9月

5

100億人の地球

100億人の地球に何が必要か?
もし今のままの競争社会が続き、欲望に従い搾取し続けるのなら、いつか破滅するしかないのでしょう。
人間の社会だけを考えていても、何も変わらない。
もっと大きな視点と、いままでにはない区別を考えることで、人類の精神が別の領域にいくことが必要です。
ロシアの科学者ヴェルナツキイ、フランスの数学者であり哲学者であるエドゥアール・ル・ロア、そして同じくフランスの神父であり科学者であったテイヤール・ド・シャルダン。
これら三人が作りあげたヌースフィアという概念を、ケン・ウィルバーが発展させている。
そのフィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)について考えてきた。
いろんな人と一緒に考えてみたい。

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しばらくサイトがダウンして、「日刊 気持ちいいもの」が発行できませんでした。
今日から再開します。

「ヌースフィアってなに?」という映像シリーズをYouTubeで始めました。
ぜひ見に来てください。
第1回は「入口」と題して、フィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)の区別についてお話ししました。
https://youtu.be/in2kgaW8fG4

回を重ねていくうちに、生命の進化、精神の進化、人類が将来取り組まざるを得ないことについてお話しします。

8月

29

80億人

世界の人口は、今年2022年11月15日には80億人になる予定だそうです。
国連が発表している世界人口推計の2022年版にそう書かれているとか。
2050年には97億人を超える見込み。
戦争したり、奪い合っていたり、過度に戦っていたら、地球は生きにくい場所になってしまいます。
譲り合って生きていきましょう。

7月

15

膿の観察

社会の膿がポロポロと出てくるようになった。
それらをよく観察しなければならない。
観察して、自分の心のどこにそれを許していた要素があるのか、気づかなければならない。
社会の膿がきれいになるのは、きっとそのあと。

6月

20

人間にとっての他の生命

何かの本で、地球上の哺乳類のうち、野生動物はたった4%でしかないというのを読んだ。
ショックだった。
つまり人間と畜産動物とペットが哺乳類の96%をしめている。
それを読んでこんなことを考えた。
人間が哺乳類のほとんどを自分の意図のままに使っていると。
そして、使うだけではなく、ほとんど食べている。
とてもバランスが悪いように感じる。
自分のからだを例として考える。
脳がもっとも大切な部位だから、あとの細胞はどうでもいいと脳が考えていたらどうだろう?
脳に栄養を送るために他の細胞はすべて犠牲にする。
そんなバランスで健康な身体が保てるだろうか?
だからと言って、バランスを取り戻すために人間を殺せとは思わない。
人間にとって他の生命がどんな価値のある存在なのか、よく考えなければならない。
いま僕たちが信じている「ものの考え方」を少し変えた方がいいのかもしれない。
その結果、自然とバランスが取り戻せるのが理想ではないか?

6月

18

肉食動物が生きているのは草のおかげ

草食動物が元気に生きるためには広い草原が必要。
草原が狭いと、食べ尽くして終わってしまう。
肉食動物は、草食動物がたくさんいないと生きていけない。
草食動物を食べ尽くしてしまったら、肉食動物は生きていけない。
だから、肉食動物が元気に生きて行くためには、たくさんの草食動物と、それを支える広い草原が大切。
でも、動物園には草原はない。
人間が草や餌を持ってきてくれるから。
それでいつしか忘れてしまう。
肉食動物は草食動物のおかげで肉食動物になれたこと。
草食動物は草原のおかげで草食動物でいられたこと。
人間も、便利になることで、いろんなおかげを忘れてしまう。
宗教には、それを忘れないための仕組みがあった。

6月

11

Pigcasso

市原ぞうの国で象が絵を描いた話をしたら、絵を描く豚がいることを教えてもらった。
その名は「Pigcasso」。
PigとPicassoがドッキングした。w
象の絵とは異なり、こちらは完全な抽象画だ。
デジタルアートとしてネット上で買うこともできる。
豚は頭がよく、感性も優れていることは、ライアル・ワトソンの遺作『思考する豚』を読んで知った。
そういう豚を食べてしまうのか?
以前、イルカやクジラは頭がいいから食べてはいけないという話しがあった。
豚も頭がいいとなったら食べてはいけないと主張する人が現れるのだろうか?
人間の原罪について踏み込む課題がひとつ明確になった。
僕は、または僕たち人類は、どんな答えを出すべきなのだろう?
ポークソテーを食べながら考える。

