やジャイナ教の聖典を読み、世界宗教史などを紐解くと、仏典だけ読んでいてはわからないことを多く知ることになる。
それで謎が解けた。
わかってしまえば簡単なこと。
ブッダが生きていた頃には六師外道たちと戦うために、いろんな理屈を否定していた。
ところがブッダが入滅し、弟子たちが悟りを得てテラワーダから大乗仏教へと変化していく頃、かつて否定した理屈を取り込んで、さらに深甚なものにしていった。
その結果を僕たちは読んでいるのだ。
日本における神道と仏教の関係に似ている。
大化の改新前後に戦っていた神道と仏教の派閥は、長い年月の間に境目を薄くしていき、いつしか一体となる。
それを明治になって政府が政治利用するために分離した。
何百年もかけて出来上がってきた教えは数年の研究で解体され、政治が利用できる形態になった。
宗教と言うものは、何百年という単位で見ない限り、いいものかどうかはわからない。
即席で作ったものの価値がわかるのは数百年後。

5月

28

アネーカーンタヴァーダ

ジャイナ教に「アネーカーンタヴァーダ」という考え方がある。
一言でいうと多元論と価値の多様性の原理。
三冊の本を読み比べて、どういうことかを探ってみた。
しかし、不明なことがまだ多い。
アネーカーンタヴァーダを比較的きちんと説明しているのはなんとウィキペディアだった。
インターネット万歳。
多次元リフレーミングの内容が濃くなった。

5月

27

菩薩行を生きる

2010年頃に『チベット仏教・菩薩行を生きる』という本を読んだ。
いい本だった。
『入菩薩行論』という仏典の翻訳だ。
2016年にダライ・ラマ法王が日本でその説教をした。
そのときの録画がこちらにある。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p4367/
ひさしぶりにその本を取り出し読み、なるほどなぁと思う。

5月

22

わが世の旅をうるはしと思ふ

耆那教聖典のことを五月九日に書いたが、その本の最後に「故鈴木重信君を憶う」という文があり、それが16ページにもわたっているので読んでみた。
耆那教聖典には「瑜伽論(ヨーガ・シャストラ)」「入諦義経(タットヷ−ルター・ディガマ・スートラ)」「聖行経(カルパ・スートラ)」の三典が入り、付録として三典の注釈と「耆那経論」が入っているが、目次にはその文、つまり「故鈴木重信君を憶う」のことは書かれていない。
本の扉を開き、1ページ目に「耆那経聖典」と、きれいな枠囲いに書かれていて、次のページにただ一行「訳者 鈴木重信」とある。
凡例にこのようなことが書かれていた。

耆那教の所謂聖典は、前顕の三典のみならず、尚ほ別に多くを存す。訳者鈴木重信氏は、昨夏本会の嘱に応ずるや、同教の根本的信仰と行事とを伝ふるものとして、行支経(アーチヤーランガ・スートラ)、優婆塞十経(ウヷーサガ・ダサーオ)の二典、大優の伝記を語る聖行経(カルパ・スートラ)、同教倫理の要諦を説ける瑜伽論(ヨーガ・シャーストラ)、同教の哲学的作品たる入諦義経(タットヷ−ルター・アディガマ・スートラ)の三典、合して五典を翻訳するの胸案を抱けり。而かも訳者は、その時既に業に不治の難症に悩み、瑜伽論、入諦義経の二典を訳了し、漸く僅に聖行経の初三四葉に筆を染めたるのみにて、流星の虚を逸するが如くにして逝けり。訳者は文才煥発、学会稀に見るの秀才たるに加え、刻苦精励倦むを知らざるの士なりき。今や亡し、痛恨何ぞ勝えん。

鈴木重信氏は31歳で亡くなったそうだ。
16ページにわたる「故鈴木重信君を憶う」には、鈴木氏がいかなる人だったかが書かれ、最後に三典を訳出したノートに書かれていた和歌が紹介されていた。

月一つ古城の雨の夜半に晴れて
     わが世の旅をうるはしと思ふ

5月

21

大乗起信論

ひさしぶりに「大乗起信論」の現代語訳を読む。
以前はよくわからない部分があったが、いまではすっきり理解できる。
何度も読んだし、解釈するためにいろいろと考えた。
ヒーリング・ライティングにその考えが反映されている。
お世話になりました。

5月

9

耆那教聖典

埴谷雄高が「死霊」を書いたきっかけとなったという「耆那教聖典」を手に入れた。
世界聖典全集の前輯第七巻。
大正九年に出版され、十四年に四版となったものだ。
ジャイナ教の本としては日本ではじめてのもの。
折口信夫もこの全集の刊行に関わっていた。
94年も前の本だから、どんなに古いものが届くかと心配だったが、案外きれいな本だった。
きっと凄く高いだろうと思ったが、普通の書籍とかわらない値段で安心した。
表紙も裏表紙も凝っていて素敵。
読むのが楽しみ。

3月

6

世界宗教史

ちくま学芸文庫ミルチア・エリアーデ著の『世界宗教史』を再読している。
いま四巻まで読んだ。
全八巻なのであと四巻。
一度読んだだけではスルーしていたことがやっとはっきり理解できるようになった。
きっと読めば読むほど発見があるだろう。
これら八巻を読んでわかったことは、宗教は急には発達しないと言うこと。
ある宗教が台頭したとき、そのすぐ前にはその宗教のベースとなる考えがすでにあり、それが何かのきっかけで広まると言うこと。
新興宗教が広まるということは、その直前に何かその宗教のベースとなる考えが、または、その宗教が必要とされる状況が、すでに暗々裡に広がっているということ。
聖人が急に出てきて人々に影響を与えるだけではないということ。

2月

27

神様はいてもいいし、いなくてもいい

あるとき、神様はいるのかいないのかという話になって、みんないるとかいないとか意見を言い合ったのですが、僕はなぜか「いてもいいし、いなくてもいい」のではないかと思ったのです。
でも、なぜそう思うのかがうまく説明できなかった。
「神様はいるという人がいるし、そうは思わない人もいるから」とは考えたけど、まだあまりうまい説明ではないなと感じていた。
それが、2月24日に秩父でおこなわれた「武甲山未来フォーラム」に参加して、哲学者の内山節さんの話を聞いて、思わず膝を叩いてしまった。「なるほど」と。
そこで内山さんはこんな説明をしたんです。
「ヨーロッパの考え方は霊というものが存在してそれが人や社会を守っていると考えた。ところが日本ではそのようには考えなかった。どう考えたかというと、かつて生きていた死者がいる。その人とどのような関係を取り結ぶのかが重視された。神様を大切にする人には神様との関係ができて神様がいるし、神様なんかいないという人には神様はいない。世の中に男と女はたくさんいるが、夫や妻は一人だけ。それはその人と関係を結んだから。それと同じ」
ひとつの謎が解けてすっきりしました。
この講演の概要はこちら。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/190225-01/