12月

13

ジョギング

ジョギングは習慣になるとせずにはいられなくなる。
はじめのうちはダイエットとか、健康のためにとかいって始めるが、次第にからだが慣れてくると、走りたいから走るようになってくる。
もしダイエットが理由なら、体重が減少して目標値に達すればしなくてもいいことになる。
だけど、目標に達しても、僕の場合はジョギングを続けた。
なぜかと問われれば、走ることが気持ちがよかったからだ。
ここまで書いて思考は飛躍する。
仕事も気持ちいいからするようになれるといい。
仕事は義務だから嫌々するものと思い込んでいる人がいる。
それは「嫌々でもさせたいことがある人」が考えることで、自発的にそう考える必要はまったくない。
「嫌々でもさせたいことがある人」の洗脳によって、多くの人がそういうものだと考えるようになってしまったようだ。
したい人がジョギングするのと同じで、したい人がしたい仕事をすればいいと思う。
その人が自分の技術を高めようと考えれば、他の人がしたいとも思わないこともするようになっていく。
たとえば僕の場合は、ジョギングを続けることでマラソンを走りたいと思うようになった。
それで42.195kmを走れるようにいろんな工夫をする。
嫌々そんなことをさせられたら、僕にはマラソンは無理だっただろう。
働くことも、もし気持ちよければ自発的な工夫がたくさんできる。
それが自然なことだと思う。

12月

10

神の詩 バガヴァッド・ギーター

何年か前に読んだが
そのときはあまり意味が
わからなかった。
戦争の最中に悩む者と
至上者との対話。
悩む者は
「一家一族を全滅させたり
 親しい友人同志が殺しあうほどの
 過誤があったとは思えません」
と嘆くが、至上者は
「すべての生物は永遠不滅であり
 その実相は人智では測り難い
 破壊されうるのは物質体(肉体)
 だけである
 だから戦え」
という。
何度も問答を繰り返し、
ついに導かれるのは
宇宙普遍相の偉大な形相(姿)。
果たしてそこに何を見るのか。

真実も科学も高度になればなるほど
少しの歪みが大きな影響を与える。
神の詩も、少し間違えると
とんでもない考えに導かれるだろう。
仏教でいう「真如」とともに
これを読むことが求められる。

12月

6

おもろさうし

昔懐かしい歌詞の一部が
はじめて読む文章に
埋め込まれていると
それを読んだ途端に
感覚が懐かしい頃を思い出す。
そのことを思いながら
「おもろそさうし」を読むと、
沖縄のきらびやかな時代が
どのように編まれていたのかが
わかるような気がする。

12月

5

鳥の声

思いがけなく鳥の声を聞く。
この季節に?
ありがたいと思う。
自分の心もときどきふと
何かが動き出す。
鳥の声と同じ。
ふふっと思う。

11月

29

新しいアイデア

ときどき、ふと新しいアイデアが生まれる。
東京ワークショップも
未来市場創造会も
ふとしたきっかけだった。
また新しいふとしたきっかけがやってきた。
実現するための準備を始める。

11月

26

価値か無駄か

3700号以上この「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
その価値は何かと考えた時、まったくの無駄だったとも言える。
大きな価値があったとも言える。
どちらが正しいか?
どちらかだけが正しいというなら、あの有名な質問をしよう。
パンと手を叩く。
鳴ったのは右手か左手か?

11月

21

非二元

二十年以上前、ケン・ウィルバーの
『意識のスペクトル』を読んで以来、
非二元という言葉の意味が
いまひとつ理解できないでいた。
わかったような、わからないような
ムニュムニュ状態。
それがふとつながった。
仏典の多くも、
一部のスピリチュアリストも、
一部の哲学者も
このムニュムニュを説明したくて
がんばっていたのだ。
言葉自体が非二元的ではないので
文字にすると
ムニュムニュしてしまうのは
仕方ないのだ。
いまはどんな非二元に関する質問にも
答えられるような気がするが、
実際には
ムニュムニュしてみないと
わからない。

