10月

25

ナイト・レインボウ

本を整理していたら「Tales from the night rainbow」という本が出てきた。
No.04584に書いた「夜の虹」について書かれた本。
山崎美弥子さんに確かめたら、「はい。この本です」とのこと。
20年近く前にすでにその話に触れていたのに気づかずにいた。

10月

5

正直化

世界の正直化が進んでいると思う。
かつては「このくらいいいだろう」で済んでいたことが、済まなくなってきている。
それはいいことであり、一面では悪いことでもある。
たとえば、遺伝子の染色体が一度にたくさん変化すると、そこは癌化されてしまうという。
そういう現象をクロモスリプシスというそうだ。
染色体が変位するのはよく起きることで、それを修復したりそのままにしたりして細胞はわずかずつの変化を受け入れていくが、一度に大きな変位が起きるとそのことによって癌が生まれる。
それと似ていて、社会もかつて「このくらいでいいだろう」と思われていたところを一度に正直化すると、いろんなところにがたが来るのではないかと思う。
それが一面の悪いことだ。
全体の調和を崩さずに正直化を進めるためにはある程度の許容が必要だと思うが、その許容の度合いをどうやって決めるのかが難しい。
癌を観察するのに、染色体レベル、細胞レベル、肉体レベルと視点の階層が必要なように、正直化を進めるのにも、言語レベル、個人レベル、家族レベル、組織レベル、社会レベルと、階層を設けて観察しないと、きっとうまくいかないだろう。

9月

29

真実を味わう

真実はプリズムのようにいろんな光を放つ。
たったひとつの真実なんて、きっとどこにもない。
いろんなものに見える真実を、真実だと認めたら、それを表現する言葉はきっといろんなものに見える。
他人に理解してもらうためには、大雑把に括らなければならない。
それを真実だと信じるのは、その人のセンスによる。

9月

18

打ち上げの本当の意味とは

夢を見た。
何度か見た夢の続きのようだ。
でも実際にその夢を何度か見たのかどうかはわからない。
そういう感じがするだけなのかもしれない。
その夢の中で、「打ち上げの本当の意味」を探すことになる。
何かに一区切り付いて、打ち上げをするのだが、きちんと打ち上げようということになり、いったい何をすればいいのか悩むことになる。
その悩みの最中に知り合いが建物を建てたという。
建物の大きな壁面に何かを描きたいのだが、知らない人が勝手にいろんなことを描いていく。
「いったい私は何を描けばいいのか?」と質問される。
緑のような青のような深い色をしたその壁面はタイルで覆われていたので、黒いペンキで描いてもあまり目立たない。
何が描かれているのか知るために目を凝らす。
そのときに「打ち上げの本当の意味」を知る。
エリアーデによれば、祭は始原の時に戻ること。
神様がかつておこなった行為を繰り返すことが本義だという。
そのおかげで円環の時を人々は生きることになる。
それが「進化する歴史的な時」に変更されたのはキリストのおかげだという。
僕たちは進化する時の中で生きている。
僕たちにとっての「打ち上げ」とは何か?
打ち上げ花火は地上という二次元から、高さを得て三次元になる。
きっとその視点は神のものだったのだろう。
それを繰り返すのは円環の時を過ごす人々がすればいい。
「進化する時」を過ごす僕たちは、新次元を得るのが「打ち上げ」。
そう閃いて目が覚めた。

9月

16

気持ちの多様性に気づく

身体にはいろんな細胞がある。
皮膚になっている物もあれば、臓器になっている物もあるし、骨になっている物もある。
そのようにいろんな細胞が存在して複雑な連携を作っている。
それと同様に、気持ちにもいろんな気持ちがある。
具体的なある選択をするときに、気持ちの多様性に気づくことができる。
ある選択をしようとするとき、立場の違いを考えることによって導かれる選択が異なる。
親として、子として、師として、弟子として、自分の職業的立場などから選択をするとき、それぞれの選択が異なる場合があることに気づく。
さらに、いつも同じ立場からの選択しかしないと、その立場からの選択がしやすくなるように感情が変化していく。
いつもひとつの立場からの選択しかしないと、ほかの立場からの選択の際の感情はどんどん感じられなくなっていく。
もしそれを避けたいなら、ほかの立場からの選択もきちんと考え、その感情を味わうことが必要だろう。
そうしないと利己的で冷淡な人に、他人からは思えるような人になっていく。
多元的な感情を味わう人ほど、他人から見ると愛情豊かな人になる。

9月

15

多様性を取り込む

多様性が大切な時代になってきた。
自分の考えに多様性を取り込むためには何をすればいいのか?
一番最初の入口は「他人の気持ちになってみる」。
それは小説や脚本を書くといい。
主人公の気持ちになり、脇役の気持ちになり、ほんの一瞬しか登場しないキャラクターの気持ちになってみる。
いろんな発見がある。

