5月

31

抑圧からの解放

ひとは抑圧から解放されていく。
もしそうでなかったら、ひとはこれからますます暴力的になっていくだろう。
インターネットのおかげで万能感が与えられ、それにも関わらず抑圧され続けることで、ひとは心の中に鬱憤を溜めていく。
鬱憤を溜めない人になるために、何が必要か?
それを各個人が自分で考えていかなければならない。
制度で決められたものには不満が生まれる。
だから、他人が決めてもあまり意味がない。
自分が自分の内側の抑圧を、自分で解放していくしかない。
そうなるとエゴばかりのひとが現れてくるという恐怖を抱える人がいるが、そうはならない。
出し切るまでの間、エゴのかたまりのようなひとが現れるかもしれないけど。
人類は抑圧から解放されることで、以前には想像もつかなかったものを生み出すだろう。

5月

30

過去と未来

過去も未来もどこにもない。
ただ「いま」があるだけ。
過去は「いま」思い出したこと。
未来は「いま」空想したこと。
美しい過去も悲惨な過去も「いま」それを作っているだけ。
美しい未来も悲惨な未来も「いま」それを作っているだけ。
どんな過去や未来を作るのか?

5月

19

世界の人口

世界の人口77億4千万。
もうすぐ77億5千万。
産業革命が起きた頃から、人口は爆発的に増え続けている。
2055年には100億に達し、その後増加の割合は緩やかになるが、2100年頃に110億でピークに達するだろうと言われている。
1億に達するのに20万年かかったが、そこからたった200年で7億になった。
だから人口をコントロールしなければならないというが、生物の増加はままならないもの。
人間の生き方を変えるべきだろう。
いかにエネルギーの消費を減らすか。
AIのサポートでそれを可能にするとき、きっと社会のあり方も変わっていく。
狩猟社会から農耕社会に変わったように、農耕社会から工業社会に変わったように、工業社会から情報化社会に変わったように、次の社会はAI社会になる。
いまのままの社会で100億を超えることはできないだろう。
人々が生き生きと暮らし、あらゆる生物が共生し、どんな生命もおろそかにされないような地球を、実現できるのだろうか?
生物との共生がもし無理だとすると、おそらくAIによって人間はほぼ絶滅する。
もし生物との共生が可能になれば、AIとの共生も可能になるだろう。
生命もAIも共存できるビジョンを作ろう。

5月

17

非二元意識

一時期スピリチュアルな人たちの間でも「ノンデュアル」として話題になっていた。
僕がその存在を知ったのは二十年以上前、ケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』にその言葉が出て来たから。
その本の中で何度も「非二元的な知の様式」などという言葉で登場する。
はじめて読んだときはフロムの「生きるということ」に出てくる「あるということ」のように、意味がわかったようなわからないような状態だった。
書いてあることは理解できるが、言っている本当のところが、僕の想像しているものと同一のものかどうか自信が持てなかった。
ところが、「非二元的」なことが、いろんな本のあちこちに登場していることが、これ以降少しずつ理解できるようになった。
あれから二十数年、いまではすっかり「非二元」の追っかけフリークのようになってしまった。
ヒーリング・ライティングを通して、それをかいま見るにはどうしたらいいのか、伝えられるようになりたい。
でも、そのまま伝えられるものではなく、だからこそ秘教と言われている分野に登場するので、本にしたところで正しく伝えられるものではないことは知っている。
それでも、それを求める冒険の入口に立てるような本にしたい。

5月

12

妄想する

アフターコロナがどうなるか、妄想する。
根拠なんてなくていい、自分のとっていい社会とはどういうものか。
あまりにも利己的な社会を想像するのは無駄なことだ。
自分にとっていい社会といいつつ、実現する可能性を持たせるためには他人にとってもいい社会でなければ妄想するエネルギーが無駄になる。
面白い。

5月

11

生活が変わる

新型コロナウィルスのおかげで、多くの人が「世界が変わる」「生活が変わる」と言い出した。
どんな風に変わるのか、僕なりに妄想する。

みんなが好きな仕事をして生きていくことができるようになる。
政治は国民のサポートに徹し、国民のニーズにことごとく応える。
必要なものはたいていいつでもどこでも手に入る。
すべての人が本当によい教育を受けることで、世界中の民度が上がる。
民度が上がることで誰も他人を馬鹿にしないし、差別しない。
時間がたくさんあるから、いろんな国のいろんな言葉を学び合うようになる。
世界中の人々がネットで仲良くなって実際に会いにいくから、移動手段が必要になるが、地球からエネルギーを搾取しないように自転車や帆船での移動が多くなる。
帆船が増えると古代航法も復活し、ネットのやりとりと一緒にテレパシーでのやりとりも増えてくる。
電気は太陽発電や風力発電で、各家庭で必要な量を発電する。余ったら電力会社に売る。