11月

20

神殿

宇宙に満ちる神殿。
原子という名の神々が
寄り集まって神殿を作る。
神殿は踊りを踊って解体し、
別の存在に変わっていく。
常にいつも変化していく神殿。
僕たちはそれを無常だと感じる。

11月

19

宣言

うじうじ言って、
クダまいて、
「もっと酒を持って来い」と
怒鳴りはしないが、
黙ってそんな気分に浸っていると
嫌な感じがしてくるが、
そういう僕だと宣言すると
案外清々する。
うじうじした感情はあっち行け。

11月

2

ブサキ寺院での礼拝

バリ島のブサキ寺院は
いくつかのお寺が
集まってできている。
その中心にあるのが
プナタラ・アグン・ブサキ寺院。
ここに三大神である
ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァを
祀っている場所があり、
そこで礼拝する。
この三神をまとめて
トゥリ・ムルティと呼ぶが、
その三神のための椅子が
その礼拝所には用意されている。
礼拝所に座り、
アグン山の方向に目をやると
高い場所に
その三つの聖なる椅子が目に入る。
神様は目に見えるものではない。
その見えない神を
そこに降ろすことをイメージした。
そしてその場所と
自分の祖先や親族と
大宇宙に感謝することを促される。
すると、その三つが、実はすべて
つながっているものであることが
イメージでき、そのことに震えた。

10月

31

多次元的認識

相方と喧嘩をする。
自分の主張を思いっきりする。
一方で、相手の立場にも立ってみる。
怒りたくなる気がわかる。
そして自分の立場に戻ってくる。
僕も怒りたいが、
相手の怒りたい気持ちがわかると
ただ怒ってもしかたないので
どうしたらいいのかと悩む。

仕事で理不尽な要求をされる。
それは無理と思うが、
相手の立場に立つと
無理だと言ってはねつけるのも
どうかなと思う。
その要求に
答えるか答えないかだけではなく
別の提案ができないか考える。

世界ではいろんなところに
対立がある。
それらを感じて
どちらが正しいかを
考えるだけではなく、
第三、第四の道を考える。

目の前の「右か左か」や
「善か悪か」や「私かあなた」
だけを考えるのではなく、
そこにはまだ見えていない可能性を
創ってみる。

それをするために与えられた
僕たちの想像力。

いま外で鳥が鳴いたら、
それも目の前の問題と
関係があるのかもしれない。
ないのかもしれないのはもちろん。
もしないとしても
僕たちの想像力はそれを作れる。

10月

17

人の意識は融合できない

人は、悲しいほどに
ひとりひとり別の存在。
だからこそ、
互いに意見が相容れないことがある。
コンピューターなら何台でもつなげて
いろんなデータの共有ができるが、
人間は、
何人もの人が集まって討議すると
必ずと言っていいほど
意見が割れてしまう。
人によって何を大切にしているかが
異なるからだ。
逆に見ると、コンピューターには
そのようなことがない。
個人が尊重する主義のようなものより
そのときどきに与えられる
判断の根拠によってのみ
物事を決めていく。
個人の主義のようなものは、
感情にも根差している。
それがいいか悪いかは
どう考えるかによるが、
コンピューターはそれを考える
判断の根拠を
与えられるまで待っている。
AIはいつかその判断の根拠も
考えるようになるのかもしれないが、
それはもしかしたら人間にとっては
危険なことかもしれない。
人間は意識の融合ができないからこそ、
互いに言い合う必要が生まれ、
少しの共通認識と、
多くの意見の異なりを生む。
意見がみんな違うから
ある程度の歯止めがかかるが、
判断が一度に共有され,
ある方向に動くとなったら
一度に動けるAIは
人間という存在をどう扱うのか?
そう考えると、人間同士のいざこざは
実はそれほど悪いものでもないように思えてくる。

10月

11

上から目線

ときどき、世界を上から見る。
「上から目線」は嫌がられるけど、
世界全体で何が起きているのか
感じるためには
世界を上から見てみないとならない。
するといろんなことに気づく。
いろんな争いが
世界中にあるようだが、
みんな幸せになろうと戦っている。
戦う時点であまり幸せではない。
誰かが戦おうとしているから
戦っているように思わされる。
戦わずに幸せには
絶対なれないのかな?