9月

6

ベルクソンの『笑い』

確か大学生の頃、ベルクソンの『笑い』を読んだ。
当時の僕にはつまらない本だった。
だけど何かがひっかかった。
後日、うちの書庫にあった「世界の名著」のベルクソンの巻を手に取った。
理解できないのに何かに惹かれる。
何に惹かれたのかよくわからない。
その何かよくわからないことが次第に明確になってきた。
でも、それを言葉で説明するのは難しい。
僕自身が理解できるように書き残しておくと、複雑系における「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」と非二元的知覚による選択とは似ているのではないかと言うこと。
このように言語化しておくと、いろんな誤解が生まれるであろうことは予想できる。
後日、自分で読んでも誤解するかもしれない。

8月

30

肩身の狭い富裕層

2020年9月に Oxfam International から驚きのレポートが発行された。
https://bit.ly/3mIMTVT
「世界人口の上位10%の富裕層(約6億3,000万人)が、25年間の世界排出量の約52%を占めている」
これが真実だとしたら、90%の人たちがどんなに努力しても報われないことになる。
レポートの中には50%の貧困層が出している二酸化炭素はわずか7%だとしている。
さらに40%の中間層が41%の二酸化炭素を出している。
つまり問題は富裕層と中間層だ。
日本人は多くが中間層だろう。
異常気象の原因が本当に二酸化炭素の濃度上昇だとしたら、僕たちは何をすべきか?
富裕層には何をしてもらうべきか?

8月

26

夜の虹

ハワイ・モロカイ島在住のアーティスト山崎美弥子さんは2020年1月1日から三日間、毎晩夜の虹を見たそうだ。
夜の虹は月の光でできる白い虹。
ハワイでは夜の虹は先祖からのメッセージだと考えられ、それを見ると夢が叶うそうだ。
滅多に見られないその虹を、三日連続で見てしまった山崎さんは、「Night Rainbow」という個展を開く。
9月6日まで青山スパイラルでおこなわれている。
山崎さんはここ十数年、千年後の世界を描き続けてきた。
それはモロカイ島の朝焼けや夕焼けの風景にしか表面上は見えないのだが、そこには千年後に世界中の子供たちが幸せに暮らしているビジョンが込められている。
三晩にわたる夜の虹は、その願いが叶うものとして現れたという。

8月

24

ワクワクするエネルギー

何かにワクワクすることはいいことだ。
ワクワクしているといろんなアイデアが浮かびやすくなる。
だからワクワクするために何かを準備しておくことは大切なこと。
たとえばこの「日刊 気持ちいいもの」は、僕にとってワクワクのための準備であり考察であり、体験の反芻場所だ。
ワクワクのエネルギーが枯渇すると、かつて書いた文章を読む。
するとワクワクの種が復活してくる。
だけど、そうは行かないこともある。
まさにそのとき、大切な内的探求が始まる。

8月

23

気持ちいいもののレベル その3

気持ちいいもののレベル その2 の続き

「そういう気持ちよさは単なる思い込みではないか」という人もいるだろう。
もちろんそういう表現はできるし、その言い分に反対するつもりはない。
しかし、そもそも気持ちいいものは、自分の感情であり、そのなかに一抹の思い込みも含まれる。
「思い込みはすべて否定する」という考えのもとでは、「気持ちいいもの」の存在は危うい。
「気持ちいいもの」の存在は、自分がそれを許すかどうかに大きく依存している。
この話はいつかきちんと本となるような分量の文章にまとめたい。

8月

22

気持ちいいもののレベル その2

気持ちいいもののレベル その1 の続き

さらに、自分の内側に生まれるレベルのほかにも、外側に作り出す気持ちよさもある。
たとえば映画を見ているとき。
映画の主人公が気持ちよさを感じるのに共感して、気持ちいいと感じることがある。
その気持ちよさは明らかに自分の外側に生まれた気持ちよさを自分の内側に取り込んでいる。
そういう気持ちよさが僕たちにはある。
それが理解でき、また感じることができるのであれば、自分の内側から生まれる気持ちよさだけではなく、外側にできたある状況に共感して感じる気持ちよさがあることを理解することができる。
それは何も外側にいる人物に対してだけ向けられるものではなく、動物や植物、あるいは物に対しても向けられることがある。
人形を撫でながら気持ちよさそうにしている女の子はその状態にいると言える。
人形を撫でることで人形という物に生まれるであろう気持ちよさを自分が取り込んでいる。
このような外部にある物に生まれるであろう気持ちよさの取り込みは、どんな物にもそこに付与する物語によって生み出すことができる。
だから極言すれば「地球の気持ちよさ」も「宇宙の気持ちよさ」も、「原子や分子の気持ちよさ」も、作ろうと思えば作ることができる。

8月

22

気持ちいいもののレベル その1

気持ちいいものにはレベルがある。
どんなレベルかというと、感じる主体をどこに置くかだ。
「気持ちいいものの主体は『自分』に決まっているではないか」と多くの人は思うだろう。
ところが『自分』にはいろんなレベルがある。
たとえば『親としての自分』『子供としての自分』『職業上表現している自分』『友人といるときに表現している自分』など。
こういう区分けは人にもよるが、きっとたくさんあることだろう。
そして、それぞれの立場によって、気持ちいいものが変化することがある。
ある立場ではとても気持ちいいものが、別の立場では気持ちよくなかったりする。
自分というものは特定のもので、ひとつの立場しかないと思い込んでいる人はその変化に気づかないかも知れない。
だけどたとえば、自分の親に対して話すときと、自分の子供に対して話すとき、同じ話でも微妙なニュアンスの違いに気づく人は「ひとつの立場しかない」という思い込みから脱することができるだろう。
だから、気持ちいいものは、自分がどのレベルにいるかで変わってくる。