妄想楽しいので止まらなくなりそう。

5月

8

競争を手放す

別に無理に手放すことはない。
まわりがみんな競争していたら、それに乗るしかないかもしれない。
でも、立ち止まってよく考えてほしい。
何のために競争をしているのだろう?
豊かになるための競争ならいい。
でも、どうも豊かになるためというよりは、誰かを踏みつけて上にあがりたいというふうに見えてしまう。
誰かより少しでも早く何かをするとか、効率的に何かを得るとか。
そういう人をまったくなくそうとは思わないけど、そういう人ばかりというのはなんか違うような気がする。
ほかの人にはない、オリジナルな自分を求めていきたい。

5月

7

ノヴァセン

ガイア理論を提唱したジェームズ・ラヴロックが99歳にして『ノヴァセン』という本を出版した。
簡単に書くと、人間も自然の一部なので、人間が作り出すAIも自然の一部であり、そうだとするといままでの生物が従ってきた法則に則るはずであり、人間の勢いがたとえ衰えても、AIが次世代を担うだろうという、明るいのか暗いのか判断が難しい未来について書いた。
人間が生き延びるかどうかについては、多分生き残るけど、覇権を握るのはAIになるだろうという。
僕もそうだろうなと思うし、まわりの友人たちにはその話をずっとしてきた。
いろいろと批判もされるが、なぜそうなのかという説明をしだすと長くなる。
ラヴロックはその説明の大部分をはしょっている。
賛成派と反対派に分かれるだろうなと思うけど、賛成しようが反対しようが、そうなるときはいつか来る。

4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

4月

22

チャンスは来るときに来る

いろんな人がアフター・コロナに備えろという。
でも、具体的にどのように備えれば良いのかはわからない。
トイレット・ペーパーを備蓄する?
違うでしょう。
食べ物の備蓄?
でも、流通が滞らなければ無駄足だよ。
かえって備蓄が理由で市場では不足するかもしれない。
新しい仕事を作る?
どんな?
そうやって焦りや不安に苛まれていく。
もし困ったことが起きたら、それに対処するための仕事を作れば良い。
何が困ったことになるのかわからないうちは、今できることをすること、楽しむこと。
もしきっとこれに困るなと思ったら、その準備をすればいい。
それは、サーフィンで波を待つことに似ているかもしれない。
どんなに騒いでも、どんなに懇願しても、どんなに夢に見ても、波が来るときは来るし、来ないときは来ない。
波が来るというのは、観察していればわかる。
観察を怠らず、波が来たら乗る。
それまでは、いまを楽しみましょう。

4月

22

日常

乗りたいときに電車に乗り、行きたいときに行きたい場所へ行く。
会いたいときに会いたい人に会い、食べたいときに食べたいものを食べる。
したいときにはくしゃみをし、したいときにはいくらでも咳き込む。
マスクなんか気にせず、友達の正面に座っていつまでもしゃべる。
泳ぎたいときに泳いで、走りたいときに走る。
そういう生活の素晴らしさをしみじみと味わう。

4月

14

新型コロナウィルスにより得られた気づき

人間は地球の環境を搾取してきた。
どんな注意も警句も聞き入れられなかった。
どれほど環境をけがしても、地球は自浄するものとたかをくくっていた。
そのバランスの悪化が新型コロナウィルスを生み出した。
謙虚にことに当る必要がある。
自民党の幹部が「これで持たない企業は潰すから」と発言したことを自民党安藤裕議員が明かした。
安倍首相は昨日の自民党の役員会で「休業に対して補償を行っている国は世界に例がなく、わが国の支援は世界で最も手厚い」と強調したとNHKが報じたが、明らかなウソだ。
ドイツにもイギリスにも休業補償がある。
そんなこと言ってると地球に浄化されるよ。