10月

5

人を動かすもの

瞑想したり、気持ちいいものを書いたりして、
自分の感情に向き合うと、
自分が何に影響されているかが
わかるようになってくる。
心地よさと恐怖と概念だ。
どれも物質として存在するものではない。
しかしそれらの影響で
自分の心やからだを動かしてしまう。
それらはいいことでもあり
悪いことでもある。
人間は、
動物には持ちようのない概念を持つことで、
地球上に繁栄できた。
お金という概念のおかげで社会ができ、
いろいろと問題はあるものの
そこそこ幸せに生きていける。
インターネットが定着し、
AIが生まれてくる現在、
個人がそのことに関して
深く考えておかないと、
間違った方向に進むことになる。
ホーキング博士が言っていた、
「AIは人類にとって最悪、
 もしくは最良の結果を
 もたらす可能性がある」
は、個人個人のあり方で
どちらの方向に行くのかが
決まってくるように思う。

9月

1

火焔型土器

東京国立博物館の特別展
「縄文〜1万年の美の鼓動」を
見てきた。
一番印象に残ったのは
何点もの火焔型土器である。
あれはいったい何だろう?
ふと思い出したのは
白川静が唱えていた
口(さい)という文字。
正しくは「白川静 サイ」で
検索すると、その形が示される。
祝詞を収める箱のことを言う。
最初は神に伝えたい言葉を書いて、
あそこに入れて
燃やしたのではないかと思った。
でも、縄文時代には
文字は存在しないはず。
そこで、何か呪物を入れて
燃やしたのかなとも思う。
神に捧げる祈りや願いが
あの形に結実したのではないかと。
学者に言わせればこんな空想は
笑い事だろうが、
空想は空想として楽しみたい。

8月

28

共通の認識

共通の認識ってすごいなと思う。
もし僕とあなたで
これが共通している認識だと
思うことができなければ、
言葉は成立しない、
「言葉」と言って「言葉」を
思い浮べてもらえなければ
話ができない。
「空がきれいだね」と言って
理解してもらえなければ
喜びは半減するだろう。
共通の認識ってだからすごい。
言葉がなくても共通の認識は
できただろうけど、
言葉が存在することで
共通の認識の範囲が広がった。
当たり前すぎて
わざわざ言うことではないと
思い込んでいるけど、
それをわざと言うことで
何か生まれてくるんじゃないかな?

8月

22

イルカに教わった泳ぎ方

プールで泳ぐようになって八年ほどたつ。
はじめのうちは長く泳ぐのが大変だったけど、
最近は慣れた。
ゆっくりと効率的に泳ぐとき、
何が役に立ったかというと
イルカの尾びれの動かし方だ。
イルカはゆっくり泳ぐとき、
放物線を描いて落ちる球のように
尾びれがリズミカルに
遅くなったり速くなったりする。
きっとあれを真似したら
楽に泳げるのではないかと考えて
そうしてみた。
するととても楽に泳げる。
高校生の頃、指揮をするのに
似たことをした。
それもきっと役に立っている。

7月

30

なにもわかっていない自分

いろんなことを考えてはみるが、
自分のからだが
どのように動いているのか
まったくわからない。
なぜ心臓が動き続けるのか、
肺から入った酸素が
どうして血液に回って
からだを巡るのか。
食べたものがどのように消化され、
どのように筋肉や細胞が
発達したり修復されるのか、
まったくわからない。
わからないにも関わらず
きちんと作動している。
当たり前ではあるが、
ありがたいことだ。
すべての人の中に
神様が宿っているようなものだ。