4月

18

祈る

ウクライナからは毎日のように悲しい知らせが届いてくる。
真実がどこにあるのかもわかりにくい。
それでも祈る。
すべての命が祝福されて生きられますように。
生きるべき道を歩めますように。

4月

15

山本太郎がなぜ議員辞職するのか?

2022年4月15日14時から、山本太郎の記者会見があった。
聞くべき内容。
ニュースには取り上げられるのかな?

4月

10

愚痴をこぼす

新型コロナの件とウクライナの件。
いいかげんにしろよ。
詳細は省く。

3月

6

産みの苦しみ

ロシアのウクライナへの侵攻が気になる。
ロシアが一方的にウクライナの人々を殺しているという報道の一方、ネットを丁寧に見ていくと、ウクライナ極右が非人道的な人間の盾戦術をおこなっているという情報もある。
どれが真実かは僕には知りようもないが、少なくとも第二次世界大戦の時の大本営発表ばかりではないことに感謝。
人類は新たな世界の「産みの苦しみ」に直面している。
一部の権威が一方的に世界を支配する体制から、話し合いによって社会を運営する体制に。
つまり、ピラミッド社会から球体社会への脱皮。
表面上はたいした差がないかもしれない。
大切なのは市民の心と行動だ。
戦ったり、争ったりするのではなく、話し合いと融和が大切。
聞く耳を持たない人に聞く耳を持ってもらうためにはどうしたらいいのか?

3月

3

もうすでにある

遠くの人とも自由に会話できる。
知りたいことはほとんどなんでも知ることができる。
食べたいときに食べたいものを食べようとすれば食べられる。
いま欲しい物といったら、ほぼなんでも手に入っていて、特に必要でもないものを贅沢品として追いかけている。
そんな幸せな世界になってきた。
このことに目を覚まさなければならない。
いま体験している現実がもったいない。
それを知った上で、社会的に起きている事件を眺めると、もっとどうにかなるだろうとしか思えない。
「どうにもならない」と思わされているように感じる。
答えはすでにあるのに、目隠しをされているようだ。

3月

1

理想論

戦争はほとんどなくなりました。
無意味な殺戮はほとんとなくなりました。
人権蹂躙はほとんどなくなりました。
でも、まったくなくなったわけではない。
なぜだろう?
なくしましょう。

2月

7

子供のサッカー大会

イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。

1月

28

はじめて見たオゴオゴ

バリ島のニュピの日に、プリカレラン家にホームステイさせてもらった。
ニュピ前日の夜、低級霊を祓うために、村ごとに大きなはりぼての鬼を作り練り歩く。
その儀式や鬼をオゴオゴという。
当時バリ島の街にはほとんど街灯がなく真っ暗だった。
その中を数十人の男たちが高さ五、六メートルもあるようなオゴオゴを神輿のように担いで移動していく。
時々なぜか彼らは走り出す。
数十人が一度に暗闇の中を走ってくると、その音は恐怖をもたらす。
うっすらと見えるオゴオゴの影、激しい息と意味のわからない言葉、そして数十も重なったペタペタというサンダルの音。
どう避けていいかもわからない。
狭い道の中で揉みくちゃにされて、ひとごみから吐き出されると、オゴオゴを引き回した集団は遠ざかっていった。

12月

5

社会の流れ

社会の流れを変えようとすると、はじめのうちは何をしても空回り。
しばらくして変化が出てくると、自分はたいして何もしてないと思う。
すっかり変わると「ああよかった」と思うだけ。
でも、そういう人がたくさんいたから変わったんだろうな。

12月

4

大きな嘘

昔、大きな嘘はばれないモノだった。
最近の世の中は正直化が進む中で、大きな嘘も「嘘」と認知されるようになってきた。
みんなが目を覚ましたとき、どんな世の中になっているのか楽しみ。