8月

20

言葉の使い方

言葉は普通、誰かに何かを伝えるものだと考えられている。
だけど、自分の中に生まれた「何か」を、自分自身で理解するためにも使える。
その「何か」は複雑で言語化できないこともあれば、単にいままで言葉になっていないから言語化できないものもある。
外国語を習うとそれがよくわかるようだ。
でも、母国語だけでも「何か」は生まれる。
「何か」を伝えるためには用意周到にしないと、誤解ばかりが広がっていく。
「言葉は誤解を伝えるもの」と割り切った方が楽かも。
「誤解」の深い意味が理解できれば。

8月

20

朝の瞑想

いろんなことが去来する。
言わなくてもいい、言ってもいい、いろんなこと。
世の中の複雑さに巻き込まれている僕は、複雑な存在。

8月

18

万物流転

あらゆるものが流れ去っていく。
自分自身もいつか流れ去る。
流れ去らないものなどない。
星でさえ変化していく。
変化をしながら変化がないように思えるのは回転だ。
星は常に回転し、その状態を保とうとする。
原子もスピンしている。
僕も回ろう。w

8月

18

気持ちいい状態にいる

これがなかなか難しい。
あーしてこーしてといろいろと考えてしまう。
泳いでいるときには水の動きを想像するといい。
それで思いついた。
なるほど。
瞑想のとき、なぜ光の回転を思うのか。

8月

15

レッテル思考からの脱却

人間は言葉を持ったが故に、何かの答えとしてレッテルを貼るようなことをして安心することがある。
幼い頃からそれが身に付いていると、レッテルを貼って答えたつもりになる以外どうしたらいいのかわからなくなる。
言葉で答える限り、レッテル貼りと何が違うのかきちんと答えるのは難しい。
でも、人間にはそれができるんだよ。

7月

24

共感社会

共感社会ができるのだという。
それに大切なのは「真実」「愛」「コミュニケーション」。
みんな「コミュニケーション」に力を入れるが、「真実」と「愛」が置き去りにされている。
嘘だらけの社会や会社に「真実」と「愛」のレッテルを貼っても、すぐにはがれる。
「膿」がいま、出てきている。

7月

20

全体性に触れる

書くのは簡単だが、実行は難しい。
そもそも全体性とは何か?
人間にとっての全体性とは、宇宙のことであり、地球のことであり、国家のことであり、地方社会のことであり、家族のことであり、個人のことであり、それらの総合でもある。
それぞれに支配している理屈は異なり、自分がどの観点からモノを見るかによって現れてくる思いや感想は異なり、その違いに惑わされていると即断即決はできなくなるため、多くの人はそれらの違いについてあまり深くは考えないのだろう。
しかし、長い人生について考えるとき、これらについてじっくりと考える必要がある。
いま僕たちが混乱の中にいるとしたら、この全体性に触れる機会なのではないか?
この答えも簡単に出すべきものではないだろう。

7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

7月

10

執着を見つめる

人間、生きている限り、執着を手放せないのだと思う。
なにしろ生きていることが執着の一つだ。
それすら手放すって、死んでしまうよ。w
あるときからそういう自分を観察することにした。
正しくは「執着する自分を見つめる」ということかな。

7月

9

ゆっくり

歴史をふりかえると、パラダイムの変更には時間がかかることがわかる。
数百年から、少なくても数十年。
そのくらい人間の考え方や行動は簡単には変わらない。
今回のパラダイムの変更も、どんなに早くてもあと十年はかかるでしょうね。
その綱引きが現状なのでしょう。
一時期的にはどちらかが勝つのでしょうけど、結局変わるべき状態に変更されていきます。
多くの人が幸せになるように。

7月

8

山から星へ

昔、宇宙の中心は山の頂上にあった。
だから神様の多くは山にいた。
長い歴史のなかで、いろんな宗教が神様をいろんなところに連れて行った。
いろんなところに神様が現れるようになり、宇宙の中心は曖昧になったが、それでも人間のイメージとしては、山の頂上が宇宙の中心になることが多かった。
ところがある時から、星が宇宙の中心になった気がする。
その星の中心が宇宙の中心でもある。
それはもちろん象徴的なもの。
各個人が宇宙の中心にいて、いろんな存在につながっている。
星と星が重力や電磁波で結ばれているように。
山を象徴とするピラミッド構造を維持したい人は、星を象徴とする多次元的な人とのつながりに困惑し、一生懸命ピラミッドに戻そうとしているかのように思える。

7月

6

思い浮かばない

この数日、気持ちいいものが思い浮かばない。
そういうことはときどきある。
でもなんで?と思ったとき、ふと思い出した。
二十年以上前、箱根に行ってある場所をお酒とお米で供養したこと。
また箱根に行ってみるかな。