7月

29

原子の不思議

生命が何かを食べて
体内に取り込むと、
それは生命の一部となる。
それはとても不思議なこと。
誰もその原理を説明できない。
原子や分子が集まって星を作ると
そこには重力が生まれる。
それもとっても不思議なこと。
それも誰も説明できない。
ただ「生命の一部になる」とか
「重力が発生する」とか
言葉のレッテルを貼るだけ。

7月

27

異なる階層の謎

原子は分子を作り、
分子は巨大分子を生みだし、
巨大分子はいつしか複製子となり、
複製子は遺伝子として細胞を形作り、
細胞は寄り集まって
多細胞生物となり、
多細胞生物は多彩に分化して
さまざまな生物へと進化する。
この不思議な作用を
原子が持っている。
寄り集まって
別の段階の存在になると
その段階の約束にしたがって
行動し始める。
そんなことがなぜ起こるのか
誰も説明できない。
こんな力を万物が持っている。

7月

26

階層を生み出す力

物質を分割して行くと
これ以上分けられない最小のものを
見つけた。
それを原子と呼んだ。
「最小のもの」という見方をすると
それだけのものであるが、
ものの見方を逆転すると
面白い見方もできる。
つまり、それは
「万物の構成要素」という見方だ。
原子は寄り集まって分子を作り、
原子や分子の寄り集まりで
いろんなものを作り出す。
鉱物や液体はもちろん、
ある特定の集まり方をすると
生命まで生み出す。
そう考えていくと
宇宙に存在する神秘の多くは
実は普段接している
物質を構成している
原子や分子にあると
考えてもいいのではないか?

7月

25

世界が熱を放っている

暑い日が続きますね。
それも世界中で
暑くなっているのだとか。
なぜこんなに熱があがるのでしょう。
地球が発熱しているようです。
からだが発熱すると
病原菌を取り除いてくれます。
同じように地球が発熱すると
何か悪いものを
排除してくれるのでしょうか。
排除されるべきはきっと
自然に対する人間の
傲慢な思いなのでしょう。
人間は地球の薄い膜の上でしか
生きてゆくことができません。
どうか僕たちが
安らかに生きていけるよう、
僕はもちろん、
多くの人が正しい智恵に
たどり着けるよう、
導いてください。

と書いて、これを誰に向かって
書いたのかが謎だ。
神様? Something Great?
地球? 宇宙?
この文脈を導いた僕が
明らかにするべきだな。

7月

13

わからないこと

世の中にはわからないことがたくさんある。
まず、生命とは何かがわからない。
自分は生きているのに、
自分がどうやって生きているのか
わかっていない。
なぜ食べるのか?
なぜ歩くのか?
どう考えているのか?
わかったような気でいて
本当はわかってない。
でも、もしそんなことが
わかるのであれば、
わかるために知らなければならないことが
山のようにありすぎて、
きっと困ってしまうだろう。
それでもあえてそれを知りたいと
思うのであれば、
自分なりに考えたり調べたりしていくと
ある程度までは知ることができる。
でも、そこから先は本当に
不可知の世界だ。
たとえば命を、
ある体系で理解できても、
別の体系で考えることもできる。
そういう、ものの見方によって
変化する真理というのも興味深い。
だけど結局わからない。
わからないままに人生に漂う。

7月

3

前世と今

16年前に
『あなた自身のストーリーを書く』
という本を書いた。
そこに僕の前世について
少し書いたのだが、
いまでも、もしその前世が
本当に僕の前世だとしたら
今の僕が学ぶべきことは何か?
と自問自答する。
すると不思議なもので、
いろんな答えが見えてくる。
前世が本当かどうかは
きっといつまでも
わからないことだろうけど、
その前提を受け入れることで
腑に落ちることがある。

6月

20

産んでくれてありがとう

この世界に出ることができて
ここにいられることが幸せだ。
いろんな苦労があるにせよ、
つらい思い出があるにせよ、
なんとかいまを生きている。
母さん、産んでくれてありがとう。