4月

9

無意識の働きに気づく

無意識は普段気づくことができない。
「あ、これ無意識だ」と思ったら、それはもう無意識ではない。
だから無意識の議論は難しいし、自分自身の無意識に気づくことも難しい。
だけど、毎日気持ちいいものを書いていると、あとから無意識の働きに気づくことがある。
それは、偶然かもしれないし、シンクロニシティかもしれないが、無意識の働きだと考えることもできる。
たとえば、この「日刊 気持ちいいもの」を再開した日に311が起きた。
偶然ともいえるし、シンクロニシティともいえるし、無意識の働きだともいえる。
同じように、今年に入って、なぜか朝日を浴び続けていた。
天気が良くて朝日がきれいな日に、ベランダに出て、上半身は作務衣一枚で朝日を浴びていた。
なんでそんなことしているのかよくわからなかったが、なんとなく気持ちいいのでしていた。
そしたら、二月後半からコロナ騒ぎだ。
日を浴びるとビタミンDが生成されて、感染症予防に効くらしい。
偶然かもしれないし、シンクロニシティかもしれないし、無意識の働きかもしれないが、僕は無意識の働きだと思い、そういう気づきを与えてくれているサムシンググレートに感謝する。

4月

2

傲慢であること

新型コロナウィルスがたとえ生物兵器であっても、それは自然が生み出したもの。
人間は、自分が自然の一部であることを忘れている。
自分自身が自然であることを知れば、何ごとも自然がおこなっていることと知ることになる。
自分だけは自然の摂理からはずれていると考えるのは傲慢なこと。
しかし、この傲慢でさえ、自然の摂理からははずれられない。

3月

25

桜が咲く

また今年も桜が咲き出した。
そうするとカメラを持ち出しパシャパシャ撮り始める。
もう飽きるほどに撮ったのに、それでもまだ撮る。
撮れば撮るほど、美しさの奥行きが広がる。

3月

18

気持ちいいを引き寄せる

ひさしぶりにこの『日刊 気持ちいいもの』を再開した日、東日本大震災が起きました。
朝に創刊号を発信し、昼過ぎに大地震が起きたのです。
それから数ヶ月は苦痛や困難を感じながら「気持ちいいもの」を発信しました。
とてもいい修行でした。
いまもまた似た状態になってきました。
何か大きな発見があるのかも。

3月

17

気持ちいいものを言語化する

花を見てきれいだなと思う。
よくあることだ。
だけど、悲しみに沈み込んでいては、花の美しさは見えてこない。
あまりにも浮かれていても、きっとその美しさは訴えてこない。
花を見てきれいだと思える状態に自分がなっていないと、花の美しさはわからない。
同じように、この世界にあるありとあらゆるものの気持ちよさは、自分がそれを受け取れる状態にないと受け取れない。
4084回も気持ちいいものを書いてきて、それがどういうことなのかを少しずつ理解してきた。
ときどき気持ちいいものが書けないことがある。
そのときに一番深く学んでいる。
気持ちいいものが感じられないとき、不快かというとそうでもない。
何かショックなことがあると書けないことがある。
しかし、ショックもなく、不快でもなく、それでも書けないときがある。
書けるときは、心のどこかに「書ける」というビジョンがある。
ビジョンというか、思い込みというか、信念というか、そういうものだ。
それは心に火がついた状態ともいえるし、ワクワク感ともいえるけど、ときによって少しずつ違い、とても落ち着いた気分でも書けることがあるし、不快という気持ちを抱えて書くときもある。
それがいったいどういう状態なのか、そのときどきで味わいながら書いている。
いろんな気持ちのよさがあるのと同様、いろんな状態がある。

1.気持ちよい体験を思い出すことによって書く。
2.気になった感覚を気持ちよいという側面から書く。
3.気持ちいい感覚がここにありそうだと当たりを付けて、それを気持ちいいものとして書く。
4.それが気持ちいいかどうかまったく疑問ではあるが、表現することによって気持ちよさが表れてくる感触があるので書いてみる。