11月

22

マルチスピーシーズ人類学

『モア・ザン・ヒューマン』というマルチスピーシーズ人類学についての本を読んでいる。
人間は環境がないと生きていけない。
それは、どんな動物にも当てはまること。
しかし人間はそれをおろそかにしてきた。
環境を大事にするとはどういうことか?
それは、そこに生きている生命をすべて大事にすることかもしれない。
だとすると、そこに生きている動物すべてに、人間と同じような権利を認めることが必要かも。
そのようなことを探るためのマルチスピーシーズ人類学。
人間だけをどんなに大切にしても、環境が大切にされなければ、結果として人間も大切にされてない状態が生まれる。

11月

22

切ない話

この世には、切ない話がたくさんある。
切ない話を「気持ちいい」とは言えないけど、切ない話の中にわずかな希望や、善意や、ささやかなハッピーがあると素敵だなと思う。
じんわりと心温かくなる。

11月

17

絡まり合い

関係が絡まり合うと、どちらが正しくてどちらが間違っているのか、判然とはしなくなる。
たとえばキリスト教は、それができた頃にはローマ帝国にとって悪であったが、300年ほど経つうちに国教になってしまった。
ローマ帝国とキリスト教は絡まり合った。
それが良かったのか悪かったのか、一概には言えない。

11月

12

ぐるり。

訪問看護士で、写真家の尾山直子さんが写真展「ぐるり。」を開く。
尾山さんを知ったのはピース・キッズ・サッカーというNPOで。
当時はまだ学生で、必要なことを何でも楽しそうにやる子だった。
看護士になり、FB上で訪問看護士になったと知った。
大変な仕事をするなと思っていたが、仕事の傍ら美術大学の通信課程を終え、写真展を開くという。
内容は、訪問看護している老いた人と家族、その様子を撮ったもの。
専用サイトを見に行って、心をつかまれた。
https://gururi-2021.studio.site

11月

10

愛による、個人の全体化

個性を伸ばしていくと、個性同士がぶつかり合って、なかなか合意に至れないと考えがちである。
しかし、テイヤール・ド・シャルダンは、その背景にキリスト的な愛がありさえすれば、互いに認め合うことが可能であるとし、それが人類を統合するための鍵だとした。
みんなが同じ考えを持つべきと考えるのではなく、みんな違ってみんないい状態を、愛を通して生み出すことができるという。
それがいったいどういうことなのか、僕たちはまだ知らない。

11月

10

人間のエネルギー

テイヤール・ド・シャルダンが1937年に、船旅のさなかに書いた「人間のエネルギー」という短い文章がある。
「現象としての人間」を書くにあたっての準備のような文だと思う。
それはテイヤール・ド・シャルダン著作集の第二巻に入っている。
現在の世界を知ると何かモヤモヤした考えに覆われてしまう。
それを吹き払うのにいい。

11月

10

山本太郎の国会での質問

かつて参議院議員だった頃、山本太郎の国会質問は見ものだった。
衆議院での質問を楽しみにしている。

11月

5

ホワイト・フラジリティ

『ホワイト・フラジリティ〜私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?」という本を読んだ。
白人がなぜ黒人差別をしてしまうのかについての本である。
BLMが社会問題として浮上したアメリカで、ベストセラーになったとのこと。
白人はレイシズムがいけないということを知っている。
だから、みんな自分はそんなことはしないという証拠をあげつらう。
しかし、そのような行動すら、黒人にとっては不快な行動に思えてしまう。
では、どうすればいいのか?
それが理解できるように書かれているが、微妙な話なのですべての人がこれで理解できるかどうかは疑問だ。
僕自身理解したのだろうか?
この本には白人が否応なくしてしまう黒人への差別について書かれているが、敷延することで、日本人が直面する社会問題のヒントにもなると思う。

10月

11

聞く耳を持つ

他人の話はきちんと聞ける人でありたいとは思う。
でも、選挙前とあとで言うことが変わる政治家に聞く耳はなかなか持てない。
そこまで素直ではない。