こうして僕は「気持ちいいもの」に対しての目の開き方を学んでいる。

3月

16

意味のプリズム

あらゆる意味を僕たちは手にしている。
そのこと自体を思い出せばいいだけ。
今日、このとき、今の自分の立場によって呼び出される、いま見ている景色、解釈、意味。
それはまるでプリズムを通した光のように、自動的にもたらされる意味の無限色。
いまここで感じることは「今これしかない」と教え込まれてきた僕たちには、無限色のうちのひとつしか見ることができない。
時空を超えて光を見るためには、ちょっと工夫があればいい。
それを得た人は執着を手放し、別の世界に旅立つ。
いままでと同じに生きたい人は、そうすればいい。
別の未知に往きたい人はそうすればいいし、また別の道に逝きたい人はそうすればいい。
この宇宙での正しさは、音楽のように意味が曖昧。
それぞれの正しさがあっていい。
それは「正さ」というより「美しさ」と言った方がいいのかもしれない。
魅せられた人には絶対的な美しさになり、波長の合わない人にはまったく理解できない。

3月

16

新しい幻想を作る

幻想を手放そうと考えると、別の幻想が現れるだけ。
西遊記の孫悟空が、お釈迦様の手のひらから逃げられないのと同じ。
エリアーデの『世界宗教史』を何度か通読した。
そこで伝えられる大切なことのひとつ。
まったく新しい教えというものはほとんど流布しない。
必ずその時代に通底する教えがある上に、少しだけ新しい部分がある教えがあるとき爆発的に流布する。
きっと僕たちが手にする新しい幻想も、すでにある教えに似ているもの。
そして、どこかわずかにこの時代にフィットする新しい部分がある。

3月

16

幻想を手放す

幻想を手放すことにした。
そのためには、まず幻想とは何かを知らなければならない。
そう考えると、言葉で考えること自体が幻想であることに気づく。
言葉はそう簡単には手放せない。
どうする?
なんか笑える。

2月

29

スピリチュアルなこと

幼い頃から科学的に考えることが好きだった。
一生懸命理屈を追いかけた。
そうやって理系の大学に入った。
だけど、自分の気持ちというものは科学的には動かない。
なぜこんなことを僕はしたいのだろう?
なぜあの人が気になって仕方ないのだろう?
なぜ僕はここにいて、あんな方向に進もうとしているのだろう?
こういう疑問はちっとも科学的ではない。
スピリチュアルというものに向き合ったとき、いろんな理屈があることを知った。
もちろんカルトもある。
商業主義的なスピリチュアルも存在する。
なんだかまったく訳のわからないものもある。
そして僕はいろんな不思議なものに出会い、自分の道を進んでいる。
自分の道は未知である。
それを許容するしかない。

2月

28

前世でしてたこと

そもそも前世というものが本当にあるかどうかわからないが、あるとしたらきっとこれをやっていただろうなと思うことがある。
それは、写本だ。
文章を書き写していくだけの単純な作業だが、引用などでそれをしているとなぜか落ち着く。
しかも、幼い頃に兄がどこかから買ってきたレタリングの本に夢中になった。
百種類程度の異なる字体で書かれたアルファベットが、ただ羅列されているだけの本。
そこの字体を真似てみたり、参考にして自分なりの字体を作ったりもした。
当時はただ面白いからとやっていたけど、大人になって「なんでそんなことに夢中になっていたのだろう?」と思うようになって、そうか前世でしていたのかもと思うようになった。
科学的に本当のことではないけれど、僕の心に馴染むことなので、きっと本当のことだ。

2月

27

切断

コリーヌ・セロー監督の映画「美しき緑の星」に「切断」という概念が出てくる。
どこか平和な星からやってきた主人公が地球で「切断」と宣言すると、そこにいた人たちは地球の文化から解き放たれて、生命が本来持つ輝きを発し始める。
たとえば、コンサートで奏者たちが切断されると、そこから演奏は即興となり、居合わせた人がみんな踊りだす。
サッカー会場で切断されると、選手たちがその場で踊ったり、ボールを手で持って走ったり、大はしゃぎする。
何か思い込みがとても激しい人が切断されると、その人は生き生きとし始める。
無理に切断することもないけど、たまには切断するのもいいかも。

2月

26

変化

夢の話をFBに書いたら、友人が「僕も最近よく夢を見るようになった」という。
何かが変化しつつあるのかも。
その何かは、集合無意識に関わる何か。

2月

26

武士の心

昔、こんな話を聞いたことがある。
切腹を決めた武士が前夜すやすやと眠っているのを見て、切腹の朝、息子が聞いた。
「父上、本日切腹の儀、恐ろしくはないのですか」
「切腹するまではなんの恐ろしいこともない。いまは朝ご飯がおいしいだけだ」